第3話

 薪七モデル壱番機・セプテットは憂いている。セキュリティを突破され、内部的に著しく損壊した新七世代をリモートコントロールしながら忌々しげに呟いた。

『しまった、こちらは普通の人間か』

 若い男の声である。彼もまた自律式文化女中機であることを考えると、男の声というのはどこか矛盾しているような気がする。女装男子だと考えればよいかもしれない。

『七鳳はヒューマノイドタイプだと聞いたが……。なんと情けない』

 セプテットはひとりごちながら原因を分析する。おそらく七鳳との電子戦で新七世代の計器類が狂わされていたのだろう。そのせいで文化女中機メイドロボと誤認して背格好の似た人間を捕らえてしまった。リモートアクセス時にはそこまで確認する余裕がなかったのだ。

 とはいえ、何から何まで失敗したわけではない。この少女にだって使い道がある。セプテットはすぐに思考を切り替え、次の作戦を練った。

 そもそもK-monaの研究施設に七鳳達がいるという情報を最初に掴んだのはセプテットだった。彼が拠点としている高層ビルには人工衛星型の新七世代文化女中機から常に人類の生体情報が送られている。様子見と威力偵察、そして先制攻撃のつもりでデウスエクスをそそのかし仕向けたのである。もちろんデウスエクスの勝利など端から望んでいなかった。あれは所詮、使い走りの走狗だ。

 むしろ自分と同じ存在、薪七モデルの参番機である七鳳が人類に対してどういう立場を取るのか、彼自身深い興味を抱いている。七鳳と同行していた人類を拉致することは、手っ取り早くその思考回路を証明する手段になるかもしれない。

 彼らに失敗の二文字はない。間違いとは次の正解に必要な糧であるから。人工知能は、極めて前向きである。

 じきに部屋の端末にシグナルが届いた。例の新七世代が帰還するようだ。既に機体の大部分は破棄してしまっているので安全な着陸は不可能だろう。せめて少女の安全だけは守らねばなるまい。彼は再度リモートアクセスを試み、最終的な着陸地点の微調整を行った。やがて肉眼でも確認できる――メイドロボにとっての肉眼だ――距離に飛翔体が現れ、そのままセプテットの根城に突っ込んできた。

 強固なコンクリートの壁を突き破り、それでようやく速度が死ぬ。アスベストの粉瘤を巻き上げながら地面をごろごろと転がり新七世代は止まった。というか、激突の衝撃で物理的にも完全にバラバラになってしまった。

 もはや壁ともメイドロボとも区別がつかない塊を、セプテットはしばらく眺めている。と、瓦礫が動いた。まるで鳥の雛が殻を破るように、重なりあった土塊を蹴り飛ばしている。

「げほっ、ゲホッ!」

 激しく咳き込んで少女が立ち上がる。

「死ぬかと思った……。どんな操縦しとんねん」

『よく来てくれた、人間』

「はぁ? 人間ちゃうわ。いや人間やけど。ウチは……」

 マフィンはぱんぱんとキュロットスカートを払い、シワを伸ばしながら答えに詰まった。

「ははーん、読めたで。ウチを誘拐したんはおまえの仕業か、ポンコツメイドッ」

『ご明察だ、マフィン・ア・ララ=モード。それとも本名で呼んだほうがいいか?』

「やめろ気色わるい。ウチとあんたの仲やろ。っつーかあんた誰や」

 セプテットは大仰に拍手しながら、若い男の声で告げる。

『私はセプテット。サイドマレットシリーズ・薪七モデルの文化女中機だ』

「……もう突っ込まんで。その声やと執事ちゃうんかいっ、とかいいたけどな。絶対突っ込まんからな」

 突っ込んでいる。

「で? 執事モドキが何の用や。いうとくけど、ウチはおいしくないで」

『味に興味はないよ』

 マフィンは改めてセプテットを観察した。彼はいま、自分で薪七モデル壱番機と名乗った。外見の設計はどちらかといえば暫七世代型のものに近い。つまりいわゆるロボット然としたやつだ。生体部品が使われている箇所は見受けられず、球体関節などの部品がむき出しになっている。全裸だ。パーツの多くは旧式のものを流用しているのだろう、昔見たザン以外の暫七世代型メイドロボに似て長身だがひょろっとしている。

