『擬花』
擬花
十六歳。高校二年生。
あだ名は「あやちゃん」「あーや」「とっきー」「ときちん」など多数。
身長は百六十と少しくらい。体重は知らない。血液型はAB型。八月生まれの乙女座。
京都市内で両親と三人暮らし。一人っ子。
東京都出身。高校一年のときにこっちへ引っ越してきた。
好きなものはかわいいもの、おしゃれすること、動物、グルメ番組、嵐の櫻井くん、食べ物は甘いものぜんぶ(特にいちごのショートケーキ、出町柳にある「ふたば」の豆大福)。
嫌いなものはお化け、辛い食べ物全般、話のつまらない校長の全校朝礼、数学の授業、タバコ臭い数学教師の担任。
趣味は刺繍、料理、四条河原町でショッピング、寝ること、飼い猫のショコラと遊ぶこと、ティーン向けファッション雑誌を書店で立ち読みすること。
髪型はゆるふわセミロング。化粧はちょっと薄め。
いままでにした恋の数、秘密。
ひとはみんな彼女のことを、「お花みたいな女の子」と言う。私は少しちがうと思う。「お花みたいな女の子」ではなく、女の子の姿をした「花の妖精」だ。
そう言うと彼女はおかしそうに笑う。
「なにそれ、『花の妖精』?」
「そう。絢花は花の妖精。しかもオオイヌノフグリとかそんなんじゃなくて、ダリアとかアマリリスみたいなおしゃれなやつ」
「結衣は相変わらず頭メルヘンやなぁ」
しほが横槍を入れてくるので、私は「うるさい」と一蹴した。鼻にかかったような甘ったるい声を出すが、その実とても腹黒い彼女は、松ヶ崎しほ。十七歳、高校二年生、血液型は気まぐれなB型、五月生まれの牡牛座、あだ名は「しーぽん」、好きなものは男性アイドルグループ、男性アイドルの出ているドラマ、男性アイドルの歌う音楽。
「ダリア……アマリリス? どんな花なの?」
「よう知らん。名前おしゃれやから言ってみただけ」
「なにそれ。あはは、結衣ってほんとうにへんなこと言うんだね」
「いや、ぜったいにそうやって。ほら、名前に花ついてるし」
「親がつけたんだよ」
絢花は私の冗談で、ほんとうに花が咲いたみたいに笑う。地味な私とは大違いだ。柿沢結衣。十六歳、高校二年生、あだ名はそのまま下の名前、身長は平均くらい、体重は(中略)、血液型はO型、十月生まれの天秤座……。こんな私のプロフィールを言っても、誰も続きを聞きたがらないだろう。
絢花はちがう。みんなに可愛がられて、みんなから愛されて、みんなに気にかけられる。男の子も女の子も、上級生も下級生も、絢花の嫌いな数学教師の担任も、みんな絢花のことを褒めそやす。「お花みたいだ」と讃える。クラスで女子に人気のある雨宮翔平も、彼女のことをそう言っていたのを知っている。私もそれに混じって、「みんな、ちゃうねん、絢花はお花の妖精やねん!」と囃し立てる。
あはは、と絢花が笑う。それを見て私は、お花みたいな女の子なんじゃない、お花が女の子になってるんだ、そう確信する。
当然ながら、絢花は男子に人気がある。中学三年生のとき、男子からもらったラブレターで靴箱のふたが閉まらなくなった伝説、というものを聞いたことがある。絢花でなければ信じないが、絢花だったら納得できる。なにせお花が女の子なんだから。
絢花も恋愛には興味があるみたいで、友だちと学校帰りに「ふたば」へ寄ったときは、得てして恋バナになりやすい。
「あやっぺはどんな男子が好みなのぉ?」
ちょっかいを出すように、絢花にしほが問いかける。
「私? 私は——」
「ちなみにうちは、包容力があって、優しくて、キスマイの玉森くんみたいにかっこ良くて、おもしろくて、デートはちゃんと計画立ててエスコートしてくれて、あと、キスマイの玉森くんみたいに」
「しほには訊いてへん」
しほと私のやりとりを見て、絢花はふわふわと笑う。
「私ね、結衣の好きな人が知りたいなあ」
「……え?」
夏の暑い日に降る夕立のように、とつぜん絢花は私に視線を向けて言った。
「私の?」
「そう。だって結衣、いつも私のことばっかり聞いてくれるくせに、自分のことってあんまり喋らないじゃない。私だって結衣の友だちなんだから、もっと結衣のこと知りたいし」
「……そうかな」
「そうだよ。ねえ、しーぽん?」
絢花はいたずらっぽく笑みを浮かべて、しほの方を見る。
