第2話

 熱い日差しが照りつけている。雲ひとつ無い青空の下、ヘレネは洗濯物を干していた。

「これでよし、と」

 ぱんっ、とシーツを一枚はたき、ヘレネは満足そうに息をついた。

 夏の青空にも負けない空色のセミロングは、陽光を照り返しているようだった。

 ヘレネ・アクアマリン、一四歳。魔法使い志願の少女だが、今は家事の真っ最中である。

「やあヘレネ。今、暇かい?」

 住宅街では少々場違いな戦士姿で、幼なじみのレインが訪ねてきた。

 柔らかそうな栗色の髪の少年で、ヘレネと同い年だが、どことなく細面で戦士っぽさには欠ける。しかし道場では一番の実力者なんだそうな。

「見ての通り、一区切りついたところよ」

 洗濯物を入れてあったカゴをちらりと見、ヘレネは答えた。

 ヘレネは今は室内着に少々くたびれたエプロンをまとった姿である。

 ──と、レインは洗濯物のひとつに手を伸ばし、顔を近づけてにおいをかいでいた。

「かぐな!」

 げしっ。ヘレネは幼なじみをこづいた。しかしレインは大して堪えてもいなさそうに頭をさするだけだった。

「服にもヘレネのフェロモンがこびりついてるんじゃない?」

「ちゃんと洗ったわよ」

 腰に手を当て、ぶっきらぼうに答える。今日はちょっぴり奮発して洗剤を多めに使ったのだ。

 魅了チャームの魔法に失敗したヘレネは、『変なヤツにのみもてる』という愉快、もとい難儀な体質に悩まされているのである。

「あ、ヘレネ。あれ……」

 指さしたレインのその先を見やり──

 うげげっ、と女の子にしてはちょいと品のないうめき声を上げ、ヘレネはあわてて洗濯物の陰に隠れた。

 縦にも横にもでかく、腹もでかい大男。ちょっと見では、ビア樽が歩いているようにも見える。ヘレネの体質に引っかかった変人の一人、ハイフンである。

 な、なんでこんなところにハイフンが? しゃがみ込んだまま、地面に語りかけるかのようにヘレネは呟く。この家の場所は知らないはずなのに。

「くんくんくん。ヘレネちゃんのにおいがするぞ」

 たぶん悪気の無いはずの彼の台詞は、ヘレネの頭の中で反響しまくった。

「がーんっ。やっぱりにおうんだ」

 慌てて口を押さえる。幸いハイフンの耳には届かなかったようだ。

「いや、においといってもちょっと意味が違うんじゃないかな」

 レインには聞こえていたか、フォロー気味に彼は言った。

 ハイフンは洗濯物をしげしげと眺め、やおら驚愕に目を見開いた。

「こ・こ・これは、ま・ま・まさか、ヘレネちゃんのパ・パ・パン……」

 ピンク色で三角形の可愛らしいデザインの布地を取り、ハイフンがうろたえまくっている。放っておけば、かぶるかお持ち帰りするかに違いない。

 こ、この変態男……と業を煮やすヘレネに気づいているのかいないのか、レインがのんびりとした口調でそれに答える。

「ああ、それははす向かいのリンダおばあさんの下着だよ。寝たきりだから一緒に洗ってあげてるんだ。ちなみにリンダおばあさんはもうすぐ九〇歳になるそうだけど」

「うおおおぉぉぉーーーんっ! 現実なんて嫌いだあああぁぁぁーーーっ!」

 ハイフンは泣いて逃げていった。地響きで洗濯物が小刻みに揺れている。その揺れも次第に収まり、ヘレネはくたびれて立ち上がった。

「やれやれ、何しにきたんだか」

「レインさまあああぁぁぁ!」

「ぐぼぶえっ!?」

 ほっとしたところで、いきなりみぞおちにとんでもない衝撃。ヘレネは転げ回り、激しい嘔吐感をこらえて何とか今の暴漢を記憶に納めようと起きあがる。

 カールがかった薄紫色のロングヘア。上品そうながらも嫌みったらしい顔つき。一般市民に見せつけんがばかりの裾の広いワンピースドレス。

 ヘレネの天敵、レイコ・タカマガハラである。今日はフリルのついた日よけ傘まで持参している。

「あ、あんたはいきなりなにを……」

 ヘレネのうめき声は、ボランティア募金の呼びかけがごとく無視された。

 レイコは息を弾ませ、ほんのり頬を赤く染めて言った。

「レイン様のにおいがしましたの」

「僕もにおうの?」

「知らなかったの?」

 ヘレネに振ってきたので、半眼で答えてやる。とたん、レイコがまくし立ててきた。

「レイン様になんて失礼なことを! レイン様の高貴なオーラは、一キロ離れていてもわたくしには見えるんですのよ。おほほほほ」

 この女にはレイン探知機が内蔵されているのかもしれない、とか考えてみる。

