第11話

 金魚の泉を離れたフィリップとイライザは、見えない声に導かれるようにフォレストを進んでいた。

ここにも美しい泉が点在している。

どの泉も蒼く澄んだ水をたたえ、色鮮やかな魚たちが気持ち良さそうに泳いだり、水草がゆらゆらと揺れていた。

上空から差し込む光が、透明度の高さと深さを感じさせる。

中には、奈落かと思うような深そうなものもあった。

そんな泉を覗き込んでみると、遥か下方にも係わらず巨大な魚影がゆっくりと旋回していたり、水鬼の子供を頭に乗せた大きな白蛇が、体をうねらせながら回廊を進んで行くのが見て取れるのだった。地下水脈は森全体に繋がっているようだ。

黙々と歩く二人の前方には、やはり次々と小道が現れ、前へは楽に進めるが、振り返るといま来た道はない。

迷路のように現れる数本からどれを選べばよいのか。

果たしてこれがノーランへと続く道なのか。

ただ惹きつけられるように先へ先へと進んでいたイライザとフィリップには、徐々に確信が芽生え始めていた。

水の音にかき消されそうだった小さな声が、少しずつはっきり聞こえるようになっていたのだ。

この先にノーランはいる。

やがて開けた場所に出た二人は、ほぼ同時に立ち止まった。

「・・・聞こえなくなったわ。」

イライザは辺りを見回した。

そこにもまた、豊かな水が湧き出ていた。

少し光が押さえられ、広々とした奥行きのあるスペースに上流から流れ込んだ水が、広大なプールを作っている。

「やぁ、今度はダムだぞ!ほらあそこ!」

奥に目をやったフィリップが歓声をあげた。

「ビーバーのダムだ!」

泉の真ん中にどっしりと作られたダムに、イライザも唸る。

「凄い!大きいわね!」

水面に突き出た何百本もの丸太が、複雑にうずたかく組み上げられている。

「見てイライザ。川辺にある木を歯で削り倒してダムを作っているんだ。水をせき止めて土台を作り、上の部分に家を建設しているんだよ。ここからは水上部分しか見えないけど水中にも通路が作られてて、ビーバーはうちのレクターにも負けない一級建築士なんだ!うわぁ、本物初めて見たなぁ!ビーバーはいないのかなぁ?近くまで行けないかなぁ?」

背伸びをしたフィリップは、興奮しながら一心に観察していたが、ふとダムの手前に生えた一本の木に目を留めると、軽く息を呑んで凝視し、一目散に駆け出した。

「ちょっと待って父さん!どうしたのよ!」

慌てて追いつくと、フィリップは一本の木を見つめている。

「父さん、この木がどうかしたの?」

「・・・イライザはこの木を知ってるかい?」

「え?」

記憶を辿ったイライザは、やがて一つの答えに行き当たった。

「えぇ、知っているわ。ティティカの木でしょ?」

フィリップは、自分の見ている光景が間違っていなかったという風に大きく頷いた。

まだ解らない。父さんはどうしてこんなに驚いているの?

イライザは、はっとした。

「そうか!」

 確信を得たフィリップが口を開く。

「ティティカは南の植物だ。西の森に生えるはずがない。つまり、この木だけは南からやってきたんだ!」

温かい国特有の、丸い大きな葉を付けた背の高い木を、2人は並んで見上げた。

この木もまた樹齢100年はくだらないだろう。

幹を一周するには、手を広げた大人が6人は必要だろうか。

所々朽ちていたり、何故か真新しい傷がある。

残った枝に付いた肉厚の葉は、他のどの木よりも濃い緑で、太陽をいっぱい浴びた南国特有の力強さを放っていた。

フィリップは、ゆっくりと幹を撫でる。すると突然、

『ティティカの木よ。あなたは何故、こんな遠い西の森までやってきたのですか?』

声は、耳ではなく心に直接響いている。

ティティカは答えない。それでもフィリップは言葉を繋いだ。

『あなたはもしかして、我がオリビアの騎士、ノーランを知っているのですか?』

 

 エドワード!!


