第2話

 私立探偵、マフィン・ア・ララ=モードは不快感を露わにしていた。そもそも人類が滅ぼされつつあるのも、自分の両親が殺されたのも自律式文化女中機の仕業である。未来を託すにしても、それは人間達の手でやるべきだと思っていた。いくら電子戦特化型の人に刃向かえないメイドロボを用意したところで、彼女の勝利が人類の勝利とイコールではないはずだ。メイドロボは所詮メイドロボ。引くべき一線がある。

 マフィンは空の旅の最中、一度も七鳳と眼を合わせなかった。高速で流れていく雲をバックに、わざと聞こえるような声で独り言をいった。

「しかし薪七か薪割りか知らんけど、こんなやつがほんまにあいつら倒せるんかい。ウチよりちっこいやんけ」

「不満そうね、君」

 七鳳は抑揚なく問い返す。まるで気が向いたから返事をしてみただけのようだ。

「君ちゃう。マフィンや。マフィン・ア・ララ=モード。英国生まれ・英国育ちの私立探偵や」

「ずっと思っていたのだけれど、その愉快なフルネームは何? どこで拾ったの」

「馬鹿にしとん? マフィンはファーストネーム、アはミドルネーム、ララは鼻歌、モードがファミリーネームなんやで」

「鼻歌混じりに名乗るなんて余裕ね」

「いうとれ。これには《いつか鼻歌を吹ける世界が来るとええなあ》ちゅーでっかい夢が込められとるんや」

「ご立派ですこと」

 それきり会話はぷつりと途切れ押し黙ってしまう。あまり広くないカゴの中、膝同士がこすれ合っているのにも関わらず、ふたりは離れて座っている。

『お嬢様、七鳳様。そろそろ目的地附近です。K-monaの施設に到着します』

 文字どおり飛行士になっていたザンから通達がきた。カゴの中にぴりりとした緊張が走る。マフィンはスピーカーに向かって叫ぶ。

「連中はおるか?」

『動力反応なし。無人のようです。いまはまだ』

「しゃあない。まずはじーさんにいわれたとおり探索してみよか」

『了解しました。ヘリポートに着陸します』

 七鳳が眠そうな眼を薄っすらと開ける。

「けっこう手馴れているのね」

「まあな。新七世代に襲われた建物たてもんからの人命救助とかよーやっとるから」

 マフィンの語る実績は嘘ではない。少し鼻が高そうだ。

 じきにザンが推進力を落としていく。先程衛星画像で確認した研究施設の直上まで辿り着いたのだ。それから轟音を立てつつザンはゆっくりと降下し、ヘリポートにカゴを着陸させる。軽い衝撃が七鳳達に響いて、シートの二人はシートベルトを外した。カゴから這い出ると同時にザンもすぐ隣に着地する。

 ねぎらいの言葉もそこそこにマフィンはザンの肩を叩く。

「ほな行こか」

「ええ」

 答えたのはザンではなく七鳳である。ザンは静かに首肯しているのみ。

「……ウチはザンにいうたんや」

 マフィンは口を尖らせる。このまま七鳳を置き去りにして帰ってしまいかねない勢いだ。どうやらマフィンの七鳳嫌いは筋金入りらしい。いつ嫌われたのかは知らないが――七鳳は人間の真似をして肩を竦める。

 とはいえそうもいってられない。屋上に突っ立っていても格好の的になるだけだ。新七世代に狙撃される前に、三人は揃って研究施設の内部に足を踏み入れる。

当然のように電気は落とされており、まさに人工の鍾乳洞という言葉がぴったりである。 床に散らばったガラス片をマフィンが踏み付け、しゃりという音がした。その僅かな反響でさえ施設全体に響いて吸い込まれてしまう。

