『流星カレイドガール』
流星カレイドガール
帝都コーべの街に、今日もサイレンの音が響きわたる。
星空が包み込む闇を流星のごとく引き裂くひとつの影。建物の屋根から屋根へと移っていくそのたびに、月明かりを受けて頭上のティアラが閃きを放つ。宵闇に浮き上がるウェディングドレスの純白は、
「やられたっ、またあいつか!」
「今夜こそ捕らえろ、増援呼べ!」
喧々囂々のヒョーゴ警察を尻目に、影は屋根を伝って宵闇へ消えてしまう。
今日もしてやられた、とヒョーゴ警察の刑事たちは肩を落とした。今月でもう四件目だ。年末が近づくと、「あいつ」の活動は活発になる。警察は捕らえようと躍起になっているが、それを上回る手口で、「あいつ」は警察の包囲網をすり抜けていく。その根幹をなす「あいつ」の得意技。事件のたびに披露される、巧みな変装術。
「あいつ」の正体は、ひとりの少女であった。
彼女の名は西宮カレン。人呼んで、「怪盗・
○
「なにがカレイドガールだよ。ただのコスプレじゃねえか」
寝っ転がってニュース番組を観ながら僕がそうつぶやくと、頭を思い切り足蹴にされた。
「いってえ!」
「あ? おまえいまなんつった? もういっぺん言ってみろ」
こぶになってないか頭をさすって確かめながら、僕は足蹴の張本人に恨めしげな視線を向けた。
「カレン、ごめん僕が悪かった。なにがカレイドガールだ馬鹿馬鹿しい、おままごとみたいなただのヘタクソコスプレじゃねえかって、ちょっと悪口が過ぎたよね——あぁっん!?」
こんどはお尻を蹴り抜かれたので、口からへんな声が漏れた。
「コスプレじゃないよ失礼な。あれは立派な変装術だ」
彼女——西宮カレンは、ここ帝都コーベでいま話題になっている怪盗だ。狙った獲物を可憐に盗み出す手口の鮮やかさと、万華鏡のように七変化するコスプレ衣装——彼女曰く「変装術」——は、巷で大きな話題になっている。
「なんだい、梅田だって昨日はなんの役にも立たなかったじゃないか。変装術を伝授しているというのに」
「当然じゃないか。もう僕の出る幕ではないよ、僕は探偵なんだから」
そう、僕は探偵だ。他人の秘密を追いかけてむざむざと暴いてやるのが職業である。人に追われて逃げるのは性分に合わない。「それに、昨日は
「……気持ち悪い」
カレンはおええ、と吐き出す仕草をした。
僕とカレンのあいだには、不思議な関係がある。怪盗と探偵。一見正反対のように見えるが、僕らはいわゆる「タッグ」を組んでいる。カレンという怪盗が世間一般に(大っぴらではないにしろ)迎え入れられているのにも、そこに秘密がある。
彼女は、いわゆる「盗品」専門の怪盗だ。
どこかからなにかが盗まれたとき、事件として探偵の僕が調査をし、その真相を探って盗品の在処を暴き出して、それをカレンが盗み出す。カレンはつまり、怪盗を狩る怪盗。吸血鬼の血を引きながら吸血鬼を狩る、さながらダンピールのようなものと言ったところか。
「おまえ、いつになったら役に立つんだ」
「カレンだって失礼じゃないか。僕は探偵としてしっかりきみを補佐しているよ。だいいち僕の特技は水泳なんだ、いくら夙川警部がいい歳したおっさんだからといって、陸の上のチェイスじゃあ僕も満身創痍だよ」
おまえは魚か、とカレンが小さく突っ込みを入れた。
「ていうか梅田、水泳得意だったのか。いままでぜんぜん知らんかった」
「能ある鷹は爪を隠すというしね」
「じゃあ次の事件では、梅田の本領発揮を期待してるよ」
「合点承知……と言いたいところだけど、残念だね。冬は寒いから休業なんだよ」
「使えないな」失礼なやつだ。
「ところでカレン、昨日の獲物はどうだったのさ」
「上物だね。妹たちも喜ぶよ」
そう言った彼女の表情には、言葉とは裏腹にかすかな翳りがあった。
「……もうそろそろだね」
「……うん」
そう言って彼女は、壁に懸けてあるカレンダーに目を向けた。今年も残すところあと一ヶ月。年の瀬の忙しさに先生も走る月、その二十四日につけられた、大きな赤いマル。
クリスマスイヴは、もうすぐそこだ。
○
