4−8
『そうだ、桃子部長、いる?』
藤堂さんが訊ねる。うん、と桐宮さんはうなずいたあと、スマートフォンを桃子部長に差し出した。すこしためらいを見せたあと、桃子部長はそれを受け取り、耳に当てた。
「もしもし?」
『……お久しぶりです、桃子部長』
「久しぶり、芽以。なんや、その……いままでごめんな」
神妙な面持ちで桃子部長が言った。自分の部活で起こったことで傷ついてしまった部員の声に、彼女は気づいてやれなかったのだ。その心中は計り知れない。
しかし、そんな桃子部長に対して藤堂さんは気丈に振る舞う。
『部長。次のコンクールでお逢いできるの、楽しみにしてます』
「芽以……」
『わたし、部長たちの演奏、ぜったいに聴きに行きますね』
「……ありがとな、芽以」
桃子部長の表情にも笑みがこぼれた。永いあいだ凍りついていた大地に春の花が根差したみたいに、彼女の表情は晴れた。
それぞれまた一言ふた言交わしてから、桃子さんたちは電話を切った。そのあと桃子さんは、窓際に座っている阿久乃会長のもとへ行き、会長の目の前に立った。
「……柊」
名前を呼ばれた会長は、ゆっくりと顔を上げた。宵闇に輝く星みたいな光をたたえて、彼女の瞳は桃子さんを見つめている。
すっと自然に、なんのためらいもなく、桃子さんは頭を下げた。
「いままですまんかった。このとおりや。ぜんぶウチらの勘違いやった。あんたは、ウチらの夏日を、助けてくれたんやな」
桃子さんの低い声がしずかな生徒会室に響く。
「これがあんたらの『生徒会活動』って言うんなら、あんたらの勝ちや。選挙で吹奏楽部の票がほしいってんなら、ぜんぶくれてやる。約束する」
桃子さん……と僕は思わず声を漏らした。それに気づいた彼女は僕のほうを振り向き、歩み寄ってくる。
「未草ちゃん、キミにも感謝や。キミのおかげで、ウチらは間違いを犯したままおらずに済んだ。せやから、戦争はもうおしまい。せやろ?」
「……そうですね」
「ほんまにありがとう」
そう言って彼女は右手を差し出した。僕もそれに応える。また「長らく冷戦状態だった両国首脳が和平対談で歴史的握手」みたいになっているけれど……そうだ、もう戦争はおしまいなんだ。
僕たちの握手が終わったあと、ずっと押し黙っていた桐宮氏がその口を開いた。
「よかったな」
その言葉を聞いて、桃子さんがぷっと吹き出す。
「なにのんきなこと言ってんねん」
「いや、よかったんだよ。夏日には、ちゃんと居場所があったんだな」
「……居場所?」
環先輩が彼の放った言葉を繰り返した。
「そうだ、居場所だ。夏日が吹奏楽部を辞めるって聞いて、すごく心配したんだ。こいつ引っ込み思案だから、友人は少ないんじゃないかと思っていて」
ひでえ言い草だ。でも、彼は桐宮さんのじつの兄だ。肉親だからこそ、妹の学校生活をほんとうに心配していたんだろう。
「ずっとやっていた吹奏楽をやめて、夏日にとってこの学園に居場所が残るようには思えなかったんだ。だから、俺はこの同好会をつくった。吹奏楽部を辞めた夏日が、『逃げ込める』場所がどこかにあるように」
いちばんはじめに河川敷愛好会の部室に行く途中で、環先輩が読み上げた愛好会の資料。
——設立は去年の下期。かなり新しい同好会ね。
阿久乃会長の襲撃事件は去年の一〇月だ。つまり去年の下期。夏日さんが吹奏楽部を辞めることを知って、彼は妹の居場所をつくるために同好会まで用意したのか。それならば、きっと活動内容なんてどうでもよかったんだろう。「河川敷を知り、河川敷に親しみ、河川敷を愛する」……あのよくわからん同好会の正体は、肉親を想う気持ちの結晶だったんだ。
「でも、ちゃんと居場所はあったんだな。この、生徒会という居場所が」
桐宮氏はわれわれ生徒会の面々を見回して言う。
「ひとりの仲間のためにこれほど駆けずり回ってくれるやつらなんて、そう簡単にはいるもんじゃない。ほんとうにきみたちは、夏日のことを想ってやってくれたんだな」