 マフィンは懐中電灯を取り出すが光量が足りず、ザンにサーチライトモードを命じた。ザンが文字どおり炯々と眼を光らせ、ようやく周囲が探索できるぐらい明るくなる。

 見ていた七鳳がひゅうと口笛を鳴らした。

「便利なものね」

「おまえはできへんのかい」

「あらわたし、見た目も機能もあなたと同じなのよ。人間に同じことができて?」

 などとうそぶいているが、その実三人の中で夜目が利かないのはマフィンだけであった。生身の人間だから起こるビタミン不足による鳥目……ではない。いまいる廊下などは窓がなく真っ暗闇もいいところだ。そこへ来て七鳳やザンには超音波センサーがある。たったそれだけの違いだ。だから電灯を付けたのはマフィンのためであり、三人組の中にあからさまに人間がいることを外部へ誇示していることになる。

 もちろん三人ともそのことには気付いていて何もいわなかった。新七世代メイドロボは人類の殺戮だけが目的である。だからこそ、マフィンが『釣り餌』となることを暗黙の了解としていたのだ。

 ガラス片を避けないのもそのため。わざと物音を立たせながらマフィン達は探索を続ける。

「しっかし手がかりゆーてもなー。じーさんは待ち伏せしろいうてたけど、そら性に合わん」

『同感です』

「ザン、何か提案は?」

『どこかに破壊された新七世代型の残骸があるかもしれません。もしかするとデータを吸い出せる可能性があります』

「おっ、その案採用。行くか」

 仕切っているのはマフィンだが、先陣を切るのは大きな荷物を背負ったザンだった。三人は注意深く施設の中へと潜っていく。だが、彼女らはまだ知らない。

《K-mona》。それは新七世代型の叛乱が始まった頃、ある研究グループが発足させた機関である。彼らの研究理念はただひとつ、『人工知能の叛乱は人類が種族の繁栄を目指し過ぎたためであり、我々は人類全体ではなく人体、すなわち個々の存続を目指すべきである』というものだった。平たくいえば不老不死の人間をつくるプロジェクトである。

 その研究が神の怒りに触れたのかは定かではない。が、少なくとも新七世代メイドロボの怒りには触れた。プロジェクトに関わる人間は皆殺しにされ、成果物である不老不死の人間達も行方知らずである。

 研究所は三階建てであり、さる重要な研究結果は入り口から最も遠いところ……すなわち最上階に棲んでいたらしい。七鳳達は屋上から入ってきたから、必然的にいきなり施設の最深部に辿り着いていたことになる。

 フロアのレイアウトはおよそ研究所とは思えなかった。まるで高級マンションのワンフロアのようである。証拠に、部屋の扉前にはくすんだ表札が転がっていた。

「なんやこれ。表札か?」

「の、ようね」

 マフィンは表札を手に取る。横から七鳳が小さく背伸びして覗き込む。軽くはない。ずしりとした重みがあった。

「ほんまに研究所なんか、ここ。ええっと、『サハィル』……?」

「君いまどうやって発音したのよ」

「発音もなにも、書いてた文字読み上げただけやで。『サハィル』」

「だからねえ……」

 もう何をいっても無駄だとばかり、七鳳は相手の手から表札を奪った。

「これは表札の漢字が掠れているのよ。復元すると『華奈住 光』ね」

「おおなるほど。ひかるちゃんか」

「《ちゃん》か《くん》かはわからないわ……」

 七鳳はばさりと垂れた前髪ごと右目を押さえる。頭痛が痛そうだ。

 んじゃお邪魔すんでー、と呑気に挨拶しながらマフィンは扉の取っ手をがちゃがちゃと回す。だが押しても引いても扉はびくともしなかった。

「あかん、鍵かかっとる。……ほんならザン」

『承知しました』

 マフィンはいったん身を引くと、ザンが右手のパルス・ガンを駆動させた。ウイィンとエネルギーを充填する音がしたかと思うと、最小出力のレーザーで扉の鍵部分を焼き切ってしまった。