カレイドガールの次なる獲物は、帝都コーベの臨海地区にある巨大な倉庫から、一等品のダイヤモンド「ヒョーゴの涙」を盗み出すことだった。ヒョーゴ国立博物館から盗まれたもので、これから海外へ転売されるために、コーベ港で船を待っている状態らしいことを突き止めた。ほかならぬ僕が。
「梅田情報だろ? あてになるのかそんなもん」
先日のコスプレ呼ばわりが頭に来たらしく、カレンはぶつぶつ文句を垂れながら出立の準備をしている。
「いままでさんざんその梅田情報で動いてきたじゃんか。いまさらなんだよ?」
「知らない人についていっちゃいけませんって、小学校のころ先生に教えられたのを思い出したんだ。梅田みたいなへんな人の言うことなんて、聞かない方がいい」
「はいはい、いい子でいらっしゃいますね! いまごろそんなこと思い出しても遅いわ!」
「まだ心は小学生だから遅くない」意味わからん。心は小学生ってそれただの厄介なやつじゃねえか。「何事も初心忘れるべからず。わかったかい梅田くん」
「はいはい、わかりました……でも今回の情報は確実だよ。ヒョーゴ警察の情報データベースから拾ってきたものだからね」
「ふうん」
そうこうしているうちに、カレンの準備が整ったようだった。今日は港を巡視する警備会社職員の扮装(コスプレ)だ。
「似合ってますよ」
「うるさい」
カレンは倉庫の従業員通用口を偽造IDカードで通過し、締切の扉をピッキングしながら、着々と獲物の在処へ進んでいった。さすがに手際がいいな、と僕は感心する。対して、彼女の持ったGPSや無線でのやりとりから、遠隔地で僕が目的地へと誘導する。僕ほんとは探偵なんだけどな、といつも思うのだが、こういうスキルは上達していく一方だ。
『……あった』
無線のスピーカーからカレンの声が聞こえた。『あったぞ。「ヒョーゴの涙」だ』
「……了解。丁重に扱って、回収しだい、戻ってきてくれ」
自然と声のトーンが落ちた。目的地に予定通り到達し、獲物も回収し、万事順調にコトが運んだのに、気分が晴れないのはどうしてだろう。なにかとてつもない違和感がある。得体の知れない大きな黒い影が、僕らの周囲をゆっくり蝕んでいるような感覚がある。
コトがうまく運んでいる。むしろ、うまく運びすぎている。
いやいや、と僕は邪念を振り払った。考え過ぎだろう。これもすべて、僕の参謀力が上がりすぎたせいだ。帰ってくるカレンと合流して、早くここを撤退しよう——そう思ったときだった。
倉庫の入り口に怪しい影が見えた。
カレンのものではない。僕は身を屈めて目を凝らした。ガタイのいい男が数人、倉庫のなかの様子を伺うようにまわりを取り囲んでいる。彼らはみな一様におなじ制服を着ている。宵闇に沈んで細部は見えないが、あの制服はいやと言うほど見させられている。
しまった、と僕は絶望した。
これは罠だ。僕とカレンをおびき出すための、罠だったんだ。
「カレン、作戦中止だ。いますぐ撤退してくれ」
『え、なんで。あたしなんかやらかした? それとも、今日ってブラタモリの日だっけ』
「大丈夫、ブラタモリは予約してある……ってそうじゃない。これは罠だよ」
『ワナ?』
「きっと夙川警部だ……くそっ! 情熱的にすぎるぞ、このトラップは!」
警官たちが武装しているのが見えた。彼らは僕たちとちがって、獲物を丁重に扱う気はないらしい。
数人の警官の前にひとつの影が躍り出た。夙川警部の姿だ。彼は拡声器を使って話しだした。
「怪盗・カレイドガール——いや、西宮カレン! そのおまけの探偵梅田!」おまけって言うなよ。「——いや、西宮カレンの尻にくっついている金魚のフンみたいな探偵梅田!」言い直すな、よけいなお世話だ!「おまえらは完全に包囲されている。おとなしく出頭しろ、いまなら終身刑くらいで済ませてやる。時間をかければかけるほど、おまえらにとって状況は悪くなるぞ。出てくるならいまのうちだ!」
『おい梅田、どうしたんだよこれ? ドッキリなの?』
「ドッキリじゃないよ」
『マジ……?』
『大マジさ』
無線から野太いおっさんの声が聞こえたので、僕は思わず無線機を取り落としそうになった。
