Un-Soundless Bar

 人間には二通りある。間の良いやつと、やつとの二通りだ。


 同じ顔で、同じ声で、同じことを言ったとしても。或いはしたとしても、それが良い方に転ぶ場合とその真逆に転ぶ場合とがある。

 中身や内容の問題ではない。


 要は、の問題だ。


 極端な話、間が悪い人間は何をしても駄目だ――それがどんな善行であれ、そいつがやったというだけで駄目になってしまうのだ。


 哀れといえば哀れだが、迷惑といえば迷惑である。それを向けられる身としては。


「やあどうも、クロナさん。今お忙しいですか?」

「………………」

「何か?」


 私は、そんな間の悪い男を無言で睨む。

 ただしこいつの場合は、そんな一抹の同情も感じない――純粋に、百パーセント、迷惑なだけだ。


 ベルフェ。魔術師のベルフェだ。

 どこにでもありそうな、ありふれたスーツ姿の男だ。取り立てて特徴のない顔立ちの青年で、見た目だけは私と同い年くらい。

 本人いわく何か、身元を隠すための魔術を使っているそうだが、それが必要なほど目立つ容姿ではない。


 私は聞き慣れた声を出す魔術師にちらりと視線を向け、肩をすくめた。


「見て解らないか?」

「なるほど、豪勢ですね」


 くすくすと嫌な笑いを浮かべるベルフェが見下ろしたのは、はつらつと湯気を立てる五枚の皿だ。


 厚めに切ったバゲットに鴨のムース。

 鹿肉のステーキ、ブイヤベース、サラダ、そしてカレー。

 ありふれた献立メニューだが、ベルフェは別に嫌みを言ったわけではない。


 例えば、単なる水だって砂漠の真ん中では何よりのご馳走になることもある。

 物そのものでなく置かれた場所が、価値を決める。


 献立が置かれた場所が、つまりそれらをご馳走に変えたのだ。


 ここは、私の行き付けのバー。古ぼけて狭苦しい、居心地の良い店ではあるが、レストランではない。

 年期の入ったカウンターに置かれるのは、本来酒と沈黙だけ。こんな騒々しい騒ぎは、悪く言えば場違いである。


「間が悪いですか?」

「見て解らないのか、それも」

「言葉で聞きたいんですよ」


 私は鼻を鳴らして、グラスを口に運んだ。


「女の心を言葉にさせたがるとはな。大した甲斐性だよ、魔術師」

「察しろ、というのは無責任だと思う人間なので。ロマンが無くてすみません」


 少しも悪びれた様子のないベルフェを、私はじろりと睨み付けた。


「………座っていいと言ったか?」

「察したつもりですがね。それで、これは何事ですか? の打ち上げならば、僕にも参加の権利はあるのでは?」

「単なる食事とは思わないか?」

「ふふ、僕は健啖家の女性を差別するつもりはありませんが。失礼ながら、貴女の趣味とは思えませんね」


 私はため息を吐いた。

 追い返すなら手遅れだ、それなら椅子に座る前にするべきだった。

 私の諦めと同時に、ベルフェの前にカクテルグラスが出現する。

 マスターの魔術めいた手際の良さに、ベルフェが感嘆の吐息をこぼした。


「………快癒祝いさ、今日は」


 グラスの中の、翠緑色の液体を眺めながら、私は吐き出すように呟いた。

 嫌な色だ、と思う。何処かの芝生を思い出す。或いは、バラの蔦を。

 ――或いは、それを従えた女王の顔を。


 一週間前、私はとある騒動の末、を一人迎え入れた。彼女は怪我をしていて、かつそれは私のために負った傷だった。

 だから、私は出来うる限りの手を尽くして薬を手に入れることにしたのだが………その際の顛末は、件の【魔導書事件】と比べても遜色ないような馬鹿騒ぎだったのである。


 まあ、と私は私を慰める。

 苦労の甲斐はあった――流石は魔女の仕事ウィッチクラフト、生命の危機も銀匙スプーン一掬いときたものだ。


 ちなみに。


 ちょっとした、本当にちょっとした事情とあとは意趣返しから、ベルフェに事の顛末は語っていない。語る気もない。


「ほう、それはそれはおめでとうございます。治ったのは、もしかして?」


 私の向こうを覗き込もうとするベルフェ。やれやれ、本当に間の悪い奴。


 諦めて、私は身体をずらしベルフェととの間に視線を通した。


 金髪碧眼、端整な顔立ち。

