ヘレネの憂鬱 -西の遺跡の五神精-

舞沢栄

プロローグ

 少女が一人、走っていた。

 ハンドステッキと薄手のマント。魔法使い風の少女が広野を疾走していた。

 空色のセミロングを真後ろへなびかせ、とにかく少女は必死になって走っていた。

 遠くにシュラインの町の関所が見える。あそこまで行けば何とかなる。

 少女の後方に、土煙がひとつ上がっていた。

「ヘレネちゃん好っきじゃあああぁぁぁ!」

「いやあぁぁぁ! こないでえぇぇぇ!」

 土煙から聞こえる遠吠えに、ヘレネと呼ばれた少女は泣きそうな声で叫んだ。

 ヘレネは関所をくぐり抜けた。通行証を求める門番へ一喝する。

「扉を閉めて! 早く!」

 少女の迫力に、門番はあわてて従った。扉が閉まるとほぼ同時に、

 どっごおおぉぉん!

 轟音とともに、激しい地響きがした。石の扉なので耐えきれたが、木製だったら破壊されていただろう。

「ヘレネちゃん、なんで逃げるのぉ? 俺はこんなにも君のことが好きなのに」

 扉の向こうから響くだみ声に、ヘレネは息も荒く叫び返した。

「ええい、うっとうしい! あなたは好みじゃないのよ!」

「うおおおお! 俺は悲しいぞおおおぉぉぉ!」

 どんどんみしみしと、扉がきしむ。ヘレネは顔を引きつらせ、素早く背を向ける。

「これ通行証ね。門番さん、あの男は絶対に中に入れちゃダメよ! それじゃ!」

 ヘレネは全力で門から去っていった。

 門の向こうから響く、醜い泣き声。門番は耳を押さえつつ、途方に暮れていた。

「なんなんだこりゃ」


「あー、危なかった」

 繁華街まで足を運び、ヘレネはようやく胸をなで下ろした。

「やあヘレネ。また発作でも起きたのかい?」

「レイン!」

 革の胸当てを着込んだ少年に声を掛けられ、ヘレネは驚いて振り返った。

 柔らかそうな栗色の髪。男だが優形で、頼りになるというよりは母性本能をくすぐるタイプである。

 背も並よりは少し低めで、剣士風のこのコスチュームは少々アンバランスだ。

 レインと呼ばれた少年は、少女のような笑顔をヘレネへ向けた。

「秘薬とやらは手に入ったかい?」

「全然駄目」

 力無く首を振るヘレネ。

「やっぱり一人じゃ遠出はきついわ。遺跡まであと半日ってところでハイフンに見つかって、あわてて戻ってきたのよ」

「ハイフンって、あの大男?」

「そ。あの大男」

 ヘレネは肩をすくめてみせた。

 と、

「ヘレネちゃん、好っきじゃあああぁぁぁ!」

「ひいいいぃぃぃ!」

 町の警備員を数人引きずりながら、先ほどの巨漢が再登場!

 青ざめてヘレネが再び逃げ出そうとすると今度は、

「はーっはっはっは! 乙女の危機に現れる! 少女の悲鳴が我を呼ぶ!」

 上空から響く男の声。ヘレネは見上げることなく額をたたいた。

「またややこしいのが……」

「とう!」

 意味もなく建物の屋上にいたその男は、かけ声とともに飛び降り、颯爽と着地した。

「乙女よ。愛と正義の使者、アスタリスクが来たからにはもう安心ですぞ」

 アスタリスクと名乗る男は、白い歯を輝かせて言った。

 長身でマッチョ。膝まであるブーツと裏地の赤い漆黒マント。黒いマスクをかぶっているので素顔はわからないが、かなり常識を逸したコスチュームである。

 アスタリスク。シュラインの町をにぎわす、自称正義の味方。しかし実質、ハイフンと同じヘレネの追っかけである。

「ゆくぞ悪党! 乙女を泣かす者はこのアスタリスクが許さん!」

「ほざけ変態! ヘレネちゃんはワシのもんじゃ!」

 二人の男は町の大通りで文字通りのとっくみあいを始めた。

「ヘレネ、こっちこっち」

 レインに連れられ、ヘレネは裏通りへ退避していた。息も荒く、こう言った。

「もういや! この体質、絶対に治すんだから!」


         *


 ヘレネ・アクアマリン。十四歳。

 シュラインの町出身の、魔法使い志願の少女である。

「美人になりたい!」という動機に基づき、最初に会得した魔法が『魅了チャーム』だが、ところがこれが大失敗。

 かくしてヘレネは『変なヤツにのみもてる』という難儀な体質になってしまったのである。

 普通の女の子に戻りたいヘレネ。彼女の体質が改善されるのはいつのことになるのだろうか。

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