第3話

 深夜の町はずれにある貯水池は、人気ひとけもなく静まりかえっていた。いや、鈴虫や蛙の鳴く声が、控えめに響いている。暗い夜空には、欠け始めたいびつな形の月が、おぼろげに輝いている。どうやら薄曇りらしい。

 ハイフン・マスカレードは、その巨体を小さく縮こまらせて、ぼーっと貯水池を眺めていた。

「はあ……ヘレネちゃんは何で俺に見向きもしてくれないんだろう」

 足下にあった小石(直径約五〇センチ)をサイドスローで投げる。水面を跳ねれば良かったのだが、大きな水柱をたてるだけだった。近くで羽を休めていた鳥がばさばさと逃げていった。

 ハイフンは落ち込んでいた。毎朝毎晩、愛するヘレネに求愛を続けているのだが、彼女はひらりひらりとこれをかわしてしまう。小悪魔な天使、という表現が適切かもしれない。

 毎度毎度、ここぞというところで、宿敵アスタリスクが邪魔に入るのも問題かもしれない。

「そうだ。まずはあの憎き変態をなんとかせねば!」

 勢いよく立ち上がり、足を踏みならす。地響きとともに、水辺に波が立った。

 ふと、ハイフンは見た。水辺に沿って、遠くからやってくる二つの人影を。


 闇が空を支配している。月明かりも雲に遮られ、かすかな虫の鳴き声が、闇におびえるように響いている。

 雲が動き、わずかに月明かりが差し込んだ。

 遠くに大きな町がある。後方には、アルマフレア城がそびえ立っている。

 アルマフレアの城下町からほど遠いその広野で、二人はほっと息をついた。

「ううう、怖かったんだじょお。本当にグールがでるとは思わなかったじょお」

「変な口調はおやめ! あたしだって死ぬ思いだったんだからね」

 小柄な少年と、少し年上の長身の女性。

 先日、ヘレネたちと死闘を繰り広げたコロン・チルダ姉弟である。

 彼らは食い逃げや万引きなどの悪事を積み重ねた末、アルマフレアの地下牢に放り込まれた。

 しかし、どうやら脱獄してきたようである。

「脱獄までするとは、俺たちもワルだよなあ」

「当然さね。あたしたちはシュラインの町で一番の極悪人なんだからね!」

「そう!」

「俺たちこそが!」

「てなもんやの大悪人~!」

 闇夜で肩を組んで歌う二人の姿に、近づいてきていたゴブリンが後ずさって逃げていった。よほど不気味だったらしい。

「それよりも、これからどうするんだい?」

 チルダが姉に問う。コロンは濃いめの美貌を、わずかにしかめた。

「そうさねえ。思うんだけど、あたしたちの悪を貫くには、メンバーが足りないね」

「なるほど。まずは、頭脳の俺様!」

「そして、美貌のあたし!」

 弟がきらりと目を光らせると、姉がきらりと歯を光らせる。光源がどこかは謎である。

「つまり、足りないのはパワーだね」

 半端な冒険者など寄せ付けぬ腕力と、三人寄ってもモンキーの知恵だということには、彼らは気づいていない。

「そう。あたしたちに引けを取らず、なおかつあたしたちを引き立ててくれるような第三の悪が必要なのよ!」

 そのとき、かすかな風が荒野をなでた。雲が流れ、月明かりに照らされる。

 二人はいつの間にか、シュラインの町はずれまできていた。貯水池の水面に、月がゆらゆらと映し出されている。

 そこには、一人の大男がいた。立てばビア樽座ればタライな感じの縦にも横にもでかい大男。彼も気づいたらしく、こちらに目を向けている。


 アルマフレアの三悪人、結成のきっかけとなる運命の出会いであった。


         *




 ヘレネの部屋は、東側に面している。小窓ももうけてあるので、朝日を目覚まし代わりにするにはもってこいだ。

 だが、この朝ヘレネは朝寝を満喫していた。

 ベッドも布団も堅めだが、寝心地は悪くない。顔を半分埋め、万歳の格好でヘレネは熟睡中である。

 今日の家事は姉が当番で、学問所の公開教室も休校日。こんな日は月に一回か二回程度しかないので、たまにはのんびりとした朝を過ごしたっていいだろう。

 ……が。

 ふうっ──

「にょおっ!?」

 ごんっ!

 耳元になま暖かい物を感じ、反射的にベッドを転げ、壁におでこをしたたかに打ち付けてしまった。

「あ、あだだだだ……」

 頭をさすりながら、上体を起こす。寝ぼけ眼に映ったのは、治療師のカーナだった。

「あれ? あたし、いつの間に診療所へ……」

「おはよう、ヘレネちゃん」

 にっこりと、カーナが艶やかな笑みを見せている。

 なんでカーナ先生がここに? という疑問よりも先立つものがヘレネにはあった。

「カーナ先生、今し方あたしに何かしました?」

「ん? ああ、耳元に、やさし~いモーニングコールを、ね」

「な、なんつー起こし方をするんですか!」

「だって、普通の起こし方だと叩かれるって、あなたのお姉さんから聞いたから」

 姉も、歪曲して話を伝えるものである。……いや、振り払った手がたまたま姉の顔面に直撃したことがあったようななかったような気がしないでもないが。

「それで、こんな朝から何の用ですか? 定期検診じゃなかったと思いますけど」

 惰眠の邪魔をされたせいか、ヘレネは少し不機嫌だった。

 ヘレネは『変なヤツ引き寄せ体質』という難病(というのかどうかはともかくとして)のため、週に一・二度、カーナ治療院へ通院しているのだ。それにしたって、往診に来るほどのことでもないし。