「え、あ、ごめん。聞いてへんかった」
「ひどい」
「豆大福がおいしかってん」
「それはいつものことでしょ」
「確かに!」
おちゃらけたしほがぺろりと舌を出す。
それを見て私は安心した。よかった、私の「好きな人」がどうこうの話は、どうやらしほのいい加減な性格のおかげで、うやむやになりそうだ。私はしほに見当外れの感謝をしながら、豆大福を一口頬張った。やっぱりおいしい。絢花が気に入るのも頷ける。
「結衣」
絢花の呼びかけに、心臓が跳ね上がった。
「話は終わってないわ。結衣は、どんな人が好きなの?」
「……わ、私はべつに」
「うち知ってるで」
しほの得意の横槍が飛んできた。だめ。なんで、こんなときに。
「結衣は雨宮くんのこと好きやねん。本人たちは気づいてへんけど、丸わかりやで」
「……そうなの?」
「……」
私は言葉を発することができなかった。しほを睨みつけると、彼女は「あれ、あかんかった?」と今さら慌てたような声を出す。
「ち、ちがうよ。雨宮……くんは、ただの幼馴染だし、私はべつに」
「結衣」
なぜだか絢花は、満足したような、それでいてどこか切なそうな表情を浮かべた。
「いいんだよ、結衣」
なにがいいんだ、と言いかけて、やはり声が出なかった。バスが来てしまったのだ。絢花はこのバス停から、京都駅方面へ向かうこのバスに乗って帰途へ就く。
絢花がバスに乗り込む。そしてこちらを振り返った。ドアが閉まるその瞬間、彼女の口が動くのが見えた。
その口の動きが示した、四文字の言葉。
絢花を載せたバスが行ってしまったあと、私は立ち尽くした。
彼女が転校してきてから、あんな表情は見たことがなかった。絢花のあの表情は、なんだったんだろう。そしてあの言葉には、どんな意味があったんだろう。
「絢花」
そうつぶやいた私の横顔を、豆大福を食べ終えたしほが、心配そうに見つめていた。
雨宮翔平とは小学校以来の幼馴染だ。
小学校のときの翔平は泣き虫だった。身体があまり強くなく、調子に乗ったクラスの男子からよくからかわれていた。彼があまりにも立ち向かわないものだから、見るに見かねて仲裁に入ったことがよくある。幼い頃から姉の影響でバスケをやっていた私は、生来の頑強さもあり、翔平をからかう男子たちを撥ね付けた。「メスゴリラ」「女版マイケル・ジョーダン」といった不名誉な称号がついていたのも、そのころだった。
中学に入って彼は変わった。サッカー部に入部して身体を鍛えていたし、なにより人前で泣かなくなった。私が喧嘩の仲裁に入ることもなくなり、だんだん彼とは距離が離れていった。寡黙な雰囲気と整った顔立ちで、彼は女子から持て囃されるようになった。クラスの友だちから「雨宮くん紹介してや、仲良いんやろ」と言われても、曖昧な返事しかできなくなった。身長が伸び悩み、けがをしたこともあって、私はバスケを諦めた。私に対する彼の呼び名は「結衣ちゃん」から「柿沢」になったし、私も彼を下の名前で呼ぶのをやめた。ぜんぶ「いつの間にか」だ。人生におけるターニングポイントなんて、ぜんぶいつの間にか通り過ぎているものだ。
そして私は、今の翔平との関係を、少し寂しく思っていた……もちろんそれも「いつの間にか」。
でも、私はぜんぶ憶えている。翔平とのエピソードの一つひとつは、私の大切な思い出なんだ。
「ふたば」での一件から数日後、私は最寄り駅で電車を降り、家へ向かう川沿いの道を歩いていた。あの一件から絢花は、なんの変わった様子も見せずに私に接してくる。ほんとうになにもなかったかのように。だから私も、その話を切り出すことができない。私は少し安心して、少し気味悪く思っていた。
「柿沢」
ういに後ろから声をかけられた。振り返り見ると、そこには雨宮翔平が立っていた。
「あ、雨宮……くん」
翔平はそのまま歩を進め、私の隣に並んだ。そのまま二人で、しばらく無言で歩き続けた。
「……久しぶりやね、こうやって歩くの」
「ああ」
ほかに返事ないんか、と私は思った。彼はまさに寡黙で、必要最低限のことしか返事をしないし、喋らない。今の「ああ」も、きっと彼にとって必要最低限だったんだろう。
じゃあ、なんで私を呼び止めたんだ?