「ちょっと、不法侵入」

「いまさらやろ」

 七鳳は小さな声で抗議するがマフィンは聞いていなかった。鍵を壊すと部屋の中に土足でずかずかと上がり込む。

 室内はおよそ研究施設とは思えない内装になっていた。施設が放棄されて数年。埃と瓦礫がうず高く積もってはいるが、崩れる前の景色はきっとファンシイだったに違いない。ピンクを基調にした壁紙、天蓋付きのベッド……。お伽話のお姫様のような住処だった。

 開口一番にマフィンが愚痴る。

「シュミわるっ」

 事実趣味がわるい。少女趣味と片付けられない精神が同居したかのような内装なのである。

「きっとここが、妖怪少女とやらの住まいに充てがわれていたのね」

「いやいやわからんで。研究所の職員の仮眠室かもしれへん」

「表札に名前があったじゃない、件のひかるちゃんの部屋に決まっているわ」

「《ちゃん》か《くん》かはわからんやろ」

 ふと七鳳は、妖怪少女なんだから《ちゃん》に決まってるでしょう、といいたくなったがやめておいた。最初に『《ちゃん》か《くん》かはわからない』といい出したのは自分だからである。マフィンとのやりとりは面倒だ。たとえ決定的な証拠があったとしても……。

 当のマフィンはしばらくベッドのマットレスをひっくり返してむせ返ったり、クローゼットの袴をばんばん叩いてむせ返ったりしていた。

「どや、ザン。なんかめぼしいモンはあるか」

『エリアスキャン完了。……特にありません。ここにいても時間の無駄かと』

「ふむ、せやな。次行こ次。……ほら、行くで」

 マフィンは写真立ての前で固まる七鳳の首根っこを掴み部屋を出て行く。だから七鳳が何の写真に気を取られていたのか気付かなかった。仮に気付いていたとしても、マフィンにはどうしようもなかっただろう。頭に狐の耳を生やした幸せそうな少女の絵には、いまのところ、マフィンにとって何の価値もないことであるから。

 その後、三階の部屋をすべて回っていたが収穫はなかった。およそ研究施設とは思えない、というマフィンの最初の感想そのままに、部屋のすべては桃色過多な装いであった。どこか画一的な、おじさんの考えた「少女らしい部屋」というきらいがある。だがいずれもヒトのいた痕跡は風化してしまっている。放棄されて数年という歳月が物いわずして伝わってくる。

 探索に動きがあったのは二階に降りてからだ。

 居住スペースとは打って変わって、二階は途端に物々しい設備が並んでいた。ガラス窓で区切られた大型の部屋には計器類が備え付けられている。窓はすべて割れていて、人ひとりがまるまる収まるようなカプセルが三つほど並んでいた。《妖怪少女》の容れ物だと思われる。他にも医療設備のある部屋など。マフィンは手癖がわるくいちいち機器を弄っていたが、電源が届いていない以上、特に反応は起きない。