「朝ったって、もう一〇時近いんだけどね。

 と、そうそう。この前の水神祭中断事件について、事情聴取に来たんだけど。役所の代理でね」

 さああっ、といきなり目が覚めてしまった。

 そういえば、あの事件の後、ロクに説明も報告もしないまま家に帰ってしまったような気がする。

「あ、あ、あの、あ、あ、あれにはいろいろ事情があって……」

 しどろもどろにうろたえながら、何とか説明を試みようとするヘレネだが、うまく言葉がまとめられない。

 考えてみれば、水神祭で使う龍の模型を木っ端みじんにしているのだ。しかも事後報告すら無しというのは、以前に起こした『商店街落雷壊滅事件』よりタチが悪いかも知れない。

 そこへ、カーナのいたずらっぽい笑みが追い打ちをかけた。

「神官たちは特にご立腹でねえ」

「あああああ、やっぱりぃぃぃ」

 頭を抱えながら、ベッドへ逃げ込むヘレネ。出来ればもう一度夢から覚めたかった。

「で。あなたに会って話がしたいという方がいるんだけど」

「……どんな方なんですか?」

 布団をちょっとだけめくって見ると、カーナは真顔だった。しかしどことなく優しげな印象があった。

「水神役だった子、覚えてる?」

 言われてすぐに、ヘレネは思い出した。龍の模型からひしゃくで水をすくい、まく姿。アルマフレアの民族衣装に身を包んだ、深緑色の髪のきれいな少女だった。

「名前は、フィルリア・アルマフレア。アルマフレア王国、第二王女よ」

 いきなり出てきたとんでもない単語に、ヘレネの思考は追従できなかった。

「は?」

 だから出てきた返事は、とても間抜けな物だった。

「彼女、あなたに興味をお持ちになられてね。是非会って、あなたと話をされたいそうよ。場合によっては水神祭の件もお許しいただけるかもね。どう? 行く?」

「行くってどこへですか?」

 頭の中が真っ白になったまま聞き返すと、カーナはさらにとんでもないことをさらりと言った。

「だから、王女に会いによ。今、彼女は大学にいるわね。まあどのみちアルマフレア城の中だけど。すぐに馬車に乗れば、午後一番には着けるわよ」


         *


「なぜなんですのなぜなんですの! わたくしは、はっきり言って納得いきませんわ!」

 後ろから響く、聞き慣れた少女の声。揺れる馬車の中で、ヘレネは頭痛にこめかみを押さえた。

 ヘレネとカーナ、それとなぜかレインもがこの馬車の中で腰掛けている。今回、のけ者にされたレイコが、自前の馬車で猛追をかけているところだ。普通の人なら膝立ちすらままならぬ揺れのはずなのに、メガホン片手に仁王立ちでわめいている。

「入城するなんて、ましてや王族に会見なさるなんて、貴族ですらなかなか出来ることではありませんのよ! それを下賤で低俗で野蛮で一般ピーポーなヘレネさんごときが会見だなんでぼぶぁあっ!」

 叫び放っている途中で舌をかんだか、レイコが口元を押さえたままもんどり打って馬車から転落していった。なんか顔面スライディングもしたみたいだ。

 そのまま追撃中の馬車も次第に離れていき、幾分静けさが取り戻された。

「ねえ、あのままで良いのかな?」

 こちらの馬車は幾分マシとはいえ、しゃべるのが一苦労なくらいの揺れはある。レインが手すりにつかまりながら、言いづらそうにそう言った。

 馬車は、アルマフレア城とシュラインの街を一日に二度往復している乗合馬車で、乗り心地は決して良いとは言えない。人が歩く程度の速度まで落とせばなんてことはなくなるのだが、街から城までは歩くと一日かかる距離がある。

「だって、今回、レイコさんは呼ばれてないわけだし。それよりも、なんでレインが一緒なのかわからないんですけど」

 ヘレネは、カーナへ話を振った。

「ええ、これも王女のご用命でね。ヘレネちゃんに相方がいるなら、呼んでこいって」

「あ、相方? あの、どういった意味合いの『相方』なんですか?」

「さあ?」

 振動の中、カーナは器用に肩をすくめてみせた。

 よくわからないので、ヘレネも深くは考えないことにした。

「そういえば、なんでカーナさんなんかが役所の使いっていうか王族と面識があるんですか?」

「あなた、微妙にあたしを馬鹿にしてるでしょう?」

 にこやかにこめかみを引きつらせ、カーナの説明が始まった。

「自分で言うのも何だけど、治療師ってのはエリートなのよ。魔導師と魔法使いの違いは知ってる?」

 首を振るヘレネに、カーナはやれやれとため息をついた。

「ある種の魔法を使うには、魔導師免許が必要なのよ。これは役所、つまり王国が発行しているわけね。いくつかあるのをひっくるめて魔導師って呼んでいるわけだけど……」

 治療師・占い師・錬金術師・死霊術師・召喚師、などなど、ひとくちに魔導師といっても、細かく分けるといろいろある。自称の者も多いが、国が認めた魔導師は皆、魔導師免許を持っている。

「さらに、治療院を開くには治療師の免許が別に必要なの。これも国家試験ね。大学に通う必要もあるから、正式な治療師は必然的に王族とも顔見知りになるのよ。言っちゃ何だけど、あたしは王家の主治医を務めた時期もあるのよ」

 胸をふんぞり返すカーナに、ほええ、とヘレネも驚くしかなかった。

「けど、王女様が何であたしに用事があるんでしょう?」

 水神祭の一件なら、役所越しの説明でもいいはずだ。いろいろ忙しいはずの身分の彼女が、一般市民のヘレネにどういう用事があるのだろう?

