第12話
父が空を見上げている。
とても興味があったけれど、邪魔をしないほうがいいと判断し、イライザは改めてノーランを観察することにした。
やっぱり。こんなに立派なかぶとむしは見たことがない。
おじいちゃんはこの背中に乗って、ずっとオリビア中を飛び回っていたんだ。この大きな角につかまって・・・。
感嘆しきりのイライザは、ふと目を止めた。
ノーランの角の陰から、白い獣がこちらを覗いている。
「ねぇ。ティティカのおなかの中。まだ何かいるわよ。なぁに?狐?ほらあそこ。あ、隠れちゃった。」
イライザはノーランに触れないよう注意しながら、そっと奥の辺りを指してみる。
「ん?なんじゃて?」
ざわざわと幹を曲げ、腹の中を覗き込んだティティカカが、声をあげた。
「おぉ、くっ付いて来とったのか!仲間外れにされて、一人ぼっちでよく腹に潜り込んで来よったのじゃが。」
何事かとやってきたフィリップが声をあげる。
「炎獣じゃないか!」
それはニワトリの卵ほどの、狐に似た白い小さな獣だった。
月白色に光る見事な毛並み。
ぴんと尖った耳とふさりとした長めの尾。
目だけが夕焼けのように紅く、大きく丸い。
急に辺りが開けて驚いたのだろう。
ノーランの影に隠れるようにして、毛を逆立てて唸っている。
イライザは首をかしげた。
「炎獣?」
「炎獣とは、その名の通り炎の守り神である獣じゃよ。そなたらの国では、火の精と呼ばれておる者たちの仲間じゃな。」
ティティカカは枝の手を伸ばして、落ち着かせようと小さな頭を撫でている。
「ほうら、おいでおいで。」
フィリップが指を伸ばすと、それまで威嚇していた炎獣が、何かに気づいたように鼻をヒクヒクさせ匂いをかぎ始めた。
「セルフィムの匂いがするだろう?僕は君たちの仲間のお友達だよ。」
同じ眷属の匂いを感じて安心したらしい。
炎獣は尾を振ると、ひょいっとフィリップの手に乗って、するすると肩まで移動してきた。
「君もノーランを護ってくれてたんだね。ありがとう。」
撫でられながら、くるくると喉を鳴らし、気持ち良さげに片目をつむっている。
ティティカカが目を丸くした。
「やれすっかり懐いたらしいな。国でもこのくらい人懐こいと、仲間とも上手くやれたんじゃが。」
「お腹空いてないかい?あっちに母さんが焼いたパンがあるから行こう!美味いぞ~。」
にこにこ話しかけながらフィリップは炎獣を肩に乗せたままピクリュックをあさり始め、ノーランの近くに腰を降ろすとティティカにもたれて胡坐をかくように座ってしまった。
炎獣がうれしそうに、手のひらからパンを貰っている。
「うちの父さんは昔からあぁなのよ。誰とでもすぐ仲良くなっちゃうの。」
イライザはため息混じりにつぶやいた。
「本当にびっくりだわ。」
「それもまた、オリビアの民ならではかも知れんな。
世界をまとめ、世界を癒し、世界を壊す力を持つ魔法の王国。
お主もまたその力を宿しておるのだろうて。
あの炎獣はな。仲間から弾き出され、中ば追われるようにしてワシの所に逃げ込んできたのじゃ。余程おびえていたのじゃろう、この腕に小さな穴があるのを見つけると、声をかける間もなく中へ入って丸うなってしもうた。しかたなくそれから出たり入ったり好きにさせておったのじゃが。」
パンを頬張る様子に目を細め、ティティカカは言った。
「わしはどうもそういうのが多いらしい。」
「どうして仲間外れに?まだこんなに小さいのに。」
「毛の色が違ったからじゃ。炎獣は本来、紅に染まる炎の色。
身から放つのは、空を焼き焦がす紅蓮の炎。その色の濃さが固体の強さを表す。このような白い毛並みは異端なのじゃ。」
ティティカカの言葉が理解できるのか、異端と言われた瞬間に炎獣は、小さな身体をさらに縮こまらせたように見えた。
うつむいた頬をくすぐってフィリップは微笑む。
「知ってるかい?炎ってのは、赤を超えると白銀色に煌いて熱をさらに上げるんだよ。お前は立派な炎獣になるぞ。そのプラチナの炎でね。」