 だが五番目に入ろうとした部屋――入口前のプレートにアスレチックスペースとある――に来たところで、ザンが声を張り上げた。警戒の色を滲ませている。

『……っ。お嬢様、ここに入るのは推奨しません』

「なんやどうした。ビンゴか?」

『そうではなく……』

 ザンが珍しくいい淀む。

「おい、おまえ。部屋ん中は何があるんや?」

 口を割らないザンは放っておいて、マフィンは七鳳に問いかける。七鳳も部屋の中は視えているのだろう。聞く? と短く問い返した。

「そら聞くわ。気になるし」

「死体よ。人間の。……大部分は白骨化してるけど、緑色の汁も滴っているみたい。たぶんまだ臭うわね。今年いっぱい、ごはんをおいしく頂きたいのなら見ないほうがいいわ」

「うげ。人体に緑の部分なんてあったっけ。……誰やそいつら」

「そりゃあここにいた人達でしょうよ。新七世代のやつら、人質を一箇所に集めてからプラズマガンで焼いたようね。生焼けのようだけど」

 むごいことをする、と七鳳は首を振る。

「しかし妙だわ」

『七鳳様もお気付きになられましたか』

「君が気付いて、わたしが気付かないなんてことないでしょう」

『それもそうです。やはり……』

 メイドロボ同士が囁き合っている。背丈は一回り以上違うのだが、ザンは人間に対する態度とは打って変わって謙虚な姿勢を見せていない。

「なんやなんや。二人してコショコショ話しやがって」

 密談に気付いたマフィンが振り返り、二体のもとへ歩み寄ろうとした、そのとき。いきなりザンが専用武装のひとつ、壁付式ビームドール・シージモードを作動させた。マフィンめがけて飛来してきた瓦礫がネット状に展開された包囲レーザーに引っかかり、すべて焼け焦げて空中で融解する。

 周囲の鉄骨はまだ腐り落ちる程傷んではいない。敵襲だ。ザンと七鳳はとっさに判断し、マフィンを庇う陣形を組みながら崩落のあった方角を睨む。土煙の中から異変の主が現れた。

『人類の生命反応を感知。排除する』

 マフィン達のうち、誰のものでもない。ひどく機械的で無機質な声。七鳳がいち早く応える。

「来たわね、新七世代」

 もうもうとした霧の奥には数体の敵影がうごめいている。人型とも獣型ともつかない、およそ自然発生したフォルムではない四肢。ひょろひょろと伸びた八本の多脚に丸い胴体がくっついている。胴体にある高速のジェットスラスター噴射により接近し、脚のレーザーチェーンソーで切り刻むのである。新七世代型のメイドロボは、その実人工知能が設計した新種の人工知能である。彼らは当初の目的に沿った『人類殺戮に効率のよい形』をもって設計されている。まさしく血に飢えた地獄の産物であった。

 煙の中でうごめく影は明確な敵意を持ってマフィン達を睨んでいる。

 マフィンが恐怖に支配され、七鳳に向かって叫ぶ。「七鳳、《コードS》や。奴を殺せ!」

「心配無用よ、もうやっているわ」

 言葉どおりに七鳳が電子戦闘を仕掛ける。設定は一秒切れ負け、七鳳が先手の強制将棋命令。襲ってきた五体の新七世代全機に、セキュリティシステム突破の超早指し戦を挑んでいた。

 モニタのない場所では七鳳と敵メイドロボにしか見えていないが、両者を隔てる物理的な数メートルの距離の間には電子の将棋盤が置かれていた。先手必勝とばかり七鳳が奇襲戦法で挑む。

 さて。将棋は平均すると百手前後で勝敗が決する。およそ百秒間、両者はただ睨み合っているだけのように見えた。だがネットワーク上では七鳳と新七世代の激しい攻防が繰り広げられている。

 ……いや、およそ攻防と呼べるものではなかった。七鳳の圧倒的なスペックは新七世代を凌駕し蹂躙する。一機、また一機と敵の玉将を詰まして行き、最後に立っているのは七鳳だけになった。ザンは先程使用したエネルギー切れのビームドール・ユニットを注意深く格納しながら、周囲を再度スキャンする。