「わ、私こっちの道の方が近いから……雨宮、くんも、その方が近道だよね」
「ああ」
彼にとっての、必要最低限の言葉。彼がなにを思って、なにを考えていても、私にとってはただの「ああ」でしかない。それがとてつもなく滑稽で、ちょっぴり哀しかった。
「知っとるよ。何年一緒にいると思うとるんや」
「……そやね」
やっぱり滑稽だ。彼は何一つ変わっていないんだな、と思った。いつの間にか変わってしまったと思っていたのは私だけで、翔平は今も私を私のままで見ていてくれている。それがとてつもなく滑稽で、とてつもなく嬉しかった。
そうしてしばらく歩いてから、翔平が私に語りかけた。
「なあ、柿沢」
「ん?」
「常磐木って、どんなやつ?」
翔平のその言葉に、私はひどく動揺した。
なんだ、どうして翔平から、その名前が出てくるんだ?
「常磐木絢花。柿沢、あいつと仲ええんやろ」
「……それはそうやけど」
私は遠くの山々の稜線を視線でなぞった。そうでもしないと落ち着くことができなかった。
どうして翔平は、しかもこのタイミングで、絢花の名前を口にした?
「……ええわ、柿沢。忘れて」
「忘れてって、そんな」
「ええから。じゃ、俺こっちの道やから」
彼は右手をひらひらと振って別れの挨拶とし、私に背を向けて去って行ってしまった。私はその後ろ姿を、ただ見つめることしかできなかった。彼にとっての、必要最低限の言葉。それは「ええわ、柿沢。忘れて」だったのだ。
——いいんだよ、結衣。
——ええわ、柿沢。忘れて。
なにがいいんだ。絢花も、翔平も、二人して……なにがいいんだ。私はそうして蚊帳の外か。
なんだかとてつもなく滑稽で、とてつもなく、寂しかった。
翔平と絢花が付き合っているという噂を聞いたのは、それから程なくしてだった。
「ニュースだよ結衣、大ニュース!」
「なに」
「あやっぺと雨宮くん付き合ってるんやって! うちびっくりしちゃった、結衣って雨宮くんのこと好きやったんちゃうの!?」
しほがそう喚くのを聞いて、私の意識は薄まりかけた。知らないうちに足が動いていた。教室にいた絢花を見つけると、私は無意識に彼女ににじり寄っていた。
「どうしたの、結衣」
「どうしたのじゃない」
きつい口調で言ってしまっている自覚はあった。感情を抑えられなかった。それでも絢花は、動揺したそぶりを見せない。風に揺れる花のように、静かにそこに佇んでいる。
「翔平と付き合ってるの?」
「へえ。結衣、雨宮くんのこと、『翔平』って呼ぶんだ」
「ごまかさないで」
「ごまかさないわ」絢花は毅然とした態度で言った。「結衣こそ、自分の気持ちをごまかすのやめたら? どうして雨宮くんのことで、そんなにムキになってるのかしら。しーぽんが結衣の好きな人は雨宮くんだって言ったとき、あなたなんて言ったか憶えてる?」
私は歯嚙みした。憶えている。翔平に関することは、ぜんぶ憶えている。
「ちがう、って言ったのよ。ただの幼馴染だって」
「……」
「ねえ、結衣。ごまかさないで。あなたほんとうは、雨宮くんのこと好きなの? 私が雨宮くんと愛し合うようになって、悔しいの?」
「だとしても、どうしてこんなことするの」
「だって……おもしろいじゃない」
「——ッ!」
「やめて、結衣!」
私は我を忘れていた。しほが止めてくれなければ、そのまま絢花のことを傷つけていたかもしれない。
教室の扉から翔平が入ってくるのが見えた。彼と目が合った。彼はその視線を絢花の方に移し、そしてまた私を見たあと、目を伏せて自分の席へ行ってしまった。
私の心は絶望に塗り潰された。なんでこんなことに。なんで。どうして。
「結衣」
絢花が言った。「ごめんね」
それは、あのときバスのなかで、彼女が言った四文字の言葉。私の心を掻き乱した、呪いの言葉。
私は絢花のことをなにも知らなかった。豆大福が好きだとか、そんなことはどうでもよかったんだ。彼女はもっとどす黒いものを隠し持っていた。私はそれを見抜けなかった。
お花みたいな女の子、常磐木絢花。ちがう、と私は思った。お花みたいな女の子じゃない、ましてや花の妖精なんかでもない……花みたいな女の子の形をした、ひとを惑わす魔女。
花
静かに笑みを浮かべる絢花を見て、私はどうすることもできなかった。休み時間の終わりを告げるチャイムが、教室にむなしく響き渡った。
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