彼は僕と環先輩を見据える。向けられた視線がこそばゆくなった僕は、その場でみじろぎをする。環先輩も、やさしく静かに微笑んだ。
「俺たちも、今度の選挙では柊政権に票を渡そう。ほかの同好会にも根回ししといてやる。まあ、もともと善桜寺に入れてやる義理もなかったんだがな。せめてもの礼儀だ、受け取っておいてくれ」
そして彼は、妹を見つめて言う。
「夏日。生徒会に入って、こいつらに出逢うことができて、ほんとうによかったな」
その言葉に、彼女は満面の笑みで微笑んだ。
「……うんっ」
桃子さんと桐宮氏が去っていったあと、僕は生徒会室の外の廊下で桐宮さんと向かい合って話をした。
「……未草、くん」
「なに?」
「わたしずっと、こ、後悔していたん、です。芽以と仲直りできなかったこと、ごめんねって言えなかったこと」
「……」
僕は思った。ふたりともおなじだったんだ。桐宮さんも藤堂さんも、思っていることは同じだったんだ。どちらもたいせつな友だちを傷つけてしまった自分を責めて、ずうっと謝罪と仲直りの言葉を伝えたくて、それでもそれが叶わなかった。
僕と環先輩がはじめてコンタクトを取ったとき、藤堂さんは見ず知らずの僕たちに自分の想いを伝えてくれた。
『夏日と、仲直りをしたいんです。ずっと後悔してて、まだあきらめられなくて、どうしても、夏日に伝えたいんです』
引っ込み思案の彼女が見ず知らずの僕たちにこの想いを伝えるのは、相当の勇気が必要だっただろう。でも彼女は伝えてくれた。それだけ切実だったのだ。引っ込み思案ということは、相手を想いやるやさしさがあるということ。自分の言動が相手にどう伝わってしまうのか、どう受け取られてしまうのかを考えすぎてしまって、ひととの距離を縮める一歩を踏み出す勇気がないだけだということ。
でも、もう大丈夫。お互いを想うふたりの気持ちは、しっかりと届いた。
「あなたの、おかげ」
桐宮さんが僕に語りかける。
「いや、べつにそんなことは……」
「ま、未草くんは会長の奴隷さんで、初奈さんに叩かれてききき気持ちよさそうにしてるし、環さんをへんな目で見るし、変態さんだし、な、生ゴミみたいな人間ですけど……」
「急にひでえこと言うなぁおい!」
久しぶりに桐宮さんの罵倒を浴びせられて僕が昇天……じゃなかった憔悴していると、彼女はふと表情をやわらげた。
「わたしは、あなたに、感謝しています」
その表情を見て、僕はほんとうに、ああ、よかったな、と思った。彼女のこの笑顔を見るために、いままで僕は必死になって、掛け違えられたボタンを留めなおそうとしていたのかもしれない。
そんな笑顔をとつぜん赤らめて、桐宮さんは僕に言った。
「あ、あの、思ったんですけど」
「うん」
「き、『桐宮』って苗字……この学園にふたりいるん、です」
「そうだね」
「あの……」妹のほうの桐宮さんは、胸の前でもじもじと指をからませたりほどいたりしながら、赤ら顔&涙目で僕を見つめている。
「ま、紛らわしいので、や、やめませんか……?」
「やめる?」
「はい。あああの、し、下の名前で……」
「……」
「……下の名前で、呼んでください」
「……な、夏日」
僕がそう呼ぶと、彼女は身を震わせて急に脇腹あたりを手で押さえて「ううぅう……」と苦しそうにうずくまった。
「ちょ、夏日、大丈夫っ?」
「か、片腹痛い、です」
それって「身のほどを知らない相手の言動がちゃんちゃらおかしくてたまらない」って意味だからようは馬鹿にしてんじゃねえか。実際に片腹痛そうに押さえるひとはじめて見たわ。
ひとしきり「ううぅ」とうなって片腹の痛みを抑えた彼女は、すっと立ち上がって言う。
「ま、まだ、れ」
「?」
「まれれ、ま、れれれ」
「夏日さん?」
「……レンくんっ!」
どくん、と心臓が高鳴った。夏日はじっと僕の瞳を見つめながら、言った。
「レンくん、ほんとうに、ありがとうございます」
その言葉に、僕はゆっくりとうなずいた。
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