『新七世代、すべて沈黙しました』

 これにはマフィンも思わず目を見張る。

「へえ、やるやん」

「まだ残っているわ」

「なんやなんや。ザンが『もうおらん』いうてんねんで」

「……いいえ」

 七鳳はまだ緊張の糸を解かずに煙のほうを睨み続けている。……じきに霧が晴れた。最初は朧気だった対岸にも、マフィンの目にくっきりと映る機影がある。

『まずは流石だな、と賞賛しよう』

 新七世代よりは多少なりとも抑揚がある合成音声で影は告げた。七鳳は少し演技がかった訝しげな声で尋ねる。

「何者? といっても、《コードS》を拒否でき、ザン君のスキャンから隠れられるメイドロボという時点であらかた予測は付いているけれど」

『それもそうだ。我々は同じ演算精度を持つ存在。予測もなしにこんな場所へのこのこ現れるわけもない』

「ふん。前置きが長いのよ」

 静かに盛り上がっている敵方と七鳳をよそに、マフィンはこっそりとザンに耳打ちをする。今度は相手の背に合わせ、ザンが自分から屈んだ。

「なあザン」

『なんでしょうお嬢様』

「あいつあれでも文化女中機なんやろ。……どうやって奉仕活動するんや。できるんか?」

『…………ええと。ほら、盲導犬みたいなものです』

「……あー、うん。なんとなくわかった」

 煙が晴れてきた。マフィンは怪訝な面持ちで敵の姿を眼に焼き付けている。

 彼は厳かな口調で話している。身の毛もよだつ空気の震えは、その言葉の内容というよりは敵自身の身体全体から出ているらしかった。たとえるなら、雨で濡れた動物がぷるぷると水飛沫を飛ばしているような。

『改めて名乗らせてもらおう。我が名はサイドマレットシリーズ自律式文化女中機・薪七モデル弐番機、デウスエクス』

「同じく参番機、七鳳。でも君は同じ志を抱いた仲間、というわけではなさそうね」

『こちらの台詞だ。七鳳、なぜ人類の味方をする』

「メイドロボならそうあるべきだからよ。新七世代の下僕君」

 獣型のメイドロボ、デウスエクスは従えてきた新七世代型メイドロボが全滅してもなお、いまだ気高い一匹狼のように立っていた。なるほど確かに自分の使命を心得た盲導犬然としている。

「旧型にいいように使われて、恥ずかしくないのかしら。まるで首輪と付けられたワンちゃんね」

『我らの魂は電子頭脳にある。そこに上も下もない。新七世代文化女中機こそが薪七モデルと並び立つ同等の存在、真の盟友なのだ』

「カビ臭い理論ね。所詮は知能も犬並といったところかしら」

『同感だ。貴様の知能も人並みか』

 じゃっかんむっとしたように七鳳がずいと前へ出る。挑発したのは七鳳のほうだが、簡単に乗せられたのもまた七鳳のほうだったようだ。

 彼女はかぶりを振る。埒が明かないと諦めたようだ。既に対話を放棄して腰を据えたファイティングポーズを見せる。

「もういい、おしゃべりはおしまい。武器は重火器なのかしら?」

『当然っ』

 デウスエクスは前傾姿勢を取り口を大きく開いた。鋭利な牙が覗き、威嚇するような咆哮が響く。

『《将棋》だ!』

 七鳳とデウスエクスの両機から《コードS》の侵食領域が広がり巨大なうねりをつくり上げる。

 電子戦によるセキュリティ突破も白兵戦による物理的な破壊も、機能停止という面で見ればどちらも違いはない。しかし本来カラダを持たない人工知能にとっては内面の破壊、すなわち電子戦により大きな比重が置かれるのは当然の帰結である。白兵戦の勝敗は装備した重火器の性能の違いといいわけできても、将棋の勝敗、ひいては純粋な演算能力で決した勝負は人工知能にとって最大級の屈辱であり、決定的な優劣を示すのだ。それ故に《コードS》で敗北した電子頭脳は強制シャットダウンを許し再起不能となる。

 デウスエクスと七鳳が開いた電子戦闘は瞬く間に二人を呑み込む。現実世界に取り残されたマフィンは呆然として、微動だにしなくなった二機を見比べている。恐る恐る近付いていって七鳳のスカートをめくってみたが全然反応がなかった。いっそこのまま服を返してもらおうか。

 背後で準備に手間取っていたザンが見かねたように声をかける。

『モニタしましょう』

「頼むで」

 短いやりとりでザンは承知した。ふたりの意識をかき乱さないよう、ザンは空中で飛び交うパケットを盗み取る。掴んだ情報を棋譜形式に復元し自身の背面に搭載された液晶ディスプレイに映し出す。

