play ball

仙石勇人

第1話

 帽子のツバに手を掛け、頭部から外す。縁が汗でふやけている。一時の清涼を求めて、両手でわしゃわしゃと髪を掻きほぐす。塩っぽい湿気に煮えた外気が触れ合って、一本一本がぐっしょりと萎えた。

 グラウンドの方から、蝉の鳴く声がうわんうわんと聞こえる。うるさい。遠ざかるようにして歩いた。校舎や体育館から延びる薄く黒い影は、所々が凸凹のアスファルトの上に、愚直に照り付ける日射との、やけにハッキリとした陰陽のコントラストを作っていた。


 第二校舎の影に、背中を丸めて腰を下ろしている、白いユニフォーム姿を見つけて、スパイクを鳴らして近づく。

「今日一緒に帰ろうや」と言って、相手が返事をする前に、「ええやろ、天パ」と嘲りを付け加える。

「しばくぞ」高橋が口角の右端を持ち上げ、左端を下げて笑う。犬歯が薄茶色い。

「菓子くれや」

 高橋は尻のポケットに手を突っ込むと、個包装されたグミを取り出した。

「ええけどや」高橋は首筋をポリポリと掻きながら、「おまえ、家の方向まあまあちゃうくない?」

「ええねん。ホケツ同士仲よくしようや」


 街路樹もファミレスもコンビニも本屋も、中学生男子にも、この町のモノ全てに照明を当てる太陽が、遥か頭上でぎらつく。炎天下を真っ黒い歩道が吸い込んで、吐き出している。上下から熱気に挟まれて、五人のユニフォーム姿が学校から各々の家までの道を歩いている。

 立派に汚れの付いたユニフォームを着た三人の両隣を、新品同様の上下の高橋と俺が挟むようにしている。軟球をぽーんぱ、ぽーんぱと軽く手首を効かして掌に浮かしながら歩いていた真ん中の一人が、不意に「ほい」と俺の方にボールを投げてきた。

「えっ」

 ビクつきながら、反射的に及び腰で両手を突き出して球を迎えに行ったが、右手親指の付け根に弾かれて、地面でワンバウンドした。歩道脇の植え込みにがさりと入り込んだそれを、猫背になりながら見ていると、

「はよ取れや」と怒られた。


 高橋は、彼らと肩を寄せるように並んで歩く。私だけ離れ小島のように距離がある位置取りで歩を進める。高橋は彼ら三人とおしゃべりで盛り上がっているが、野球の話はほとんど出てこない。       

「あのドラマめっちゃおもろかったよなぁ」高橋は、エナメルバッグからクッキーを取り出して齧りながら言う。

「あー、それな、録画ミスっててん。ほんで最初の一五分くらいしか見れてへんねん。あー腹立つ」三人のうちの一人がそういうと、高橋は表情を高揚させて、発注を受けた営業マンのような顔になった。

「ほなDVD貸したるわ、今日遊びに来るとき取りにきぃや」

「まじか。サンクス」

 

 十字路がすぐ先に見えて、そろそろ彼らと道を分かれるかというところまで差し掛かった。一息深呼吸をつくと、ジィーと蝉が近くで汚く鳴いた。

「ほないつも通り二時に遊びに来てな」四人が話している後ろから

「あのさぁ」少し声に痰が絡んだ。

「プレステ6ってあんなちっちゃいんやなぁ、初期と比べたら半分くらいしかないんやなぁ」

「えっ、お前持ってんの?」四人が目を見開いた。視線が俺に集中する。

「しかも黒しかないもんやと思ってたけど、限定で赤なんかあんねんなぁ。部屋ン中で浮いてしゃあないわ」

「おい、お前はよ言えや!なんで言わんかってん!」三勇士が息まく。

「自分ら、やりたいん?ソフトがプロ野球ネオしかまだあらへんけど」

「最高やんけ!」私は、賛辞の声を全身で浴びた。

 内側で血が暴れている。下から上へ、神輿を筋骨隆々の男が担ぎ上げるように盛っている。熱い。口角が天まで届くように突き上がる。

 跳ねるように肩を組んで歩く私たち四人の後ろで、高橋はというと、斜め後ろでキレイなユニフォームの白を恥じるように、俯き、歩みを遅くしている。高橋は視線を上げ、一瞬逡巡するような間をあけ、表情を笑顔に切り替え、エナメルバッグをばったんばったんと体に打ち付けながら、「待てやー」と駆けてきた。

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