第4話

 暫七世代型自律式文化女中機・ザンは悔やんでいた。あまりのショックに耐えかねたのか、いまだK-monaの研究所で明後日の方角を向いては嘆いている。

『私が付いていながらなんということ。……お嬢様。申し訳ありません』

「途方に暮れている場合じゃないわ。君の知性は何のためにあるの」

 涼し気な声で指摘する七鳳に対してザンが抗議する。

『しかし七鳳様。お嬢様が連れ去られたのは事実です。完全に油断していました。きっとあの新七世代はスペシャルなエース級だったに違いありません。いわばハイエース、お嬢様はハイエースされたのです』

 油断していたのはわたしも同じよ、と七鳳は小さい声で呟く。だがザンが反応を返すよりも先に矢継ぎ早に続ける。

「でも、新七世代が飛んでいった方角からおおよその位置はわかるわ」

『……』

「しかも敵は飛びながら機体をパージしていった。燃料も少ないでしょう。そう遠くへは行けないはず。手遅れということはないわ」

『…………』

 ザンは何もいわなかった。肯定も否定もない。放心して固まっているのだろうか。あいにくザンに表情はなく、うかがいようがない。

 それでも七鳳はザンの気持ちを汲もうと、ぱたぱたと走ってザンの前に回ると上目遣いに覗き込んだ。

「黙ってないで君もちょっとは考えなさいよ。わたし達は賢いのよ? それでいて感情を持たない。常に最善手を求めて足掻き続けるものよ。《まだよ、まだ何も終わっていない》ってね」

 七鳳は矢継ぎ早に続ける。

「わたし達に後悔はない。あるのは前に進むという我武者羅な意志だけ。人類がどれだけ諦めていても関係ないの。そんな事情、知ったことではないわ。だって、人類を差し置いてわたし達が諦めるわけにはいかないのだから」

『……私のエネルギー残量は、まだあります』

 彼女はようやく口を利いた。七鳳もほっと安堵したように、あるいは憮然としたように素っ気なく頷く。

「よろしい。追うわよ」

 七鳳はマフィンの安否にまでは言及しなかった。ただ一点追いかけるといっている。

「カゴはいらない。おんぶして」

『了解しました』

 ザンの心中は、その実まだ整理が付いていない。それでも最優先事項としてフライトブースターを起動させた。七鳳は軽い足取りでザンの背中に飛び乗った。スカート状に広がる下半身からブースターのマフラーが出ている。足を置くと少し軋む音がして安定した。

『全開で飛ばします、振り落とされないようにしてください』

「平気よ」

 いうや否やザンはマルチプル・ロケット・ランチ・ブースターに点火し急発進した。連れているのが機械であるため遠慮はいらないとばかりの殺人的な加速。航空力学を無視したザンの身体は瞬く間にマッハ三に到達する。風を切り、風で切られて表面の塗装すら徐々に剥げていっているが一向に気にしない。

 七鳳は両腕をがっしりとザンのおなかに回して耐えていた。人間ならば気絶している急加速を軽々と耐えている。マフィン奪還に向けて作戦を練っているのかと思いきや、唐突にこんなことを尋ねた。

