4−9
どうしてだろう。
会長の命令は達成した。僕は河川敷愛好会にロビー活動をし、夏日にまつわる事件の真相を暴き出して、河川敷愛好会のみならず吹奏楽部の票までも確約した。期待を超える成果だ。われながらよくやったと思うし、自分でも驚いている。生徒会唯一の同級生、夏日との距離も縮められた気がするし、生徒会奴隷としての働きは充分、いやそれ以上だったんじゃないか。
けれど、どうしてだろう。
どうしてこんなに、僕の心は満ち足りないんだろう。
生徒会選挙本番を明日に控えた放課後、僕はまたあの時計塔に登った。
だれかに逢えることを期待していたわけではない。さつき会長はあのあと無事に退院(?)したって聞くし、まだ話し足りないこと、聞き足りないことが山ほどある。「私といっしょに、生徒会活動をしてみない?」という誘いの返事だってできていない。けれど、いまさつき会長と話をしても、まともに会話できる自信がなかった。
だから、時計塔に登ってその頂上を覗き見て、だれの人影もなかったのを確認すると、思わず安堵の溜息が漏れた。これでここは、また僕ひとりだけの場所、ひとりだけの時間になる。
でも、そううまくことは運ばない。時計塔の頂上で僕が考えごとにふけっていると、下のほうから階段を昇ってくる足音がする。かたん、かたんと踏み締められるたび、ぎぃ、ぎぃと錆びた金属のこすれ合う音が聞こえる。だれだろう、この時計塔で逢ったひとはさつき会長しかいない、もしかしたら彼女が……。
「あ」
「……」
僕はその意外な人物の姿を見て、口から間の抜けた声を漏らした。僕の姿を見たその人物は、あからさまにばつの悪そうな顔をした。うちの学園の制服を着て、小学校高学年みたいな背丈で、豊かな茶髪に大きなリボンをつけた彼女は、そのちんまりした宝石みたいな瞳を僕に向けた。その胸にはペンギンのぬいぐるみが抱えられている。
「……阿久乃会長」
「なんだ、レンか」
どうして会長がいるんだと思うが、思い返してみればさつき会長が言っていたじゃないか。もとははづきさんがこの場所を知っていて、彼女が阿久乃会長とさつき会長に教えたんだと。阿久乃会長はとくによく連れて来られていたみたいだと。阿久乃会長が来てたっておかしいことではない。
「はい」
なにに対して答えるでもなく、僕はただ返事をした。会長はとくにその返事を意に介さず、時計塔の手すりに歩み寄り、つま先立ちで塔の下を覗き込んだ。そうして蚊の飛ぶような小声でつぶやく。
「高い……こわい……」
そういえばこのちんちくりん、高所恐怖症だったか……じゃあどうしてわざわざ覗き込んだりするんだと思うが、彼女には彼女なりの信念があるんだろう。なぜなら、この場所はこの白銀川学園のてっぺんだからだ。
そんな会長に、僕はなかなか声をかけられなかった。気まずい。なにを話せばいいんだろう。選挙の話なんてできない。先日の夏日の一件のときも、彼女は終始不機嫌そうな表情を崩さなかった。僕が「さつき会長は一連の事件の犯人ではない」と彼女に抗議して以来ずっとだ。会長はなぜか、「犯人はさつき」という自分自身の考えに、かたくなになっているように見える。
「そういえば」僕は意を決して口を開いた。「そのペンギン、かわいいですよね」
会長が抱えているペンギンのぬいぐるみ。彼女はいつもそれを胸の前でだいじそうに抱えている(たまに腕がちぎれるくらい振り回したりぶん投げたりしてるが)。小学生みたいな見た目と相まってとても似合ってるけど、しかしなんとも中身のない話題だ。気まずさが最高潮に達してクソどうでもいい話を振ってしまった。
「……こいつはコウテイペンギンのコウちゃんだよ」意外と話題にノッて来たな。ていうかずいぶんかわいい名前ついてたのな?