 バラのようにブラウスに、バラのようにベストとロングスカート、そして王冠型の髪留めを身に纏い。

 背後に垂らした三つ編みは腰にまで達するほど長く、彼女の若すぎるはつらつさによって左右に揺れている。


 私にもバーにも似合わない上品な姿に、ベルフェが大袈裟に驚いて見せた。


「おやおや、クロナさん。どこでさらってきたんですか?」

「うるさい。………こいつはディア。ディア、こいつはベルフェだ。覚えなくていいぞ、どうせすぐに忘れる」


 私の言葉にベルフェが苦笑の気配を浮かべた、正にその瞬間。「」とディアが口を開く。


「ご安心下さい、クロナ様。私、主の命ならば、月を穿ち大地を割ることも厭いません。人の顔くらい、覚えて見せます!」

「………」

「………」


 ベルフェの物言いたげな視線から隠れるように、私はグラスに顔を埋める。私は暗殺者、面倒事にはくるっと回ってさようなら、だ。


 ディアの独演会は続く。


 颯爽と立ち上がると、一歩で間合いの内側へ。目を丸くするベルフェの前で優雅に膝を折った。


「はじめまして、私はディアともうします。至らぬ身ではありますが、誠心誠意努めさせていただきます。ベルフェ殿、以後よろしくお願いいたしますわ」


 言い終えて席に戻り、ディアは目の前の皿に手を伸ばした。少女には酒は未だ早く、つまり沈黙を味わうのにも早い。

 一口ごとに大袈裟に感動するディアを愕然と眺めつつ、ベルフェが私に顔を寄せる。


「………クロナさん、どこで拐ってきたんですか。悪いことは言いません、返してらっしゃい」

「私もそれは考えたがね」

「が、なんです? まさか、?」


 私は肩をすくめた。

 人の行動に、私の許可が必要なことなど多くない。それを求める人間もまた、多くはないのだ。

 ディアは決めたのだ。私の顧客ベルフェと以後よろしくすることを。


 ………私と共に、他人の血の池に沈むことを、少女自身が決めてしまったのだった。

 私への恩義を返すとかいう、まったく暗殺者には似つかわしくない理由のために。


「そいつの今後は私が決める。それより、何か用か? そいつとよろしくやる気がないなら、大人しく出直せよ」

「………解りましたよ、ここは貴女の顔を立てておきましょう」


 ため息を吐くベルフェに、私もまたため息を返す。

 暗殺者わたしは顔など、立ててほしくはないのだが。






「標的は、ユジーンという男です。奴を事故死か自殺か、とにかく作為的でない死をお願いします」

「何者だ? 魔術師ウィザード魔導書グリモワールか、例えばドラゴンだって驚かないぞ」


 何せ、こいつの依頼だ。ろくなものではあるまい。

 私の冷やかしに、ベルフェは寛容にも肩を落とした。


「茶化さないで下さい、今回はただの人間ですよ」

「どうだかな? 今のところは、なんて付けなくて大丈夫か?」

「えぇ、そこは保証しますよ。彼はただの人間です。魔術師どころか異能者でさえない」

「………『彼は』?」


 鋭いなぁ、と笑いながら、ベルフェはグラスをゆらゆらと揺らす。

 中身がこぼれそうでこぼれない。計算しているのか、それとも運か。

 揺らぐ水面を見詰めたままで、魔術師は今回のを口にする。


「彼は凡人ですが、その。確認できただけで魔法道具が15個、内戦闘用のものは7つあります。全て護衛ボディガードに持たせてます」

「帰れ」

「更に、屋敷には警備用の使い魔クリーチャー。監視用の使い魔ウォッチャーなどが放されてます」

「帰れってば」

「止めにもう1つ。屋敷内には非常用兼魔法道具保管用の隠し部屋シェルターがありまして、そこは本人しか場所を知りません。もちろん、破るのも無理です」


 私はため息を吐いた。

 これでもかというほどに並べられた悪条件。それはいっそ、不可能と言い切っても構わないような鉄壁である。

 先だっての騒動――魔術師殺しも魔導書確保も難易度は高かったが、しかし、これはまた別の障害である。


 久方振りの、依頼、【魔法道具蒐集家コレクター】ユジーン暗殺。

 まったく見通しの利かない難関に、私は挑むことになった。


 自分を慕う、ディア素人を連れて。

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