第13話
フランは唖然と空を見上げていた。
侵入を阻もうと張った結界をものともせず、たった今天空からフォレストへ入ったのは巨大なドラゴンだ。
鮮やかなグリーンのドラゴンは、確か南の守護者のはず。
あろうことか、他のドラゴンが支配するフォレストに介入するとは・・・。
フィリップ親子はまだ出てこない。
しびれを切らし、警告のつもりで侵入者の風を送ったが気づいていないのだろうか。
フォレストの中で、一体何が起こっているのだろう?
フランの脳裏に1つの可能性がよぎった。
・・・まさか。
フィリップがドラゴンを呼んだのか?
神であるドラゴンが人の言うことを聞くとは到底思えないが。
いずれにせよブルーフォレストは今、大変危険な状態にあるといわざるを得ない。
ブルードラゴンもこれには黙っていないだろう。
既に動き出しているに違いない。
それに、親子の存在は結界で隠されていたが、さすがに今のはどうしようも無い。当然、追跡者の目にも止まったはずだ。
神の森に神が二匹・・・。
果たして好機と見て踏み込むか、恐れをなして引き下がるか。
もう少し探ってみる必要がある。
フランが風に神経を紛れ込ませた時。
結界を切り裂いて、フィリップの絶叫が響いた。
ほぼ同時に、追跡者が動く気配を見せる。
フランはイライラとフォレストを見やった。
ノーランとはまだ合流できていないのか?!早くしなければ手遅れになるぞ!
水から一気に躍り出たゲルクルは、イライザをくわえたまま侵入者たちを睥睨した。
ブルーフォレストの守護者であるゲルクルは、グリューナーより一回り身体が大きい。
その圧倒的な威圧感とほとばしる殺気に、森の木々や主人を追って岸から顔を出した人魚でさえも、凍りついたように動けなくなった。
そんな中。
ただ一人、フィリップがイライザへ駆け寄ろうとしたのに気づいたグリューナーは大きな声を上げた。
「フィリップ!だめだ!!」
温和なグリューナーには珍しい、厳しい一喝に驚いたフィリップは、はっと足を止める。
人魚が主を護ろうと、水際から精一杯腕を伸ばし、鋭く尖った槍を掲げていた。
足を止めなければ、フィリップの腿は貫かれていただろう。
グリューナーはゆっくり諭した。
「だいじょうぶ。その子ならまだ生きてる。どうか僕を信じて落ち着くんだ。いいかい?フォレストで主に会ったならまずどうするか、君はちゃんと知っているはずだよ。」
フォレストでドラゴンに会ったなら。
フォレストの神に会ったなら・・・。
フィリップはがくがく頷くと片膝を付き、ティティカカは精一杯身体を屈め、ゲルクルに敬意を表して頭を垂れた。
グリューナーもまた、首を下げて深くお辞儀をする。
その様子を黙って見ていたゲルクルは、ピシッと尾を振って人魚を制止し、水中へと下がるよう命じた。
人魚は尚もフーフー唸りフィリップを睨みつけていたが、ぱしゃんっと音を立てて身を翻し、すぐに見えなくなった。
人魚が去ったのを見届けたゲルクルは、さも面倒くさそうに、口にくわえたイライザをフィリップの前へ吐いて落としたのだった。
「イライザ!!!」
フィリップが慌てて揺すったり叩いたりして様子をみる。
首に触れ脈を診ていた彼に、ティティカカが焦れる。
「どうなんじゃ!息はあるのか!?」
「炎獣は!?ジョジョは!?炎獣は濡れると死んじゃうぞ!」
ポケットの中で、箱をカタカタ言わせながらセルフィムが叫ぶくぐもった声が聞こえる。
「大丈夫!イライザは脈がある!炎獣とジョジョも・・・いた!びしょぬれだ!気を失ってる!」
「貸せ!」
セルフィムが怒鳴った。
「フィリップ!早く僕を外に出せ!」
蓋が開くのももどかしく外へと躍り出たセルフィムは、二匹の巨大なドラゴンに一瞬怯んだものの、ゆらりと炎の身体を折り曲げ手早くお辞儀をすると翻って、
ぶわり
と一気に膨らんだ。
あたふたとフィリップが叫ぶ。
「イライザは水を吐かさなきゃ!」
ティティカカが容赦なく、ばっしばしと枝の腕で背中を叩く。
ぐっ、げぼぼっっっ。
イライザは激しく水を吐き出し始めた。
・・・えぇと、どうしたんだっけ?