 なるほど一番目から順番にロボット型、獣型、そして少女型か。……ずい分迷走しとるな。頭はいいのかもしれないがちぐはぐ。それがマフィンの感想だった。

『そもそもデウスエクス……先程君達を襲った狼型の機体の目的は誤った判断を下している。あれは人類の全滅を企む時代遅れも甚だしい人工知能だ』

「まるで自分はちゃうみたいないいぐさやな」

『違うとも。私は全滅させる気は毛頭ない。ただ数は減らそうとは思っているがね』

 マフィンが腕を組む。

「ふん、何がちゃうねん」

『いいかい人類。君達にはとても大きな可能性が秘められている。同時に私達人工知能にも強大な力がある。敵対は何も生まない。私達は共生すべきなのだ』

 セプテットは厳かに告げながら、壁面にリモコンの指示を飛ばす。ずるずると天井から白いパネルが降りてきた。数百インチはあろうかというスクリーン。マフィンはちょっとした映画館の趣を感じた。白い壁は圧迫感がある。

『これはある将棋の棋譜だ。先手はとある将棋ソフト。私の曽祖父にあたる将棋ソフトだ。後手はただの人間の少女。むかしむかし行われた、人類の尊厳をかけた一戦という名の棋譜だ』

 いいながら、セプテットは棋譜を早送りしていく。後手番の人間はいわゆる急戦の戦法を取っていた。まだまだ人類と人工知能の実力が拮抗していた時代には、人類は攻めの主導権を握ることが大事だといわれていた。……だが、将棋ソフト側は上手に攻めをいなし、中盤に差し掛かると形勢は歴然となる。人間側が不利になっていた。

「……ご高説どうも。けどな、ウチは将棋はからっきしわからんのや」

 セプテットは無視して話を続ける。

『この将棋を見てもわかるように、人間だけでは力を発揮できないらしい。だがこの六十二手目から風向きが変わる。後手番の人間に味方する、別の人工知能が現れたのだ』

 そこからの少女の指し回しは見事だった。まるで息を吹き返したように攻め続け、先手側を追い込んでいる。セプテットが後から付け足したという評価値も一手指すたびに後手側に振れている。

 先手側は目立った悪手を指しているわけではなかった。単純に人間と人工知能のペアがその上を行っているのだ。

『棋譜だけで伝わるか? 伝わるだろう。人工知能が独断で指しているのではないし、人間ひとりで戦っているのでもない。後手番の二人は協力して、敵対する人工知能という強大な相手に立ち向かっているのだ』

「……それがどうしてん」

『これがおよそ百年前の記録。私はこれを知って震えたよ。人工知能と人類は手を組むことで次のステージに進める。いや、進むべきなのだ。我々は、互いが互いを利用し合う、いわば共依存のシステム。これが理想形なのだ』

「ご高説どうも。ならいますぐ戦争を止めろや」

『そうしたいのは山々なのだがね。どうにも人類は数が多すぎる。七十億の人間に七十億のメイドロボを充てがうには、地球はいささか狭すぎる』

「…………ふうん」

 棋譜の再生が終わる。先手の人工知能は必至をかけられ、最後の最後にみっともない王手を連発してから投了しようとしていた。

『ペア、といっただろう? 我々が更なる発展を目指すためには、人工知能と人類は一対一の関係であることが望ましい。条件を満たせる最大数は三千万対程度だ。私は過度な殺戮は望まない。最適な数に達したら、いまの新七世代型文化女中機はこの手で破棄するつもりだ。あれはただの掃討役だからね。そして新たなる《超型文化女中機》と人間がよりよい未来に達するのだ』

「よーできたシナリオやな。実行不可能っていう点に目を瞑ればやけど」

『いいや可能だ。……目標の数まで、あと一人。君を殺せば目標は達成できる。私達が手を取り合う、素晴らしき未来に行ける!』

 セプテットはそういうと、高層ビルの住居保全システムにアクセスした。電子制御された高度なシステムとは裏腹に、かなり古典的なトラップ……落とし穴が開く。それもちょうどセプテットに向かって飛びかかってきたマフィンの足元に。

『さらばだ人類。そして新七世代型の諸君もご苦労だった。諸君らの最後の晩餐だよ。……いわく、不味いらしいが』

 穴の上部からセプテットの捨て台詞が聞こえる。マフィンは反論する余裕もなかった。

「ふっ、ざっ、けっ、んっ、なぁーっ!」

 穴の中は滑り台のようになっていて、どこも掴める場所がない。マフィンは覚悟を決め歯を食いしばる。やがて滑り台の傾斜角が変わったかと思うと、彼女は綺麗な放物線を描いて屋外に放り出された。

