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生徒数一万人ともなると、部活動も尋常ではない数にならざるを得ない。メジャーな運動系や文化系の部活動はもちろん、はたしてほんとうに所属員がいるのか、と疑問に思ってしまうような零細同好会も多数存在するという。阿久乃会長がダーツをブチ当てた「河川敷愛好会」なるアヤシイ同好会も、その零細同好会のひとつなのだそうだ。
「設立は去年の下期。かなり新しい同好会ね」
資料をファイリングした手許のバインダーを見ながら、移動中の廊下で環先輩が説明してくれる。
「生徒会への届け出では、部員数は一〇人」
一〇人もいるのか……ていうか河川敷を愛するってどういうことだ? いったい普段どんな活動をしているんだ?
「学園のそばに川が流れているでしょ?」
「ええ、そうですね」
ここ白銀川学園の広大な敷地の南側には、まさしく「白銀川」という名前の川が流れている。きれいな水をたたえた川で、敷地内に親水公園が整備されていることもあり、生徒たちにとっては憩いの場となっている。
「そこの河川敷にね、よくいるのよ」
「その一〇人がですか」
「ええ」
「……なにしてるんでしょうかね」
「ううぅん……」環先輩は小首をかしげてうなる。「……小石を投げて水切りとか、夕方に花火とかやってるわね」それ同好会のすることじゃねえだろ。遊んでるだけじゃねえか。
「『河川敷を知り、河川敷に親しみ、河川敷を愛することで、雄大な自然に対する慈愛の精神をともに育む』ことが設立の目的……ようは変人の集まりかしら」
しれっと環先輩がひでえことを言う。が、生徒会の面々も他人のことを言えるような立場じゃない気もするので、僕にできるのは黙ってしずかにうなずくことだけだった。
「それにしても、一〇人しかいない同好会にロビー活動したって意味ないんじゃないですか。一万人のうちの一〇人ですよ? 〇・一パーセントの票を積み増したって、ほとんど影響なんてないに等しいでしょう」
僕が思っていることをぶっちゃけてみると、先輩は首を振る。
「その〇・一パーセントが大事なのよ。零細同好会って、学園に対する帰属意識とか生徒会運営への関心が、大きな部活に比べるとうすい傾向があるの。これといった派閥がないところが多くて、ほかの同好会の動きをうかがって『じゃあうちも』って感じで投票する政権を決める風潮があるのよ。だからどこかの同好会を押さえれば、自然と口コミで広まっていって、結果として多くの票を集めることにつなげられるの」
なんとなくわかる気がする。生徒会選挙は全校を挙げての行事になるはずなので、おそらく投票に参加しない生徒はいないだろう。でも、「必ずここに投票したい」と思う候補がいる生徒はそう多くはない。おそらくそういう生徒は、仲がいい人が投票するから、周りが票を入れるから、といった同調票を入れるはずだ。たとえわずかな数でも「ここに投票する」という確かな票をつくることができれば、それに同調する票を積み上げていくことができる。
「でも、どうして環先輩と初奈先輩は、『河川敷愛好会』に会長のダーツが当たったとき、複雑そうな表情をしたんですか?」
「それは……」
めずらしく先輩が口ごもった。僕たちふたり分の足音を聞きながら、僕は彼女の言葉の続きを待った。
「……じきにわかるわ。さあ、もうすぐ着くわよ」
先輩にそう言われて見ると、もうすぐ例の『河川敷愛好会』の部室に着くころだった。
この学園の部室棟は三つある。大きな運動系部活動のための第一部室棟、おなじく大きな文化系部活動のための第二部室棟、そして「河川敷愛好会』をはじめとする零細同好会のための第三部室棟だ。人数の少ない同好会を寄せ集めた建物はたくさんの小さな部屋で区切られている。同好会のジャンルは多岐にわたるようで、ひとつの部屋から陽気なボサノヴァが聞こえるかと思えば、そのとなりからはなんともしめやかな読経が聞こえてくるのだ。
「河川敷愛好会」の部室の前にたどり着いた。設立から日が浅いからか、ドアに掲げられた同好会名のプレートはまだぴかぴかだ。環先輩は手許のバインダーを閉じて整理すると、ドアをノックした。
会員はいまごろ白銀川の河川敷でお弁当を広げてピクニックでもしているんじゃないかと勘繰っていたが、しばらくしてなかからがさごそと物音が聞こえた。
「……はい」
低くくぐもった声。返事のあとにドアががちゃりと開かれ、そこにひとりの男が立っていた。
「こんにちは」
先輩がまぶしい笑顔であいさつをする。男はそれをむすっとした表情で聞き、言った。
「……柊政権か」
その言葉のうちに男がかすかにいやそうな顔をしたのを、僕は見逃さなかった。柊政権に対してなにか思うところがあるんだろうか。
男は僕に一瞥を向けると、「見ない顔だな」と言った。
「あ、はい。新しく生徒会に入った、二年の未草です」
彼は僕の制服のリボンに目をくれる。そして小さく「二年……」とつぶやく。
「なんの用だ」
「すこしお話、聞いてもらえないかしら」
「おまえらから聞くような話はない」
「すこしだけでいいの。すこしだけ——」
「だめだ」
男の鋭い声が環先輩の言葉をさえぎり、部室棟の廊下に響いた。環先輩はうつむく。
「帰ってくれ」
「……あのっ!」
廊下に大声が響いた。それが自分の声だと言うことに気づいて、僕は思わず口をつぐむ。
「……なんだ」
男が僕をにらみつける。その視線に射竦められながら、僕はなんとか言葉をつないだ。
「じ、事情はよく知らないんですが……先輩の話、すこしくらいは聞いてくださってもいいんじゃないですか」
となりで環先輩がはっと驚いたのを感じた。男はまじろぎもせず、僕をしばらくにらみつけた。永遠にも思える時間が過ぎた。そののち、先に動いたのは彼だった。
「……俺の妹は、おまえら生徒会に将来を潰されたんだ。どのツラさげて来たんだ?」
僕たちを牽制するように、男はぽつぽつと低い声を漏らす。コールタールのようなどす黒く重たい言葉。僕はその言葉の意味を理解することができなかった。
妹?
生徒会に将来を潰された?
「帰れ」
その一言とともに男はドアを閉めようとする。彼を呼び止めるため僕がふたたび言葉を発するより先に、先輩が口を開いた。
「私たち、まだあなたを諦めないから。きっとわかってくれるって信じてるから」
「……」
「桐宮くんっ!」
ばたん。
ドアは閉じられた。僕たちの声はもう届かなくなってしまった。僕は唖然として先輩を見た。彼女は僕に顔を向けたあと、目を閉じてゆっくり首を横に振った。「きょうは帰りましょう」の合図だ。踵を返して河川敷愛好会の部室の前から去ろうとする先輩を、僕は呼び止める。
「環先輩」
「……なに?」
「あのひとのこと、『桐宮くん』って呼びましたよね」
「うん、呼んだわ」
「……どういうことですか」
「桐宮くんだからよ」
そんなことわかっている。彼の苗字が桐宮だから先輩はそう呼んだ、そんなの当然のことだ。そうじゃない。僕が訊きたいのは、どうして彼の苗字が僕らの生徒会総務・桐宮夏日とおなじなのか、ということだ。「妹の将来を潰された」と言いながら、僕たち生徒会役員に重油のような真っ黒な言葉をぶつけた彼の「妹」がいったいだれなのか、ということだ。
いつのまにかしんと静まり返った第三部室棟の廊下。環先輩は溜息をついてこう言った。
「『河川敷愛好会』の会長……彼は、夏日ちゃんのお兄さんなの」
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