2016/9/27 カウンセリング
私は毎週にカウンセリングを受けている、必要なのかは分からない。
カウンセリングの先生は、私に問いかけることなく、私から話してほしい様だ。
しかしそれをされると私は喋らないので、結局質問してくる。
「病棟での生活はどうですか?」
どうと言われても、変わりはない、そうか、もう1か月か。
どこにいても人の振りをするだけ。当たり障りのない人を演じる。
私を求める人などいない、それならひっそりと部屋で過ごす。
「部屋で本を読んでいたりして過ごしています。あまりほかの人とは話しません。」
人と話す気もしない、精神病院だ、私が他の人と交流すると害を与えてしまいそうな気がする、間違った知識、言葉、それらを他の人に渡してしまいそうで、そして人と話すことは私が人の振りをしていることがばれてしまいそうで。
「本が好きなんですね、他にも絵を描いていると聞きましたが、絵をかくのが好きなんですか?」
好きか、嫌いであればしていないだろう、思い出せば、幼児児童時代共に過ごしたのは紙だけだ、他の同級生には相手にされないからだ、ひたすら紙に人を描いた、架空の友達なのか、やめることなく何人も、何冊も描いていた。
そしてそのノートは
私がかいたものは作品ではない、ゴミを作り続けただけにすぎない。
「嫌いではないです、好きだと思います、けど、意味はないです。」
やはり今日のことなのにこんなに曖昧にしか思い出せない、興味がないんだろう。
絵を描き続けて、それは小学生までは意味のない行動、中学時代は少し違った。
絵を見せ合い交流していた、中学時代で私の中で絵を描くことは、コミュニケーションツールとなってしまった。
評価があれば、描いた意味があったことになる、それは麻薬のように私を動かした、人の振りがうまくいっている!
そんな中学時代を過ごした所為か、それぞれ散散になってしまった後はもう、鉛筆を持たなくなってしまった。
今描いているのは暇であるためだ、小学校時代に戻っただけのことだ。
しっかり伝えられただろうか、隠すことではないのだ、どうでもいいことなので知りたければ知ったらいい、そう思って話していたつもりだった。
そのあたりでカウンセリングが終了の時間になってしまった。
「今度、よければ絵を見せてくれませんか?次の時にでも。」
別に構わない、そう返事をして終了した。
しかし、絵を見せる意味はあるのか?目的が分からない。
絵には人の本質を映す力でもあるのだろうか、分からない。
この先生は私の中身を探そうとしている気がする、しかし私に中身は、おそらく無い、もし見つかったなら、私は、どうなるのだろうか。
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