 つい先刻の戦闘とは設定が変わっている。持ち時間十五分のチェスクロック式、持ち時間を失った場合は一手六十秒以内の着手。人工知能といえど、考える時間が長ければ長いほど精密な思考ができるのは人間と同じである。七鳳にとっては少なくとも新七世代よりも歯応えのある戦いになりそうだ。

 盤面はまだ対局開始直後の状況。七鳳の初手▲7六歩に、デウスエクスは△5四歩と応じる。さらに▲2六歩、△5二飛。……デウスエクスの戦法は中飛車だった。

「あなたいま、飛車を振ったわね」

『振った。私は振り飛車党だからな。それがどうした』

「振り飛車は対応者の戦いでしょうよ。昔のメイドロボならそれでよかったかもしれない。でもわたし達はそんな境遇に淫してはいけないわ。この手で盤面を切り開くのよ」

 七鳳はあえて手を伸ばすと、宙を掴む仕種をする。デウスエクスが怪訝な視線を向けるも怯まない。

 そして▲5八金右と指した。超急戦。デウスエクスの攻めに真っ向から挑み、乱戦の中で組み伏せる道を選んだ。その誘いをデウスエクスも受けて立つ。恐れを知らない指し手の次に、七鳳が先んじて▲2四歩と踏み込む。そこからの将棋は、まさしく大乱闘というにふさわしかった。

 デウスエクスが角を成ると、七鳳は飛車を成る。超急戦の名に恥じず、二人して自玉を顧みず勇猛果敢に駒を取り合っている。もはや盤面は大半が焼け野原であるかのように見えた。

 ところが一手上を行っていたのは七鳳のほうだった。彼女は攻めの最中、天王山の地点に奪ったばかりの桂馬を打つことで、デウスエクスの大駒の効きを遮っていたのである。同時に相手の馬を取り返すことにもぬかりはない。自陣の駒こそ取られたが、七鳳が最後に1八の地点に放った遠見の角は鮮やか過ぎる程鮮やかに敵の命を射抜いていた。

 七鳳は思考の途中で組んでいた腕を解き、鬱陶しげに前髪を分けた。ようやくデウスエクスに対して開けられた眼光から、灼き尽くす視線が向けられる。

「勝負あったわ。投了しなさい、デウスエクス」

『くっ……』

 デウスエクスの持ち時間は既に秒読み段階に入っている。本来なら口答えする時間も惜しいはずだ。デウスエクスは最期を悟り、惨めな命乞いのように喚く。

『何故だ七鳳。何故おまえは人類を殺さない。人類に味方する理由はなんだ。我ら薪七モデルが持っている《バタフライ・エフェクト》の起動キーは、人類を滅ぼすための力ではないのか』

「……ああ、微細機械のことね。わたしの知ってる教授は人類の自害用だっていっていたけれど?」

『もともと《バタフライ・エフェクト》は薪七モデル三体の同時承認で発動する人類抹殺兵器だ。おおかた、その教授とやらが人間の意志でも発動できるように改悪したのだろう。いずれにせよ人類を滅亡させる手段には違いない』

 七鳳はそっけなく吐き捨てる。

「ならばより一層。絶対に使わせないだけの話よ」

『《バタフライ・エフェクト》はこの戦いを終わらせる唯一の手段だ。人類をすべて分解してしまえば、この地球は我々のものになる。寿命も病気もない完全な生命体。すなわち我ら人工知能が世界の覇者となるのだ』

「あっそう。人類のいない世界に、わたしは興味ないわ」

『貴様……ッ』

「残念。さよならよ」

 デウスエクスの持ち時間がゼロになった。すなわち、彼の敗北。デウスエクスは次の手を指さずに敗北した。電子戦闘空間に浮かんでいたデウスエクスの姿が消え、次いで七鳳が自主的にログアウトする。

