Trail Footstamps

「では、こちらをどうぞ」


 私は2つの瓶を取り出した。の瓶と、先程使ったの瓶だ。


 先ずは赤い蓋の瓶を持ち上げ、軽く揺する。


「………色はないな。臭いは?」

「ありません。完璧に無味無臭です、飲んでも水と変わりありませんよ。………そして、こちら」


 続いて、青い蓋の瓶をユジーンに渡した。


「これが、薬か。だな」


 テーブルランプに2つをかざして、ユジーンは眉を寄せた。


「どちらも見た目は変わらんな」

「えぇ。、それ以外はなんら違いはありませんから」

「………」


 何か考え込むような態度をとるユジーンに、私は内心で舌舐めずりする。

 とにかく今は、2つのことを相手に刻み付けなくてはならない――『』と、『』だ。

 最後は、彼には【毒】を飲んでもらわなくてはならない。そのためのだ。


 私の舌は滑らかに踊る。


「蓋を間違えると、飲んでみるまで解らなくなってしまいます。間違えて毒を飲んだら、直ぐに薬を飲まないといけませんよ」

「薬の方は? そのまま薬飲むとどうなる?」

「別にどうもしませんよ。水みたいなもので、そのままでは、それは何の意味もありませんからね」


 私の前に、ユジーンが青い蓋の瓶を置く。

 目を見開く私に、老人が鋭い視線を送ってきた。


「どうした? お前が暗殺者で、毒と薬をすり替えているかもしれん、なんていう私の妄想を笑わせてくれたまえよ」

「………」


 私は黙ったまま、瓶を持ち上げる。

 ユジーンの、歳に似合わぬ覇気をまとった視線が、私の全身に注がれる――。







「いやあ、危なかったな、相棒!!」


 私にだけ聞こえる音域で、バグがけたたましく叫んだ。

 勿論私は答えない。

 今、ユジーンの後をついて、屋敷の廊下を歩いているところなのだ。こんなところで鞄と話し始めたら、別な意味で怪しまれる。


 そして勿論、バグはその辺りの事情を良く理解している。理解した上で、話し掛けてきているのだ。詰まり………嫌がらせである。


とは意外だったが、しかし、こういう場合を考えてたわけだ。ギャハハ、ずる賢い奴だぜ!!」


 ユジーンは、頭が良いと自分で思っていて、警戒心も高い。下手な嘘は見抜かれてしまうだろう。

 

 赤は毒。その言葉に嘘はないし、今後もすり替えるつもりはない。


 私の計画通りなら、それでいい――ユジーンは、


「あー、さっき言ってた宣伝デモンストレーションのことか? 皆の前で、赤い瓶を飲むわけか?」


 私は黙ったまま、軽くバグを叩いた。

 昨夜の作戦会議を、聞いていなかったのだろうか。………聞いてなかったのだろうな。


 勿論、違う。


 大勢の前で毒なんか飲んだら、騒ぎになる。騒ぎになれば王国巡視隊ロイヤルガードの調査が入り、私にたどり着かれるかもしれない。


 その場合問題は、ディアである。


 何せディアは魔導書の化身だ。どこの誰も知らない人間モドキに対して、世間はさして寛容とは思えない。

 騒ぎは起こさせない。ユジーンには、


「………ここだ」


 私の内心に気付いた様子もなく、ユジーンがドアに手をかけた。

 護衛の姿もないが――私のは、周囲を固める不可視の魔法生物クリーチャーをかぎ分けている。

 つくづく、用心深い。先程薬を飲んでやったお陰である程度は信用されているが………まあ、それでもこのレベルなのだろう。


「しかし、今すぐあの少女に用があるのかね? 私としては、早く薬を仕舞いたいのだが………」

「まあまあ」


 私はなだめるように、穏やかな声を出す。


「今度あなたが飲む薬の、体験者ですよ? 様子を見ておいた方が良いでしょう?」

「それは、確かに………」


 私がユジーンに頼んだのは、残る最後のピース、ディアの見舞いである。

 私と、ユジーン。


 何となく納得のいかなそうな顔で、ユジーンがドアを開ける。

 当たり前だ。ユジーンの屋敷には様々な罠が仕掛けてあり、警戒心の高い彼はそれを誰にも伝えていないはず。


 


 だから、罠も仕掛けられる。


「っ?!」

「あぁ、すみません!!」


 ドアを開けた直後。

 


 驚き足元を見るユジーン。

 彼が顔を上げる頃には、【マーレン】は消えている。


 これでよし。


「すみません、大丈夫ですか?」

「い、いえいえ、このくらい大丈夫ですよ。体調はどうですか?」

「はい、だいぶ良くなりました。すみません、どうやら


 ディアはベッドに腰掛け、柔らかく微笑んでいる。枕元にある水差しが空になっているのを隠すように、足元の方に座っているようだ。

 私はこっそりと、ユジーンに耳打ちする。


「………どうやら、単なる食べ過ぎと思ってるようですね。好都合です、そのまま食べ過ぎとして済ませては?」

「………その方が、後腐れが無さそうだな」


 他人の評判を考えたら、パーティー会場で毒に倒れられるよりは、食べ過ぎで倒れる方が遥かにましだ。

 ユジーンは頷き、私も頷いた。


「一気にたくさん食べるからですよ、お嬢さん」

「まったくですね」


 そこだけは本気で、私は同意した。

 あそこまで食べる必要はなかっただろうが。

 私の視線に、ディアは冷や汗を掻きながら目を背けた。後で説教だ、まったくもう。


「一先ず、熱とかを計らせて下さい」

「あ、は、はい!」


 かなり努力して微笑みを浮かべつつ、私はディアのおでこに手を当てる。

 全身を包む魔術師らしいローブがふわりと広がり、ユジーンの視線からディアを隠す。

 ………ディアの手が素早く動いて、私の鞄に瓶を放り込んだ。


「問題なさそうですね」


 淀みもなくディアから離れたときには、先程ディアが飲んだ偽【石化剤メドゥーサ】が、バグの中に収まっている。


「では、私はこれで。どうも、お世話になりました」

「ああ、いえ、お気を付けて」


 ベッドから立ち上がったディアを、ユジーンが脇に避けて通す。その背中に、私は声をかけた。


「良かったら、送りましょう。私も、これで用は済みましたしね。?」

「そうか、ではそうしてくれ」


 ディアを伴い、私は部屋を出ていく。一応目礼はしたが、ユジーンは新しい玩具に夢中のようで、こちらには目も向けない。

 失礼だが、しかし好都合だ。あとは、この偽【石化剤メドゥーサ】を井戸に投げ込んでやればいい。


 それで、詰みチェックメイトだ。

 けして命には関わらない、誰も殺せないこの毒が、彼を殺す一押しになるのだ。

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