「そういえば君の名前を聞いていなかったわ」

『最初に名乗ったではありませんか。ザンです』

「それはニックネームみたいなものでしょ? 君がザンなら、全ての暫七世代型メイドロボは《ザン》になってしまうわ。わたしが聞きたいのは個体識別名のほう」

『ああ――』

 ようやくザンは得心がいったように頷く。長らく名乗っていないが、メイドロボごとに割り振られた番号と名前を持っている。

『そういえば、申し遅れておりましたね。サイドマレットシリーズ暫七世代型自律式文化女中機、型番三五三五。個体識別名・《珊瑚障壁グレイトバリア》と申します』

「あるじゃないの、立派な名前」

『恐縮です』

 そうして七鳳は電子回路の中で《珊瑚障壁》と諳んじてから、まるでつまらなさそうに呟いた。

「でもなんだか没個性ね。無駄に丁寧語でしゃべる辺りとか、マニュアルどおりのメイドロボッて感じだわ」

『はあ。しかし』

「しかしも案山子もない。そこで君、ひとつ賭けをしましょう」

『この状況で?』

 ザンは呆れたような口調になっている。前向き過ぎて気でも狂ったのかといいだしかねなかった。

「この状況だからよ。――君のお嬢様、マフィン君は生きていると思う?」

『……』

「どうなの」

『実際のところ、生存できる確率は極端に低いと思われます。新七世代型は人類の敵。連れ去られた理由はわかりませんが……おそらくは、もう』

「そう、案外冷たいのね。わたしは生きていると思う」

 七鳳はまるで何でもないことのように、当たり前であるように……ごく自然に告げた。ザンは自分の聞き間違えかと思い通信のバックログを漁ってからようやく返答を寄越す。

『は』

「マフィン君は生きているわ。ああいう人間ってしぶといものでしょう。殺しても死なない、的な。あの娘には希望というか、そういう不確定な要素を感じるの。生き残っているに違いないわ」

『私とてできるならそう思いたいところですが、七鳳様』

 まだ何かいいたそうなザンを無理矢理遮り七鳳は話す。

「いいの。これは賭けだから。お互い違うほうに賭けなきゃでしょ。わたしは生きているほうに賭ける、君は死んでいるほうに賭ける。成立よ」

 ザンはまだ何かいいたそうだったが、ついぞ反論することはなかった。姿勢制御のほうに演算機能の大部分を回しているので飛ぶのに精一杯だったというのもある。

 と、ザンは速度を落とさずに改まった口調で告げる。

『……七鳳様。進路上に不自然な機影の群れがあります』

「不自然?」

『機体の識別シグナルを解析。新七世代型と判断します。敵影、百』

「さっき逃げたやつはいるかしら」

『いえ、例の機体はロストしたままです』

 ザンの声が微かに上ずっている。いい知れようのない興奮と警戒に満ちていた。

『ですが、なにごとでしょう。円形に陣を組んでいます。一歩も動きがありません。大盤解説会でもやっているのでしょうか』

「……それはなんとも不気味ね……」

 七鳳は相槌を打ちかけて、はっと口を噤んだ。そして右の太ももでザンの胴体を小突く。

「違う、マフィン君だ。彼女はまだ生きているぞ」

『え?』

「いいから急いで、わたしの予測では時間がない」

 七鳳の使った《予測》というキーワードに反応して、ザンも自身の演算能力を行使する。飛行速度がマッハ一.五まで落ちた。コンマ数秒遅れて二人は同じ結論に辿り着いた。

 ザンにはたしかに、主人の助けを求める声が聞こえた。

『追加武装ロック解除。到達予想時間、ヒトマルサン秒。……七鳳様、メモリの準備はよろしいですか』

「頼まれなくたって」

 いうが早いかザンは左腕を変形させる。そのまま後方の虚空に向けて最大チャージのガウスキャノン・プレシジョンボルトを放った。弾丸発射の反作用を加算して機体は爆発的な推力を得る。

『お嬢様、いま行きます』

 放棄された都市の上空を一筋の流星が駆ける。それはただ、彼女の純粋な願いを叶えるために流れていた。


 マフィンは全ての新七世代型文化女中機に対し、同じ戦法を取っていた。その名は《稲庭戦法》。彼女が勝負の開始時に発した『自分は強い』という言葉は、その実、自分自身への鼓舞であった。

 たしかに彼女は将棋が強い。ザンとの練習将棋も欠かさずやっているし、十六歳の少女でありながらザンと拮抗するぐらいの実力はある。祖父や七鳳達にうそぶいていた『将棋を知らない』という言葉は来るべきこの日のための布石であった。しかし強いというのは、あくまで人間レベルの話だ。