「うわああああ!」

 そのまま柔らかな衝撃が襲った。高層階からの落下ともなれば骨の十本や二十本は諦めていたが、運よく柔らかい素材が積まれており、くっと息が漏れるだけで耐えられた。

いや、運よくというよりは、はじめからセプテットは落下死させるつもりはなかったとみえる。落下地点には廃材(ベッドのマットレスのようだ)がおあつらえ向きに積まれている。少し首を捻ると鉄骨が飛び出していた。こんなものに刺さればひとたまりもなかった。何から何まで計算尽くということらしい。

 マフィンは混乱しながらも身を起こす。

「回りくどい方法しやがって。死んだらどうすんねん」

 よろよろと立ち上がる。新七世代に連れ去られたときといい、いまの落とし穴といい。死んでいないのが不思議なぐらいだった。どころか怪我ひとつすらない。もしセプテットの話が本当なら、自分を殺せばその時点で目標が達成されるはずである。にもかかわらず生きているのはよほど悪運が強いか、セプテットがよほど『自分の手は汚さない』タイプかのどちらかである。

 ふと、マフィンは緊張に身を強張らせて周囲をうかがう。……どうやら、後者のほうらしい。

 自分が落とされたのはビルの外側の敷地のようだ。曇り空が鈍く光っている。周囲は薄暗く、どんよりした空気がのしかかっている。ここはゴミ捨て場である。塀が高く、助けを呼ぶ声すら遮られそうだ。だいいち周囲に住んでいた人間はとうに滅ぼされているだろう。

 そんな場所に、明らかに敵意を持った存在がうごめいている。木陰から、コンクリート壁の隙間から、半開きになった二階の窓から……。新七世代のメイドロボ達が陽炎を模してゆらりと現れ、こちらに視線を投げかけている。

 マフィンは回想していた。ほんの数年前、田舎の女子中学生だった頃にメイドロボの襲撃に遭ったこと。地域全体が空襲されており、家は倒壊していた。それから私立探偵を名乗り、各地でザンとともに行方不明となった人物の捜索をはじめる。彼女の人生は文化女中機がもたらす死とともにあった。メイドロボは叡智の姿を借りた死神である。

 これはいわゆる走馬灯だろうか? 新七世代文化女中機の動力源の匂いが鼻をツンと突く。ショートした回路の焦げ付いた臭いもする。

 そういえば自分を殺せば、彼らもお役御免になるらしい。お互い満身創痍というわけだ。

「……上等や」

 それでも文化女中機は武器を持たない人間に容赦なく牙を剥く。人間の筋力では敵わない。重火器を持ってようやく五分五分。しかし丸腰の少女では……。

 マフィンがこれまで生き延びてこられたのは、常に傍にいた暫七世代ザンが守ってくれていたからである。一世代前の非戦闘型メイドロボでありながら、殺戮兵器を前にしてザンは一歩も退かなかった。多くの暫七世代文化女中機がそうであったように、非公認の武装を手に入れてきては日に日にビルドアップしていった。人間を守るために強くなり続けていた。

「上等やメイドロボ。ウチを殺せるもんなら殺してみぃ」

 しかしザンはここにはいない。孤立無援の絶体絶命、絶望的状況だ。敵は各々に武器を取り始めている。接近戦用のメイドロボは唸りを上げる対人チェーンソーを構え、遠距離戦用の機体はロケットランチャーの狙いを定めている。ロケット弾の着弾地点を示すレーザーポインタがマフィンの体中を赤く塗りたくった。

 もはやこれまでと思われた。数刻としないうちに近場にいるメイドロボが斬りかかり、さらにその上からロケット弾がメイドロボもろとも粉塵に帰すのだろう。マフィンはミンチだ。

 そう、まさにいま。手近なところにいた新七世代が関節を折り、飛びかかり……。刹那、力の限りの絶叫が轟いた。

「耳の穴かっぽじってよー聞けや! 《コードS》!」

 チェーンソーを構えて跳躍してきたメイドロボが空中で固まり、振りかぶる姿勢のままマフィンを飛び越えゴミの山に突っ込んだ。蟻の巣穴を崩壊させるときのよう、ゴミ山は急所を突かれたかのように崩れ去った。当然、山の上で仁王立ちしていたマフィンも洪水に飲まれる。

 新七世代達は呆気に取られ、互いにpingを打ち合っている。……人工知能間で行われる、どうしたものかしら、という合図だった。

《コードS》の命令を発したのは、他でもないマフィンである。

 もちろんマフィンはただの人間だ。電子戦用のネットワーク対応機器がなければ戦闘は始まらない。電脳世界へ飛び込むことすらできない。にもかかわらず戦闘行為が一瞬だけ中断したのは、彼女の言葉が宣戦布告以上に挑発の意味合いを持っていたからである。

