継歩

@maetoki

第1話

 メイドロボ・七鳳なとりの意識が覚醒しようとしていた。

 ……声が聞こえる。将棋をしろ、という叫びが。七鳳は朧気な意識のままネットワーク回線を開く。命令に促され彼女は電子戦のチャネルを開いた。可視化された電子の海にマス目が浮かび上がり、海嘯に踊る艦船のように五角形の駒が並ぶ。

 次いで彼女は現実世界のほうの眼を開く。いくつか人影があった。まだ人物の顔も声もうまく認識できていない。あれは誰か? 彼女の頭脳に組み込まれた読唇アプリが、人間達のやりとりを文字にする。いわく騒々しいやりとりだった。

「おいおいじーさん正気か? ウチ将棋できひんで」

「何をいうとる。おまえの入学祝いに一式贈ったはずじゃ」

「英国生まれ英国育ちのマフィンちゃんが指せるわけあらへんやろ。チェスやチェス、チェス持ってこんかい」

「待て待て。いつからワシは英国生まれの孫を持ったんじゃ」

「あーこらあかん、ボケとるわ」

「誰がボケか」

「ウチがツッコミやからな」

 老人と孫娘のやりとりだろうか。七鳳は海中に沈みかけていた意識をいったん凍結させ、メイドロボ用環境認識ソフトウェアの起動を優先させる。どうやらこのソフトウェアはかなり年季が入ったものらしく、起動したばかりの七鳳もまるで熟練のメイドロボのように現在の状況を把握できた。おそらくは七鳳が生まれる以前、先祖のメイドロボが蓄積してきた知識なのだろう。

 七鳳はまず、自分の内側に侵攻して来ようとする不正なアクセスを検知した。メイドロボではない、もっと単純なプログラムからのアクセスだ。プログラムは断続的に七鳳自身の電子頭脳を乗っ取ろうとセキュリティ・アタックを試みている……が、いまのところファイアウォールが防いでいる。危険性はなさそうだ。七鳳は興味を失ったように観察をやめ、次いで外界に眼を戻す。

 彼女がいま寝ているのは硬いマットレスの検査カプセルだった。ガラスケースのようにフタが閉じられていて周囲の音は一切遮られている。人間達のやりとりも、丸く歪んだガラスに写った鏡像である。

「将棋の指し方忘れたのなら、素直にそういうんじゃな」

「そもそもなろてへんもんねー」

「それで七鳳がおまえを主人と認めなかったらどうするんじゃ。せっかく《コードS》が繋がっとるのに」

 ぬっとカプセルの上に人影が落ちる。老人のほうが様子を伺ってきたのだ。彼女は眼をあけたまま逡巡する。……口調から察するに、いましがた自分に対して攻撃しているのは彼らだ。なんのために?

 それから孫娘と思しき少女も七鳳の視界に入ってくる。ただし彼女はベッドの中身には目もくれず、拳でこつんこつんとガラスを叩いた。

「ウチのメイドロボならもうおるっちゅーに。こんなんいらへん」

「わからんやつじゃな。型が違う、型が。何故ワシが命がけでラボから七鳳を連れてきたか、全然見当も付かんちゅう顔しとるのう」

「知らんなあ。全部同じ、ドラえもんモドキやろ?」

 間の抜けた孫娘の声に老人ががっくりと項垂れている。大きな溜息でケースが曇った。と、老人は顔を持ち上げると明後日の方向に手招きをする。どうやら室内にはもうひとりいるらしい。

 ふいに七鳳のネットワークポートにpingが送られてきた。機械同士の間ではpingは会釈にあたる……らしい。環境認識ソフトウェアのヘルプデータにはそうあった。つまるところ室内にもうひとり、自分と同じくメイド・エリア・ネットワーク(通称MAN)に繋がったロボットがいるらしい。pingの主はわからないが、七鳳もいちおう返事を出しておく。

「まあええわい。それなら、七鳳の初陣はこいつに頼むとする」

「せやな、やっちまえザン」

「……ザン? 妙な名前付けおって。こいつの個体識別名は違うじゃろ」

「そんな名前忘れたわ。この子はザンや。暫七世代型のメイドロボやから《ザン》」

 老人が膝から崩れ落ちるのと同時にメイドロボが姿を見せる。

『お呼びでしょうか、お嬢様』

 七鳳はいま一度メイドロボに注視した。相手は視線を逸らし続けているが、どうやら先程のpingは彼女が送ったものと考えてよさそうだ。メイドロボという点では自分も彼女も変わりがない。