 レイコはレインにぞっこんなのだ。おかげで幼なじみというだけで、ヘレネは大迷惑である。この女とはいつか決着をつけなければなるまい。

「実はレイン様のかよっている道場で聞いてまいりましたの」

「まるでストーカーね」

「何かおっしゃいました?」

「いいええ、なんにもお」

 がらがら声で肩をすくめて見せても、レイコにはまるで通じない。

 両手を胸の前で握り、レイコは瞳を輝かせて背後の家屋を見つめて言った。

「まあ、あれがレイン様のお屋敷ですのね。質素な中にもエレガントな感じがにじみ出ていますわ」

「あれ、あたしのうちだけど」

 レイコの声は軽く一オクターブは下がった。

「まあ、なんて下品な小屋なんでしょう」

 こ、このアマ……。殺意を抱いてみたりするヘレネであった。

「ところで今夜、水神祭があるんですけれど、ご一緒しませんか?」

 ころころと話題を変える女である。レイコはレインをじっと見つめ、デートの誘いを切り出したようだ。

「そうそう。僕もそれでヘレネを誘いにきたんだけど」

「へ? あたし?」

 いきなりこちらに振られ、ヘレネは少々とまどった。

「レイン様が浮気、うわき、ウワキ……」

 一人でビブラートを加えながらよろめきふらつくレイコ。

「ああ、良かったらレイコさんも一緒にどう?」

「ご一緒させていただきますわ!」

 コンマ一秒で立ち直るレイコ。忙しい女である。見ている分には楽しいかもしれないが。

 しかしこの男、意外とプレイボーイかもしれない。と考えてみたりもするが、レインのことだからやはりいつも通りに何も考えていないのだろう。

「ま、いっか」

 ヘレネはあまり深くは考えないことにした。頭をかきながら家屋へ入る。洗濯かごを戻すついでに台所の姉に声をかけた。

「お姉ちゃーん、今夜、お祭りに出かけてもいいかな?」

「あー? 祭りい?」

 奥から、黒髪の女性が顔を出した。

 ささくれた雰囲気を持つ黒髪の女性。紙巻きタバコをくわえて、面倒くさそうな表情がノーマル状態。もう少し身だしなみに気を遣えば美人に化けるに違いないのだが、気を遣わない。彼女が、ヘレネの姉である。

「あら。ヘレネさんのお姉さまでいらっしゃいますの?」

 無遠慮に、レイコが姉をまじまじと眺めた。

「……あまり似てませんわね。髪も黒いですし。っていうか、ヘレネさんが似てないのかしら?」

 失礼なことを平気で言う女である。ヘレネは憮然とそっぽを向いた。

 髪の色が豊かなアルマフレアの民だが、黒髪の家系は代々黒髪であることが多い。

 ヘレネは四人兄弟の末娘。他三人は皆黒髪だが、ヘレネだけ空色だったりする。

 もしかして禁句だったのかしら? とさすがのレイコも二の句が継げないようだ。

 そこへレインがのんびりした調子で口を開いた。

「ほら、劣性遺伝って四分の一の確率だし」

「あんたはあたしが何か劣ってるとでも言いたいわけぇぇぇ!?」

「いや、そういうわけでは」

 首を絞められがくがく振り回されながらも、レインの調子はいつも通りだった。

「とにかく! あたしはれっきとしたここの子供なんですからね! 戸籍だってちゃんとあります!」

「相変わらずね、あんたたち」

 ハスキーな声で、姉が言った。眠たそうな目が、少しばかり愉快げだ。

「ヘレネはよく橋の下で拾われたなんてからかわれたからねえ」

「ああ、僕も玄関の前に捨てられてたなんて言われたことがあったっけ」

「あらあら、奇遇ですわね。わたくしも孤児院からもらってきただの、親戚中たらい回しにされたあげく、うちに落ち着いただのと言われたことがありましてよ」

 なんだかどこの家も似たようなもののようである。内心ほっとするヘレネだった。


 外出許可も取り、さて、夕方。

 ヘレネ・レイン・レイコの三人は町はずれの教会へ向かっていた。

 シュラインの町の教会は大きく、町の一角を占める。その中には教会本館や礼拝堂の他にも、格下の神官が住む修道院、療養所や学問所もある。

 ヘレネはそこの公開教室で魔法を習った。公衆浴場もちょくちょく利用している。

 しかし、町の中央部に位置する繁華街や住宅街からは隔たりがあり、教会へ行くには途中にある大きな森を抜ける必要がある。

 一本道だし三〇分も歩けば抜けられるのだが、夜にはゴブリンやコボルトといったモンスターが出るという噂もある。

 念のため、ヘレネはいつもの魔法使いルックで出かけることにした。レインも道場で愛用している皮の胸当てを着込み、剣を腰にぶら下げている。ちゃらちゃらしたドレス姿はレイコだけだ。