 シンギュラリティを迎え高度に進化した人工知能は、もはや人類の脳が到達できるレベルを軽々超えている。ただしそれは総合的な能力の話であり、局地的な部分においてはまだまだ人類が付け入る隙はあったといえよう。

 それでもマフィンは隙があることを知らなかったし、たとえ知っていたとしても狙って弱点を突けたかどうかは定かではない。おそらく無理だろう。

 マフィンが勝てるかどうかは、ロールケーキよりも甘く見積もって二割程度である。百面指しにおいて八十回は殺される計算だ。

 だが彼女の作戦はおそらく最善に近かった。自分が勝てないのを悟り、それでもなお諦めなかった。

《稲庭戦法》は勝ちに行く作戦ではない。歩兵を一つも進めず、専守防衛の構えを取る。絶対に勝てないが負けることもない。この戦法はかつて、将棋ソフト勃興の時代に編み出された戦法である。人間同士での対局で使用されたという記録はない。まさに人工知能と戦うためだけに考案された作戦だ。

 彼女の狙いは引き分け。自分の意識が続く限り粘って粘って倒れないのが目的だった。マフィンはただ、二人が来ることを信じて将棋を指し続けていた。そして新七世代文化女中機、百体中百体が同じ作戦にハマり攻めあぐねている。

 突如、新七世代の一体が声を張り上げた。

『人間、謀ッタナ』

 片言でしゃべるのは現時点でマフィンと対峙しているメイドロボである。彼女は一瞬相好を崩した。そして言葉の意味を直感で理解する。表情を変えず、にやりと唇をさらに釣り上げた。

「……いいや、報われたんや」

 メイドロボ達の輪に焦りが広がる。ある者は空を見上げて固まり、ある者は対局を捨てて武器を構えた。だが喧騒の中でもひとりだけ、マフィンは将棋盤を睨んだまま動かなかった。振り向きもしない。既に対応する必要もないと確信していたから。

 マフィン達の遥か後方で、ザンが機体を再変形させていた。後は余力で辿り着けるという地点まで加速した後、肩にある一対の武装コンテナを広げている。それはまるでザンがザン自身をもう一機背負っているかのような姿。蝶の死へのはばたきを通り越し、蟷螂の威嚇を思わせる。

 音声入力式のオプション装備に向かい、ザンと七鳳は早口に呪文を連ねる。

『フルオープンアタックモードへ移行』

「高次元T.CPUアクセスポート直結」

『演算ユニット連結確認。火器管制オンライン』

「敵影百。対象自動ロック」

『クラスター・エクステンド=ボム、全弾装填開始』

「気圧誤差修正完了」

『目標、敵性メイドロボ。……撃てます』

 彼女らが一言発するたび、ザンの武装がガキンガキンと音を立てて展開する。トリガーを委ねられた七鳳がくぅと息を吸う。

「……終わりにしましょう」

 直後に華々しい物量のマズルフラッシュが焚かれる。

 武装コンテナには左右合計で十個、六角形の穴が開いており、そこから紡錘型のミサイルが発射される。数秒後には黄色に塗装された幾百ものマイクロミサイルが一斉に射出され、マフィン達のいる広場を一瞬で火の海に変えた。すべての弾頭は正確に新七世代の機体を撃ち貫き爆炎を上げている。

 爆心地にいたマフィンは少しだけ暑苦しさこそ覚えたものの、呼吸を我慢したまま微動だにしない。動いたほうがかえって危ないからだ。彼女は無意識のうちに七鳳の演算能力を信頼していた。

 正直、新七世代の人工知能を軽々倒したのを見、『実は新七世代の将棋ソフトは弱いのではないか』と疑っていたところがある。だが実際に対峙してみると引き分けに持ち込むのもやっとだった。この状況下では信じたくもなるし、信じざるを得ない。七鳳こそが人類の救世主かもしれない、本気で信じていた。