イライザは朦朧とした頭で状況を整理しようとした。
とにかく、とにかく寒くて頭が痛い。
水を飲んだせいで気分も悪い。胃がムカムカする。
濡れた髪が張り付いてるのが不快だ。
あぁ、女の子なのに鼻水でてる。ジノが居なくてよかった。
ん?なんでジノよ、フランでしょ?こんな時にあの駄犬を思い出すなんて・・・。
げほげほと鼻から口から水を吐き出すうちに、次第に意識がはっきりし、イライザの中でようやく記憶が繋がった。
あぁそうだ、足を滑らせて泉に落ちたんだった・・・。
確かたくさんの人魚に襲われて、どうしても浮き上がれなくて溺れたはずなのに。
水面がどんどん遠くなって、苦しくてもうだめだと思ったとき、きらきら光る泡がとても綺麗に見えて、掴めそうな気がして手を伸ばしたんだっけ。
そんなことを思い出しながらまたひとしきり水を吐いて、やっとのことで顔を上げると、二匹のドラゴンがじっと自分を見ているのに気付いて、びっくりしてまたむせてしまった。
片方は父が呼んだグリーンフォレストのドラゴンだ。
もう片方は綺麗な蒼い身体に湖のように静かで透き通った瞳。
あぁ、おじいちゃんの瞳の色に似ている。
けど、同じ湖でも硬質的で冷たい瞳だ。
この不機嫌あらわなドラゴンは・・・。
「ゲルクルだよ。ブルーフォレストのドラゴンだ。」
振り向くと父が涙ぐんでいた。
「だいじょうぶかい?イライザ。」
胸の奥に温かい声がしみこんで、イライザは自分が助かったのだということを改めて実感した。
水に落ちたせいで冷え切っていた身体も、今ではじんわりと温かさを感じる。
急速な勢いで背中から服が乾き始めていた。セルフィムだ。
「父さん、あたし・・・。」
「まずゲルクルにお礼を言いなさい。イライザを引き上げてくれたんだよ。」
視線に気づいたゲルクルは、そっぽを向いた。
ロンロン。
グリューナーがなだめるように鳴いている。
「あの・・・。」
フィリップに支えられイライザが立ち上がると、炎獣がするすると肩へ乗った。
セルフィムのおかげですっかり身体も乾き、ふわふわの毛並みに戻っている。ジョジョもちゃんと乗っている。
「そうか!あなた達も一緒に落ちたのね。よかった無事で!」
ぺろんと舌を出したジョジョを撫でると、改めてゲルクルの前で膝を折り、イライザたちは頭を垂れた。
「ありがとうございました・・・。」
またグリューナーにつつかれたゲルクルは、面倒くさそうに、
フォン。
と短く応え、ようやく一同は一息付く。そこへ。
「おのれ侵入者ども!ゲルクル様から離れろ!私が相手だ!」
大声に振り返ると、茂みから小さな動物が飛び出ていた。
抜刀した剣を正眼に構え、素早く割って入って来る。
「ゲルクル様!お怪我はありませんか!このわたくしめが参ったからには、もうご安心ください!このような賊ども、一瞬で蹴散らして見せまするぞ!」
ゲルクルを背にキッとこちらを睨みつけ、今にも踊りかからんとする構えを見せているが、何故かゲルクルは微妙な表情だ。
しーんとした空気が数秒。
ため息まじりにゲルクルが口を開きけたとき、
「これセシル!下がっていなさい。ようやく落ちついたのに、お前が出ると話がややこしくなる。」
振り返ると、先ほどフィリップが感心していたダムの上に、ちょこんとビーバーが乗っていた。
ビーバーはゲルクルに向かって丁寧にお辞儀をすると、そのままちゃぽんと水に入り、するするこちらへ泳いできた。
「そなたはただの野ねずみではないか。その小さな身体で何ができよう。しかもそなた、女であるぞ。」
そうなのだ。
巨大なドラゴンを守らんと、剣士よろしく抜刀しているのは、襟と袖口が白い紺色のワンピースに、フリルの付いたホワイトブリムとエプロン。焦げ茶の編み上げブーツがよく似合う、なんとも可愛らしい、野ねずみの少女なのである。