「ほほほほほ。レイン様が守ってくださるから、わたくしは何も心配する必要がなくってよ。ヘレネさんはせいぜいレイン様の足を引っ張らないようお気をつけあそばせ」

 彼女の傲慢な台詞は聞こえないことにした。

 見渡してみると、日暮れまでにはまだ時間があるが、森の中というだけあって既に薄暗くなってきている。じっとしていると、森のざわめく音が不気味に思えてくる。

「ところで、水神祭ってどんなお祭りなのかしら?」

「あらあらヘレネさん、そんなことも知らなくて?」

 レイコが自慢たらたらに説明を始めた。

 アルマフレア王国には梅雨と呼ばれる雨期があるが、作物が大きく育つ真夏の時期は、干ばつにみまわれる年が多い。

 そして、ニーナという水を司る女神がいる。水神祭とは、年に一度、その水神ニーナに雨乞いをする儀式なのだ。

 とはいえ、多くの出店が並び、飲食や宴に盛り上がるといういわゆる『お祭り』には違いないが。

「教会内で選ばれた女性神官が水神に扮して、聖水を振りまきながら教会街を練り歩きますのよ。誰が選ばれたのかは、儀式が始まるまでわかりませんのよ。今年はどなたが演じるのか楽しみですわね」

「聖水かあ……」

 レイコの説明を、ヘレネは反芻する。

 聖水とは、神官によって清められた水のこと。

 現在ヘレネは、こまめに水浴びをすることによって『変なヤツ引き寄せ体質』を緩和させている。聖水ならさらなる効果を期待できるだろうか?

 ──と。

 がさりっ、という草木のこすれる音で、ヘレネは思考を中断した。ハッとなって辺りを見回す。

「何かいるみたいだね」

 普段はぼけてても、こういうときは剣士志願なだけはある。レインが珍しくまじめな形相で周囲の気配を探っている。

 木々の陰から数体、ヘレネ達を取り囲むように現れた。四つんばいのものと屈むような姿勢ながら二本足で立っているものとあるが、全てが犬の頭を持っている。あれは、コボルトというモンスターだ。

「大丈夫。コボルトくらいならなんとかなるよ」

「けど、なんだか様子が変ですわね?」

 レイコの言うとおり、コボルト達はすぐには襲ってきそうもない。ハッハハッハ言いながらしっぽを振っている。

「もしかして、発情しているんじゃ?」

 げげげ。ぽつりとしたレインの台詞に、ヘレネは思わず数歩後ずさった。ヘレネの体質は、人間以外にも有効なのだろうか?

「レイン、全力をもって倒しちゃって! あたしも、呪文、呪文……」

 魔導書を引っ張り出そうとするが、焦っているのか引っかかってなかなか取り出せない。

「にー!」

 そこへ突如、別の動物がヘレネ達の間へ割って入ってきた。また発情動物? とびびるヘレネだが、すぐに違うことに気づいた。

 大きさは、中型犬くらいある。しかし身体のラインは猫が近い。大きな猫のようにも見えるが、耳がウサギのように長い。くりくりとした大きな瞳、真っ白でふさふさの体毛はこまめに手入れされているようで、野生の動物やモンスターとはとても思えない。

