4−5

 夕暮れの生徒会室には、珍しい面々が顔を合わせていた。こんな顔ぶれがここに揃うのは、きっと今日が最初で最後だろう。世界の裏側へ沈もうする太陽が最後に見せる、一瞬の輝きと温度。燃えるような夕陽に照らされて、僕の感情は昂ぶっていた。全身が熱い。僕を熱くしているのは、燃える太陽だけではない。尋常ではない緊張感だ。

「なんや、ウチをこんなとこに呼び出して。練習で忙しいんやけど」

 吹奏楽部部長・日下部桃子さんが、不満を隠さない表情でつぶやく。

「まあ、たまたまと未草ちゃんの頼みなら、聞いてやらんこともない。なに、もしかして停戦調停の破棄?」

「ちがいますよ、もう戦争はしません」

「ふぅん、そんならええんやけど」

 桃子さんの横で、ひとりの男がいまにもブチギレそうな表情を浮かべて突っ立っている。

「……手短に済ませてくれ。そっちの女とおなじように、俺も忙しいんだ」

「河川敷で花火するだけの同好会とちがうかったんか。夜になるまでひまやろ」

 河川敷愛好会会長・桐宮氏。彼はきりっと桃子さんをにらみつけた。桃子さんはぷいっとそっぽを向いてしまう。どうしてこのふたりが仲悪いんだ……とふしぎに思ったが、まあ立場上というよりも性格的に相容れないんだろう。

「ふ、ふたりとも……仲良くして、ください……」

 桐宮さんが涙を溜めながら懇願する。きまりが悪いように、ふたりは「ごめん」「すまない」と小声で謝った。片方にとっては部活の元エース、そしてもう片方にとってはだいじなひとりの妹だ。彼女が悲しむようなことはできないんだろう。

「またずいぶん珍奇なメンバーを集めたな。こいつら生徒会入会志望か?」

 初奈先輩が竹刀をべきべき鳴らしながら唸る。「ちゃうわ」「ちがう」と声を揃えて反抗するふたり。なんだかんだで息合ってんじゃねえか。

「呼び出したふたり、そして私たち柊政権……ここにいる全員に、聞いてほしいことがあるの」

 環先輩があたりを見回しながら言った。「聞いてほしいこと?」と初奈先輩が声を漏らす。桐宮さんが涙目で息を飲む。呼び出されたふたりも、環先輩の言葉の行方を見守っている。

「……なんなの」

 低い声が響き渡った。僕は声の主を見た。彼女はいつもの窓際の席に座って、ペンギンのぬいぐるみを抱えて、不機嫌そうな表情を浮かべている。夕陽の濃いオレンジに縁取られた輪郭。手持ち無沙汰にいつも回していた天球儀は、いまそこにはない。

「あたしも忙しいんだけど。善桜寺政権を叩き潰すために、いろいろ準備をしなきゃならない。もう選挙はすぐそこだ。こんなやつらと付き合ってるひまはないんだ。初奈、夏日、おまえらだってそうだろ?」

 顔は動かさず、目だけを動かして彼女は初奈先輩と桐宮さんを見た。どう反応していいのか迷っているのか、ふたりはやや返答に窮したあげく、けっきょくは小さくうなずく。

「環、レン、おまえたちだってそうだ。善桜寺さつきを文字通り『けちょんけちょん』にするためには、おまえたちの力も必要なんだよ。ちがう?」

 僕は言葉に詰まる。「けちょんけちょん」……その言葉は以前、はづきさんがこの生徒会室に来たときに阿久乃会長が意気込んで発した言葉だ。でも、いま会長が発した「けちょんけちょん」は、まったくべつの意味に響いて聞こえた。「けちょんけちょん」なんて言葉……こんなにも切なく響く言葉だったか?