白い小さな獣は、知らない男の言葉に驚いたようだ。
大きな瞳を更に大きくして、フィリップを見返している。
夕焼け色の瞳が揺れているように見えるのは、気のせいだろうか。
「イライザもそう思うだろう?」
「えぇ。それにあなた、とっても綺麗な毛色よ。うちのナナに負けてないわ。ふわふわで暖かそうだし。」
すっかり落ち着きを取り戻した炎獣は、くるくると嬉しそうに回ると、手を伸ばしたイライザの身体にも登ってきた。
そして肩先で顔を出していたジョジョに気付いて不思議そうに見ていたが、ジョジョはぺろんと頬を一舐めして、ついて来いというようにフードに入り込んで丸くなる。
「イライザとジョジョのことが気に入ったようだね。また一人友達が増えたじゃないか。」
その時。
強い風がざわざわと木々を揺らし頬を撫でたかと思うと、急に空気がぴんと張り詰めた。
これはイライザにもはっきりと判る。フォレストの空気が一瞬でビリビリと緊張たものに変わった。それに。
「ねぇ?何か聞こえない?なんか羽の音みたいな・・・。」
バッサバッサと羽ばたく音。
鳥か?いや、もっと大きい。
かぶとむしでもない。まるでストームのようだ。
やがてそれはだんだん大きく激しくなり、ざぅわざぅわと森を揺らし始めた。
何か近付いてくる。
イライザは今や立っているのがやっとで、フィリップにつかまって必死でふんばっている。
「着たか。」
フィリップだけがにこにこと、額に手をかざし見上げていた。
「ティティカカ、そこを空けて。あとイライザを頼む。イライザ、ティティカカにつかまっておいで。」
「何!?何がどうなっているの?まさかブルードラゴンが怒っちゃったの!?」
突風の中で凛と上空を見上げ、気配を探っていたフィリップは、確信を得て叫んだ。
「みんな!少々強引な手を使ったので、ここからは時間勝負になる。これからすぐにブルードラゴンが現れる。
で、まず間違いなく、怒ってる。
なので判りやすく言うとダッシュで逃げる!
ティティカカ、すまないがノーランと一緒に来てくれ。
イライザは合図をしたらいつでも飛べるようにしておくんだ。いいね!」
「ちょっと!いきなりすぎて意味が解らないわよ!」
「なんじゃかわくわくするのう。おう、いつでもえぇわい!」
パニックのイライザに対し、年の功か余裕のティティカカは、急いで身体を元通りに閉じた。
風圧でフードが揺れたり押さえつけられたりするので何事かと思ったのだろう、ジョジョと炎獣も揃って顔を出している。
それに気づいたティティカカが、
「おまえも中に入っておれ。風は嫌じゃろう。何ならわしの腹に戻ってもえぇぞ。」
と言うが、炎獣は慣れ親しんだティティカカの中へは戻らずにイライザの肩に飛び移って四肢を踏ん張った。
もう隠れたりするのは止めたらしい。
「何なのみんな!?適応力ありすぎなんだけど!」
イライザだけが状況について行けず叫んでいたが、
「父さんの親友の登場だ。」
その意味を理解した瞬間、イライザは空を見上げて固まった。
ぱっくりと頭上が開けた。
明るい日差しがフォレストを抜け、スポットライトのように周囲を照らす。
目を開けていられないほどの風圧と、急に差し込んだ光のまぶしさに手をやった彼らが見たものは、天空に翼を羽ばたかせる、エメラルドグリーンの巨大なドラゴンだった。
天まで届く高い木々たちが開いたさらに上空にあってなお、その姿はイライザの目にもはっきりと捉えることができた。
ドラコンが、ゆっくりと降りてくる。
威風堂々とした姿は、見るものを畏敬の念で捉えて離さない。
「おーい。おーい!」
フィリップだけが、にこにこと手を振っていた。
フォレストの最奥にある泉のほとりで身を休めていたゲルクルは、突如現れた大きな気配に、はっと身体を起こした。
見てみぬふりをしてきた侵入者と同じ辺りに、紛れも無い同属の気配を感じたからである。
まさかそんなことが?!他のドラゴンの森に入ってくるだと!?