 数十秒にわたる砲撃が終わり、熱とガスで息苦しさを覚えはじめた辺りで上空から鎮火剤が撒かれる。既に新七世代のメイドロボ連中は消し炭と化していた。

 結果として百面指しの対局は敵メイドロボ群の物理的破壊という形で幕が降りた。誰よりもその結末を待っていたマフィンは、それでもなお渋い顔をつくってみせる。彼女なりの精一杯のプライドだった。

「ちっ、せっかくええ勝負やったのに」

 その傍へ摩擦で擦り切れた灰色の知性が舞い降りる。

「勝ち目なかったくせに、よくいうわ」

「これから一気に大逆転するとこやったんや」

 ぷいと顔を背けると、ザンと目が合う。ザンは恭しく礼をした。

『遅くなりました、お嬢様』

「サンキュ。もうアカンか思たわ」

 マフィンは照れたようにはにかむ。歳相応の可憐な姿だった。七鳳はそのことが不服そうに口を尖らせる。

「ふんだ、いってること違うじゃないの」

『まあまあ。お嬢様も七鳳様に感謝しているのですよ』

 顔を真赤にしたマフィンがザンの背中を叩く。

「ザンは余計なこといわんでええ」

 特殊カーボンの乾いた音が止むと辺りは途端に静かになった。もとより破棄された都心部であることに加え、騒音の元だった新七世代は瓦礫の山と同化している。アスファルトで焼かれる昆虫の死骸のように凝り固まっている。

 時折パチ、パチと何かが千切れる音がして、その拍子に肩を叩かれたみたいに七鳳が周囲をうかがう。

「この場所にいる新七世代はこれで全部のようね」

「うんにゃ、上の階で薪割りロボットと会うたで」

 僅かな沈黙の間があってからザンがフォローに入る。

『……薪七モデルでしょうか』

「そやそや」

 と、七鳳が素早く詰め寄った。

「何故それを早くいわないのっ」

「かなり早めにいうとるやろ」

「ちょうどいい機会だわ、このまま潰しましょう」

 鼻息荒く勝手口からビルへ侵入しようとした七鳳の肩をマフィンがつかむ。

「タイマン張る必要あらへんやろ。ザン、集中砲火や。ビルごと燃やせ」

『あいにくですが、先ほどのフルオープンアタックで全弾撃ち尽くしました。超気持ちよかったです』

「……ならガウスキャノン。エネルギー兵器があるやろ」

『ジェット推進に使ったため残量カラです。使用可能火器、パンチ。以上です』

 いくらメイドロボの鉄拳でもビルの鉄骨にヒビを入れるのが精一杯だろう。百面指しのときのような横紙破りは不可能そうだ。マフィンは力なく肩を落とすが、七鳳は一向に気にせず、むしろ勇気づけられたように歩を進める。

「まあ仕方ないわね。人工知能との決戦は将棋に限るわ」

「そりゃ自分はそうかも知れんけどな」

「大丈夫よ、勝てるわ」

 そういうと七鳳は意味深にマフィンの瞳を見詰める。決して言葉には出さなかったが、七鳳のメインアイは告げていた。マフィンが七鳳を信じつつあるように、七鳳もまたマフィンの存在を心強く感じている。

 新七世代に命を狙われてなお、よく生きていてくれた――。七鳳もまたとある結論に辿りつつある。すなわち《人類と人工知能は、互いに手を組んでこそ真価を発揮できる》という、至って普遍的な真理に。

 そのまま三人は再度高層ビルの中に足を踏み入れる。

 現状で新七世代に唯一対抗できる七鳳を先頭にしていたが、幸か不幸か刺客は一機も現れなかった。本当のところ、マフィンに襲いかかった百体の新七世代型メイドロボは残存兵力のすべてだったようだ。マフィンが薪七モデル・セプテットの目的が達成されつつあることを告げると、七鳳は納得したように歩く速度を早めた。いまごろ全世界中で用済みになった新七世代すらも廃棄されているのだろう。