「コウテイペンギンはどうして『コウテイペンギン』っていうか知ってる?」
「いえ、知りません」
「でっかいペンギンが見つかったときに『うわでっけえ、こいつはペンギンの王様だぜ』ってことで『オウサマペンギン』って名前をつけたんだけど、そのあとにもっとでっかいペンギンが見つかっちゃったから、王様よりえらい『皇帝』にしたんだって」
まじか。学術界でもそんな心温まるほっこりエピソードあるのな?
「王を統べる王のなかの王、それがこのコウテイペンギン。つまりこいつはペンギンの世界の頂点ってこと。こんなかわいい姿して、なかなかやるでしょ」
会長の瞳に鋭い光が宿ったのを感じた。
「あたしだっておなじだ。この学園を統べる生徒会長のなかの生徒会長になって、この世界のてっぺんを取るんだ。だから今回の選挙で、善桜寺政権を倒さなくちゃならない。そのためには……レン、おまえの力だって必要なんだよ」
僕は胸が締め付けられるような思いがした。やっぱりこの話題になってしまう。阿久乃会長と選挙の話を、善桜寺政権の話をすることになってしまう。そうすることで、僕たちの気持ちがどうしようもなくすれ違ってしまっているのを、見せつけられることになってしまう。
「でも、阿久乃会長は、さつき会長のことを、犯人だって……」
「おまえ、まだそんなこと言ってんの」
僕は唇を噛んだ。握りしめた両手に力がこもる。
「さつき会長は犯人じゃないんです、会長もそれはわかってるはず」
「どうして」
「どうしてって」
「どうしてさつきが犯人じゃないって言えるの」
「それは……わからないんですけど、ぜったいにちがうんです」
「レン」
「真犯人を見つけないと、明日の選挙ではぜったいに勝てない、きっとやつらは、また僕たちを妨害してきます、だから——」
会長は抱えていたコウテイペンギンのコウちゃんを僕に勢いよくぶつけた。ぱふん、とむなしい音が時計塔の頂上に響く。
「言っただろう、犯人はさつきだっ! あいつらが明日なにをしてこようが、選挙は得票数がすべてなんだっ、得票数で勝てばいいだけの話なんだよっ!」
会長は叫んだ。またそうやって、会長は僕の言うことを聞いてくれない。さつき会長のもとへ見舞いに行ったとき、僕の胸の中に去来した気持ちが蘇る。認めてくれないのか、僕のことを? 僕はこんなに役に立とうと這いつくばっているのに、会長はいつでもそうやって、僕に「奴隷」だとかいうわけのわからない役職を押し付けて、都合のいいように使うのか?
「……お見舞いに、行ったんです。さつき会長の」
「はあ?」
「スカウトされました。善桜寺政権に」
「……なにそれ」
「『いっしょに生徒会活動をしてみないか』って。『阿久乃には怒られるかもしれないけれど、それを補ってあまりあるほどの価値が、きみにはあるのかもしれない』って」
阿久乃会長はうつむいた。そしてペンギンを抱きしめる腕に力をこめる。ぎゅうう、とコウちゃんを構成する布地が声にならない悲鳴を上げている。
しばらくたってから、会長が口を開く。
「……で、レンはどうしたいのさ」
僕はどうしたいのか。
柊政権に残って阿久乃会長とすれ違いを続けるのか。
善桜寺政権の一員としてさつき会長のもとで働きたいのか。
僕は。
「……わかりません」
僕のその答えを聞いて、会長は深い溜息をついた。
「おまえはいつもそうやって、『わかりません』ばっかりで、いったいなにを考えてるの?」
「僕は……」
「もう知らない。勝手にして」
会長はそう言い捨てて、時計塔の階段を降りて行ってしまった。その足音の余韻を聞きながら、僕はその場にへたり込む。
「はあ……僕はなにやってんだ……」
最悪だ。阿久乃会長とはすれ違ったまま、さつき会長の誘いにも答えを出せないまま、僕の気持ちは揺れ動いたままで、明日の選挙を迎えてしまう。いったい僕はなにをやってるんだ。真っ暗闇の広い海のなかで、道しるべとなる灯もなく、ただ浮かんで波に流されているみたいだった。
こんな僕が、ほんとうに、人の役になんて……。
僕の世界のスノードーム。あのとき阿久乃会長の言葉に救われた僕の世界は、またふたたび濁ろうとしていた。
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