第1話

 ここはカーナ治療院。シュラインの町にいくつかある治療院のうちで唯一、女医が勤める施設だ。

 カーナは二〇代後半くらいの女性で、ややきつい面差しをした美女だ。きらめく薄紫色の髪が印象的である。

「うーん、完全に浸透しちゃってるわねえ」

 内視魔法と打診を何度か繰り返した後、カーナ女医は言った。

「それじゃあ、治せないんですか?」

「治せないこともないけど」

 と難しい表情で、カーナは説明を始めた。

 人間に限らず性を持つ生き物の多くは、フェロモンという分泌物で異性を引きつけている。魅了魔法は、このフェロモンを増大させる効果を持つ。

 しかしヘレネはこの魔法に失敗し、フェロモンに異常をきたしてしまったのだ。

 治す方法としては二つ。フェロモン異常をどうにかして元に戻す。もうひとつはフェロモン分泌量を減らすこと。

「大人になればある程度は減るから、成長期が終わればこういったことはほとんどなくなるはずよ」

「終わりっていつ頃ですか?」

「うーん、早くて一八歳から二〇歳。ゆっくりと三〇歳くらいまで成長を続ける人もいるわねえ」

「そんなに待てません!」

「あ、感情的になっちゃ駄目よ。興奮するとフェロモンが……」

 と言いかけ、カーナの目つきが変わった。

「ふふふ。よく見ると、ヘレネちゃんって可愛いわねぇ」

 くすくす笑いながら、ヘレネの頬に手を当てる。驚いて後ずさるヘレネ。

「あ、あの……」

「大丈夫よ。お姉さんが優しく手ほどきしてあげるから」

「ちょ、ちょっと!」

 逃げようとするが、すでに背後が壁だった。妖しく微笑んだカーナが近づいてくる。

「いやあああぁぁぁ!」

 がっこぉーーんっ! ヘレネは手近にあったイスを、カーナめがけて投げつけた。見事顔面に命中し、カーナはもんどりうってひっくり返った。

「痛いわねえ! 何するのよ!」

「カーナ先生が変なコトしようとするからです!」

 鼻を押さえて訴えるカーナだが、我に返って辺りを見回し、取り繕うように言った。

「あ、あら。あたしがフェロモンに引っかかっちゃったのね。……と、とにかく、変に興奮すると、変も普通も男も女も見境なしに引きつけちゃうから気をつけなさい」


「とにかく普通の薬や魔法じゃ治せないのよねえ……」

 ぶつぶつ呟きながら、ヘレネは治療院を後にした。

 こまめに修道院で水浴びすれば、ある程度は押さえられるが、抜本的な解決にはならない。

 西の遺跡には、エリクサーという伝説の治療薬があるという噂だが、たどり着く前に発作が起こってしまう。感情的にならずとも、長い間水浴びを怠ると症状が酷くなるようだ。

 ぶつぶつと悩んでいたときのことである。

「はーっはっはっは! 乙女の危機に現れる! 少女の悲鳴が我を呼ぶ! 乙女の秘密、しかと聞き通したぞ!」

「乙女の秘密なんて妖しい言い方はやめてちょうだい!」

 哄笑とともに現れたアスタリスクに、ヘレネは憤慨して叫んだ。

「うむ。これは失礼した。しかし乙女よ、悩み事があるのなら、このアスタリスクが承りますぞ」

「あんたが悩みの種なのよー!」

 しゅたたたた~、と語尾をフェードアウトさせながら、ヘレネは一目散に逃げ出した。

 ぼこんっ。いきなり暗くなる視界。ヘレネは誰かにぶつかった。

「おおおおお! 君の方から来てくれるなんて、俺は嬉しいぞおおおぉぉぉ!」

 ハイフンがむせび泣いている。ヘレネは彼の巨大な腹に追突してしまったのだ。

「俺も君のことを愛しているぞおおおぉぉぉ!」

 がばあっ、とハイフンは両腕を広げた。そのまま抱きしめるつもりらしい。彼の腕力で抱きしめられたら、ヘレネは背骨を折られるだろう。

「殺す気かあんたわっ!」

 ごぎいんっ! ヘレネはハイフンの股間に膝蹴りを放った!