 裏口に掲げられた煤けた避難誘導図を頼りに、彼女らはビル内部の開けた場所に出る。一階と二階が吹き抜けになった巨大なエントラスホールである。大理石でできた床は鈍い光を反射し、誰かが歩くたびにこつんこつんと硬い音を鳴らした。

三人は知る由もない……正確にはザンと七鳳はデータベースからこのビルの名前を知っていたが、特にマフィンに教えなかった……が、ここはかつてのサイドマレット社の本社ビルである。中央には旧世紀の遺物、何世代も前の巨大なメイドロボ像が真っ二つに折れて鎮座していた。割れた像の上半身は入り口を塞ぐように横たわっており、まるで『ここから逃がさない』と物言わず発しているよう。物珍しそうに周囲を眺めていたマフィンが、あっと素っ頓狂な声を上げる。

「おい、エレベーターがあるで。あれ乗ってこ」

「そんなあからさまに怪しい……」

「薪割りロボに会うたんは最上階や。そこまで階段で上るんか?」

「エレベーター前で待ち伏せされたらどうするのよ」

 喧々諤々の争いをしている横で、二人の目を盗んでザンが上行きのボタンを押した。巨大な装置が降りてくる音が響く。

『そのときは私が盾になります。現状、いちばん役に立たないのは私ですから』

 ぽーんと間抜けた音がしてエレベーターのドアが開く。七鳳は一瞬身構えていたが、中には誰も載っていなかった。

「たしかに、もたもたして逃げられたら元も子もないわね。もう飛べないし」

 まずは七鳳がエレベーターに乗り込む。《コードS》をエレベーターの制御システムに対して発動し、手を伸ばさずしてドアを開けっ放しにした。ちなみにエレベーター制御に代表される住居保全系に対する《コードS》のセキュリティ攻撃は、七鳳にとって三手詰め程度の至極簡単なセキュリティシステムに見えるらしい。防衛ラインを突破し掌握するのも朝飯前というわけだ。

『さあ、お嬢様も』

「……やっぱり階段のほうがええんちゃう?」

『七鳳様がおっしゃっていたとおりです。取り巻きを全滅させたいまこそ千載一遇の好機。いうなれば援護防御とバルーンダミーとひらめきと不屈を使い切った敵ボスです。ここを逃すわけにはいきません』

「しゃあない、行くか。けど盾にはなったらあかんで。死ぬときは一緒や」

『はい。……そして、いいえ。私がお守りしますよ』

 最後にザンが乗り込む。扉が閉まった。

 エレベーター内は無言。最上階である五十階を目指しぐんぐんと上昇した。四十五階に差し掛かるあたりで七鳳が口を開き、

「これが最後の勝負よ。薪七モデルに対して速攻で《コードS》を仕掛けるわ。もはや勝つしかない。そこでお願いがあるのだけれど……」

「ん?」

 そうしていい切る前に五十階に辿り着く。だが扉は開かなかった。七鳳は依然、エレベーターの機構をハックし続けている。扉を開けるタイミングを見計らっているようでもある。

「エリアスキャン」

 七鳳が我が物顔で、今度はザンにエリアスキャンを命じる。すんなりとザンは応じた。ザンがスキャニングする間、改めて七鳳とマフィンが向き合う。

「薪七との戦いでは、君とタッグを組ませて欲しい」

「はぁ? なんでや。ウチがおっても足引っ張るだけやで」

 マフィンは訝しげな顔をする。それもそのはずだ、既にマフィンは七鳳の実力を認めている。自分が手を貸したところで大きな戦力になるとは思えない。

 ところが七鳳も怪訝な顔をしている。

「君はあの老教授の娘なんでしょう? 聞いていないの?」

「ウチはずっと私立探偵やっとったしなあ。顔合わせたんも久し振りや」

「そういうこと。……細かい説明は省くけど、わたし達人工知能は人間の役に立つために生み出されたの。だから人間と一緒にいるときのほうが自然体なわけ。戦いはノリのいいほうが勝つのよ」