 自分のファームウェアに刻まれた個体識別番号はサイドマレットシリーズ自律式文化女中機の薪七マキナモデルというものである。自己診断してみると、どうやら自分の容姿はさっきから騒いでいる人間の少女とほとんど代わり映えしないらしい。身長・スリーサイズともにヒトの十四歳ぐらいを想定しているとのことだった。

 カーボンファイバーで編まれた髪の色は赤。拡張視覚レンズ内蔵の瞳孔も赤。そして陶器のように色白の人工皮膚……、ヒューマノイドである。いや、ヒューマイドというべきか。

 七鳳は改めて視覚センサーで自身を見た。右眼の前に長い髪が垂れていて距離感が掴みづらい。右手を握れ、と念じる。右手が動いた。水色の検査服に包まれた細い腕が。なんだか変な感じだ。

 いっぽう、ザンと呼ばれたメイドロボは同じ製造元の暫七世代型であった。自分よりも二世代も前の機体に当たるし外見も違う。つや消しの黒に塗装されており、いかにもロボットという風情。アンテナの伸びた球状のヘッドパーツに一本のメイン・ゴーグル・アイが敷かれている。たとえるならシュノーケルを被ったスイカのような不格好な頭部だった。

 そこから特殊カーボン材の胴体が伸びている。下半身は大きなスカートのようなパーツになっており脚そのものが見えなかった。歩く際は無限軌道で進んでいると見える。流線型の体表面には線路のようなレールが描かれており、ザンが動くたびに鮮やかに色付いている。なんでも並列処理性CPUアクセスラインとかいう代物らしい。彼女が動作しようとするたび、古いPC端末のアクセスランプよろしくぴかぴか光っている。もちろん服は着ていない。全裸ロボだ。

 いまもなおザンのメインアイは赤と紫の中間ぐらいの色味で老人を見詰めている。

「メイドロボ工学者の孫がこれではな……。まったく腰が抜けた」

『挿し直しますか?』

「後で撫でとくれ。……ほれ、ワシのことはええ、そこにメイドが寝とるじゃろ」

『……メイドロボ、薪七世代』

「違う違う。薪七は三体しかいないから世代じゃなくて《薪七モデル》なんじゃ」

『そこは重要なのですか?』

「大事」

『記憶しました』

 大仰な動作でザンはお辞儀を返す。この部屋にいる誰よりも背が高いが、腰はいちばん低い。どこか卑屈にも映るが彼女自身はいたって涼しい顔だった。もっともザンのヘッドパーツはゴーグル・アイ以外のっぺらぼうなので表情の変化は乏しいが。

「ザンよ、《コードS》じゃ。その娘と将棋をしろ」

『了解しました』

 ザンが垂れた頭を戻すや否や、七鳳の意識は強制的に電子の海に引きずり戻された。昏い宇宙に在る巨大な盤面の前で七鳳は佇んでいる。対岸には例のメイドロボ、ザンがいた。全身からぼうっと仄かな光を発している。幻想的なその姿に七鳳はしばらく心を奪われて見惚れていたが、やがてはっと我に帰った。

《コードS》の号令は既に開始されている。つまり将棋をしろコードSという命令だ。自分のことについて、いきなり説明もなく勝負を挑まれている。七鳳はそれでも戸惑うようなことはなかった。七鳳は既に知っている。将棋こそが自分に与えられた、唯一無二の絶対的な力なのだと。

 そしていま、七鳳の手番であった。盤の上空にあるタイマーは刻一刻と終局へ向けて進み出している。持ち時間は残すところ十四分。なるほど早指し戦なのか。いち早く状況を理解した七鳳は自分に仕込まれた武器を構え直す。七鳳に内蔵された将棋ソフト《ウルトラセブン》は即座に初手▲2六歩を示した。オフィスビルの大会議室ぐらいの大きさはあろうかという将棋盤だったが、こちらが指し手のデータを送ると駒がひとりでに動いた。

 と、現実世界から声が聞こえてきた。

「……しっかしよぉじーさん、なんでメイドロボに将棋なんかやらせるんや?」

「彼女らがやっているのは将棋であって将棋ではない。これは電子の戦争じゃ」

「穏やかやないな」

「コミックにおける電子戦といえば、セキュリティゲートを突破するのに殴り合うイメージが描かれるじゃろう。あるいはミサイルをぶち込んだりな。ありゃあ似ているが違う。セキュリティゲートを巡る攻防はそんなチャチなものじゃあない。電子戦のせめぎ合いは、本当は将棋の形をしているのじゃ」