 首を絞められたニワトリのような声を上げ、ハイフンは地に伏した。

「へ、ヘレネちゃん……そこはもっと優しく……」

「ええい! 気色悪いこと言わないでちょうだい!」

「ふっ。私が手を下すまでもなかったようだな。さあ乙女よ、邪魔者は消えました。私とゆっくりと愛を語り合いましょうぞ」

 変態その二ことアスタリスクのたわごとなど聞きもせず、ヘレネは背を向け駆け出した。

 どっしーん! 周りをよく見ないで振り返りダッシュをしたものだから、ヘレネはまたしても何者かに体当たりをしてしまった。

「あたたたた……」

 頭をさするヘレネ。足下に柔らかい感触を得た。不思議に目を向けると、

「ヘレネ、パンツ丸見え」

 太ももの間に幼なじみのレインの顔!

 ヘレネはレインに馬乗り状態になっていた。

「きゃーきゃーきゃー!」

「わぷっ」

 あわててスカートを押さえるが、かえって逆効果。レインの頭はスカートの中に収まってしまう。

「うおおおおおっ! なんというウラヤマケシカランことをををををををを!」

「乙女を辱める輩は、例え神が許そうが、このアスタリスクが絶対に許さん!」

 怒りの炎を身にまとい、ヘレネたちの前に現れるヤロウが二人。ヘレネはレインの手を引き、転がるように逃げ出した。

「レイン、見た?」

 ようやく振り切った路地裏で、ヘレネはレインに詰問した。

 しかしレインは平然としたものだった。

「あの状態で、見るなという方に無理があるぞ。ところで……」

 不意にまじめな顔になるレインに、ヘレネは奇妙な胸の高鳴りを覚えた。まだ幼さの残る顔立ちだが、引き締めると割と格好良い。

「レースの花柄は似合わなぼぶっ!」

 一瞬ときめいた自分が馬鹿だった。ヘレネは能面で鉄拳をぶち込んだ。


         *


 ヘレネはお風呂好きである。

 特に、修道院で公開されている公衆浴場は、お気に入りスポットのひとつだ。

 フェロモン異常を起こした現在、ここで水浴びをするのはヘレネの日課である。

「あーさっぱりした」

 つややかな肌に、下着・シャツ・スカートと着込んでいき、薄手のマントを羽織り、カウンターに預けてあったハンドステッキを手にする。

 水浴びを終え、ヘレネはいつもの魔法使いルックで修道院を後にした。

「公衆浴場とは、相変わらず庶民ですわねえ、ヘレネさん?」

 やたらと高飛車な声に、ヘレネは眉をひそめた。

 振り向いた先に女性が一人。いや、女性と呼ぶには、まだわずかに若い。ヘレネと同年代か少し年上くらいの少女がいた。

 カールがかった薄紫色のロングヘア。長いまつげと切れ長な瞳。相当な美人だ。

 そして裾の広いワンピースドレス。良家のお嬢様であることを如実に物語っている。

「あらレイコさん。こんな庶民じみたところになんのご用ですか?」

 相手と同じ態度で、ヘレネは答えた。

 威張るのは好きだが、威張られるのは嫌いなようだ。レイコと呼ばれた少女はこめかみを引きつらせた。

「ふふん。礼拝堂に用事があるからついでに立ち寄っただけですわ。なんといっても、タカマガハラ家は神族の末裔ですからね。ほほほほほ」

 手の甲を口元に当て、レイコ・タカマガハラは高笑いをした。

 タカマガハラ家はシュラインの町の領主であり、アルマフレア王家と遠縁にあるという。

 王家をさかのぼると、アルマフレア神話につながる。すなわち王家と遠縁のタカマガハラ家も神族の末裔ということになる。

 なるのだが、あくまでも伝説上のことであるし、ヘレネにとってはどうでもいいことだ。

「ふーん、それじゃ」

 そっけなくその場を立ち去ろうとしたヘレネだが、

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 いきどおって止められてしまった。

 魔法使い志願であることをのぞけば、いや、それを含めても町娘の一人にすぎないヘレネだが、なぜかレイコは彼女をライバル視していた。

「まだ何かご用ですか?」

 にっこりと振り返るヘレネ。笑顔だが、つけいる隙は見せない。

 ライバル視まではしていないが、ヘレネはレイコをあまり好いていないのだ。

 だがそんなことはお構いなしに、ぞんざいな口調でレイコは言った。

「レイン様は今日はどちらにいらっしゃるのかしら?」

「さまぁ?」あきれて返すヘレネ。