イライザとティティカカは目をぱちくりさせ、まじまじと彼女を見つめていたが、やはり動物好きのフィリップは違う。
目を輝かせて、今にも触り始めそうだ。
見た目明らかな女子に、それはどうだろう・・・。
しかし他の面々が落ち着いているところを見ると、危険はなさそうだ。もう少し放っておこう。
ゲルクルだけが一人、いささか気恥ずかしそうだった。
セシルと呼ばれたねずみの少女は、白いフリルの脇から大きな耳と、ワンピースのおしりから細くて長い尻尾が生えているものの、まるで上流家庭にいる給仕のような可愛らしい格好をしていた。その小さなねずみの少女が剣を持ち、ゲルクルを護らんと息巻いているのだ。
「えぇい。引きとめ無用にございます!主のお命を護るは我ら配下の役目!女も男も関係有りませぬ!どうしても止めるとあらば、いかに日々日ごろ水いちごを採ってきていただいているステイサム殿とて、このセシルめは容赦いたしませぬぞ!」
セシルはステイサムという名のビーバーに、随分と世話になっているらしい。
「見よ賊ども!この剣は古来より伝わる妖刀である!殺気を持って抜き放った今は水気が立ち上っている。貴様らの首など一瞬で落としてくれようぞ!」
そういう本でも読んでいるのか、見た目と発言のギャップが凄まじい。
「ただの松葉じゃよ。妖刀ではない。松葉じゃよ。」
「なっ!?ステイサム殿!」
愛刀をただの松葉だとバラされてしまった。しかも二回も。
セシルは、わなわなと震え出した。
最も、彼女以外にはその刀がただの松葉に見えていたから、いまさらだったが。
威勢良く啖呵を切った手前、恥ずかしかったのだろう。
セシルはキッと顔をあげ、
「バラされてはしょうがない!」
と叫ぶや否や、
「えいっ。」
妖刀をあっさり投げ出してしまった。
松の近くに飛んでいったセシルの愛刀は、枝から落ちた松葉に紛れて、あっという間にどれだか判らなくなってしまった。
あーあー。と皆が思っていると、
「剣などなくともこうしてくれる!」
セシルはねずみらしい素早い動きでイライザに近寄るやいなや、ひょいっとジョジョを抱えて奪ってしまった。
「セシル!」
ステイサムの声も聞かず、セシルはジョジョを抱きかかえたままスタタッともといた場所へ戻ると、自慢気に言い放った。
「どうだ!お前たちの仲間は貰ったぞ!これで手も足も出まい!」
ぎゅうっと両手で抱きかかえられたジョジョは、縦向きなので小さな抱き枕みたいだ。
いきなりのことでびっくりしたのだろう。
微動だにせず固まっている。
これは・・・やばいかも。
イライザはフィリップを振り返った。
やばいな・・・。
フィリップも目で同意する。
その様子をみたセシルは嬉しそうに笑った。
「お前たち、焦っているな!」
「い、いや。そうではなくて。」
イライザは手を伸ばし一歩前へ出た。
「そろそろマズイと思うわよ。」
逆にセシルは一歩下がる。
「お前たちはあほうか!自分たちの置かれた立場が解っていないようだな。マズイのはそっちだ!」
見開いたジョジョの瞳に、うるうると涙が溜まり始めた。「あ。」
フィリップとイライザが同時に声を上げた瞬間。
「はんぎゃ~!!はんぎゃ~!!!」
一気に顔が真っ赤になったかと思うと、ジョジョは大きな声で泣き出してしまった。
「うわわわぁぁぁ!ゲルクル様ぁ!」
セシルはジョジョを投げ出し、ゲルクルの後ろへ逃げ隠れてしまった。しかし直ぐに失態に気づいて泣き顔になる。
「お許しくださいゲルクル様!セシルめはなんということを!せっかく捕まえた賊の一人を逃がしてしまいました!」
顔を真っ赤にして泣きついている。
一方、空中へ投げ出されたジョジョの方は。
「危ない!」
口々に叫ぶ中イライザの肩を蹴った炎獣が、ひらりと宙に飛び上がった。