「ほら、ヘレネの変人吸引体質……」

「妙な言い回しはやめてちょうだい!」

 とりあえずレインを小突いてから、ヘレネは自分の体質のことを思い出した。

「って、まさか王女様が変な人? まさか!」

「確かに、まさか、ね。フィルリア様は、至ってしっかりしたお方よ。これはあたしの憶測だけど……」

 耳打ちするように、カーナは言った。

「ヘレネちゃんを王宮魔導師にスカウトしたいんじゃないかしら?」

 山火事を一瞬で鎮火させるほどの実力者なら、王族の目に止まっても不思議はない。とのカーナの説明に、ヘレネの思考回路は停止していた。

 もしそうならとんでもない勘違いだが、ならどういうことかと聞かれたら答えに窮する。ヘレネ自身、なぜ水神が助けてくれたのかがわからないのだから。

 ──と。

 どおおおおぉぉぉっ!

「んのおっ!?」

 馬車を貫く爆音に、ヘレネだけでなくレインもカーナも突っ伏した。

「ヘーレーネーさあぁんっ! このわたくしを出し抜くなんて、そんな人道に背いた異常事態が許されるとでも思って!?」

「そこまで言う!?」

 あまりの言いぐさに、ヘレネも絶句するしかなかった。

 いつの間にかレイコが復活し、追撃を再開していたようだ。

 どおおおおぉぉぉっ!

「うわあっ!」

 再び響く轟音に、車体がびりびり振動した。

 窓から顔を出してみると、黒装束の大男が人間離れしたスピードでこちらに近づいてきていた。

 身体もでかいが、飛ぶ鳥すら落ちて来かねないほどに声がでかい。今し方の轟音も、彼の発声に間違いない。あれは、レイコのお抱え忍者、アルツだ。

「アルツ! ヘレネさんのみ捕縛!」

「承知!」

 あっという間に追いつき、アルツは馬車の横へぴたりとついた。

「ど、どうするつもり!?」

「これを!」

 爆声に耳を押さえながら見ると、服を一枚差し出していた。

「タカマガハラ家指定のメイド服! これに着替えてもらった後に、我が一族秘伝の亀甲縛りを!」

「わけわからんわあああ!」

 ごぎゃめり! 窓越しの後ろ蹴りがアルツの顔面にめり込み、彼はもんどり打って転がり落ちていった。

「へ、ヘレネちゃん、なかなかやるわね」

 くゎんくゎんと頭に響く残響音を堪えながら、カーナが感心してうめいた。

 しかし、アルツもやはり『変なヤツ』だったか。ヘレネは今日も頭が痛い。


         *


 アルマフレアの大学図書館は、世界最大規模といわれている。蔵書数は一〇〇万を遙かに超えるそうで、なるほど本棚の果てがかすんで見える。

「ほんっとにすごいねえ。これだけあるなら、一冊くらいこっそり持っていったって、誰にも気づかれやしないね」

 今日は閉館日である。ひっそりと静まりかえったその図書館で、コロンはほくそ笑んだ。後ろには弟のチルダ、前方には先頃仲間に加わった巨漢のハイフンがいる。

「姉ちゃん姉ちゃん、これなんかどうだ?」

 チルダが、少しほこりをかぶった分厚い書物を一冊持ってきた。

「もっと高そうなヤツを選ぶんだよ! 表紙がもっとごてごてした感じの……そうさね、これなんか良い感じだね」

 コロンが引っ張り出した書物は、赤い表紙に何か幾何学的な模様が刻まれている。金箔で描かれていて、いかにも豪華そうだ。

「背表紙のラベルをきれいに剥がしておくんだよ。古本屋に売るとき、ばれちまうからね」

「しっかし、図書館の本を盗んで古本屋に回すなんて、ワルいこと考えるなあ。さすが姉ちゃんだぜ!」

「当然さね。脱獄したあたしたちがまた城に忍び込んでいたなんて、敵の裏をかく巧妙な作戦! その上、図書館から書物を盗んでやるという仕返し付き! あたしたちを敵に回すと痛い目に遭うということを思い知らせてやるのさ!」

「そう!」

「俺たちこそが!」

「てなもんやの三悪人~!」

 三人が不揃いな肩を並べて合唱する。警備に見つかることはなかったが……代わりに別の声が響いてきた。


 ──へえ、目が高いね。それは、アルマフレア三大禁呪の一つだよ。


「誰だい!?」

 切迫して辺りを見回すが、誰もいなかった。


 ──魔王コスミックが執筆した原本オリジナルは、持ち主に大いなる力を与える。もしもこれだったら、金銭には換えられないほどの物だ。


「す、すげえ!」

 チルダが目を丸くして、姉が手にした本を眺めている。しかし声は、まだ続いていた。


 ──けど、原本は、時空ねじれを利用して厳重に封印されていると聞く。城塞裂壊弾キャッスル・マッシャーの原本を失って以来、管理・保管が徹底されたそうだ。時空ねじれで保管されているなら、竜族や神族でも盗掘は困難だね。


 妙に説明的な、そして一方的な話し方だ。声は若く、女性のようだ。


 ──つまり、それはまず写本レプリカだろうね。それでも、十分な実力者なら魔法を発動できるし、値打ちも金貨一〇〇〇枚はくだらないだろうね。


 話が難しくて理解できなかったハイフンだが、金貨一〇〇〇枚という部分だけは聞き逃さなかった。

「すんばらしい! それだけあれば、ヘレネちゃんにいろいろプレゼントできるぞ!」

 姿は見えないが、ハイフンの一言に声の主は反応したようだ。


 ──あんたたち、あのヘレネとかいう小娘を知っているのかい?