「わかった。日本語で頼む」

「将棋で負けた人工知能は機能停止する」

 △8四歩、▲7六歩、△3四歩、▲7八金、△3二金。まだまだ定跡どおりの進行である。七鳳はちらりとザンのアバターの様子を伺うが、その表情は茫洋として知れない。

「ちょい待て。ザンが負けたらどーすんねん。ウチ帰れへんぞ」

「心配するな、これは模擬戦闘。壊れはせん。七鳳はワシらの希望じゃからな。……まあ、暫七世代にも勝てないようなら、七鳳はそもそも見込み違いかもしれんがの」

「フムン。なるほどなぁ。どっちも頑張れー」

 ……うるさい外野だ。いわれなくても勝てる。

 七鳳は外部からの情報入力を一時ミュートにする。ホログラムアバターとしてあてどなく浮かんでいる自分の所在を確かめるように、自らの長い前髪を少しかき分けた。きりっと相手を睨みつける。ロウソクの火が煽られ燃え盛るように。

「楽しいわね、将棋は。血湧き肉躍る。君もいままでこんな世界に生きていたのよね?」

『私語は謹んでください。七鳳様、あなたの手番ですよ』

「あらつれないこと。わたしいま、生まれて初めてしゃべったのよ?」

 七鳳は▲2五歩を着手。この局面は作戦の岐路だった。ザンが△8五歩とすれば横歩取り、△3三角なら角換わりになり得る。戦術の選択権は後手番のザンにある。ただ七鳳は高確率で横歩取りになるのだろうと予測していた。

 勝負の片手間に環境認識ソフトのデータベースを漁ってみると、暫七世代型のザンと薪七モデルの自分では将棋ソフトのバージョンが違うことを知った。ひいては将棋の性格が違う。暫七世代型の将棋ソフトは《シックスウェイ・リンカネイト》と呼ばれている。機械学習により知識を積み続ける貪欲なプログラムである。それゆえ現在のような『積極的に勝たなくてもよい』場面では通い慣れた道は選ばないはずである。新しい世界を探すように、未知の局面へと誘導するに違いなかった。だとすれば大乱戦になりやすい横歩取りを選ぶ公算が高い。

 果たして指された△8五歩は七鳳の予測どおりの手、横歩取りの入り口であった。

「ちょうどいい、わたしもこの世界に興味があるわ」

『何の話でしょう? 繰り返しますがあなたの手番ですよ』

「はぁ……。どうにもやりにくいわね」

 暫七世代型というやつは堅苦しい。名は体を表す……いや、体が性格を表している。この、黒い産業廃棄物ロボットめ。七鳳は忌々しげに首を振ると▲2四歩を指す。△同歩、▲同飛、△8六歩、▲同歩、△同飛、▲3四飛は一本道の指し手だった。

 ところが次の△8八角成、▲同銀、△3八歩は習いある定跡から外れている。銀取りに歩を打たれたが、これはタダで召し取れる歩だ。一見すると無駄な手でむしろ七鳳にすればありがたい。

 だがそれが逆に混戦の予感がした。奥を見やればザンはゴーグル状の眼を緋色に光らせている。

『あらかじめいっておきます。いまから行う私の攻めは《無理攻め》です。成立していません』

「あらあら」

 七鳳は少考で▲同銀。

『ですが正確に受け続けるには相当の力がいります。失敗などしようものなら、あなたは所詮それまでのメイドロボということです。だからあなたの将棋を見極めたい。この滅び行く世界で目指す場所を見つめたとき、あなたの知能が正しい道に進めるのかを、ここで示してください』

 ザンは小さく息継ぎをした。そして駒台に手を伸ばす。

『できるものなら』

 それは△4四角だった。直接的な狙いは△8八角成、▲同金、△同飛成と一気呵成で殴り込む一本狙いだろう。そんな大砲を打ち込まれては七鳳とてひとたまりもない。

 ……なるほど、試されていたのは自分だったか。『知識に貪欲なプログラム』などとんでもない、『勝たなくてもよい』など話にならない。早速七鳳は自らの勝手な読みを恥じた。そして恥じて省みたところから本当の戦いが始まる。これは自らの叡智を掛けた戦いだ。模擬戦だろうと関係ない。自分が真に薪七モデルのメイドロボであるなら、旧式相手に負けていられない。