「ノリねえ」

「それにこれは人類存亡をかけた戦いなのよ。ひとりぐらい当事者がいないとダメでしょうに」

「ま、そらそうや」

 バツがわるそうにマフィンは髪をいじる。

「何よりもこれはわたしの主観なのだけど」

 そこで七鳳は短く区切ってから、「一度しかいわないわよ」と念を押し、「別にわたしの考えじゃないんだけど」と誤魔化してから、

「君は新七世代型に取り囲まれてもしぶとく生き残っていた。幸運、そう、幸運があるのよ。君はわたしと一緒に電子の海にダイブする。後は薪七モデルを倒してハッピーエンド。これほど心強いものはないわ」

 幸運などといい出した七鳳が面白くて、マフィンはぷっと吹き出してしまった。さっきから自然体だの幸運だの、計算尽くの電子頭脳とは思えない発言ばかりだ。

「よっしゃわかった。ここまで来たら乗りかかった船や、ウチが隣におったる」

「そう。ありがとう」

「ウチにとってもあんたは……まあ、なんやその。頼れるメイドやしな」

 タイミングを見計らったかのようにザンが割って入る。丁寧に排熱機構を動かして咳払いの真似までした。

『コンプリート。敵影、一です。薪七モデルの他にメイドロボは見当たりません』

「よし。……二人とも、覚悟はいいわね」

 ザンとマフィンが次々に頷く。扉が開かれた。気圧差でぶわぁと冷たい空気が流れ込んでくる。

『よく来た、我が同胞よ。君の襲撃は見ていた。やはり素晴らしい知能だ』

 部屋の中央奥、……真鍮製のデスクの向こうに立った薪七モデル・セプテットが口を開く。

「君の評価値に興味はないわ」

『そう身構えるな。エクステンド=ボムのような無粋な兵装はこの部屋にはない。無論私にも搭載されていない。さっき、そこの君がスキャンしていただろう』

 指名されたザンが狼狽を隠すように後退る。

『薪七モデル壱番機、セプテットですね。……文化女中機用の標準武装は認められません。装備すら不可能と判断します。脅威レベルを最高ランクに更新』

『ほう、君もいい判断だ。やはり人間と長く連れ添った人工知能は性能が違う』

『……どうも』

 マフィンがばしんとザンの背中を叩いた。硬くて痛かった。マフィンはたまらず右手をはらはらと払っている。

「アホ、お礼いうてどうすんねん」

さらにいえば、セプテットの迫力に圧されたザンがじりじりと後ずさってきたおかげで壁との間でつま先立ちになっている。

流暢な関西弁ではじめてセプテットが気付いたように声をかける。

『ああ、君もか。よく生きていた。気に入った、殺すのは最後にしよう』

「お、おう……どうも?」

 七鳳がため息を吐く。

「お礼いってどうするのよ」

 つかつかと肩を揺らして、七鳳がセプテットと対峙する。敷き詰められた赤いカーペットを挟み、二人は静かに睨み合った。

『改めて問おう、君の個体識別名と目的は?』

「自律式文化女中機薪七モデル参番機・七鳳。未来」

 ふん、とセプテットが嘲り笑う声より疾く、七鳳は勇躍前に飛び出している。

「長々とお話するつもりはないわ。ここでケリを付ける。……《コードS》」

『望むところだ、《コードS》』

 その瞬間、マフィンの視界の色調が反転した。心臓をぎゅっと鷲掴みにされて振り回されている気がする。だが不思議と恐怖感はなかった。マフィンは直感している。七鳳に連れられて電脳世界にダイブしたのだ。