子供のように澄んだ透明な声が、はっきりと聞こえた。

フィリップは弾かれたように幹から手を離す。

イライザも驚いてティティカカを見上げた。

「ノーラン!?」

その時。

ティティカカの木がざわりと揺れ、しわがれた声が響いた。

『おまえは誰じゃ。エドワードか?』

「私はエドワードの息子のフィリップです。こちらは孫のイライザ。あなたはティティカですね?父は、エドワードは今でもずっとノーランを探している。私たちは風渡りの話を聞き、この森へやってきたのです。」

ざわざわざわ。

ティティカカは大きく身を震わせた。幹に顔が現れる。

「そうか・・・!ではやっとノーランは帰って来れたのだな。

 わが名はティティカ。南の森に住むただの老いぼれじゃ。

そなたの国の騎士ノーランは、流れ流れて南の森にたどり着き、ワシの足元で崩れ落ちた。

聞けば、故郷へ帰る途中なのだという。

なれど傷つき衰弱していた彼の身体は既に限界を迎えており、しばらくして力尽きたように動かなくなってしもうた。

命はいずれ尽きるもの。途絶えてもそれは自然の摂理。

普段であれば気に留めぬが、倒れてもなお、昼となく夜となくうわごとの様に祖国の事、とりわけ友の名を呼ぶ。

そんな彼を捨て置けず、あれこれと気にかけていたところ、何故か彼を追う一団に襲われるようになってしもうた。

取り急ぎこの身に匿ったものの、朽ちた身体では急場しのぎにもならなくての。

とにかく訳もわからぬまま、住んでいた森を離れ、彼の声を頼りに旅に出たのじゃ。

どうやら祖国が近づくにつれ、声は強くなるようじゃった。

しかし老いさらばえたワシには、執拗に狙う追手から逃げるのが、ことのほか難しくてのぅ。

もうだめか、いやもう少し先へ。と思っていたところにこの森が見えたものじゃから、一縷の望みをかけて身を隠したというわけじゃ。」

幹や枝に付いた傷は、その時に付いたものだと言う。

まだ新しい傷があるのを見つけると、フィリップはリュックから、種に入った軟膏を取り出してそっと塗りこんだ。

「こんなにたくさん傷をつけてまで・・・。さぞ長く辛い旅路であったことでしょう。これは胡桃の実から僕が作った、傷によく効く軟膏です。あなたには、何とお礼をいったらいいか解らない。いくら言葉を尽くしても足りません。オリビアを代表して、まず言わせて下さい。本当に、本当にありがとう。」