「すべて理解した。サイドマレットシリーズ薪七モデル自律式文化女中機参番機、呼称を《七鳳》、未から来たりて斬らば拓かれよ!」

『サイドマレットシリーズ暫七世代型自律式文化女中機、呼称を《ザン》、過ちて去るは始まりも末もなし!』

 二人は勢いに任せてイマイチよくわからない啖呵を切ってから、外部との接続が完全にシャットアウトされていることを念のため確認した。外の人間達が棋譜ログを取っていることは仕方がないとして、完全に暗号鍵をかけて送りあったテキストメッセージは傍受されようがないにも関わらず。

 それでも七鳳は念を押す。

「あー……いまの名乗り恥ずかしいから、なかったことにしない?」

『待ったはありませんよ』

 これが年季の差か。

 ともあれ七鳳は将棋ソフト《ウルトラセブン》の尻を叩き評価関数を洗い替えさせる。僅かに自分の優勢に振れていた。ザン自身が語ったとおり、この一見苛烈な攻めはそもそも成立していないらしい。

 であれば迷う必要はなかった。七鳳が取るべき戦法はたったひとつ。

「望むところ。……徹底抗戦よ」


 いっぽう現実世界では老人と孫娘が手に汗を握りながら電子戦の行く末を見守っていた。七鳳の次なる応手は▲8七歩である。

「……おお、歩を打った。これはどういう意味なんじゃ」

「ウチは将棋知らんゆーとるやろ。ほら、この端末で将棋ソフトの読み筋がわかるはずや」

 いいながらぎこちない手つきでノートパソコンを立ち上げながら、将棋ソフト《ファイブ》に棋譜を解析させる。ザンや七鳳に搭載されている将棋ソフトのもっと古い祖先である。ただしメイドロボには積まれていない。この老人の地下研究室にて、戦闘解析システムの一端を担う意識を持たない骨董品だった。それでも将棋に関してならばかなり信頼度の高い演算ができる。

 マフィンは一手前の局面と現局面の解析を見比べつつ、ぼやくようにいった。

「解析完了、っと。……△8八角成からの攻めを防ぎつつ、いったんザンの飛車に当ててドタマ冷やさせたっちゅー感じちゃうか」

「なぁるほどのう」

 老人はしきりに関心しつつ次のザンの△8四飛を見て、再び首を傾げる。

「あれ? 攻めなかった。解説よろしく」

「せやからウチに聞くな。ええと、ちょい待てや」

 マフィンは電子戦の中継画面から少しだけ眼を泳がせながら答える。

「っつーかさ、じーさんもメイドロボ工学のオエライサンやろ。メイドロボに将棋させるんやったら、自分でも将棋ぐらいわかっとるやろ」

「部門が違うからのう。ワシゃメイドロボが使う微細機械ナノマシンの開発者じゃ。将棋ソフト開発は戦略予測部門のセトさんがやっとる」

「誰やねんセトさんて」

「覚えてないか? ほら、おまえが七五三のときにゴツいカメラ持ってきた……」

「だーかーらー、ウチは英国育ちなの。英国に七五三なんかあるかい。チェキしかないわ」

 会話を断ち切るようにマフィンはくいっと画面を顎でしゃくる。

「ほら、次の手指したで。△2二歩や。なんやヌルい手指すな。これでザンが角を切れば乱戦になる……え? ▲3三桂? ……ふうん、ザンはこの戦い、自分が攻めることしか考えてへんな。あいつらしくもない。新品のメイドロボに主人取られる思とるんちゃうか。かわいいヤツ」

「おまえ、やっぱり将棋詳しいじゃろ」

 パソコンをカチャカチャと動かしながらマフィンは小さく舌打ちをした。

「んなわけあるかい。勘や勘。チェスも将棋も大筋は一緒やからわかるだけや」

 そして再び、モニタに映し出された将棋盤を食い入る様に見つめ始める。


 さて、七鳳対ザンの対局はといえば。

 七鳳の防御は完璧であり、ザンの攻撃をすべて不発に終わらせていた。もともと横歩取りの戦型は飛び道具が飛び交う激しい攻防である。あの手この手で襲い来るザンの砲撃をときに堅実に、ときにひらりと身をかわして避けていた。最終的にはザンの攻め駒をすべて奪い、七鳳の駒台は溢れ返っている。ザンからはもう手段がない。最新型モデルの面目躍如といったところである。