 声の正体は気になるが、コロンは苦々しく応答した。

「前に一度、してやられたことがあるのよ。まったくあの爆裂どっかん娘はむかつくね」

 声はしばらく押し黙った。


 ──力が欲しくないかい? その小娘をねじ伏せるだけの力を。あたいと契約を交わせば、力を与えるよ。


「うおお、すげえぜ。なんか悪魔との契約みたいだ!」

「誰が悪魔さね! 火神ターナ様をつかまえて!」

 チルダの叫びに過敏に反応し、やおら女性が現れた。

 鬼火がいくつか、彼女を取り巻いている。黒髪は肩ほどで切りそろえられていて、真紅の瞳が力強く輝いている。

 見た目は、二十歳前後だろうか。赤を基調とした、アルマフレアの民族衣装。ほっそりとした顔立ちとスタイルだが、むしろ勇猛果敢そうな印象を受ける。

「火神ターナ? 火神……過信……家臣……ターナ……棚……」

「そこ! 無理矢理ダジャレを考えない!」

「いや、そうは言っても」

 ぱたぱたと手を振る三悪人。

「いきなり神様とか言われたって……」

「ねえ?」

「あたいに振るな」

 腕を組み、ターナはきれいな顔をゆがめた。

「ともかく、もう一度聞くよ。力が欲しくないかい? 小娘にリベンジするためにさ。場合によっちゃあ、与えてやるよ?」

「ふっ! 見くびるんじゃないよ!」

 コロンが息巻いて胸をふんぞり返した。

「欲しい物はね、貰うんじゃなくて奪うもんなんだよ。あたしたちは乞食じゃなくて、悪人なんだからね!」

「よっ! 姉ちゃん格好良いぞ!」

「あっはっは。当然さね!」

 バックでひゅーひゅーはやし立てる子分たちに、コロンがますます調子に乗っている。

「ええい、やるって言ってるんだから、素直に受け取りな!」

 しびれを切らしたターナが強引にコロンに組み付いた。

「な、なにするのさ!?」

水神ニーナに不覚をとっちまってね。今、あたいが力を使うには依代が必要なのさ。あたいは身体を得てあんたは力を得る。悪い条件じゃないだろう?」

「姉ちゃん!」

「姉御!」

 チルダ・ハイフンの悲鳴をかき消し、ターナの身体が燃え上がる。その炎は一瞬、不死鳥フェニックスの姿を形取っていた。


         *


「ここがアルマフレア城……」

 ヘレネは口をあんぐり開けて眺めていた。

 跳ね橋を渡り城壁を越えると、そこは一つの街としても成立するほど広く、様々なものがあった。

 本城はやや奥まったところに位置し、その周囲にはいくつか塔が立ち並んでいる。王族や一部の関係者が住んでいるらしい居住区があり、店もいくつか並んでいる。池に噴水、芝生や緑、鳥や動物もいる。

 父や母はここを何度も出入りしていたが、ヘレネは今回が初めてだった。物珍しそうに、あたりを見渡している。

「あそこに塔が二つ見えるでしょう? 左側が大学、右側が図書館よ」カーナが指を指して説明した。

 双子のようにそっくりな二つの塔。その中頃の高さに、渡り廊下もある。

 図書館と聞いて、ヘレネは思いついた。

「もしかして、あたしの体質を治せる本とかあるんじゃないですか?」

「……そうね。ここの図書館は一〇〇万冊を超えると聞くし、神族が記した書もあるかもしれないわね」

 今にも図書館へ駆け出しそうなヘレネを、カーナは制した。

「けど、一〇〇万冊も調べる気なの? それに、今はあの方々がご用よ」

 手をさしのべた先に視線を送り、ヘレネはようやく気づいた。三つの人影が、ヘレネたちのすぐそばまで近づいてきていた。

「お久しぶりです、王子様、王女様」

「お久しぶりです、カーナ先生」

 カーナが丁重に頭を下げると、二人の王女が微笑で答える。

「は、は、は、は……」

「歯が四つ?」

「違う!」

 レインを叩き、ヘレネはうわずって頭を下げた。

「初めまして! 私、ヘレネ・アクアマリンです! 今日はわた私のような者をお呼びいただたき、まことに存じがたがたがたがたく……」

「ヘレネ、言葉が異常」

「せめて変と言ってちょうだい!」

 さらに幼なじみをひっぱたくと、二人の王女はくすくす笑っていた。カーナもにやにやしている。

「改まることないですよ、ヘレネさん。水神祭以来ですね。私がアルマフレア王国第二王女、フィルリア・アルマフレアです。こちらが私の姉で……」

「第一王女、ティアラ・アルマフレアです。よろしく、ヘレネさん」

 にこりと会釈をする王女は、どちらも相当にきれいな人だった。

 姉妹だそうだが、年齢差はほとんど感じられない。どちらもヘレネとあまり変わらない年頃だろう。

 姉のティアラは薄紅色のロングヘアを髪飾りでまとめ、おっとりとした印象がある。

 妹のフィルリアは深緑色の長い髪を二つに束ね、姉よりははっきりとした物腰だ。

 どちらもブラウンをベースに配色されたロングスカートとマントを羽織っている。学生としての衣装だろうか?