「にー!」

 猫(?)は、もう一度鳴いた。いや、吠えたのだろうか? 発情コボルトは、明らかにたじろいだ。すぐに、口惜しそうに逃げていった。

 静けさが取り戻されて、しばし。ヘレネのついた息が合図となったか、白い獣がヘレネの方を向いた。

「にー」

 今度は甘えるような声で、ヘレネの脚にすり寄ってくる。めっちゃラブリーである。

「うわー、可愛い」

 思わず抱き上げてしまう。結構大きいので、前足を持ち上げるだけだが。

 表情がわかるはずもないが、白い獣は微笑んでいるようにも見えた。

 お礼を言って頭をなでると、獣は気持ちよさそうに目を細めた。

 レインがかがみ込んで獣をのぞき込み、感心したように言った。

「やっぱりヘレネって動物にももてるんだ」

「……微妙に含みのある言い回しね」

 まあ確かに発情コボルトは、『変なヤツにもてる』の範疇に入るのかもしれないが。

「何の話ですの?」

 レイコはヘレネの体質については知らなかった。もちろんそれをうち明ければ、大笑いされるに違いない。

「そうそう、魔法の勉強しなきゃ」

 ごまかすように、魔導書を取り出し、適当に開いた。いぶかしげなレイコにかまわず、魔導書を読み上げる。先を急がなくちゃと、呪文を唱えながら歩き出した。

 歌うような呪文詠唱。あんちょこがあれば、ヘレネは上手に呪文を唱えることができる。

 その呪文に、別の歌声が混じった。

「ある日、ある日、森の中、森の中。アスさんに、アスさんに、出会った、出会った」

 ヘレネはアスタリスクに出会った。

「出会うなあああぁぁぁ! 魔龍焔噴嵐バーニング・ストーム!」

 ハンドステッキを突き出して、とりあえず唱えていた火炎の魔法を放つ。一瞬赤い光が放たれるが、しかしその後はぷすぷすくすぶるだけだった。

 ヘレネはまだまともに魔法に成功したことがないのだ。思わず木の幹に手をついて、落ち込んでみたりする。

「おぉ~、乙女よ、泣くのならこのアスタリスクの胸で泣くがいい~!」まだ歌ってる。

 ヘレネの頭の中に、『戦う』『魔法』『ツッコミ』『逃げる』といった選択肢が浮かんだ。ヘレネが選んだのは、当然『逃げる』だ。『ツッコミ』も捨てがたかったが。

「乙女よ、なぜ逃げるのだ!」

 長身マッチョ、ブーツとマントとマスク。自称正義の使者だが、どう見ても悪役のコスチューム。アスタリスクのその正体は、ヘレネの追っかけその二こと変態さんである。

 見たら石を投げるか指さして笑うか、ダッシュで逃げるのが妥当な選択肢だろう。

 森の景色が流れる中、レインが併走しているのが見えた。

「すたこらさっさっさのさ~」

「歌うな!」

 この男、やはり微妙に変だ。

「レイン様の素晴らしい歌声になんてぞんざいな!」

 レイコもすぐ後ろをぴったりついてきていた。ひらひらドレスをものともしない。

「いや、この歌って、妙に耳に残らない?」

「まあ、それは否定しないけど」

 妙なインパクトのある歌は、嫌でもリフレインする物ではある。

 息が上がるまで走り続け、たまらず足を止める。ばくばく言う心臓を押さえ、ヘレネはしゃがみ込んだ。息を整えて振り返ると、三人以外の気配はもう無かった。

「なんとかまけたみたいだね」

「万事オーライですわ」

「レイコさんまで一緒に逃げることはなかったんじゃない?」

「何をおっしゃるのヘレネさん! わたくし、レイン様にどこまでもついていくと心に固く誓っていましてよ!」

「いや、まあ、なんだかもうどうでもいいんですけど」

 なんだかたくさんの物をあきらめるような感じで、ヘレネはため息をついた。

 見ると、森の出口はすぐそこだった。その先には、街の明かりも見える。

「行こう」

 今度はレインが先頭を歩き出した。レイコが寄り添うように横へつき、ヘレネが間へ割るように入る。二人の少女はぎゃーぎゃー言い合いながら、少年は無関心にのほほんと、うっそうとした夕刻の森を後にした。