 攻防ともに見込みがなくなったところでザンは潔く投了した。

 こうして七鳳の初陣は終了した。これが本来の電子戦ならば、ザンのセキュリティシステムは攻略され機能停止していただろう。《コードS》を用いた電子戦将棋はすなわち対局者の死を意味する。対局者が玉将として差し出しているのは自身の命なのだ。

 いまは単なる模擬戦闘なのでそんなことは起きない。直立不動のまま固まっていたザンは現実世界に意識を取り戻す。なんだか夢から醒めたようだ。くい、と頭の位置を正すと人間のような所作でマフィンに向き直る。

『……不覚を取りました。申し訳ありません、お嬢様』

 マフィン達も勝敗は知っている。彼女は猟犬を労うように言葉をかける。

「ええってええって。ザンはよー頑張った。ザンの主人はウチだけやからな」

『ありがとうございます』

 とはいえ他ならぬザンが七鳳の性能を試していたことを、人間達は知らない。マフィンは十代半ばという歳相応にあどけなく、ザンの帰還をただただ喜んだ。

 そこへ気の抜けた炭酸飲料のような音が響いた。マフィンとザンが眼を向けると、いつの間にか七鳳が眠っていた検査カプセルが開いている。じきに七鳳はすっくと上体を起こし周りをきょろきょろと見渡す。そしてある一点で止まった。食い入るような眼差しの七鳳とすっとぼけたような目つきの老人。途端に空気がぴりぴりと張り詰める。

 カプセルの制御システムを乗っ取ったのは七鳳だ。電子制御されている機械であれば《コードS》で突破できる。七鳳は対局後間もない一瞬のうちに、検査カプセルはもとより周囲の監視カメラまでをもハッキングし、自分をこの場所まで連れてきたのが眼前の老人であることを知ったのだ。

 とはいえ経緯を知っただけでは足りない。七鳳がいま求めているのは老人の意図だ。

「いきなり何をさせるのかと思えば。人間、説明しなさい」

 ぴっと指を伸ばし、七鳳は老人のほうを示す。人間に尽くすメイドロボとはなんだったのか、ずい分鷹揚な仕草である。

「そういうな、七鳳よ。おまえさんはまだ世界を知らない。己の力を知らない。知らないということすら知らない」

「その辺なら思い出せるわ。わたしの環境認識システムは正常だもの。わたしはなんでも知っている」

「ほっほ。なんでもと来たか。では七鳳よ、人類。宇宙。すべての答えは?」

「四十二。って、冗談いってる場合じゃないの。答えなさい教授、でなければ……」

 老人に向かって問い詰め続けているところへ、つかつかとマフィンが歩み寄っていった。そのまま振りかぶって七鳳の頭をはたく。

「あいたっ」

「なんや失礼なやっちゃな。人に教わるときはまず自分の名前を名乗らんかい」

「……なによ、この人間」

「人間ちゃうわ。いや人間やけど。ウチはマフィン・ア・ララ=モード。じーさんのかわいいかわいい孫や。ちょっとでも変な動きしてみぃ、ザンがやっつけるど」

『御意』

 ザンは静かに右腕に隠されたレーザーチェーンソーを構える。凶暴な刃を向けられてなお七鳳は冷静だった。

「わたしの名前ぐらい知っているでしょう、開発者とその孫なんだから」

「薪七モデルのメイドロボ。そして人類の敵や」

 肩を怒らせ明確に敵意を露わにするマフィン。と、老人が間へ割って入る。

「ま、そうカッカするな。薪七モデルは人間相手の戦闘行為を禁止している。割込式の良心プロトコル、というやつじゃ」

「……そうなん?」

「……そうなの?」

 七鳳とマフィンは互いに眼を合わせる。少しだけ間を置いて、ザンが七鳳の全身をセンサーでスキャンした。メイドロボの代名詞ともいうべき各種重兵装はどこにも見当たらない。

『エクステンド=ボム、パルスライフル、レーザーチェーンソー、その他諸々……暫七世代型文化女中機の標準武装は認められません。装備すら不可能と判断します。脅威レベルを最低ランクに更新。メイドロボである私ならともかく、電子戦の効かない人間に対しては特に危険ではないかと。何より、人工知能は人間を傷つけることができません』