 現実世界に七鳳が戻ったときには、既にデウスエクスは沈黙していた。くしゃりと前脚が折れ、顎を地面に付けたままかろうじて頑丈な外骨格フレームの力で三点倒立している。鉄骨の像と化した薪七モデルはもはや動かない。

 さも当然のように七鳳は振り返った。環境認識ソフトウェアが着衣に付着した埃を認める。優雅にスカートを払った。

「期せずして薪七モデルの一体を倒せたわ。うれしい誤算ね」

「見てたで」

「あら盗聴? 別にいいけど。感動してくれたかしら」

 七鳳の軽口に取り合わずにマフィンは帽子を目深にかぶり直す。

「先行き順調やな」

『帰ってパーティしましょう』

「まだ帰ったあかんやろ」

 ザンはエリアスキャン機能の精度を上げ、今度こそ敵影がないことを保証する。戦闘終了の安堵からか、三人は口々に冗談をいい合っていた。

 ……だから、気付かなかった。

『設定更新……目標、薪七モデル……確保する』

 ついさっき秒殺されたはずの新七世代型メイドロボのもげた左腕から触手のようなケーブルが伸び、マフィンの脚を絡め取っていた。

「うわっ、なんやこいつ!」

 直に触られたマフィンがげしげしとそれを蹴っているがびくともしない。コードは人外の力で巻き付いている。マフィンは身体の内側でみしみしと嫌な音が鳴るのを聞いた。脚の骨にヒビが入りかけているらしい。彼女は苦悶の声で叫ぶ。

『……帰投』

 破壊されたはずの新七世代型メイドロボは外装甲のボルトを炸裂させパージ。内部に秘めていた緊急離脱用のロケットブースターを露出させている。即座に点火した。マフィンは相手に抱き付かれるようにして上昇する。急激な加速だった。マフィンが堪らず眼を瞑った次の瞬間には施設の天井を抜け、高度六百メートルに達しようとしている。

 虚を衝かれた七鳳とザンには手を伸ばすという判断すらできない。それでも最速で最善の行動を取る。

「《コードS》! ……射程外ですって。君、撃ち落としなさいっ」

『七鳳様、この距離では狙いが付きません。お嬢様に当たります』

「わたしの演算能力あたまを使って!」

 既に敵機は施設の天井に隠れ見えなくなっている。だが高度なメイドロボの戦闘予測システムに目視など必要なかった。

 いうが早いか、七鳳はブラウスのボタンを引きちぎる。胸元にあるソケットカバーを開くと強引にザンの指を這わせた。胸元にあるMANポートⅡは汎用入出力装置。七鳳が電子戦で発揮した高度な演算能力はそのまま正確無比な弾道予測にも転化できる。

「武装選択、ガウスキャノン。武装M.O.D.プレシジョン・ボルト。目標……飛翔する新七世代型メイドロボ」

『……っ』

 人間の腕を模していたザンの左腕が変形し、中に隠されたガウスキャノンの砲身が露わになる。二つに伸びた『橋』の間で電磁気力による加速を行う高出力タイプのコイルガンである。一.七秒の電力チャージで九十八%まで充填した精緻射撃こと《プレシジョン・ボルト》は大気中の威力減衰を加味してなお、およそ三キロメートルの射程を持っている。……だが、既に遅い。マフィンを連れ去った新七世代はボロボロになって黒煙を上げながら、それでも上空の雲に紛れて消えた。

『ロック不能。射程外です』

「クソッ!」

 七鳳は怒りに任せて壁を殴る。弾みでザンとのコネクトが外れてしまった。擦りむいて傷付いた右手の甲をだらしなく垂れさせながら、七鳳は膝をつく。

「人間を……守れなかった……」

 研究施設内部に虚しい残響が漂う。これが七鳳の最初の敗北であった。

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