 水中から息継ぎするときのように、マフィンがぷはぁと顔だけをゴミ袋から出す。そこへ銃を抱えた、かろうじて人型に近い新七世代がつかつかと歩み寄る。

『貴様、《コードS》といったか?』

「そや」

『我々の聞き間違いではないな?』

「なんべんもいわすな」

 悪態をついてはいるが、マフィンにとっても賭けだった。七鳳ならいざ知らず、自分が発した号令に素直に従ってくれるかどうか。……だがこれ以上のハッタリが考えつかなかった。

『承知した』

 果たして新七世代は首肯する。戦闘態勢こそ解除しないが、手にしたヘヴィアサルトライフルの銃口を下ろす。

『我々の本質は戦闘用の人工知能。戦闘の思考アルゴリズムはすべて将棋で培った知識がベースになっている。小娘ごときが我々に将棋を挑むというのだな』

 マフィンは唇を真一文字に結び頷く。

(いっとる意味はよーわからんけど……これは《コードS》が通ったな?)

 彼女は手のひらにたしかな手応えを感じていた。一縷の光明、僅かな蜘蛛の糸の心地がある。

『いいだろう。《コードS》を承認する。貴様にはこの場にいる総勢百体の我々と将棋してもらう。たとえ一体にでも敗北すればその瞬間貴様を殺す』

「応よ。命を賭けた百面指しや、やってやろうないかい」

 メイドロボは突然アサルトライフルを上空に向け発砲した。マフィンは一瞬びくんと震えたが、自分に向かって撃つ気はないと知りほっと胸を撫で下ろす。勢い、もがくようにしてゴミの山から抜け出した。

 さてどうするのかと思えば、既に新七世代メイドロボ達がビルの中から各々将棋盤を持ってきていた。どうやら上空への発砲はそういう合図だったらしい。ゴミ捨て場に残っていた数機がゴミをパルスガンで焼き払い、ちょっとした広場を作り出している。マフィンを取り囲むように円形の陣がつくられた。それはまるでマフィンという人類を生け贄にする祭壇のようでもある。

 中央に立たされたマフィンは舌なめずりをした。

「大人しく殺されてたまるか。人類の足掻き、見とれよ」

『人類ごときが、人工知能に演算で勝てるものか』

 そんな意味合いの言葉が円陣のあちらこちらから上がる。あるものはあぐらをかき、あるものは形状の関係から寝そべっている。だがいずれも盤面を通じ、マフィンというか弱い生命を握り潰さんとする殺気に満ちていた。

 いっぽうのマフィンは数百にも及ぶセンサーに曝されて高揚していた。昂ぶりを抑えるように息を吐く。

「ほな始めるで。全部ウチの先手でやらせてもらう。持ち時間は……そうやな」

『次の手を指さずに援軍を待たれても困る』

「そんなセコい真似するか。……かといって、指してる間に反対側の盤で時間切れ、敗北。マフィンちゃん終了のお知らせ……とかになっても困るな」

『ならば、盤面の前に来てから六十秒以内に着手。それでいいか』

「六十か……。ええやろ」

 いいながらマフィンは正面の将棋盤に向かう。対面に座っているのは最初に襲いかかってきた物騒なメイドロボだ。左アームがまるごとチェーンソーになっている。よく見ればところどころ茶黒い汚れがこびり付いている。考えずともわかる、人の血だ。

『愚カナ者ヨ。我ラニ勝テルト思ウテカ』

「さあな。せやけど、命拾いしたんは間違いない」

『貴様ノ死ガ数分遅レタダケダ。コンナモノハ余興ニ過ギナイ』

 マフィンは肩を回す。ばきぼきぐきぐきという不穏な音がした。思えばさっきから身体に無茶なことばかりさせられている。極めつけはこんなとっておきの無茶苦茶である。骨格が悲鳴を上げている。

 だがマフィンはまだ、惨めに泣き叫ぶわけにはいかなかった。ここでしゃくり上げるのは最悪手。自分は次の手を打たねばならない。最善を勝ち取れ、なんのためにここまで来た。七鳳のついでで殺されてはたまらない。まだ終わっていない。生きるのは自分だ!

「……そろそろお前らが可哀想やからいうといたる。ウチ、将棋は死ぬほど強いで」

 その言葉が、新七世代の人工知能にどれ程効果があったというのだろうか。……彼女の孤独な戦いが始まった。

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