 レインはヘレネと同じ単なる町民である。剣士希望ではあるが、実戦経験がないので、まだ見習いの身分である。貴族に様付けをされると、かえって嫌みっぽく聞こえる。

「様をつけるのは当然ですわ。レイン様は道場一の剣士。将来『英雄』の称号を得て、貴族入りすることは間違いありませんもの」

「はあ、まあ、そこそこは強いらしいけど。まだ見習いよ?」

「レイン様を侮辱するのはおやめ!」

「いまのセリフのどこが侮辱になってたのよー」

 レイコの一喝に、思わず首をすくめるヘレネ。彼女がライバル視している理由が何となくわかったような気がする。

「とにかく。あなたにレイン様はこれっぽっちも相応しくありませんの。そこのところ、おわかりいただけます?」

 相応しいも相応しくないも、私たち、ただの幼なじみなんだけど。

 と言いかけて、ヘレネの表情が固まった。レイコの後方に、異様な人物がいた。

「お嬢様!」

「うどわあっ!」

 馬鹿でかい声に、レイコはお嬢様らしからぬ驚き方をした。

「もっと静かな声にしなさいといつもいっているでしょう、アルツ!」

「これは失礼いたしました! しかしそれがし、この声は地声故、制御は不可能でございます! それよりも! そろそろ切り上げませんと礼拝堂に遅れてしまいますぞ!」

 アルツと呼ばれた男の声は、いちいち馬鹿でかい。一句一節ごとに空気と地面がびりびり震える。

 服装はいわゆる忍び装束。彼はタカマガハラ家のお抱え忍者なのだ。

 しかしそのガタイは尋常ではない。二メートルは楽にある。縦だけならハイフン以上だ。

 声と体躯の大きさは、はっきり言って忍者には向いていない。

「あーもう、わかりましたわ。ヘレネさん、この場は失礼させていただきますわ。ただし、わたくしの言ったことは、お忘れなきよう」

 ふん、と鼻息も荒く、レイコは去っていった。

 アルツも一陣の風とともにかき消えた。声と身体が大きくても、忍者としての技能は十二分にありそうだった。

「み、耳鳴りが……」

 レイコの捨て台詞に構う暇もなく、両耳を押さえたまま目を回すヘレネであった。


「ふーん、さんざんだったんだね」

 言葉の内容とは裏腹に、レインの口調は素っ気なかった。

 宵の口からもう少したった頃。シュラインの町の大通りにある酒場で、ヘレネはレインと食事混じりに話をしていた。

 ヘレネは魅了魔法の失敗で『変なヤツ』を引きつける体質になってしまった。

 その反動か『まともな男』からはとんと相手にされなくなってしまった。

 身近にいる異性の中では、レインが唯一まともに話の出来る相手である。

 しかしレインにだけ失敗魅了が通じないのはなぜなのだろうか? 幼なじみには通用しないのだろうか? それとも変とまともの境に位置する微妙な性格なのだろうか? と、いろいろ勘ぐってはいるのだが、理由はいまだにわからない。

「小さい頃からのつきあいだから、体臭に慣れちゃってるんだよ、きっと」

「体臭なんて言い方はやめてちょうだい!」

 ヘレネは向かい席の幼なじみを小突いた。

「とにかく、この体質をさっさと治さないと。レイン、あなたにも手伝ってもらうわよ」

「それは構わないけど、なにか良い方法でもあるのかい?」

 ヘレネは難しい顔をした。

 いまある情報では、西の遺跡を調べるのが一番だが、無事にたどり着けるのだろうか? レインの協力があれば大丈夫かな。

「あるわよ」

 と、答えたのはヘレネではなく、カウンター席からだった。

 若い女性がカウンターでバーボンを飲んでいる。ほんのり染まった頬で振り返った。

「カーナ先生!」

 女性は、治療師のカーナだった。

 いつもの白衣ではなく、身体のラインを引き立たせる薄手の服だ。仕事帰りに、酒場で一息入れていたのだろう。

 カーナは、紙飛行機を投げた。一回転し、ヘレネたちの席へ舞い降りる。

「こういう仕事を見つけたんだけど、興味ない?」

 カーナの台詞に、ヘレネは紙飛行機を広げた。

 その紙には二つの似顔絵と、簡単な文面が書かれていた。

 読んでみると、賞金首らしい。こういう内容だった。

『最近シュラインの町を荒らしている、自称「シュラインの町一番の極悪人」コロン・チルダ姉弟を倒す者を求む。報酬は、金貨一〇〇枚と「王家の香水」とする』

「その『王家の香水』ってのは、たぶんアルマフレア王家に伝わるマジックポーションね。その高貴な香りは魔を退けると聞くわ。もしかしたらヘレネちゃんの体質にも効くかもね」