 と、そういえば王子様もいたはず……。

「兄様! 物陰に隠れてちらちら様子見をしたりしてないで、こちらに来てください!」

 フィルリアが王女らしからぬ厳しい口調で呼び立てた。

「いやそんな、恥ずかしいじゃないか。四人もの美女に囲まれたら、僕はアガってしまう」

「まあ。妹にまで美女だなんて。お兄様ったらお上手ですこと」

「姉様は黙ってて。とにかく兄様……」

 ころころと笑うティアラを制し、兄を呼ぼうとするフィルリアだが──

「そうなんだ。僕はいつだってこうなんだ。そりゃあ僕だってもっと気さくな感じで『やあお嬢さん。僕がアルマフレア王子、ティエン・アルマフレアだよ。今日は遠いところからわざわざ来ていただいてすまないね。どうだい? 良ければこれから僕が城内を案内してあげるよ』とかイケてる王子を演じたいんだ。けど駄目なんだ。僕は人付き合いが苦手なんだ。なんて駄目なヤツなんだ。こんなすてきな女性方を目の前に、こんなところでうじうじとしていることしかできないなんて……」

「い・い・か・ら・こ・ち・ら・へ・来・て・く・だ・さ・い!」

「ああっ、そんなに強く耳を引っ張られたら、僕はキリンになってしまう!」

「ウサギでしょうそれは!」

 なんか妙な兄妹に、ヘレネは呆然とするしかなかった。

 改まって見てみると、ティエン王子の顔立ちはなかなかのものだ。ただ、半端に伸ばした髪が印象をかなり悪くしている。妹たちと同じ感じの学生服だが、少々くたびれている。根暗なハンサム、といった感じだ。

「と、とにかく、こちらが私の兄、つまりアルマフレア王子の……」

「ティエン・アルマフレアです。よろしく、きれいなお嬢さん」

「あら、お兄様ったら」

「挨拶する相手が違う!」

 ティアラの手を握るティエンに向かってほえ立てる──フィルリアではなくヘレネだった。三兄妹の視線が一斉にヘレネへ向く。

「あ、す、すみません。つい……」

 ティエンとフィルリアは、深い視線を投げかけていた。なにか、感動にも似たような表情だ。

「ヘレネさん、これを。……兄様」

「うむ!」

 フィルリアはヘレネにある物を手渡した。なんかいきなりシャキンとしたティエンが、ヘレネに近づいてくる。

「ヘレネさんには夢はありますか?」

「え? は、はい。魔法使いを目指してますけど……」

「素晴らしい夢ですね。それに比べたら僕のなんか……」

「そんなことありませんよ。どんな夢なんですか?」

「ええ。この前はトイレに行ってもいっこうにすっきりしない夢を」

「そっちの夢かあ!?」

「しかも朝目が覚めたらシーツにアルマフレア地図がぐっしょりと」

「その年でおねしょ!?」

「もうこうなったら次は世界地図を目指すしかないかなと」

「目指すなンなもんをーーーっ!」

 すぱあーーんっ! ヘレネは手にしたハリセンで王子をひっぱたいた。

「はっ!? ご、ごめんなさい! つい反射的に……」

「素晴らしい!」

 瞬時に立ち直った王子が、ヘレネの手を力強く握ってきた。

「その見事なツッコミ! あなたこそ僕が求めていた人だ!」

「はい?」

「僕は常々思っていたんです。王子に必要な物が何かを。民に愛される王子になるために、そう! 民に笑顔を与えるために! マジメなだけではいけない。ユーモアあふれる王になるために、僕は日夜努力を続けているのです!」

「そう。それで私が無理矢理ツッコミ役に……」

 ハンカチを目尻に当て、フィルリアが安心したようにつぶやいた。

「いや、どっちかというとフィルリア様のは地だったような……」

「よかったわねフィルリア。肩の荷が下りて」

「はい。私もヘレネさんを見て直感したんです。このツッコミこそが兄様にふさわしいと」

 聞いてないし。

「カーナ先生!」

 ふと思い出したヘレネはカーナに食ってかかった。

「なにかしら?」

「王宮魔導師とかいう話は!?」

「あー、まー、あれはあくまでも憶測だし」

 カーナはそっぽ向いて鼻の頭をぽりぽりかいている。

「とにかく、あたしはツッコミ役なんてごめんです!」

「何を言うんだヘレネさん! 僕と一緒に夫婦めおと漫才を目指しましょう!」

「つまりこの場合、お兄様は遠回しにプロポーズしているわけですね」

「遠回しっていうか、モロですけど」

 ティアラ・フィルリアの補足に、ぎしりとヘレネは硬直した。

 王子様の婚約者? つまり、プリンセス?

「れ、レイン……」

 予想外の出来事に、ヘレネはレインに助けを求めるが、彼は『僕に振られても困る』とばかりに肩をすくめて見せた。

「ヘレネが決めることだよ」

「あ、あたしは……」

 ヘレネは困惑してうつむいてしまう。

 考えてみれば、彼がヘレネに惹かれるのは、変なヤツ引き寄せ体質のせいではないか。つまりこれは王子様の勘違いなわけだから、うまく説得しなければ。いやしかし、王子に面と向かって『あなたは変な人です』などと言えるわけがないし。

 いろいろ考えあぐね──

 どおんっ!