『……おい、梅田』あわてたようなカレンの声。『急にずいぶん声が老け込んだな。おまえそんなに苦労してたんか。ごめんな、来月から給料ちょっと上げてやるからな』
「ありがとう……ってそうじゃない、いまのは僕じゃないぞ!」
『こんばんは、探偵くん』
夙川警部の声が僕の脳内に響き渡る。僕は痛み出した頭を抱えた。
『無線はハッキングさせてもらった。おまえらはすでに我々の手のうちだ。ニセモノの「ヒョーゴの涙」のもとには特殊公安部隊を送り込んであげたよ。彼らは戦闘のエキスパートだ……だが、血の気が多い連中ばかりでね、少々持て余していたところだ。正直私の手に負えるかどうかわからない。西宮カレン、彼女は無事で済むかな』
『なにいーっ、むさくるしい連中はいやだぞ!』
『あと私の声を「老け込んでる」とか抜かしたのは許せん! いますぐ死刑にしてやる!』
『いやだ、死にたくない! ブラタモリ観たい! どうにかしろ、梅田!』
夙川警部のねっとり老成した声と、カレンのぎゃあぎゃあうるさい喚き声が、僕を両側から追い込んでくる。この状況、いったいどうすればいいんだ。
『さあ、くだらない漫才はもう終わりだ。どうする? 探偵くん』
『おい、どうする!? 探偵!?』
「どうしよう……っ!」
僕は思わずうつむいた。
——万華鏡のように七変化する、
そのとき、僕の脳裏にひとつの秘策が、流星のごとく閃いた。
○
帝都コーべの街に、今日もサイレンの音が響きわたる。
星空が包み込む闇を引き裂くひとつの影。地べたをかけずり回って側溝を飛び越えるそのたびに、月明かりを受けて頭上のティアラが閃きを放つ。宵闇に浮き上がるウェディングドレスの純白は、
「いたぞっ、カレイドガールだ! 捕らえろ!」
「増援要請! 増援要請!」
喧々囂々のヒョーゴ警察に追われながら、影はぜえぜえ息を荒げてコーベ大橋の欄干に寄りかかる。影の目の前には、十数名におよぶ警官の姿。そして後ろの眼下には、冷たく月光を反射する、冬のオーサカ海の水面。
「いよいよクライマックスだな。こんどこそ追いつめたぞ」
勝利を確信した夙川警部が不敵に微笑む。
「特殊公安部隊を含め、総員ここへ集まっている。もうおまえの退路は断たれたんだ。観念しろ、西宮カレン!」
「……ふっふっふ」
「なにを笑っている。ここで辞世の句でも詠むか!」
「……はっはっは!」
影の発する笑い声が、帝都コーベの宵闇を切り裂くように響く。その声を聞いて、何人かの警官が異様な空気を察し、警棒に手をかけた。しかし、すべてはもう遅きに失している。おまえらは負けたんだ。
「夙川警部。くだらない漫才は終わりだ」
そう言って、影の正体——「僕」はウェディングドレスのベールを外した。
「なにっ……!」
「嘘だろ……!」
「……変態だ!」
瞬時に固まってしまったヒョーゴ警察の面々を尻目に、僕は橋の欄干を乗り越え、オーサカ海に飛び込んだ。冬のオーサカ海は月光に照らされ、鋭利な冷たい光を放っている。これに頭から飛び込んだら、僕生きては帰れないな、と走馬灯が呼び出されたそのとき。
波をかき分け、オーサカ海を疾走してくる一台のボートがあった。
僕はそのボートの荷台に着地した。
「どうだ、タイミングはばっちりだろう」
欄干に駆け寄って、アホ面そろえてオーサカ海を見下ろすヒョーゴ警察を見上げながら、カレンがつぶやいた。
「ああ、おかげで助かったよ」
「梅田、おまえすごい格好だな」カレンはウェディングドレス姿の僕を見て、思い切り顔をしかめた。「こんな強烈なもん見せられた警察も不憫だな」
「うるさい、これも一応カレンの変装術だよ。……それにしても、よく僕の作戦がわかったね」
「……水泳が特技、と言ってたからね。役に立つとしたら、いまくらいかなと思ったんだよ。でも、冬の海は寒いから、その、風邪引いたら困ると思って、それで……」
だんだんカレンの声が小さくなっていく。その様子を見て、僕は思わず笑ってしまった。
「なんだよっ! あたしが船を出しちゃ悪いか! おまえが風邪引いたら業務に支障が出るんだ、いったいだれが盗品の場所を暴くというんだっ!」
ぽかぽか両拳で僕を殴ってくるカレン。いや、わかったから、ちゃんと前見て操縦して?