報告を待つまでも無い。
身を翻し水の中へ飛び込むと、あっという間にゲルクルの姿は見えなくなった。
地上に降り立ったグリーンドラゴンは、しばらくのあいだ辺りを警戒するようなそぶりを見せていたが、やがておじぎをするように首を伸ばし、フィリップへと顔を近づけた。
「やぁ、グリューナー。元気だったかい?今日は無理言って呼び出してごめんよ。」
飛びついたフィリップが鼻頭をごりごり掻いてやると、
ロンロン
鈴のような鳴き声で、グリューナーは返事をした。
気にしないで。と言っているようだ。
「ありがとう。」
フィリップは頷くとまたひとしきり掻いてやり、イライザやティティカカを紹介したあと、急いで説明を始めた。
「早速なんだけどグリューナー。君に頼みがあるんだ。
このティティカカの中にノーランが入ってる。前に話したオリビアの騎士クワトロだ。僕の父がずっと探してた親友で、オリビアの王族なんだ。彼をどうしても連れて帰らなくちゃならない。ついでといっちゃなんだが、フォレストの住人ではないティティカカも連れて帰りたい。
グリューナー。ノーランとティティカカを乗せて、オリビアまで飛べるかい?」
グリューナーは、静かにフィリップの話を聞いている。
フィリップに言われ泉のふちまで後退していたイライザは、エメラルドグリーンのドラゴンに圧倒されていた。
肩にいたはずの炎獣も、今は胸ポケットから顔だけ出して、グリューナーを見つめている。ジョジョに至ってはフードから出た瞬間に、イライザ同様固まってしまった。
こんな大きな生物を見たのは初めてだろうから無理もない。
小さなジョジョには、なおさら大きく見えているはずだ。
だからその大きなドラゴンが再び首をもたげてこちらを向いたとき、ティティカカの横にいたイライザは自分の立ち位置を忘れて、とっさにもう一歩後退してしまった。
「イライザ!!!」
父の声で我に返り、しまった!と思った時には既に遅く、
ぼちゃんっ!
バランスを崩したイライザは、冷たい泉の中へ転落していた。
背中から泉へ落ちたイライザは、慌てて水を蹴って浮き上がろうとした。
すると、上へと伸ばした手を素早く払いのける影がある。
足を引っ張る気配に下を見ると、三又の槍を持った小さな人魚が、何匹も身体にまとわり付いていた。
驚いたイライザは、襲い掛かる人魚を交わそうとしたが、水を吸った衣服が身体にまとわり付いて思うように動けない。
そうする間にも、どんどん身体は沈んでいく。
やばい・・・、息が続かない・・・!
焦ったイライザが、また水を蹴って伸び上がった瞬間、
ドンッ!
一匹の人魚がわき腹めがけて体当たりし、
ごぼぼっ!
イライザは、最後の空気を吐き出してしまった。
大きなシャボン玉となった空気が、上へ上へと登っていく。
早くあそこへ行かなければ・・・。
そう思って腕を延ばした瞬間。
とうとうイライザは気を失って、どこまでも透明な泉の奥底へ沈み始めた。
「落ちたぞ!どうする、早く助けにいかんと!」
泉を覗き込んだティティカカが、予期せぬ事態にわめく傍らで、イライザを追って飛び込もうとするフィリップの首根っこを、グリューナーがくわえて行かせまいと止めていた。
「放せ!放してくれグリューナー!助けに行かなきゃ!」
「落ち着くんだフィリップ。泉の中はドラゴンの手の者で溢れている。君まで飛び込んだら思うつぼだ。」
それでもフィリップは、放せ放せとわめいて暴れた。
だがグリューナーは決して彼を放そうとせず、くわえたまま泉を見つめていたが、しばらくすると頷いた。
「泉へ落ちたあの子は、もう大丈夫だ。」
矢のようなスピードで地下水脈を泳いでいたゲルクルは、前方にゆっくりと沈んでくる人間を発見した。
どうやら泉へ落ちたらしい。既に意識もないようだ。
ふん。自業自得だ。
泉の水は、氷のように冷たい。
この水温下では人間の命など、尽きるのは時間の問題だろう。
そんなことよりも。
真上でドラゴンの気配がする。
ゲルクルがイライザに一瞥をくれ、浮上しようと更にスピードを上げた時。
ゆっくりと沈み行く少女の身体から突如、目を焼くような眩い閃光が放たれ、ゲルクルは思わず動きを止めた。
少女の心臓辺りから、プラチナの光が広がっている。
あれは何だ?!
