4−6

 桐宮夏日。

 彼女は白銀川学園吹奏楽部のエースだった。サックス担当で、入部当初からその実力は高く評価され、一年でありながらソロを担当することも多かった。内向的で引っ込み思案なその性格からは想像できないほどの情熱的で艶やかな音色は、部の内外でも大勢の人を魅了したいう。

 白銀川学園吹奏楽部には、もうひとりのサックス担当の一年がいた。

 藤堂芽以。

 学園の一年生、サックス担当、そして引っ込み思案で自分の主張をあまりしない性格。ふたりはそれぞれそれほど広い交友関係はなかったが、そのかわりおたがいが強い絆で結ばれていた。

 とある時期、なにかのふとしたきっかけで、藤堂さんが吹奏楽部員、とくに上級生たちの「ちょっとした悪意」の対象になってしまった。そのきっかけがなんだったのかは判然としない。いつのまにかボタンを掛け違えてしまって、いつのまにかそのまま歩いて来てしまって、気づいたらもう戻れなくなってしまっていた。

 桐宮さんは藤堂さんを助けようとした。彼女のだいじな友だちだ、放っておくことなんてできっこない。でも、しだいにエスカレートしていく部内のいじめの前に、彼女はどうすることもできなかった。相手は上級生だ。引っ込み思案の女の子ひとりの力では、あまりにも無力だった。

 それでも彼女は諦めなかった。必死に友だちをかばい続けた。来る日もくる日も、彼女の友だちに降りかかる悪意の火の粉を、小さな手で払い続けた。

 けれど、それも長くは続かなかった。

 藤堂さんが、白銀川学園から転校することになったのだ。いじめを苦にしていたところに、ちょうど父親の転勤の話が舞い込んで来て、彼女は街を移ることを決めたという。それを聞いた桐宮さんは、藤堂さんに思わずつらく当たってしまう。

「芽以……どうして、転校なんてしちゃうの……?」

 藤堂さんはすぐに答えられなかった。親友にかける言葉を探しているうち、桐宮さんはこんなことを言う。

「そ、そうやって、わたしを置いていくんだね……」

 その言葉を聞いて、藤堂さんもつい言葉を荒げる。

「……夏日は、いいよね。サックスの才能あるし。先生からも認められてて、将来有望で、わたしなんかいてもいなくても、この部活でちゃんとやっていけるもんね」

 桐宮さんにとって、藤堂さんがこんなこと言うのを見るのははじめてだっただろう。そのくらい、そのときの藤堂さんはようすがちがっていた。

「……わたしは、そうじゃない。サックスの才能なんてないし、先輩たちともうまくやっていけないし、もうここに居場所なんてない。あなたとはちがうんだよ、夏日」

 あなたとはちがう……それははっきりとした拒絶。そういい捨てた藤堂さんは、背を向けてその場を去って行ってしまった。桐宮さんがその背中に叫びをぶつける。

「芽以の……ばかっ!」

 それでも、藤堂さんは振り返らなかった。

 桐宮さんは、親友とのすれ違いを身近な人物に相談した。実の兄である桐宮氏だ。彼女は兄に「仲直りの方法」の訊ねる。しかし、その方法は実を結ばないまま、藤堂さんは転校してしまった。

 ——あなたとはちがうんだよ、夏日。

 ——芽以の……ばかっ!

 それが彼女たちふたりが、最後に交わした言葉となった。

 そして、それだけではなかった。

 対象のいなくなった「ちょっとした悪意」の火の粉は、こんどは桐宮さんに向けられた。一年生でありながらソロを担当するような実力だ。高く評価するひとがいるなら、その実力を妬むひともいる。桐宮さんによって活躍の場を奪われた一部の上級生たちは、ちょっとした悪意の標的を人知れず桐宮さんに変えた。都合がよかったのだ。ふたりとも口数は少ないし、自分の意見を主張しないのはどちらも変わらない。上級生たちが「憤りのはけ口」とするには、むしろ桐宮さんの方が都合がよかった。

 そして秋ごろになって、桐宮さんはとある人物と知り合った。

 白銀川学園第二生徒会会長——柊阿久乃。

 ここは推測だ。阿久乃会長と桐宮さんとのふたりのあいだで、いったいどんな言葉が交わされていたのか、僕たちが知る由はない。でも、阿久乃会長との出逢いが桐宮さんを変えた。ふだんは聴かないアイドルソングを聴き始めたのも、このころだった。

 そして、一〇月に部会が開かれる。この部会では、藤堂さんの転校に伴って部の編成を見直し、桐宮さんにサックスのソロをすべて任せる、という結論が出されようとしていた。そこへ、彼女が現れた。

「たのもーっ!」

 道場破りのような叫び声とともに現れた、「悪の生徒会」会長。彼女は吹奏楽部の部会を引っ掻き回し、めちゃくちゃにして、桐宮さんを連れ去った。彼女の残した「おまえらに夏日の気持ちがわかるのか」という言葉。きっと、だれにもわからなかったんだろう。活躍の場を下級生に奪われようとしていた上級生以外、桐宮さんが置かれた状況を知るものはいなかったのだ。

 学園を代表する部活に起きた、「大きな問題」。いじめの発覚を恐れた教師たちによって、この問題はもみ消された。桐宮さんも吹奏楽部を辞め、阿久乃会長の手引きで生徒会に入会する。そして白銀川学園には、「柊阿久乃が暴れ回ったらしい」という噂だけが流れた。

 それが、吹奏楽部で起こった、阿久乃会長や桐宮さんたちに起こった、までの出来事。

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