 もちろんヘレネにこの仕事を拒否する理由はなかった。


         *


「お父様!」

 晩餐の直前、レイコは父、カール公爵に向かって詰問した。長いテーブルの向かい側に座る父に詰め寄る。

「これは一体なんですの!」

 父に向かって突きつけた紙切れは、賞金首に関する内容だった。

『最近シュラインの町を荒らしている、自称「シュラインの町一番の極悪人」コロン・チルダ姉弟を倒す者を求む。報酬は、金貨一〇〇枚と「王家の香水」とする』

「それがどうかしたのか?」

 あごのひげをなでながら、カール公爵は少々とぼけてみせた。

 カール公爵は恰幅の良い壮年の男で、シュラインの町の領主をつとめている。

 しかし、貴族ながらも冒険好きという一面がある。

 特に七年前、魔導師オヅマ討伐の一隊に加わったなどの戦歴から、かつては侯爵だったのが現在では公爵の地位を得ている。

「どうかしたじゃありません! この金額はなんなんですか!」

 レイコの高慢さは父親相手でも健在である。レイコは憤慨して怒鳴った。

「安すぎたか?」

「高すぎるんです!」

 金貨一〇〇枚というと、贅沢をしなければ数年は暮らせる金額である。豪族の娘といえども、並ならぬ金額であることくらいわかる。

「ふむう。私はそのくらいが妥当なんじゃないかと思ったんだがのう」

「……もしかしてこの悪党は手強いのですか?」

「さあ?」肩をすくめるカール。

「さあってお父様……」

「うむ、商店街のあたりから、最近苦情が多くてな。どうやら連中は、このあたりを拠点に荒らしているらしい。治安維持のためにも、早めに手を打っておこうと思って、な」

 レイコはめまいを覚えた。商店街を荒らす程度の悪党に金貨一〇〇枚とは、あまりにも非常識である。冒険者あがりのせいか、父の金銭感覚はどうにもずれている。

 実はこのあたり、『カール公爵が依頼する仕事はとてもとてもおいしい』と、冒険者の間では密かに評判だったりする。

「どちらにせよ、一度公募にかけてしまった以上、賞金の変更は無理だなあ」

 大して気にもとめずに言うカールに、レイコは胸を張って宣言した。

「こんなふざけた賞金で庶民を潤わせるくらいなら、わたくしがその悪党を倒します」


「……とまあ、そういうわけですの」

「そういうわけってねえ」

 いけ高ぶって言うレイコに、ヘレネは内心渋面になった。

「実は単なるこづかい稼ぎでしょ?」

「そんなことはありませんわ!」

 間髪入れずに否定するレイコだが、頬に流れる一筋の汗を、ヘレネは見逃さなかった。

「わたくしは、レイン様のお役に立ちたかっただけですわ」

 いきなり少女漫画のような瞳で、レイコはレインを見つめる。レインにまとわりつくというのも、目的のひとつかもしれない。

「ヘレネ、ほら、入道雲」

 レインの言葉には脈絡がない。何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、彼はのんきに空を眺めている。