弧を描いて飛びつくと、首元をくわえて戻ってきた炎獣は、そっと下ろして、ぺろり、ぺろりと涙に濡れた頬を舐めてやっている。ぐすぐすとしゃくりあげていたジョジョもすぐに泣き止んで、小さな両手を広げて炎獣の首筋にしっかりと抱きついた。炎獣はジョジョをあやす様に身体を優しく左右へ揺すっていたが、すっかり落ち着いたのを確認すると、またジョジョを加えて歩いて行き、柔らかい草の上へ下ろして遊び始めた。
「はてはて、これは。」
感心したステイサムが、てこてこと前に進み出る。
「ステイサム殿!危のうございます!今、このセシルめが助太刀を!」
「だまらっしゃい!」
また飛び出そうとしたセシルをステイサムが一喝した。
ばさり。羽を少し持ち上げてゲルクルもセシルを制している。
「ゲ、ゲルクル様?この者たちは賊ではないのですか?」
「この方たちは恐らく賊などではない。その炎獣が何よりの証拠だ。ゲルク様もそう思われたからこそ、そこのお方を助けられたのだ。そうでありましょう、ゲルクル様。」
フォン。
「そんな・・・。」
うなだれるセシルに、ステイサムはため息をついた。
「外より来られたお方たち。この小さき者の無礼をどうぞお許しくだされ。私はステイサムと申すビーバーです。こちらは野ねずみのセシル。ここに居られる森の偉大な守護者、ゲルクル様をよりもお慕いし、それはもう心底、愛しておるのです。」
「さぁ、お前もこちらへ来て謝りなさい。」
「はい・・・。」
ぎゅうっと白いエプロンを握り締めたセシルは、とぼとぼ前へ歩み出て頭を下げた。
「ごめんなさい。」
セシルが泣きそうになっているのを見かねたフィリップが、
「いえ。元はといえばフォレストに勝手に入り込んだ僕たちが悪いのです。私はフィリップ。こちらは娘のイライザとカメレオンのジョジョ。あと訳あって一緒にいるのが、グリーンフォレストのドラゴンであるグリューナーと南から来たティティカカに炎獣。驚かせてごめんよ、セシル。こちらのほうこそ、大事な娘を助けていただいて心から感謝しています。」
グリューナーを仰いだフィリップは微笑んだ。
「それに。フォレストの住人が主思いなのは、よく知っていますから。」
ロンロン。
グリューナーが笑っている。
フィリップたちが怒っていないと解ったセシルの顔が、ぱっと明るくなった。
「よかったなセシル。さぁ、お前も遊んでおいで。」
松ぼっくりを転がして遊んでいる炎獣とジョジョの元へ駆け寄ったセシルは、ごろんと寝転がって、
「私も仲間に入れてください!」
と言って一緒に遊び始めた。
「ステイサム殿は炎獣のことを何か知っておられるようですが。あの炎獣がいたからこそ森の主がイライザを助けてくれた。というのはどういう意味なのでしょうか?」
ステイサムは小さな目を見開いた。
「これは驚いた。何かというより、あなたたちは何も知らずにその炎獣を連れているのですか?」
「ティティカカは何か知っているのかい?」
ティティカカが右へ首をかしげた。ざわりと葉が鳴る。
「いいや。わしも来るに任せておっただけじゃからのう。」
左へ振られ、また葉が音を立てる。
「言われてみれば、緋色でないことと、そのせいで仲間はずれにされておったこと以外、やつの名前も知らんわい。」
「ステイサムさん。私とお父さんは、ついさっきこの森でティティカカやあの白い炎獣と出会ったの。私に至っては、生まれて初めて炎獣という生き物の存在を知ったぐらいだし。本当に何も知らないのよ。」
ステイサムは楽しそうに遊んでいる炎獣を見ながら、
「あの炎獣が緋色でないのには訳がある。」
と言うと厳かに付け加えた。
「白い炎獣は、ドラゴンの炎獣なのです。つまり。神獣なのですよ。」
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