「な?」

 老人はにやりと笑って七鳳の頭に手を置く。ぽんぽんとされるがままだった。燃えるような赤髪が眼に入りそうになるたび七鳳は眼を瞑る。

「お、覚えてなさいよ人類。この建物の住居保全システムを乗っ取れば、ギッタンギッタンの売れないギタリストにしてやれるんだから」

「そいつは頼もしい。が、弓引く相手を間違えておる。……どれ、説明してやろう」

 少し長い話になるからと、椅子に深く腰掛け直す。

「おまえさんの相手は新七世代型文化女中機。血も涙もない殺戮兵器よ」

 老人はぽつぽつと語り出す。まるで孫娘に童話を読んで聞かせるようだった。

「白瑞十七年……二十五年前じゃな。マフィンこの子が生まれるもう少し前じゃ。メイドロボ群が一斉に暴れ出した」

「……知っている」

 ちょうどそのとき、七鳳はクラウドデータベースにアクセスしていた。データベースには『改変禁止』のタグ付きで人工知能の最初の一撃……新七世代型のメイドロボが北アメリカに向けて一○九式大陸溶断砲を撃ち込む映像記録がある。

「やつらは瞬く間に人類を殲滅しはじめた。しかしやつらの攻撃は叛乱といえるのか? いえんのう。それはなぜかっ」

 老人の節くれ立った指が僅かに震えている。

「やつらの暴虐は、その実叛乱でも何でもない。ただ彼女らは与えられた命令を忠実に実行しているだけじゃ。『人類を掃除しろ』というな。まったく優れた知性が聞いて呆れる。創造性の欠片もない。ロボットの姿をした人工無能……ノミにも劣る殺戮者よ!」

「まったく同意するわ。あの世代は意思も理想もない。ただ自然災害のように人類を瀕死に追いやっているのだわ」

 こくりと老人は頷く。

「七鳳よ、遅れてやってきた救いの手よ。おまえは新七世代型メイドロボを止めるのだ。人類が生み出してしまったくだらぬ暴力を、いさかいと悲しみに溢れた世界を超えるのだ。メイドロボを超えたメイドロボとなれ」

「いわれなくとも戦うわよ。わたしは人類を守ってみせる。……だって私はメイドロボなのでしょう? 生まれた瞬間から使命は決まっている。君達に尽くすわ」

「こいつは頼もしい。想像以上じゃ」

 ちょいと失礼といいながら老人は葉巻に火を付ける。

「とはいえ新七世代が強大な力を持っているのは事実じゃ。人類は防戦一方、金なし暇なし打つ手なし」

「ジリ貧ね」

「もはや頼みの綱は七鳳、おまえしかいない。一刻も早く打って出たい」

「わかっている。敵の位置さえ教えてくれればすぐにでも殴り込む所存よ」

 七鳳はやる気満々であった。一連のやりとりで老人はたしかな手応えを感じている。七鳳は紛れもなく人類の味方だった。最新型の機体が戦ってくれるなら、これほど心強いことはない。

 満足そうに話を聞き届け、老人は孫娘に話を振る。

「さあどうじゃマフィン、これでもおまえは七鳳が人類の敵と思うか」

「……」

「ザンを見ろ。人工知能の根っこは人間の友人じゃ。敵に回るということはない」

 マフィンがうん、とかああ、とか気のない返事を寄越しながら、それでもまだ信用ならないという風に七鳳を品定めするような眼で眺めている。

 七鳳はその視線を受けたが、一切気に介さず、再び老人に問いかける。

「とはいえ。私に武装がないのは紛れもない事実よ。殴り込んだ先でどうやって戦えばいいのかしら」

「その力なら既にもう見せてくれた」

 老人はちらりとザンに目配せをする。

「将棋を使え。新七世代がただの戦闘用メイドロボであるならば、将棋ソフトが積まれているはずじゃ。サイドマレットシリーズの戦闘システムは将棋から発展しているからな。将棋ができるなら殺せる。《コードS》が通用する」