 さて。

 森の出口を象徴するかのように、大きな樹が二本並んでいる。二本の樹の間には、手をつなぐようにそれぞれから枝が伸びている。

 その枝に腰掛ける女性の姿があった。

「相変わらず面白い子ね、ヘレネちゃんって」

「にー」

 女性の隣には、純白の獣がちょこんと座っている。

 遠ざかっていくヘレネ達を眺めている女性。きらめく薄紫色の髪、場違いだが彼女にはよく似合う清潔そうな白衣。治療師カーナである。

 そのカーナの隣には、先ほどの猫ともウサギともつかない動物がちょこんと座っている。カーナはこの動物の言っていることを正確に理解していた。

「そう、あなたも気に入ったの。雷神ヴィーナもずいぶんと追いかけ回していたし、やっぱり私たちって似た者同士なのかしらねえ」

 カーナの外見は二〇代後半だが、その屈託のない笑みは、うら若い少女を思わせた。

 彼女はふと、真顔に戻った。ここから視覚では見えないが、森の中央部に焦点を合わせる。

 ヘレネが放った、失敗火炎魔法。そこは焦げ付いたにおいを放ちながら、いまだくすぶり続けていた。

「けど、火神ターナを怒らせちゃったみたいね。大丈夫かしら?」


         *


 祭りは予想通り、盛況だった。

 あちこちに篝火がもうけられ、空は既に真っ暗だが、教会街は昼間のように明るくにぎやかだ。

 ヘレネは露店でフライドチキンを買った。ガーリックがきいてなかなか美味だ。ただ、こういう催しの時は妙に値段が高いのは何とかならないものだろうか。

 レインはダーツゲームでパーフェクトをたたき出し、そばではレイコがくるくる回りながら身もだえていた。

「かのように恐ろしい、魔導師オヅマ率いるモンスター軍が、アルマフレアを襲ってきたのです」

 と、一本調子な声が後ろから聞こえてきた。

 見ると、ござの上にあぐらをかいて、リュートを弾きながら語らいでいる男がいた。旅に耐える丈夫さながらファッション性にも気を配った衣装。吟遊詩人だろう。彼は単調な歌声で、七年前の伝説を語っている。

「禁呪、城塞烈壊弾キャッスル・マッシャーを城から奪ったオヅマは、ここぞとばかりに攻め込んできたのであります。城は無惨にもうち砕かれ、城下町は血と炎で塗りたくられ、真っ赤な海となりはてました。しかしそこへ現れたるは、アルマフレアが誇る四大英雄!」

 吟遊詩人の語りに熱がこもってきている。

 その語りの通り、アルマフレア城は七年前に一度、崩壊した。その戦争によって、ヘレネは両親を失っている。現在は、二人の兄の稼ぎによって生計が成り立っている。

 父は左官、母は仕立て職人で、よく城へ出入りしていた。よりによって両親とも城へ出向いているときに戦争が始まらなくたっていいだろうにと、今もなおやりきれない気持ちになる。

 南の夜空が赤く染まり、周りの人たちが右往左往しているのを不安げに見つめていたことを、幼心に覚えている。

「剣豪カール、神官ワイオニー、魔導師クーマ、そして英雄ケイン! 彼らの活躍に喚起し、人々は立ち上がりました。人々はモンスター軍に立ち向かい、英雄達は王族を救い、そしてケインは果敢にも単身オヅマとの対決へ!」

 その結果がどうなったかは聞くまでもない。今の平和な生活がその答えとなっているのだから。

 立ち去ろうと振り返ると、レイコとレインも吟遊詩人の語らいを聞いていた。レイコがうっとりと聞き惚れている。

「ああ、お父様……素晴らしいご活躍でしたのね……」

「そういえばレイコさんのお父さんは剣豪カールなんだよね」

 レインが言うと、レイコは嬉しそうにこくこく頷いた。

「カール様のご活躍を聞いて、僕も剣士を目指すことにしたんだ」

「レイン様ならきっと立派な剣士になれますわ! ああ、父と夫と、英雄を二人も持つわたくしは、なんて果報者なんでしょう……」

 今にも失神しそうなほどにウットリと妄想にふけっているレイコを、ヘレネはなるたけ見ないことにした。どうやったらあんな偉大な剣士からこんな変態娘ができるのだろう?

 と、語らいがやんだ。周囲のざわめきもほとんど消える。代わりに、ぱしゃ、ぱしゃ、と水の跳ねる音が規則正しく聞こえてくる。

 大通りの中央を、一人の少女が歩いている。

 ゆったりとしたアルマフレアの民族衣装。外国から様々なファッションが流行として取り入れられているので、最近はもっぱら正式な場でしか着られなくなってしまったが。

 ヘレネと同じくらいの年頃だろうか? 深緑色の長い髪を二つに束ねた、綺麗な少女である。

 彼女の両脇には、十数人の神官が取り巻いている。長い長い龍(の模型)を担ぎ上げ、くねらせ、踊らせている。少女はその龍の口元から柄杓で水をすくい、それをまく。綺麗な水しぶきとなり、一瞬虹を見せながら、地面をしめらせる。