幹や枝には、えぐられたり擦れたりしたような無数の傷がつき、引きちぎられたような無残な枝葉もあった。

薬を塗りこみながらそれらを発見するたびに、これまでの旅路の苦労が手に取るように解り、二人は泣きそうになった。

そんな二人の気持ちを察したティティカカは笑う。

「ありがとう、心優しき人の子よ。

じゃがな、醜い傷をたくさんこしらえてしまったが、これでもワシは楽しかったのじゃよ。

二本の足と身軽で小さな身体を持ち、自由にどこへでもゆけるお前さん方には理解できんじゃろうが、ワシはこの年になるまで、生れ落ちた森を出たことすらなかった。

思えばあそこで育ったことさえ、鳥が落とした種が偶然に芽吹いただけのこと。回りの木々と同じように、じっと突っ立ったまま、その場を動こうとも思わなんだのじゃ。

それがワシらの生き方なんじゃと思って疑いもせなんだ。

そうして、たまに肩に鳥が止まったり、小さな獣たちに実をくれてやったりして、ずっと独りで生きてきた。

そんなワシが何を思ったのか、腹の中にかぶとむしを匿って生まれ育った森を出たとき、何故か新しい自分を見つけた気がしてのう。追われながらも心が躍るのを感じた。

夜には月、昼には太陽。

空を見上げ、時に雨嵐をじっとしのいでいるとき、本当は嬉しかったんじゃ。ワシは今、決して独りではないのだと。」

とっくに薬を塗り終わっていたけれど、イライザはティティカカの話を聞きながら、黙って幹を撫でていた。

なんだかじんとして、今にも涙がこぼれそうなのだ。

フィリップははらはらと涙をこぼし、ジョジョも双葉の手で切り取るように涙を拭っている。

「いやいや、一世一代の大冒険といったところじゃわい。ワシもまだまだ捨てたもんじゃなかろう?」

ティティカカは豪快に笑い、

「それにじゃ。礼を言うのはまだ早い。ここはまだそなたらの国ではないのだから。異物であるワシの存在はこの森の主にもとうに知れておる。もちろんそなたらもな。見ろ。」

ティティカカが指す水面がゆらゆらと揺らめいている。

フィリップがそっと確認すると、手に三又の槍を持った小さな人魚達が、ぐるぐると泳ぎまわっていた。

涙を拭ってイライザも覗き込む。

「なんだか可愛いわ。」

人魚たちが手にした槍は先が三又に分かれていて、矢じりが七色にきらめいている。オリビアの素材ではなさそうだ。

「むやみに手を入れるんじゃないぞ。」

フィリップは、イライザが近づき過ぎないよう注意した。

「引き込まれる。」

「悪さをする感じじゃないけど。」

フォークを持った小さな人間が泳ぎ回っているようだもの。

半信半疑なイライザを諭すように、ティティカカが同意した。

「この森に入ってからワシは、あぁして終始見張られておるのだ。そなたらとて同じこと。少しでも挑発すれば引きずり込まれ、二度と上がってはこれまい。そして騒ぎを起こせば即、ドラゴンが現れるだろう。」

ドラゴンの一言を聞いてイライザの顔色が変わる。

フィリップも頷いた。

「それだけじゃない。怖がると思って言わなかったけど、さっきから何だか嫌な感じがするんだ。」

「嫌な感じって何よ?!まさかド、ドラゴン?!あそこからゲルクルが、ざば~っと来そうとか!?ちょっと待ってよ、父さん!み、見たいけどいきなりはやだ。やっぱりやだ!」

イライザは一瞬でパニックになった。

ただでさえびっくり続きの一日なのに!

フィリップは、ひらひらと手を振ってみせる。

ティティカも、おいおいという感じで両手をあげている。

手というより枝だったけれど。

「違う違う。そうじゃなくて誰かが森の中を伺ってる気がしてさ。恐らくノーランを追ってるやつらだろう。

おかしいな。さっきまで何ともなかったのにな。今はフォレストに入るのを躊躇してるようだけど、もしかしたら踏み込んでくるかも知れない。そうなると厄介だ。ティティカもごめんよ、イライザはフォレスト初めてなんだ。こんなにたくさんの不思議に出会うのもね。」