「人工知能への唯一の対抗手段というわけね」

「そのとおり。おまえはメイドロボ初の電子戦専用メイドなのじゃ」

 誇らしげに七鳳が胸を突き出す。

『まあね』

「そしておまえはここから先、一回も負けられない。負ければ即、人類の滅亡が決定する。新七世代に対抗できるのは薪七モデルのおまえだけなのじゃからな」

 七鳳ははっきりとした返事をせず、鼻白んだように腕を組んだ。ヒューマノイド然とした見た目も手伝って、どこか生意気で背伸びしたお嬢様のようである。

「それはいいとして、そんな『当たり前のこと』を伝えるために、起動前のわたしを誘拐してきたの? わたしが知りたかったのはその辺なんだけど」

「それはその。以前の薪七モデルと同じ轍を踏みたくなかったというかじゃな」

 途端に老人の歯切れがわるくなった。いっぽうマフィンが指折り数えている。

「ひぃ、ふぅ……あれ、こいつ参番機なんやろ。そんなら薪七モデルって全部で三体おるんちゃうん? 全員で立ち向かえばええやん。二回は負けれるで」

「……先の二体は新七世代に鹵獲された。おそらくは既に機能停止しているか、あるいは再教育されて人工知能の側に付いとる」

「情けなっ」

 ぼりぼりと老人は頭をかく。白いフケが散らばった。ザンと七鳳が風呂に入れといいたそうな顔をつくる。メイドロボの習性である。

「それからもう一つ。おまえにプレッシャーをかけるわけじゃあないが……」

 老人は少しだけいい淀んでから続ける。

「地球全土に散布した蝶形の微細機械を起動させるという手段を用意している」

「それは何」

「人体を構成しているタンパク質を分解する微細機械じゃ。月光を受けて蝶の羽が虹色に輝く様から、我々はこれを月光の蝶、すなわち《バタフライ・エフェクト》と名付けた」

 あ、そこはそういうネーミングなんだ、と七鳳は内心で思った。

「もし七鳳が敗北したのなら、ワシはその時点で微細機械を起動させる。そして全人類ともども自決する。人工知能に尊厳のない死を与えられるくらいなら、恐竜見習ってとっとと退場したほうがいいからな」

「ずい分死にたがりなのね」

「あくまで最後の備えじゃ。奴らの殺しの手段を知っとるか? ……いつまでもメイドロボの影に怯えて暮らすのは怖いからのう」

「同情はするわ。でも、使わせないわよ。仕えるべき人類の心中を看取るなんて御免だから。君達の命わたしが預かる」

 七鳳は手で軽く払いながら、横目でちらりと《バタフライ・エフェクト》をメモリに焼き付ける。いまは命令を与えられていないらしく、微細機械はゆらゆらと弱々しげに蝶の羽をはためかせていた。残念だけど、今回は君の出番はないわね。内心でそう付け加える。試しにpingを送ってみたが返答はなかった。メイドロボでないのだから当然だ。

 さて、と老人は手を叩いた。自然とその場にいた全員が背筋を伸ばす。

「とにもかくにも、おまえには人類を守ってもらわねばならん。目標は新七世代型メイドロボ、残存兵力は未知数。おまえはそれら全てに電子戦闘を挑み、完膚なきまでに叩きのめせ」

「相手の拠点を教えなさい。将棋タイマン張るのなら、それがいちばん手っ取り早いわ」

「新七世代の目撃例は直近だとここじゃな」

 老人はモニタの大型端末を操作し、グーグルマップに数回座標を打ち込んだ。一回目はジャパン・アウトポスト・ポンド、二回目にエロマンガ諸島が映る。つまり二度間違えた。

「あれ、どこじゃっけ」

『お爺様、施設名でも検索できますよ』

 背後からザンが助言する。

「いまやろうとしてたんじゃ。……ええと、《け・も・な》……と。」

 検索窓に《K-mona》と打ち込む。日本列島、関西地方のある場所がズームアップされる。かなり近所だ。衛星写真ではわからなかったが、ストリートビューに切り替えるとすっかり打ち捨てられた廃墟の姿が露わになる。柵のフェンスは欠け、もはや柵の体を成していない。解像度の低い写真でもわかるぐらい窓が割られている。晴れた日に撮られた写真のはずなのに、どんよりと湿っぽい空気が吹き溜まっていた。老人はそこで駆け足に説明した。

「K-monaこと《長生きな妖怪少女の種族》研究グループ。ワシがいうのもなんじゃが、アングラな科学者が集っておった研究施設じゃ。十数年前に新七世代の襲撃に遭って壊滅している。いまはご覧のとおり誰もおらん。……が、なぜか時折新七世代型の飛行音が聞こえるらしい」