「それがどうしたってのよ」

 青空とは対照的に、陰鬱にヘレネは呻いた。

「ヘレネさん、なんですかそのうっとうしそうな態度は!」

 レインにくっつき、邪険な口調で非難するレイコ。一八〇度態度を変え、レインに語りかける。

「そうですよねレイン様、夏といえばやはり入道雲ですわよねー」

「いや、単に夕立が来そうだなーと思ったんだけど」

 レイコのモーションにも我関せずのレイン。それでも構わずレイコは感嘆に身悶える。

「ああっ、さすがはレイン様ですわ。そこまで空模様が読めるなんて!」

「夏に夕立は当たり前なんだけど」

 声には出さず、ヘレネは頭痛にひたいを押さえた。レイコもよくこんなマイペース男に惚れたもんだ。

「ささ、雨が来ないうちに近くの酒場で打ち合わせに入りましょう。報酬の配分とかを決めませんと」

「そうね」

 大通りを先導するレイコに続くと、彼女は眉をひそめて振り返った。

「あなたはついてこなくて結構。もちろん分け前もありませんわよ」

 このアマはいったい何様ですか? ひとこと言い返そうとしたとき、レインが仲裁に入った。

「まあまあ。ヘレネだってなにかの役に立つかもしれないし」

「失礼なこと言わないでちょうだい! あたしだって攻撃魔法のひとつやふたつ、持ってるんですからね。むしろ、レイコさんの方が心配だわ」

 半眼のヘレネに、レイコは薄笑いで応じた。

「お気遣いどうも。けど、ご心配には及びませんわ。タカマガハラ家たるもの、武芸を心得るのが習わしですので」

 レイコは現在、いつものドレスではなく、忍び装束をアレンジしたような服を着ている。

 動きやすくも丈夫なこの衣服は、アルマーシャルという無手闘技用の服だそうだ。

 まあどうせ貴族のたしなみ程度だろう、とヘレネは踏んでいるが。

「まあお金はどうでも良いから、王家の香水はもらうわよ」

「ほほほほほ。庶民の割にお金には疎いようね。細かいところについては、じっくりと話し合いましょう」

 三人は酒場の扉をくぐった。

 どんっ! 何者かがヘレネを突き飛ばした。よろけ、レイコがひょいとかわし、レインが代わりに受け止める。

「ヘレネさん! 気安くレイン様にもたれかからないでくださいます?」

「レイコさんがかわさなきゃすむことでしょうが」

 口論しかかった二人の脇を、今し方ぶつかった男が通り過ぎた。

「すまない。急いでるんで、それじゃ」

 小柄なその男の後ろを、長身の女性が急ぎ足でついていく。それとほぼ同時だった。

「食い逃げだぁー! そいつらを捕まえてくれ!」

 店内から響く声に、ヘレネたちはぎょっと振り返る。二人組は全力逃走していた。

「だああっ! なんでこんなことに!」

「仕方ないよ。放っておくわけにもいかないし」

「そうですわね。レイン様のおっしゃるとおりですわ」

 三者三様に言葉を漏らし、食い逃げ犯を追いかける。


「コロン姉ちゃん、まいたか?」

 路地裏に逃げ込み、小柄な少年が振り返る。ヘレネたちは、表通りを駆け抜けていった。

「ばっちりさね、チルダ」

 コロンと呼ばれた長身の女性が、弟に向かってにんまりと笑う。

 一〇代後半くらいの姉弟は、手を取り合って笑い合う。

「今日も悪いコトしたなあ」

「うんうん。あたしたちはシュラインで一番の悪人だからねえ。さあ次は道具屋で万引きだよ!」

「あ、見つけた」

 間の抜けた声に、姉弟はびくうっと身をすくめた。彼らの視線の先には、優形の少年と、二人の少女。もちろんヘレネたちだ。

「追いつめましたわよ、小悪党」

「ふっ! 俺たちはシュラインで一番の極悪人、コロン・チルダ姉弟だ。悪人が悪いコトして何が悪い!」胸張って威張るチルダ。

「よっ、チルダ。格好良いねえ。もっと言っておやり」

「おう!」

「い、いきなりどんぴしゃ……」

 威勢の良いだけのチルダの雑言に、ヘレネは複雑な心境だった。

「コロン・チルダ姉弟だと!」

「こっちだ! こっちにいるぞ!」

 どかどかと、戦士から町人からあまたの人々が、路地裏前まで詰めかけてきた。報酬目当てにかなりの輩が神経をとがらせていたようだ。

「おおう、俺たち有名人だったんだなあ」

「ふふふ。やっぱりあたしの美貌のおかげかしらねえ」

 とんちんかんなことをほざく姉弟に、ヘレネはうなだれた。最近、会う輩ことごとく変なヤツである。

「寝言は牢屋で言いな!」

 ガラの悪そうな男が、チルダにとっくみかかった。だが彼は平然としたものだった。

「ふっ! このチルダさまにたてつこうとは良い度胸なりね!」

 ばこぉーーんっ! 小柄な身体に似合わず、チルダは男を空高く殴り飛ばした!