まるで白く燃える光の矢が、どくどくと脈打っているようだ。
その光が小さな獣の形だと気づいたゲルクルは目をみはった。
バカな!炎獣か?!
どうしたことだ。沈み行く少女のポケットで、まだ子供とおぼしき炎獣が灼熱の炎を上げている。
本来であれば、炎の性質をもつ炎獣は水に弱いはずだ。
子供となれば言うまでもない。
その炎獣のあげる熱が、今や水中の温度すら上げ始めていることに気づいたゲルクルは、驚きを隠しきれなかった。
まさかこの娘を護ろうとしているのか?!
えぇい、面倒くさい!
ゲルクルは素早く近寄ってイライザの身体をくわえると、一気にスピードを上げた。
このままでは、私の泉が干上がってしまうではないか!
水面を見つめていたグリューナーは顔をあげた。
そしてティティカカを返りみると、しばらく何か考えているようだったが、口にくわえたフィリップが大人しくなったのに気付いて、そっと地面へ降ろした。
フィリップはすぐに泉の側へと走り寄ったが、もう飛び込もうとはせず、心配そうにイライザの姿を探している。
グリューナーは穏やかに話し掛けた。
「フィリップ。落ち着いて聞いて。さっき落ちていった子のことなら本当にだいじょうぶ。僕が保障する。それとも君は、僕の言うことが信じられないかい?」
「そんなことないけど!でももうだいぶ時間が経ってるし!」
フィリップは子供のようにぶんぶん首を振ったが、何がだいじょうぶなのか、実際のところ全く理解できていなかった。
「それと、クワトロが入ったその木のことは、僕も運んであげたいけれど、二人を乗せて飛ぶにはかなりの力が要る。長く飛ぶのは難しいだろうな。この狭い空間から舞い上がれたとして、森から出るくらいは出来ると思うけれど。」
目の前でイライザが泉に落ちたときはさすがに驚いた様子だったグリューナーも、今は落ち着いているようだ。
「では、ノーランだけならどうじゃろう?」
フィリップがまだうまく考えがまとまっていないのを察したティティカカが尋ねた。
「わしのことなら心配ご無用じゃて。」
しかし、グリューナーは首を振る。
「どちらにしても同じことだよ。これだけ重いものを乗せて飛ぶには、思い切り羽ばたかないといけないから。
もっと空が開かないと無理だ。
僕が近づけばさっきのように、ある程度フォレストの木々は開くだろう。けれどそれでも足りない。
ここがグリーンフォレストなら、木々たちに協力させることはわけないけれど、ここは僕の森ではないからね。無理に突き抜ければ、森を傷付けてしまう。自分だけなら身体をひねって回避することも可能だけど、背中に誰か乗せていたらそうはいかない。意識のない者なら尚更だ。突き抜けるしかなくなってしまう。そうすれば間違いなく、この森のドラゴンの怒りに触れるだろう。さすがにそれは出来ないよ。」
今すぐ泉へ飛び込みたい衝動を抑えそこまで聞いたフィリップは、やっぱりこらえきれなくなって叫んだ。
「その前に教えてくれグリューナー!イライザがだいじょうぶって本当かい?!一体どういうことなんだい?!」
グリューナーが改めて泉へ向き直った時。
ざばり ざばり
穏やかだった水面が一瞬にして大きくうねったかと思うと、轟音を上げて激しく波打ち始めた。
そして、ぱっくりと水面を割ってフィリップ達の前に現れたのは、透き通った水色の巨大なドラゴンだった。
水から躍り出たドラゴンは、すぐにギッと辺りを見回して、一同を威嚇する。
ぽたぽたと全身から水を滴らせたドラゴンの口には、意識を失ったずぶ濡れのイライザがくわえられていた。
「イライザ!!!」
フィリップの絶叫が森の中へこだました。
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