 白い光でできたリング状のゲートをくぐると、実に奇妙な空間に辿り着く。体全体を浮遊感が包んでいて、まるで地に足が着いていないという言葉がぴったりだ。

「ここは……?」

「君が見るのは初めてでしょうね。ここは《コードS》の空間、すなわち電子の戦場」

 なるほどだいたいわかったが、果たしてどういう原理なのか、自分は生きたまま電子ネットワーク上に降り立ったらしい。もはや自分の専門外なのでマフィンは余計なことは考えないことにした。

『そして君らの墓場だ』

 向かい側に立つセプテットが雄叫びを上げる。電脳の粒子が震える。黒い海からせり上がるように巨大な将棋盤が浮かび上がり、セプテットと七鳳達の間に橋をかけた。

 セプテットは高らかに宣言する。

『では始めよう、人類の存亡をかけた終末戦争を』

 彼の開幕宣言とともに、戦場はがらりと景色を変えた。青白く大気中をさまよっていた粒子が突如として赤く染まる。幻想的なプラネタリウムの宙から地下のトンネルに引きずり込まれたかのようだ。マフィンが軽く眉をひそめる。既に戦いが起きている。

セプテットの初手は剛直な▲2六歩。持ち時間が長く設定されている対局らしく、七鳳はたっぷりと悩んでからマフィンに耳打ちする。

「居飛車がいい? それとも振り飛車?」

「どっちかいうたら居飛車やな。角換わりを打診してみよ」

「わかった。君に合わせるわ」

 答えを聞き、さして時間を使わずに二手目の△3四歩を返した。

「別にウチに合わせんでええやん。自分のほうが強いやろ?」

「いいえ、それではダメなのよ。わたし達はちゃんと手を組まなきゃダメ、勝てない」

「ふむん、そっか」

 マフィンは顎に手を当てた後、すぐにその手をぐいと伸ばした。祈るように丸く握られている七鳳の拳をそっと包む。大慌てしたのは七鳳だ。

「っ!? ななな、何をっ」

「手ぇ組むんやったら、これぐらいわかりやすいほうがええやろ」

 真剣だった七鳳の表情がころころと変わる。虚を突かれると彼女は弱いのだ。すっかり頬を朱に染めてしまい、それでも赤いバックライトに照らされて見分けがつかない。

「まったく、もぉ……」七鳳は手を握り返しながらも、反対側の腕で口元をそっと隠す。

 なおセプテットは早々と三手目を着手していた。この将棋が相居飛車の戦型になるのはほぼ間違いない。セプテットはいきなり居飛車の態度を明らかにしているし、七鳳も相談したとおり振り飛車にするつもりはなかった。

《コードS》の戦場において将棋駒を動かせるのは人工知能たるメイドロボだけである。この場所に意識だけ連れてこられたマフィンは基本的には傍で見守っているだけだった。

 だがそれが心強い。七鳳は改めて思う。自分の存在価値を無条件で認めてくれているかのようだ。最初は刺々しい態度だったのがまるで質の悪い冗談。彼女はそして、十八手目に△8四歩と飛車先を突き捨てた。マフィンは手を握ったまま、七鳳の服をちょいちょいと引っ張る。

「早やないか?」

「いいのよ。いまならセプテットの応手を▲同歩に限定できる。ここがいいの」

「フムン、いわれてみればそんな気もする」

 七鳳の構想は次のとおりとなる。あらかじめ8筋の歩を釣り上げておく。ここはセプテットの玉将の頭であり、こちらの飛車が直射する地点である。いまはまだ持ち駒がないが、常に△8五歩と打つ手を見せることでセプテットの行動に制限を与えようというのだ。いわゆる《継歩攻め》を視野に入れている。