 どうやらこれが聖水の儀式らしい。アルマフレアの民族衣装は、かつては神族が着ていたというから、水をまいている彼女が、水神役なのだろう。

 ヘレネは、その少女に見とれていた。

「綺麗な人ねえ……」

 無知もここまで来たかと言わんばかりに、レイコがあきれて言った。

「ヘレネさん、あの方をご存じないの? あの方は……」

「ヘレネちゃんも十分綺麗だぞお!」

 レイコの説明は、だみ声によって止められた。

 人混みをかき分けるように現れる巨大な影。いわずもがな、ハイフンである。

 逃亡を決意した瞬間には、ハイフンは息を切らしてヘレネの前で立ち止まっていた。

 周囲の、奇異の視線が痛い。

「そんなヘレネちゃんにこれを!」

「え?あたしに?」

 バラのリボンが添えられた包みを受け取った。

 苦手なハイフンといえど、プレゼントされれば悪い気はしない。逃げるのは後回しにし、がさがさと包みを開けてみる。

 すけすけのネグリジェだった。

 それを見て、腐ったトマトのように顔を赤くしてハイフンがもじもじと言った。

「それを着て毎晩俺のところへ!」

「行くわきゃないでしょおがあああぁぁぁ!」

 どがこおおぉんっ!

 二メートル近くにあるハイフンの顔面を、ヘレネは見事なハイキックで蹴り飛ばした。

 もんどり打ってひっくり返るハイフンを容赦なく踏みつけコンボ。ヘレネの運動神経は並だが、こういう瞬間だけは一流戦士並になったりするのだ。

「あああああ、もっともっとぉ~!」倒錯的なハイフンの悲鳴。

 かかと落としに切り替え、さらに踏みつけてやる。

 もちろん言われたからそうしているのではなく、この手の輩は息の根が止まるまで踏み続けるべきだと、ヘレネの本能がそうさせているのだ。

 ぷしゅううう、と火を消したばかりのたき火のように、ハイフンから煙が立ち上っている。ヘレネはぜいぜいと、複雑そうに息を切らせている。周囲の人たちはもちろん、レイコもレインも儀式中の神官や水神役の少女も、ぼう然とその光景を眺めていた。

 ちゃらら~。ちゃらりら~。

 沈黙を、笛の音が打ち破った。ヘレネは額をたたいて自分の運命を呪った。

 ハイフンに続いて現れた変態さんは、正義の使者、アスタリスクである。横笛を小器用に吹いている。

 周囲の人たちのひそひそ声が耳に痛い。

「乙女の危機に現れる! 少女の悲鳴が我を呼ぶ! 乙女よ、私が来たからにはもう安心だ!」

「いや、もうそれほどピンチじゃないんですけど」

 ぱたぱた手を振りながらお引き取り願うが、アスタリスクは傲然と胸をふんぞり返した。

「ふっ。乙女よ、あなたは私を見くびっているようだ」

「?」

「言ったであろう。乙女の危機に現れると。逆説的に、私が現れることが乙女あなたのピンチ!」

「確信犯かあああぁぁぁ!?」

 これまでの最大ボリュームで、ヘレネは叫んだ。

「もちろん冗談であるぞ、乙女よ」

「まるっきり見事に完璧なまでに冗談になってないんですけど」

 ヘレネはもう、くたびれてきた。

「それはともかく。乙女を辱めし痴れ者め! 正義の鉄槌を受けるが良い!」

「変態に言われとうないわ!」

 アスタリスクが宣言すると、ハイフンはこれまでのダメージを全て否定して元気よく起きあがった。

 火花を散らしてにらみ合う変態二人。

「ふっ。雌雄を決するときが来たようだな」

「どっちもオスでしょうが。まったく」ヘレネのツッコミには容赦がない。

 一触即発の雰囲気の中、誰かが息をのむ音が聞こえた。ヘレネ自身の物だったのかもしれない。

 ──と。

 最初に聞こえたのは、野次馬の一人の声だった。向こうの空を見て見ろ、と。ざわめきが起こり、ヘレネもその方角を見た。

 東の空が、赤く光っている。もちろん、夜明けが近いわけではない。まだ日が暮れて間もない。あの揺れるような赤い光は──

「まさか、火事?」

 ヘレネ達がここへ来る途中に通った、森の方角だ。その森が焼けているようだった。

「ヘレネさんの魔法が、また暴走?」

 レイコが呟いた瞬間、ヘレネは弾けたように駆けだした。

「ヘレネ! 一人で行ったってどうしようもないよ」

 レインにたしなめられ、足を止める。

 あの火事の原因が自分にあるのなら、だからといって黙って見ているわけにもいかない。けど、どうすれば良い?