 突如の爆音はそのときに響いた。

 爆発したのは双子の塔の、図書館側だった。そこから人影が現れ、渡り廊下の上へ仁王立ちをした。

「へえ、そこにいたのかい。探す手間が省けるってもんだ。また会ったね、ヘレネ・アクアマリン」

 見覚えのある女性が中央に立ち、ぞんざいに言い放つ。両脇を陣取る二人の男にも見覚えがあった。

「あなたは! ……誰だっけ?」

「あんたがボケてどーする!?」

 とっさに思い出せないヘレネに、女性はびしいっと指を突きつけた。

「むう、彼女のツッコミも捨てがたい」

「あらお兄様、早速浮気ですか?」

 後ろで漫才を始める兄妹は無視。

「少なくとも、あたいもこの身体も、あんたには世話になってんのよ。お礼をさせてもらうよ!」

 あたいもこの身体も? 妙な言い回しである。

「もしかしてあの人、なにかに取り憑かれてるんじゃ?」

「悪霊みたいな言い回しはやめてもらいたいね!」

 久しぶりに的確なレインの憶測だが、きっぱりと否定された。

「あたいはね……」

「光あるところには影がある!」

「繁栄極めるアルマフレアに警鐘を鳴らすため!」

「刺激を求める人々に答えるため!」

「今! 三つの悪が立ち上がる!」

「そう!」

「俺たちこそが!」

「てなもんやの三悪人~!」

「させるんじゃないよっ!」

 意味不明なキャッチフレーズを吐ききってから、リーダー格の女性は両脇の部下をしこたま殴りつけた。

 ああ! ぽんと手を打ち、ヘレネは思い出した。あれはこの前やっつけた賞金首だ。

「ヘレネちゃん! パワーアップした俺の愛を受け取ってくれ!」

 そしてあの巨大な男は、ヘレネの追っかけ、ハイフンだ。なんで奴らと一緒にいるのか聞く前に、彼は渡り廊下からダイビングをかました。

「ヘレネちゃん好っきじゃあああぁぁぁ!」

 ひゅうう……ずどぉーんっ!

 ヘレネは二歩後ずさってかわし、ハイフンは地面にめり込んで沈黙した。

 むぎゅ。そのハイフンの頭に、女性(コロンという名前だったか?)が身軽に降りてきて踏みつけた。弟のチルダも、続いて降りてきた。

「ふん」

 コロンはヘレネを睨め付け、不快そうに鼻を鳴らす。先日とは違う迫力に、ヘレネは後ずさった。

雷神ヴィーナ水神ニーナも、なんでこんな小娘になびくんだか理解できないね」

「……?」

「虫ずが走るよ。良い子ちゃんぶったにおいがぷんぷんする」

「し、失礼ね!」

 ヘレネがなにか言い返そうとするが、

「その通り。乙女に失礼な言葉は、私が許さん」

 ざんっ! 二人の間を縫うように、一本のダーツが地面に突き刺さった。視線が一斉に発射元へと注がれる。

「乙女の危機に現れる。少女の悲鳴が我を呼ぶ。愛と正義の使者、アスタリスク。ここに──見参」

 図書館の塔のてっぺんに、今日はクールにアスタリスクが登場した。ダーツを指に挟み、気取ったポーズを決めている。

「ていっ」

「ぬお!?」

 コロンは足下のダーツを抜いて投げ返し、おでこに命中したアスタリスクは塔から転がり落ちてきて地面にめり込み、沈黙した。

「あなた、この前の自称悪人さんとは違うんじゃないか?」

 レインの言葉に彼女は、ほお、と嘆息した。

「そっちのあなたも、変だとは思わないのかい?」レインはチルダへ話を振る。

「ふっ! 何を言うかと思えば!」

 チルダは胸をふんぞり返して言った。

「その通り! 姉ちゃんは火神ターナとかいうヤツに取り憑かれている! しかし! 悪ならば、より強い悪に従うのは自然の摂理ではないか! だから俺は先ほどのは見なかったことにしたのだ!」

「よーするに強い者に従うしか能のない小悪党ってことね」

 聞こえないように、ヘレネはうめいた。

「ともかくだね。雷神ヴィーナ水神ニーナをそそのかすあんたを、放っておくわけにはいかないんでね」

 コロン、いや火神ターナが構えを取った。水を打ったように、緊迫が走る。

 そしてそれに答えるように、王宮兵士たちがなだれ込んできた。

「あいつらが賊だ! とっつかまえろ!」

「脱獄したかと思ったら、また侵入していたのか! 不届き者めが!」

「ふん! あたいが出るまでもないね!」

 ターナは愉快げに鼻を鳴らした。そして後ろへ腕を振る。

「やっておしまい!」

「あらほらさっさ!」

 チルダと、いつの間にか蘇生したハイフンが親分の合図に応答した。

 かくして、戦争さながらの大乱闘になってしまったのだ。ハイフンとチルダが幾人もの兵士を相手取り、ターナは双子の塔の渡り廊下まで舞い戻って高みの見物を決め込んでいる。ヘレネの周囲を、幾多もの人と叫び声が行き交う。レインも参戦しているようだ。

 ヘレネはというと、おろおろと右往左往することしかできなかった。王族の三兄妹は、いつの間にか兵士に囲まれ、安全圏まで下がっていた。

「とうとう悪の道へ足を踏み込んでしまったか。貴様は終生のライバルかと思っていたが、残念だ」

 これまたいつの間にか復活したアスタリスクが、ハイフンと対峙している。

「笑止! 俺はヘレネちゃんのためならなんだってするんだ! お前にはその覚悟があるのか!」

「ぬう、あっぱれな覚悟だ! だが悪の道に染まった者など、乙女は喜ばぬぞ!」

 アスタリスクとハイフンが手四つで組み合いながら、激しく言い争っている。

「ヘレネちゃん、待ってておくれ! この本をお金に換えれば、何でも君の望む物を買ってあげられ……」

 ハイフンが突き出して見せた赤い本。その前を黒い影が横切ったかと思うと、手にした本は消え失せていた。

 混戦模様だった総員が、一瞬沈黙した。

「あんたは!」ターナが、塔の上から叫んだ。

 城内広場に突如として現れた黒い影。まさに黒い影だった。

 艶やかな漆黒の毛並み、黒豹のようなラインだが、馬並みの巨体だ。

「ウオオオォォーーーン!」

 そして、鳴き声はオオカミが近かった。遠吠えを一つ、首を振って、くわえていた魔導書をヘレネに投げ渡した。

 怒りに満ちたターナが舞い降りてきた。ぎろりと黒豹をにらむ。

雷神ヴィーナ水神ニーナに続いて地神あんたまでこの娘の肩を持つつもりかい? こんな小娘にいったい何があるっていうのさ!」

 ヘレネを守るように、黒豹はターナに立ちはだかる。

 その猫科の目、金色こんじきの瞳がヘレネに向いた。何かを言いたそうな目をしていた。

「まさか、その魔導書を使わせる気かい?」

 ヘレネも感じたその意図を、ターナが代弁した。

 怒りに声を震わせながらも、ターナは微笑を見せた。ただし、冷笑に近い微笑だ。

「残念だね。その魔導書は写本レプリカだよ。その魔法を使うにはそれ相応の実力が必要さね。そしてあたいは知ってるよ。その小娘はまだまともに魔法を成功させたことがない!」