「ていうか、きみって船舶免許持ってたっけ?」
僕がそう問いかけると、カレンの顔は一瞬にして蒼白になった。
「やばい、あたし免許持ってなかった!」
カレンと僕の悲痛な叫び声を載せて、無免許運転のボートは月光輝く海面を驀進していく。
○
帝都ポートタワーの展望台からは、宝石をちりばめたみたいにきらきら輝くコーベの街灯かりが見える。
身を切るような寒さのなか、それでもあたたかく胸の底が照らされているような、そんな不思議な感覚を覚える日。
クリスマスイヴ。
「すまん、待たせた」
そう言ってカレンは、僕の待つ帝都ポートタワーの展望台までやってきた。
「おかえり。どうだった? 孤児院のみんな、喜んでくれた?」
「うん、汗水たらして働いた甲斐があったよ」
僕らは働いてないけど、と言おうとしてやめた。カレンだってわかってる。僕らがしていることは、褒められたことではないのだ。孤児院に寄付すると言っても、しょせんそれはすべて盗品。れっきとした犯罪行為の産物。
「妹さんは?」
「満面の笑みだったよ。『サンタさん、ありがとう。来年もまた来てね』だってさ。……梅田、おまえのおかげだ」
なんと言っていいかわからず、僕はただ頭を掻いた。
「今年もプレゼントをあげることができた。両親も早くからいないし、姉のあたしもこんなことやってるしで、あいつには頼るものがいないんだ。久しぶりに笑顔が見られた。あたしにとっても、この上ないクリスマスプレゼントだったよ」
僕はうつむいたまま、彼女の眼を直視することができない。
先日の夙川警部との大立ち回りでは、けっきょくなんの成果も得ることができなかった。僕の突き止めた事件は実は警部の罠で、「ヒョーゴの涙」もニセモノで、単にカレンを身の危険にさらしただけだった。そうさせたのは、ほかならぬ僕だ。
せめて罪滅ぼしを——孤児院にいるカレンの妹に僕自身からプレゼントを贈ったのは、そんな思いからだった。贖罪。それは、ただ自分の罪を赦してくださいという、身勝手な行為にすぎない。
梅田、とカレンは僕の名を呼び、こう言った。
「ありがとう」
だから、カレンのその言葉は、仄暗い海を照らす灯台のように、僕の冷えきった心をあたためた。刹那的な充足感。流れ星が消えないうちに願い事を三回言えたときのような、儚い喜び。
「……そんなへんな格好で言うなよ」
「な、なんだと! これだって立派な変装術だ!」
真っ赤な衣装にたっぷり白髭を生やした格好をコスプレ以外になんと言うのか、僕は不思議でならなかったが、これもカレイドガールの面目躍如といったところだろう。孤児院のみんなもさぞかし喜んでくれたにちがいない。
「……なあ、梅田」
「なに」
カレンが急に声を落としたので、僕は彼女を見つめた。展望室の暗い照明のせいでよくは見えないが、彼女の顔はほんのり赤みが差しているように思える。
「今日はクリスマスイヴだな」
「なんだよいまさら。だから孤児院に行ったんだろう」
「ちょうどあたしはサンタクロースの変装をしている」
「変装じゃなくてコス……そうだね」
「……ぷ、ぷぷ、プレゼント、欲しくないか?」
「……え?」
そう言ってカレンは、担いでいた白い袋を床に下ろし、中からなにかを取り出した。彼女の手のなかにあったのは、ひとつの紙包み。
「僕に?」
「いらないならいますぐオーサカ海に沈めてやる!」
「待って待って、受け取るから!」
オーバースローでぶん投げる仕草を見せたカレンを制止し、その手から包みを取り上げた。よく見ると、サンノミヤ駅前にある有名高級デパートの包み紙だ。かの怪盗・カレイドガールがお忍びでデパートに買い物に行く姿を想像すると、僕は思わず笑ってしまった。
「ありがとうカレン。開けていい?」
彼女が小さくうなずくのを見て、僕は逸る気持ちを抑えながら包み紙を開けた。その中から出てきたのは——。
「海水パンツだ。動きやすく機能的なタイプだぞ」
「……」
「水泳が得意だと言っていたからな! これで夙川警部と競泳でもしたらいい」
どうやらカレイドガールのプレゼント選びセンスは壊滅的だったらしい。
「どうだ、嬉しいだろう?」
「ああ、嬉しいよ」
でも、嬉しかった。これは僕の本心だった。「えへへ」と赤ら顔ではにかむカレンを見つめながら、僕は怪盗・カレイドガール——いや、目の前にいる西宮カレンというひとりの少女に、心を奪われてしまったんだなあ、と思った。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、今夜も帝都コーベの街は、満天の星空みたいにきらきら輝いている。
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