 消防隊の出動を待っている余裕はない。そもそも、あの森が焼けるとなると消すのも大事だ。

 ヘレネの目に、水神祭の龍が映った。儀式の際、打ち水に使われる龍。その中には聖水が入っているはずだ。

 聖水。神官によって清められた聖なる水。あの水ならもしかしたら……と、ヘレネは水神役の少女に駆け寄った。

「お願い、その聖水を貸してください!」

 返事を聞かずに、ハイフン・アスタリスクへまくし立てる。

「そこの二人! 龍を持ってあたしについてきて!」

「よっしゃああぁ!」

「了解したぞ、乙女よ!」

 ヘレネはその小柄な身体を精一杯の速度で走らせる。それでも森の入り口まで、五分以上かかった。

「ヘレネ!」

「ヘレネさん、なんてむちゃくちゃなことを!」

 レインとレイコもついてきていた。

 森の中へ入り、轟々と燃えさかる木々を見上げる。パチパチとはぜる音は、木々の発する悲鳴のように聞こえた。

「ハイフンさん、アスタリスクさん、その龍を思いっきり振り回して!」

「ラジャー!」

 二人の大男は見事な連携で張りぼての龍をぶん回した。木々に当たり、めきめきと音を立てて壊れる代わりに、中の聖水が噴出した。

 ごうっ!

 しかし、勢いが弱まるばかりかかえって火の勢いが増してしまう。

「半端な水は、かえって火の勢いを強めてしまうんだよ!」

 落ちてくる火の粉を振り払いながら、レインが叫んだ。いきなり万事休すだ。

 どうする? もう消防隊に期待するしかないのだろうか? ヘレネは必死に考える。

 自分のせいでこんな事態になって……。ヘレネはひどく悔やんだ。この紅蓮の景色からは、両親を失ったあの夜を思い出す。もうあんな思いはしたくない。

「そうだ! 魔法!」

 ヘレネは懐をまさぐり、魔導書を取り出した。これには水の魔法も記述されているはず!

「ヘレネさん、気は確か? また暴走したらどうするんですの!」

 ヘレネには聞こえていない。迷っている暇はない。できる限りのことはやらなくちゃ。

 破れんばかりに魔導書をめくり、目的のページを見つけた。勢いよく読み上げ、ハンドステッキを構える。

闇滅烈水波アクア・スパート!」

 …………。

 杖を突き出して、しばし。炎のはぜる音のみが響いていた。

 やっぱり、失敗?

 脳裏をそんな言葉がよぎった。

 もはや打つ手を無くした。あきらめかけたそのとき、見覚えのある動物がヘレネの前にいつの間にかたたずんでいた。

「あなたは……」

 炎に照らされ赤く見えるが、その身体は本来は真っ白な物であることがわかる。身体のラインは猫が近いが、中型犬並の大きさで、ウサギに似た長い耳。

 発情コボルトを追い払ってくれた、この森に住んでいると思われる獣だ。

 その獣は、後ろ足で立ち上がった。鼻をひくひく空を仰ぎ、

「にー!」

 突如、大声で鳴いた。

 次の瞬間、

 どばあっ!

 森の奥から、出所でどころ不明の洪水が押し寄せてきた。

「にょおおおぉぉぉ!?」

 我ながら素っ頓狂な悲鳴を上げ、思わずヘレネは逃げ出した。

 が、人間の足が大自然の猛威にかなうわけがない。程なくヘレネは洪水に飲み込まれた。


 …………。

「ヘレネ!」

 誰かに揺り動かされている。姉に朝起こされるとき、ヘレネは決まってそれを振り払う。いつものように腕を払ったとき、思い出した。がばっと起きあがる。

「レイン!」

 そこにいたのはレインだった。安心したような笑みを浮かべている。

「みんなは?」

 彼はあたりを見渡した。視線を追うと、レイコ・ハイフン・アスタリスクがひっくり返っているのが見えた。

「うーん、うーん、寝る前にはちゃんとトイレへ行ったじょおお……」

「乙女、乙女はいずこ……?」

「この恨み……この恨み……いつか晴らして差し上げますわ……」

 ずぶ濡れになりながら、三人は半分意識を失いながらもうめいていた。

 レイコなんかは水たまりに顔面をうずめて、ぶくぶく何かを呟いている。

 まあ、とりあえず、みんな無事のようだった。

「って、なんであんただけなんともないのよ?」

「ああ、手近にあった木に登ったんだ」しれっとした調子のレイン。

 トロそうでいてこの男、意外に侮れない。

「そうだ、火事は?」

 レインは微笑を浮かべ、周囲を手で振って見せた。

 完全に鎮火している。あれほどの洪水だったにもかかわらず、木々に痛みはまるで見えない。それどころか、焼けこげた跡さえ消えていた。むしろ、みずみずしさを増し、森の歌声が聞こえてくるようだった。