「おほほほほ! あたしたち姉弟の悪事は誰にも止められないのよ! おとといおいで!」

 甲高く笑い、姉のコロンが群衆に突っ込む。長身とはいえ細身なのに、ちぎっては投げちぎっては投げ、と剛椀の戦士さながらの怪力を見せる。

 這々の体で逃げ出す有象無象。いつのまにやら残るはヘレネ・レイコ・レインの三人になっていた。

「け、結構強いわね……」

 たじろいで、ヘレネは小さく呻いた。

 この姉弟は見かけに寄らず、かなりの怪力だった。力がある分、頭が足りなそうだが。

「俺たちって強いよな?」

「もちろんよ!」

「俺たちってワルだよな?」

「もちろんよ!」

「そう!」

「俺たちこそが!」

「てなもんやの大悪人~!」

 路地裏で、肩を組んで歌い出す姉弟。はっきり言って、しらふで酔っぱらったような連中である。

「ねえヘレネさん。わたくしたち、こんなアホを倒さなくてはいけないの?」

「あたしに聞かないでよ」

 うなだれまくるレイコとヘレネ。ちなみにレインは、相変わらずのほほんと涼しい顔をしている。

「まあしょうがないよ。金貨一〇〇枚と王家の香水がかかってるんだし」

 ぼそりと言うレインに、二人の悪人(自称)が目をむいた。

「なんと! 俺たちにはそんな賞金がかかっていたのか!」

「すごいねえ。金貨一〇〇枚って言ったら、数年は暮らせるじゃないのさ!」

 目を輝かせて、二人はひそひそ話を始める。

「姉ちゃん姉ちゃん。お、俺、今すごい悪いことを考えちまったぜ」

「なんだいなんだい。早くおっしゃいなさいよ」

「あのな。俺たち、あそこの三人を丸め込んで、自首するんだよ。そして報酬を山分けするのさ」

「うおお! なんて悪いことを考えるんだい! あんた凄い才能だよ!」

「へっへっへ。やっぱ大悪人ならこのくらい出来ないとねえ」

「そう!」

「俺たちこそが!」

「てなもんやの大悪人~!」

「それはもういいから」

 また歌い出す姉弟に、ヘレネはぱたぱたと手を振って見せた。

「そういうわけで、俺たち自首することにしました」

 言って二人はにこやかに両手を前へ出す。

 いい加減疲れてきたが、帰るわけにもいかない。ヘレネは絞り出すように言った。

「とりあえず言っておくけど……アルマフレア城の地下牢ってかなり手入れが悪いらしいわよ。腐臭の漂う部屋と、腐ったご飯。この前は、グールが出るってうわさを聞いたわ」

 姉弟は驚いて後ずさった。

「ど、どうする姉ちゃん。俺はクサメシもグールも嫌だぞ」

「あたしだって嫌だよ! しょうがないね。金貨一〇〇枚はあきらめるわよ」

 再びひそひそ話を始める姉弟に、ヘレネは聞かずにいられなかった。

「ねえ、さっきからすごく疑問に思ってるんだけど、悪人を自称するなら、殺人とか強盗とか(ぴーっ)とかってしないの?」

 ヘレネの素朴な質問に、姉弟は大いにたじろいだ。

「うおお! なんて非道いことを考えるんだ! 人間じゃねえぜ!」

「チ、チルダ、あんな非道いヤツには近寄らない方が良いよ」

「あんたたちに言われたくないわよ!」

 憤慨して怒鳴るヘレネであった。

「け、けど、(ぴーっ)てのにはちょっと興味があるかな」

 じゅるる、とよだれを垂らすチルダに、ヘレネは青ざめて一歩下がった。

「とにかく、自首の話はやっぱり無しにするわ。怪我したくなかったらそこをおどき」

 尊大に言い放つコロンに、三人の表情が引き締まる。

「はーっはっはっは! 乙女の危機に現れる! 少女の悲鳴が我を呼ぶ!」

 そのとき、頭上から豪快な笑い声が響きわたった。

 黒で統一したマスクとマント。膝までを覆うブーツ。自称愛と正義の使者、アスタリスクである。

「とう!」

 狭い路地裏へ、器用に飛び降りる。足下がゴミだらけだったが、なんにもなかったかのように払いのける。

「愛と正義の使者、アスタリスク、ただいま参上! 乙女よ、ご無事でしたか!」

 ヘレネの手を取り、にかっと白い歯を見せるアスタリスク。

 チルダのいやらしい視線といいアスタリスクの登場といい、ヘレネの『変なヤツ引き寄せ体質』の発作が、また起きつつあるようだった。


 大通りで向かい合う人影が六つ。

 魔法使い志願のヘレネ・アクアマリン。剣士見習いのレイン・フラッド。領主の娘レイコ・タカマガハラ。そして突如乱入してきた自称愛と正義の使者、アスタリスク。

 彼らの前に立ちふさがるは、自称『シュラインの町で一番の極悪人』コロン・チルダ姉弟。

 彼らの周囲には、かなりの野次馬が集まっている。

 いつの間にか、暗雲が立ちこめていた。不敵に睨み合う正義の使者と極悪人。

 かっ! 薄暗くなってきた空に、一筋の稲光が走る。一瞬の閃光をバックに、剛胆にアスタリスクは言った。

「見よ! お前達の愚行に、天も怒っている! もはやお前達に残された道は、天罰を受けることのみと知れ!」

「ふっ! 笑わせるんじゃないよ!」

 アスタリスクと全く同じ態度で、コロンは言い返した。低い雷鳴がとどろいているが、彼女の声はあたりの人すべてに行き届いた。

「あたしはあんたのような正義の味方かぶれが大っ嫌いなんだ。聞きかじりの善行なら、程々にしておいた方が身のためだよ!」

「ねえヘレネさん。わたくしたち、なんだか蚊帳の外って感じがしません?」

「あら奇遇ね。あたしもちょうどそう思っていたところよ」

 目を合わせ、ヘレネとレイコは深い深いため息をついた。ちなみにレインは相変わらず動じていない。

「口で言ってもわからぬようだな。いくぞ!」

「望むところよ!」

 吠え合い、アスタリスク・コロン・チルダの三人の激闘が始まった。

 どがあっ! ばきいっ! どずんっ!