「そうか。ではパニックついでに見せてやろうお嬢さん。ただし、大声出すなよ。触れるのもなしだ。よいな。」

にやりと笑ったティティカが、両手を広げた。

太い太い身体が、ゆっくりと左右に開き始める。

ぱっくりと割れた幹の中は空洞になっていて、一匹の巨大なかぶとむしが眠っていた。

洞窟の壁画を見たときも思ったけれど、あんなにたくさんのかぶとむしがいるオリビアで、こんな大きな身体と立派な角の持ち主をイライザは知らない。

クローゼットの様に開かれたティティカへ、幾筋もの柔らかな光が差し込んだ。巨大なかぶとむしは光を反射して煌めく。

この状況下で見とれてしまうほど、ノーランは立派で美しいかぶとむしだった。

「綺麗・・・。」

「だから触っちゃだめだって。」

思わず触れようとしたイライザを引き止めたフィリップは、ため息まじりに呟いた。

「こいつはでかいな・・・。参ったなイライザ。どうやって連れて帰ろう?」

「え?!父さん、もしかしてそこまで考えてなかったの?」

確かに想像を超えた大きさではあるが、イライザは考えなしの父の方に、驚きを隠せない。

「いや、父さんは生きてると思ってたのさ。だから帰りは子供の頃から憧れてた、あの広い背中に乗って帰ろうと・・・。」

懐を開いたまま、ティティカカは忠告する。

「ノーランは眠ったままじゃ。正直生きているか判らん。

じゃが自身の身体に言霊を宿しておる。

さっきそなたらも聞いたであろう。隠しきれず零れ出すほどの、親友への、強い強い想いじゃ。関係者がむやみに触れてはならんぞ。言霊があふれ出てしまうからの。」

「じゃぁ、どうやってオリビアに・・・。」

「う~ん・・・。」

「そうだ!おじいちゃんに頼んでここ呼び出してもらったら?後は魔法で何とかなるんじゃないの?」

「う~ん・・・。それはだめ~。」

フィリップは渋い顔でバツを作り、発表した。

「今日来るのがフォレストだってことは。なんと、言ってません~。」

「えぇぇ!?何でっっ!?」

何回目だよ、爆弾発言。

のけ反ったイライザは、ごちんとティティカカで頭を打ち、慌てて、

「ごめんなさい。」

と謝った。

フィリップは、ごほんと咳払いをして恭しく告げる。

「一つ。フォレストには絶対足を踏み入れてはならん。」

「何それ。おじいちゃんの真似?似てない。」

「カー。」

イライザがしらけ、同時にジョジョが否定し、

「じいさんだって判ったんだろ?似てる証拠じゃないか。」

即座にフィリップが抗議する。

「おいおい。おまえさん方、のんきにやっとる場合か。本当に大丈夫か?早うせんとドラゴンの手下どもに囲まれるぞ。」

ティティカカは大仰にため息を付く。

あぁでもないこうでもないと親子は知恵を絞っていたが、最終的にフィリップが、ふんっと息を吐いた。

「しょうがない。ちょっと乱暴だけど、運ぶのは父さんの親友に頼むか。」

イライザは何となく嫌な予感がした。

けれど、父が何をしようとしているのか、もしかしたら魔法使いとしての家族のすごさを目の当たりに出来るんじゃないかと思って、実はそれ以上にわくわくしていた。

本当に今日という日は、心臓がどうにかなってしまいそうだ。

父さんの親友って誰だろう?こんなに大きなかぶとむしを乗せれるくらいの、見たこともない大きさの鳥とか?

そうだ、これ以上フォレストに誰か呼んで大丈夫なのかしら。

「来てくれるかなぁ。」

フィリップはかろうじて木々が途切れる位置に移動すると、空を見上げて集中を始めた。


 その頃。

書斎の窓辺では、エドワードが同じように空を見上げていた。

昨日フィリップから聞かされた話が、まだ信じられない。

フィリップは言わなかったが、エドワードは彼の言う場所がフォレストであることを、瞬時に見抜いていた。

それでも、不謹慎と危険を承知で息子と孫娘を送り出したのは、息子の力を信じていたことと、やはりノーランに会いたい一心からだった。

風渡りがあろうことか、西のフォレストからクワトロ、すなわちノーランの気配を感じたという。

西のフォレストといえば水のドラゴン、ゲルクルが支配するブルーフォレストだ。

あの日、ダストホールを抜けたノーランがブルーフォレストへ飛ばされていたのなら、もっと早く戻ってこれたはずだし、自分や宿木が気づかなかったはずが無い。

本当はレクターに頼んで、今すぐにでもフォレストを呼び出したいところだったが、彼はじっと耐えていた。

ドラゴン相手に魔法を使うなど、出来ようはずもない。

フォレストは神の森なのだ。

息子は幼い頃からフォレストに興味を持っていたようだが、魔法使いといえど、本来は決してむやみに手を出していい場所ではない。それに、自分が動いたことがもし外に漏れれば、またこの国は狙われることになるだろう。

これ以上、オリビアに迷惑をかけることは出来ない。

もう二度と、フォレストには手を出さないと、幼いあの日誓ったではないか。

だからどうか彼を助けてくださいと、一心不乱に願ったではないか。

エドワードは、ただじっとフォレストの方を見つめ、待つことしか出来なかった。

息子と孫娘を信じて。

視線の先、今までで最も近いところに、今度こそノーランが居るかもしれない。

ただずっと。ただずっとノーランの帰りを待っていた。

落ち着かなげなエドワードの心を読み取ったのか、寝そべっていたナナが起き上がり、ふかふかの体と湿った鼻を彼の手にそっと押しつけた。

「ありがとう、ナナ。ありがとう。」

エドワードは、そっとナナを撫でて微笑んだ。

マーガレットが編んだ麻のラグに腰を下ろそうとしたエドワードを、包み込むようにナナが丸くなった。



















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