 ぱしゃりと水を跳ね、誰かがヘレネの前に現れる。

 見た目は一〇歳くらいだろうか。ヘレネにも似た、水色の長い髪。風もないのに、ふわふわとたゆたっている。

 ゆったりとしたその衣装は、アルマフレアに伝わる民族衣装だ。その衣装がよく似合う、とても可愛い女の子だった。

 見た目はまるで違うのに、ヘレネにはわかった。彼女は──

「にー」

 あの白い獣──彼女は、猫に似た鳴き声を上げた。優しい、満面の笑みを浮かべながら。

「にー!」

 もう一度、今度は大きな声で鳴き、彼女は青い光と化した。あっという間に上空へ駆け、夜空にとけ込んで消えた。

 見ると、レイン達もぼう然と空を眺めていた。

「水神ニーナ……」

 ぽつりと、レインが呟いた。

「水神……彼女が? あの白い動物が?」

 ヘレネの問いに答えられる者はいなかったが、誰もがたぶん間違いないと思っていた。

 水神ニーナが起こした洪水。すさまじい勢いだったにもかかわらず、森はむしろみずみずしさを増していた。たぶん、あれが本物の聖水だったのだろう。

「ってことは、あたしの体質も治ったのかしら?」

 あまり意味はないが、自分の手を見てみる。

 焼けた木をもよみがえらせる聖水なら、ヘレネの体質にも何らかの改善があるはず!

「ヘレネちゃん、無事で良かったじょおおおぉぉぉーーーっ!」

「やっぱダメか」

 深いため息をはきつつ、ずんどどどどど、といきなり現れたハイフンの突進をかわす。ハイフンは巨木に体当たりし、沈黙した。

 あたしの体質が治るのは、いつになるのかしら?

 事態から解放されたヘレネは、いつもの悩み事に頭を抱えていた。


         *


 祭りを行っていた教会では、森の火事が鎮火するのを見、安堵と歓声が上がっていた。

 それに対し、儀式を邪魔された神官達は怪訝そうにうめいていた。

「なんなんでしょうな、あの失礼な小娘は?」

 神官の多くがヘレネを非難する中、水神役の少女がそれを擁護した。

「けど、あの水を使って消したのなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか?」

「馬鹿な! あれは聖水ではなくただの水ですぞ。それもあの程度の量で消せるはずがない」

「ではどうやって消したというのでしょう?」

 沈黙が訪れた。それをうち破ったのは、頭ひとつ背の高い壮年の神官。神官服の色と飾り物から、高位の神官とわかる。

「王女様」

「ここでは名前で呼んでください、ワイオニー大神官」

「失礼しました、フィルリア様」

「それで、なんでしょうか?」

「はい。あの娘は、ヘレネ・アクアマリンという魔法使い志願の少女だったかと。レイコお嬢さんが何度となく愚痴をこぼされていましたので、見覚えがあります」

「ヘレネ・アクアマリン……魔法使い志願ですか」

「見習いだろう? そんな半人前に、あの火事が消せるとでも?」

 神官達は、否定してばかりだ。

「もし、あの火事を消したのが彼女なら……」

 ワイオニー大神官は、首をひねった。

「レイコお嬢さんがおっしゃるほど低俗で無能なレベルゼロ魔法使いとは思えないんですがねえ」

 なんか、むちゃくちゃ言われていたようである。


「あーもう、せっかくのドレスが台無しですわ!」

「まあまあ。大事には至らずに済んだんだからよしとしようよ」

「そうですわね。レイン様のおっしゃるとおりですわ」

 レインとレイコは無視して、ヘレネはこきこきと首をならした。

「あー、なんか疲れちゃったわ。今日はもう帰りましょう」

「乙女よ、私の背をお貸ししますぞ」

「ヘレネちゃんは俺が送るんだ!」

「一人で帰れるから放っておいてよおおおぉぉぉ!」

 いつもの追いかけっこを始める連中に、レインとレイコは顔を見合わせて吹き出した。

 街の明かりを目指して森から離れていく、そんな一行を見下ろし、夜の虚空には二つの影が浮いていた。

 一人は白衣の美女、治療師カーナ。

 もう一人は、水神ニーナである。現在は人間形態をとっている。

 カーナはニーナに聞いた。

「無理に召喚に応じることもなかったんじゃない?」

「にー」

「そう。あの子の必死な姿に、いたたまれなくなったのね。わかるわ」

 微笑みながらも、カーナは深い息をひとつ吐く。

 上空から、森を見下ろす。火は完全に消えている。だが、代わりに人影がひとつある。怒りに満ちているのが見て取れる。

 カーナはそれが誰かを知っていた。

「けど、これで完全に火神ターナが敵に回るわね。どうしたことやら」

 彼女のため息は、夜風に流されていった。

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