 黒い獣の目が、もう一度ヘレネをとらえた。その呪文を唱えろと言っている。

「それとも今度はあんたが召喚に応じるつもりかい? つくづくあんたは人間かぶれだね。邪魔はさせないよ!」

 ターナの指先に、炎がともる。腕を振るたび、その炎はどんどんのびていく。気合いの息吹とともにそれは意志を持ったかのように黒の獣に巻き付き、がんじがらめに縛り上げてしまった。

「ヘレネ、だったね」

 ターナの視線がヘレネをとらえた。熱き冷笑。そんな矛盾した表現がよく似合う。ヘレネは恐怖ですくみ上がっていた。周りの兵士たち、チルダやハイフン、アスタリスクも息をのんで二人を見守っていた。

「さあ呪文を唱えるがいい。けど、今度は『間違って召喚』なんてふざけた真似は出来ないよ。他の五神精ごしんしょうはあたいがにらみをきかせたからね。また失敗するところをさんざんあざけり笑ってやる」

 気になる言葉がいくつかあったが、ヘレネには聞き返すだけの気力が出ない。先ほどまでのふざけた感じが消え失せ、圧倒的な威圧感に押しつぶされそうだった。

「さあ唱えろ、出来損ないの魔法使いが!」

 身をすくめ、たまらずヘレネは魔導書を広げた。こうなったら言われたとおりにするしかない。

 魔導書に目をおろし──とたんに音が、世界が消え失せた。いや、そう感じた。

 目の前に、魔導書に記された文字のみが光って見える。ヘレネは吸い込まれるように、その文章を読み上げた。


「……?」

 ぞくりとした悪寒が、ターナの、いやコロンの肌を泡立てた。

 一流の魔導師でもなかなか出来ない美しい旋律。あまりにも見事な呪文詠唱だ。

 嫌な予感を否定するように、ターナは声を荒らげた。

「な、なかなか上手いじゃないのさ。けどねえ、それだけじゃあ駄目だね。見せてあげるよ、本当の魔法を!」

 神族が呪文を唱える必要はないのだが、ひけらかすようにターナは呪文を唱えた。

魔龍焔噴嵐バーニング・ストーム!」

 先日、ヘレネが失敗させた火炎魔法。そのせいで、火神ターナが半端に召喚される羽目になってしまったのだ。見せつけるようにその完成版を、ターナは放った。ヘレネはまだ呪文詠唱中だ。周囲の兵士たちから悲鳴が上がった。

 ぱあんっ!

「な!?」

 ターナは我が目を疑った。ヘレネに命中する寸前で、金属音を立てて火炎弾は霧散してしまったのだ。

「まさか、あんた本当に……」

 ターナは思い出した。アルマフレア三大禁呪はその詠唱中、半端な魔法などはじき返してしまうほどの魔力障壁が発生することを。

 取り憑かれたように、ヘレネは呪文を唱える。ハンドステッキを構え、呪文の最後の一句に合わせ、地面へ向けて突きおろした。

大地爆裂陣アース・ブレイク!」

 ヘレネを中心に、蜂の巣状に亀裂が広がる。亀裂は、灼熱の赤だった。地下から押し上げられるように地面が盛り上がり、

 ごばあああぁぁ!

 赤く熱せられた土砂が、大きく巻き上がった。

「ちいいっ!」

 たまらず、ターナはコロンから抜け出した。炎で形作られた巨大な鳥──不死鳥フェニックスが大空へ舞い上がった。

 土砂が再び降り積もり、埃も風に流されて静けさが取り戻される。ヘレネはクレーターの中央に呆然と立ちつくしていた。

「クヮーーーーーッ!」

 不死鳥フェニックス──火神ターナの、悔しそうな甲高い鳴き声。ばさりと翼を振り、火の粉をまき散らしながら彼方へ飛び去っていった。


 そしてヘレネは我へ返った。気持ちの良い運動をした後のような爽快感。身体が少し火照っていて、肌をなでる風が心地よい。

「あ、あたし……初めて魔法に成功した!」

 ヘレネはこぶしを握り、歓喜に叫んだ。

「結果はいつもと同じなんですけど……」

 焼けた地面にうつぶせに、ボロ雑巾のようになったアスタリスクがうめいていた。

「あ、大変!」

 改めてヘレネはとんでもないことをしでかしたことに気づいた。地面が大きくうがたれ、兵士達も三悪人もアスタリスクもまとめてノックダウンし、双子の塔も大きく傾いでいた。