 激しい音と、火花すら飛び散る戦いとなった。

「な、なかなか強いわね。アスタリスクって」

 怪力の二人を相手に、アスタリスクは互角の戦いを繰り広げていた。単なる変態ではなかったようだ。

「そうは言ってられませんわよ。このままでは彼に賞金を奪われてしまいますのよ!」

「そ、そうだったわ」

「じゃあ僕たちも参戦することにしよう」

 意外に迅速に決め、レインが前線に飛び込んでいった。

「助太刀しますよ、アスタリスクさん」

「おお、かたじけない!」

「レイン様ばかりに負担はかけられませんわ!」

 続いてレイコも加わっていった。

「お、おのれ、三人がかりとは卑怯なり!」

「貴様に言われたくないわ!」

 なんやかんやと言い合いながら、混戦模様になっていく。

 レインはもちろん、レイコも結構強かった。

 レインが剣を振り、慌ててチルダがよける。その隙をついてレイコが掌底を叩き込む。

 加勢しようとしたコロンの手をつかみ、アスタリスクが勢いよく放り投げる。コロンは猫のように身軽に着地し、再び戦線に突入する。

 正義の使者一行は、次第に悪人姉弟を押し始めた。

「あー、えーと」

 その中でたった一人、ヘレネだけが取り残されていた。

「いいのいいの。あたしは魔法使いだから格闘戦には参加できないもの」

 しゃがみ込んでいじけてしまうヘレネだったが、ふと、妙案を思いついた。

「あ、そうだ。攻撃魔法で助勢すれば良いんじゃないの」

 ぽんと手を打ち、即実行。記憶の中で一番強力な魔法を思い出す。

 綺麗な旋律とともに、呪文を唱えていく。すぐにたどたどしいものになる。

「え、えーと、次、なんだっけ?」

 リュックから魔導書を取り出し、ぱらぱらとめくる。見習いのヘレネは、まだまともに魔法が使えないのだった。

 今度はかなりの棒読みで、続きの呪文を唱える。ある程度は魔法の原理を理解しているので、棒読みでも何とかなる。そしてようやく呪文が完成した。

閃光雷撃衝ライトニング・ショック!」

 ぼひゅるん。という間抜けな音とともに、構えた杖から小さな火花が出た。ふわふわとたたずむだけだった。

「しくしくしく。どうせあたしはまだ見習いですよーだ」再び隅っこでしゃがみ込む。

 そのとき、頭上に閃光がほとばしった。

 ぴしゃーんっ! いきなりの落雷に、ヘレネは固まった。

 目の前、先ほど放った小さな火花に、雷が落ちたのだ。しかし火花はまだ残っている。

 そしてその火花がふよふよとヘレネに近づいてくる。

 ヘレネの可愛い顔が引きつった。頭上では、積乱雲がゴロゴロ言っている。

「だあああっ!」

 すっとんきょうな悲鳴を上げ、ヘレネは逃げ出した。

 どーんっ! 再び雷が落ちる。ヘレネを追いかける火花を狙うように落ちてきた。

「こ、これは一体何事なの?」

 敵味方ともに手を止め、滑稽に逃げ回るヘレネを見やる。必死の形相で、戦線に突っ込んで行く。全員揃ってひるみまくった。

「ちょ、ちょっと待って!」

 どがしゃーん! 慌てて逃げようとするコロンの脇を通り過ぎ、その刹那、落雷がコロンをとらえた。

「いやあああ! 来ないでえええ!」

 叫びまくり逃げまくり。しかしそれでも火花はヘレネにつきまとう。そしてあるときは一定のリズムで、ある時は不定期に、雷が落ち続ける。

 こんな時でも平常心を失わないレインが、はたと手をつき言った。

「ヘレネって、カミナリ様にも好かれるんだ」

「そんなわけあるかあああぁぁぁ!」

 とりあえずレインのボケだけは突っ込んでおくヘレネであった。


 …………どのくらいの時が流れただろうか。

 ようやく空が明るくなってきた。入道雲はその形をだいぶ崩し、去りつつあった。

 青空が見え始めた頃、火花はようやく消えた。荒い息で、ヘレネは膝をついた。

「た、助かった……」

 何とか顔をもたげると、とんでもない光景に出くわした。

 敵も味方も野次馬も、商店街丸ごとが半瓦礫状態と化していたのだ。

「全然助かってないんですけど……」