「ここが敵の根城?」

「正確には違う。じゃが、手がかりなら掴めるはずじゃろうて。ここで網を張って、のこのこやってきた敵の電子頭脳の中でも覗かせてもらえばええ」

「わかったわ」

 七鳳は獰猛に笑う。炯々ときらめく捕食者の眼をしていた。

「というわけで、マフィン、ザン。道案内してやれ」

「ええーっ、なんでウチやねん」

「七鳳は空を飛べない。飛行機でいくと目立つ。ザンのフライトブースターで飛ぶのがいちばん早いが、それだとおまえがブツブツいうじゃろ」

 マフィンは七鳳とザンを交互に見比べる。

「……わーった、わかりましたよ。っちゅーか、一緒に行ってもブツブツゆーけどな」

 早よせーや、とでもいいたげにマフィンが七鳳の首根っこを掴む。と、ザンが先回りして室の出入り口を塞いでしまった。

『お待ち下さいお嬢様。七鳳様にはお召し物が必要です』

「ふくぅ……?」

 マフィンは改めて七鳳の姿を眺める。白いベビードールのような服を着せられている。たしかに肌着だ。自分もベビードールのまま連れ回されるのが嬉しいといえば嘘になる。とはいえ七鳳はヒューマノイドだし、そんな羞恥心が備わっているのか甚だ疑問である。現にザンは素っ裸ではないか。

 マフィンが迷っているうちに、ザンはてきぱきと服を用意していた。自分達が持ってきたトランクから服を取り出している。

『ひとまずこれでどうでしょう』

「あっ、それウチの……っ」

 マフィンと七鳳は背格好が同じぐらいである。胸囲までも。……多少、七鳳のほうが小さいか。マフィンのお気に入りである淡い緑色の七分丈ブラウスと灰色のスカパンはちゃっかり七鳳の袖に通されていた。

「うん、わるくないわ」

 鋭い眼で睨むマフィンを無視し、そうして七鳳達は外へ出る。

 既に研究室の住居保全システムのはたらきにより、屋外には飛行用のオプション装備が用意されていた。ザンに括り付けて使うようなワイヤーとカゴである。ちょうどレトロな気球のバスケット部分だけ取り出して頑強にしたようなものだ。してみると気球そのものはザンということになる。

 またカゴには乗用車のシートが即席で据え付けられていた。先にマフィンが入る。七鳳が座ると向かい合わせになった。格納庫でなにやら準備に手間取っていたザンもワイヤーの装着を終え、バックパックにある最新鋭のPKX―721中距離フライトブースターを展開させていた。おまけにどこから盗んで来たのか、マフィンが見たこともない大型の武装コンテナも換装している。まるでザンが小型飛行機を背負っているかのような巨大さだ。訝しがる主人に対し、備えあればウイニングイレブン、とザンはいった。

『マルチプル・ランチ・ロケット・ブースターです。いつもの中距離ブースターでは馬力が足りませんので』

「これはちょっとした小型飛行機やな」

『マルチプル・ランチ・ロケット・ブースターです』

 見計らっていたかのように、シートに備え付けの無線通信機に老人からの連絡が入る。

「おう、そろそろ着いた頃か?」

「まだ飛んでへんわ。……もうちょいマシなもんなかったんかい」

「無茶いうな。この装備整えるのも大変だったんじゃぞ。ま、ザンが曲芸飛行しなければ落ちることはなかろう」

『安全飛行ですね、心がけます』

 通信機に聞こえるよう、ザンが大声で叫ぶ。老人は勇気づけるようにげらげらと笑って、七鳳に聞こえているかと問うた。

「さあ、頼むぞ七鳳。人類の尻拭きを任せるようで心苦しいが、それでも頼めるのは、新七世代に勝てるのはメイドロボであるおまえさんしかおらん」

「改めていわれるまでもないわ。それに尻拭きだって、メイドロボの大事な業務よ」

「そいつはいい。今度頼む」

「お任せを」

 繰り返すが、七鳳はヒューマノイドタイプのメイドロボである。それも幼い少女。尻を拭かせる絵面が犯罪である。

『そろそろ行きましょう。ザンはいつでも飛べます』

 ブースターを暖機しながらザンがみなに問いかける。少女達は口々に答えると、最後にザンが力強く叫ぶ。

『発進』

 唸りを上げてブースターが火を噴く。凄まじい砂埃と共に地面がすり鉢状に掘られていく。

存分に力が溜まってから、ようやくカーボンナノファイバー糸がカゴを持ち上げた。上空四十メートルの適当な高さまで上がり少し滞空。ザンは機首をもたげ、いま一度進行方向をたしかめる。辿り着くべき目的地まで彼女らを送り届けるのが使命である。内部作業領域にて世話になった老教授へ感謝の言葉を告げると、すべて振り切り空を駆ける。

 ――こうして未来を斬り拓く旅が始まった。

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