 この前の商店街壊滅事件が子供のいたずらのように思えてくるほどの大惨事だ。

 と、ヘレネの前に、黒の獣がいた。猫科のラインだが、馬のように大きな黒い身体。火神ターナはあれを地神と言っていた。

 地神は、じっとヘレネを見つめている。優しげな、どこかで見たような瞳。

「ウオオオォォーーーン!」

 オオカミのような遠吠えに、地面が、そして空気が震えた。

 ごそり、と塔が揺れ動き、まっすぐに戻っていく。うがたれた地面は完全には戻らないが、以前の芝生が取り戻されていく。

 長い長い遠吠えが収まると、景観はほとんど修復されていた。気を失った人たちも、一人、また一人と目を覚ましていく。

 ほっとしてヘレネは周りを見回し──視線を戻すと地神はもういなかった。

「やれやれ。地神さんには感謝しなきゃね」

「にょおっ!?」

 いきなりわいて出てきたレインに、思わずヘレネは飛びすざった。そういえばレインも魔法に巻き込まれていたはずだ。それが、今回もぴんぴんしている。

「だからなんであんただけなんともないのよ!?」

「ほら、あの黒い獣。彼女が『ヘレネの間合いの内側にいれば安全だ』って言ってたんだ。いや、そう言っていたような気がする、かな?」

「……って、あの獣、女なの?」

「そんな気がしただけだけど」

 レインは肩をすくめてみせた。

「しっかし、なんであんたはいつも涼しい顔して難を逃れられるのかしらねえ」

「ほら、ヘレネが暴走するのはいつものことだし。何となく対処法が見えてくるっていうか」

「あたしは暴走しない! 暴走するのはあたしの魔法!」

「まあ、些細な違いだし、こだわったって」

「こだわってちょうだい! あたしのためにも!」

「ぬうううう、僕の負けだ」

「は?」

 いつの間にか、ティエン王子が二人の問答に割って入ってきた。二人の王女も、困惑気味に事の行く末を見守っている。

 ぎりぎりと悔しそうに歯がみしながら、ティエンはレインをにらみ、そしてがっくりと肩を落とす。しばらくして顔を持ち上げたときは、吹っ切れたかのようにすがすがしい笑顔になっていた。

「どっちがボケでどっちがツッコミかわからないほどの絶妙なやりとり。君がヘレネさんの相方か」

「相方って?」

「あたしに聞かないでちょうだい!」

 きょとんとして聞いてくるので、ヘレネはつっけんどんに突き返した。これがまたボケとツッコミにでも見えたのか、ティエンが破顔する。

「名前を聞かせてくれないか?」

「はい。レイン・フラッドです」

 王子が手をさしのべるとレインも差し出し、二人は握手を交わした。

「うむ。僕もまだまだ修行が足りないようだ。技に磨きをかけ、必ずやヘレネさんにふさわしいボケ役になってみせよう! そのときはレイン君、僕と勝負してくれるかい?」

「いいですよ」

「うむ。イエスなのかノーなのかどっちにでもとれるその微妙な言い回しがまた良し! それではそのときまで、さらばだ!」

 あくまでもさわやかに、ティエンは駆け出す。なんか夕日に向かっていきそうな勢いだった。

「お兄様! その先は池です!」

 どっぽーん! 視界の果てで、水柱の立つのが見えた。

 結局、根暗なのかボケてるのかさわやかなのかよくわからない、王子ティエンであった。

 ぱたぱたと追いかけるティアラに続こうとし、フィルリアはヘレネに向き直った。

「と、とにかく。ヘレネさん、改めてあなたにいろいろ興味がわきました。また城にお越しくださいね? そのときは、歓迎しますよ」

 最後にヘレネと握手し、王家三兄妹はあわただしくも去っていった。

 ヘレネは何となく、レインに聞いた。

「で、イエスかノーか、どっちだったの?」

「どっちでもいいですよって意味だったんだけど」

「そのまんまかい!?」

 ヘレネは気づいたことがある。

 レインは『変』なのではなく『天然』なのだ。


         *


 さて、それでヘレネ達がシュラインの街へ帰ったかというと──

「あああああ、片づけても片づけても終わらない!」

「仕方ないよ。自業自得なんだし」

「あたしだけのせいじゃなああぁい!」

 ──まだ城内にいたりする。

 地神のおかげで破壊された物は元に戻ったのだが、落ちた本やひっくり返った棚まで元に戻ったわけではない。

 図書館にてヘレネとレインは、いつ終わるか果てしない後かたづけに追われていた。ぶつくさ文句を続けるヘレネに対し、レインはいつものように涼しい顔で作業をこなしている。

 ちなみに、三悪人は再び地下牢へ放り込まれたそうだ。なぜかアスタリスクも一緒に。

「まあ、あの格好じゃねえ」ヘレネは苦笑する。

「ほらほら。無駄口叩いてないでびしびし片づける!」

 カウンターに腰掛け足を組み、カーナがせき立てる。

「カーナ先生も手伝ってくれたって良いじゃないですか~!」

「あら、あたしは何も悪いことはしていないもの」

「……そういえばあの騒ぎの中、カーナ先生はどこへ行ってたんですか?」

「ん? そりゃあ、王子様王女様に安全圏まで退避頂いたり、怪我した兵士の治療に追われたりしてたのよ」

 なんとなく言い訳がましく聞こえたのは気のせいだろうか? ヘレネの疑わしげな視線にカーナは顔をそらし……ハッとして叫んだ。

「ヘレネちゃん、上!」

「ふえ?」

 ばさばさごしゃあっ!

「ぶもおっ!?」

 ヘレネは落ちてきた無数の本の下敷きになった。片づけ方がいい加減だから、バランスが崩れたらしい。分厚い本の角が脳天を直撃し、一瞬お花畑が見えたりなんかする。

「あたたたた……」

「ヘレネ!」

「大丈夫だった?」

 レインとカーナが心配そうに寄ってきた。

 が、ヘレネはそれに答えなかった。


 偶然に開かれた一冊の本。ヘレネはその本を食い入るように見つめていた。

 魔導書だった。その本には『サルでもできる錬金術』とかいうタイトルが書かれている。

 偶然開かれたページには『万能薬エリクサーの作り方』と記されていた。

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