「レン、おまえに命じたことあったよね? あれどうなったの」

「みなさんに集まってもらったのは、僕のロビー活動の結果です。だから桐宮氏にわざわざご足労いただいて——」

「じゃあなんで吹奏楽部がいるの。あいつ関係ないじゃん、追い出してよ」

「なんやひいらぎぃ、やっぱあんたは争いごとが好きみたいやなあ。そっちがその気なら、ウチから停戦調停、破棄したろか」

「は? あたしそんなひまないって言ってんじゃん。うっとうしいからはやく出てってよ」

「っ……。柊、あんたほんまに——」

「俺にもおまえらのじゃれ合いに付き合ってる時間はない。これで失礼する」

「ちょっと待てや桐宮!」

「い、いい加減にしてください……っ!」

 弱々しい叫び声が生徒会室の空気を震わせた。胸に迫るような悲痛な叫び声によって、彼女たちの言い争いは止まった。声の主を見ると、両手を胸の前で握りしめて、涙の溜まった瞳で前を見据えている。

「阿久乃会長も、桃子部長も、お兄ちゃんも……けんかするのは、もうやめて……」

 言葉がぼとぼとと彼女の足許にこぼれ落ちていく。

「桐宮さん……」

 僕がそう声をかけると、彼女は僕の方をにらんだ。

「……未草くん、これは、ど、どういうつもりなんですか……? 阿久乃会長の言うとおりです、お兄ちゃんの同好会の票を集めるのに、吹奏楽部は、か、関係ないですよね……? わたしにを見せるために、ふ、ふたりを呼んだんですか……?」

「桐宮さん、これは——」

「同好会の票? せや、ウチの部活でもなにやらこそこそ嗅ぎ回っとったなあ。なんや、ああいうのがあんたらの生徒会活動なんか、柊。選挙も近いし焦ってんのやろ」

「……そういえばこっちにも来たな? あればどういうつもりだ」

 僕は意を決して言った。

「藤堂芽以」

 僕の放ったその名前を聞いた桐宮さんははっと息を吸い込んだ。おなじように桃子さんも表情を曇らせる。

「桃子さん。この名前、聞いたことありますよね」

「……当たり前や、ウチの部員だった人間やからな。去年の一〇月に部活辞めて、転校して行った」

「阿久乃会長は?」

「……」

 会長は答えない。まあいい、彼女の回答はいま重要ではない。

「桐宮さんは?」

「……知って、ます」

 桐宮さんの顔が悲痛にゆがむ。その表情を見て、僕の心は不安に押しつぶされそうだった。ほんとうにこれでいいんだろうか。これで正しいんだろうか。この事件の真相を暴いたところで、彼女は果たして救われるんだろうか。

 でも、僕はやり遂げなくてはならない。彼女に『あの想い』を届けなくてはならない。

「藤堂芽以。二年生。元、白銀川学園吹奏楽部の、サックス担当」

「……夏日とおなじか」

 桐宮氏がしずかに言う。僕も彼を見てうなずく。

「彼女は——藤堂さんは、桐宮さんとおなじ部活で、おなじ担当楽器で、ふたりは友だちでした。とてもおとなしい子で、あまり自分の主張をしない性格だったみたいです。交友関係は……あまり広いとは言えません。でも、桐宮さんには、桐宮さんだけには、彼女は心を許していたようです」

「……たしかに、ウチも芽以とはあんましゃべらへんかったな。モノをよう言わんから、会話も続かへんし」

 桃子さんが言う。

「せやけど、芽以がどないしたんや」

「彼女は、いじめられていたんです。部活で」

「……」

 桃子さんの表情の曇りが一気に濃くなる。おそらく桃子さんはこの事実を知っていた。箝口令が敷かれていたはずの情報を、なぜ僕たちが持っているのか訝しんでいるんだろう。

「ごめんね桃子、わたしがいろいろ聞いて回ったの」

「……そか」

 環先輩の言葉のあと、桃子さんがゆっくりと首を振る。

「しゃあないな。あれはウチらがぜんぶ悪かった。芽以のいじめを止められへんかったのも事実やし、いじめた三年生を放っておいたのもそうや。芽以にも、ほんで夏日にも、申し訳ないことをした。友だちやもんな」

「……」

 桃子さんが桐宮さんに謝った。桐宮さんは沈痛な面持ちを変えない。

「せやけど、それが今回なんの関係があるんや」

「……今日は、みなさんに知ってほしいんです。、吹奏楽部でなにが起きて、生徒会でなにがあったのかを」

 薄暗い夕闇に沈んでいく生徒会室。僕は生徒会室に集まったひとたちを順に見つめた。たくさんの感情と思惑が複雑に渦巻いているこの部屋で、僕はひとつの真実を暴き出そうとしている。

 いい? だいじょうぶ? と環先輩が桐宮さんに問いかけた。彼女はうつむいてしばらく逡巡したあと、やがて小さくうなずいた。

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