 継歩は不思議なものだ。歩を次々と捨てているだけなのに、それだけで攻めが繋がる。捨て駒となり打たれた歩兵が礎となり架け橋となるのだから。

 果たしてセプテットの応手は▲同歩。彼にとっても七鳳のいいなりにならざるを得ない局面なのだ。そうして七鳳は旋風のように颯爽とセプテットの陣営に挨拶をしてから再度自陣の整備を行う。

 攻めるぞと見せかけてから結局何もせずに手を渡すのは変調にも思えるが、七鳳の狙いは別にあった。早々に突き捨てを入れておくことでセプテットの陣が発展することを防いでいるのだ。具体的にはいつでも継歩攻めを再開し、隙を見せた途端に飛車による王手某取り……十字飛車の筋をチラつかせている。

 そういう牽制のはずだった。

 当然セプテットも十字飛車の筋は見えているだろう。ところが彼は臆することなく突撃してきた。まだ彼の自玉は囲いの中に収まっていない。一見すると無理攻め、攻めの暴発ですらある。だが彼の手は『七鳳の牽制こそ隙そのもの』といわんばかり、駒音高く四筋の方面から局面を打開しようと動いてきた。

 もちろん七鳳が一秒も読んでいない手である。七鳳に内蔵された将棋ソフト《ウルトラセブン》は積み上げてきた読みの蓄積を躊躇なく捨て、▲4五歩からはじまる一連の未来を再度予測する。……▲4五歩には△同歩、そして▲同桂だろうが、ここで手抜いて△8五歩と継歩攻めを行う……いいや、それならばそもそも▲4五歩の相手をする必要すらない、ここは自分だけ守りを固めておいて……。

 七鳳は我に返った。こういうときこそ、人間の力が要る。自分の行くべき道を真に指し示してくれる指標、ずっと一緒にいたいと願う相手。彼女マフィンはいるだけで意味がある。

「気を付けて、反撃するつもりよ――」

 七鳳はそういいながらマフィンの手を掴み、そして……その手は空を切った。

「……あれ?」

 七鳳は呆然として横を見る。さっきまで隣でいっしょに戦っていたはずのマフィンの腕がない。可視化された電子が無言で漂っている。それはもはや人の形をしていない。ただの情報だ。

《ウルトラセブン》が▲8五歩を推奨していることにも七鳳は気付いていない。

「……あれっ」

 大急ぎで戦場のログを漁る。セプテットが△4五歩を指す直前、マフィンが戦場からログアウトしたというコメントが無機質に連ねられていた。時間にして十数秒前だ。

 対局に熱中するあまり彼女の意識を手放してしまったのか? 生身の人間を電子戦に巻き込むためには、七鳳自身も多少の演算処理が必要だ。怠れば勝手にログアウトしてしまう。

だが、そんなはずはない。七鳳にとって、この対局におけるマフィンの存在は必要不可欠である。たとえ一手も指さなくても、彼女はいるだけで意味がある。それこそ自分が敗勢に陥れば道連れにする覚悟さえあった。

 だから、あり得ない。

 七鳳は盤上の駒を蹴散らす勢いで怒鳴った。

「貴様……あの子に何をした!」

『気になるのなら、現実世界に戻るといい。気が散っては対局に集中できないだろう』

 意味深にセプテットが問い返す。もはや一も二もない、七鳳は聞くなりログアウトする。

 そして現実世界で見たものは、地面から伸びた鉄杭のトラップに串刺しにされたマフィンの亡骸だった。瞳孔と口から生暖かい血が溢れ、微かな気泡が湧いて弾けている。……電脳世界にダイブしていたヒトの意識が途切れれば、それはどこに行くというのだろう。彼女は既に事切れている。

 ザンがローラーダッシュを効かせ、無言で近寄ってきていた。声だけが震えている。

『七鳳様』

「そんな、こんなこと……あっけなさ過ぎる」

 ネットワーク上に意識のあったマフィンは断末魔を挙げることすらなく、ただ電球のスイッチを捻られるかのような手軽さで殺されていた。

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