 ぷすぷす煙を立ち上らせて、うつぶせレイコは不満を漏らす。

「やあ何とかおさまったようだね」

「レイン!」

 平然とした調子で出てくるレインに、ヘレネはひどく驚いた。

「あんたには雷落ちなかったの?」

「ああ。すぐ側に剣を突き立てて、伏せてたから」

 レインの説明はこんな時でも穏やかだった。人身よりも金属に、そして低いところよりも高いところに雷は落ちやすいので、突き立てた剣のすぐそばに伏せていれば比較的安全だと言う。

 そして、そこまで頭の回らなかった連中はこぞってダウン、というわけだ。

「まあなんだかんだあったけど、コロン・チルダ姉弟は倒せたみたいだから、万事オッケーじゃない?」

 お気楽極楽のレインに、ヘレネはどう対処すべきかわからなかった。

「と、とりあえず、乙女が無事で何より……」

 呻き、がくりと気絶するアスタリスクであった。


 すったもんだの現場からかなり離れたところに、女性の姿がひとつあった。

 きらめく薄紫色の髪が印象的な、白衣の美女。治療師カーナである。

「かなり変則的だったけど、まさか雷神ヴィーナを呼び出すなんてねえ。不確定要素も多いけど、なかなか面白い逸材ね、ヘレネちゃんって」

 カーナはくすくすと笑う。目を細め、右往左往するヘレネを見つめた。

「あの娘なら、あたしの目的をかなえてくれるかもしれないわね。これからが楽しみだわ」

 謎めいた言葉を残し、カーナは去っていった。


         *


「いいですこと、ヘレネさん。本当は、金貨一〇〇枚でも足りないくらいなんですからね」

 物凄く恩着せがましく、レイコは言った。ヘレネは逆らうすべもなく、ただひたすら頭を下げている。

 コロン・チルダ姉弟を役所につきだし賞金を得たは良いが、商店街からの苦情は並大抵のものではなかった。

 ぶーたれるレイコへ、レインの口添えがあって、なんとか事を納めた次第である。

 商店街からの被害請求は、賞金とタカマガハラ家の補助によってまかなわれた。

 結局賞金はパーになってしまったが、王家の香水だけは辛うじて手に入れることが出来た。

「ああこれでまともな体質に戻れるのね」

 ヘレネの手には、小さな瓶が握られている。いくつかの装飾がなされた高級感のある小瓶で、その中には透明な液体が入っている。

 これこそが魔をも退かせるという『王家の香水』だそうだ。

「まあしかし、なんであんな物を執拗に欲しがるのかしらねえ」

 半眼のレイコをよそに、うきうきとヘレネは小瓶のふたを開ける。

 むわあっ。とたん、とんでもない異臭があたりに充満した。ヘレネは思わず鼻を押さえる。

 レイコはハンカチーフで鼻から下を押さえつけている。レインは僅かに眉を寄せただけで、割と平気なようだ。

「すごいにおいだねえ。これなら確かに魔物も逃げちゃうね」

「こ、これが高貴な香り……?」

 呻くヘレネに、レイコが鼻声(鼻を押さえたままだから)で言った。

「まあご大層な名前が付いてるけど、これはいわば失敗作ですわね。魔物退治には使えるから、うちの倉庫にとっておいた物ですわ」

 すなわち、この『王家の香水』は、確かに変なヤツを引きつける効果をうち消すが、ついでにだれも近寄らなくなるという恐ろしい副作用があったのだ!

「副作用なの? 副作用なの? 副作用なのそれって?」

 ナレーションに突っ込まれても困る。

「で、その香水、つけるのかい?」

「んなわけないでしょう!」ヘレネは小瓶を地面に叩きつけた。

「ヘレネさん、なんて事をするの!」

 言うがはや、レイコはダッシュで逃げ出した。我に返ったヘレネが後に続く。レインはやや遅れたが、全然焦っていない。

 かくして臭いの充満するその部屋は、当分立入禁止になるのだった。

「こんな体質、絶対治すんだから!」

 決意を新たにするヘレネ。

 そう。ヘレネの憂鬱は、まだ始まったばかりである。

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