2−4
僕らの生徒会総務・桐宮夏日。
彼女は、もとは吹奏楽部員だったらしい。
白銀川学園の吹奏楽部は関東でも屈指の強豪で、全国大会でなんども入賞を果たしている部活動だ。秋に定期的に開かれるコンクールでも九年連続で金賞を受賞したことがあり、この地域では最強と呼ばれる吹奏楽部なんだそうだ。文化系部活動のなかではもっとも部員数が多く、運動系を含めた部活動全体でも五本の指には入るという。
そのなかでも、桐宮さんは将来を嘱望された、吹奏楽部のエースだった——生徒会室への帰路、環先輩は僕にそう教えてくれた。
「彼女はサックス担当だったの。入部したてのころから何回もソロをやったりして、すごく上手だったみたい」
秋のコンクールで九年連続金賞受賞を果たして、史上初の一〇連覇がかかっていた去年、桐宮さんが入ったことによって吹奏楽部は変わったんだという。これまで上級生が牛耳っていた吹奏楽部。そこに新風が吹いた、と言えば聞こえはいいが。
「いろいろと小さな問題もあったって聞いたわ」
「どんな問題だったんですか」
「それが、詳しいことはわからなくて」
当時吹奏楽部で起こっていた「小さな問題」。どうやら吹奏楽部のなかで箝口令が敷かれていたらしく、問題の詳細はわからなかったのだそうだ。当の桐宮さんも、吹奏楽部のことについてはなにも話したがらないという。
「なにも、ですか」
「そう。なにも話してくれないの」
「……じゃあ」
僕は苦い味のするつばを飲み込んだ。「彼女が部活をやめたのにも、なにか事情があるんですね」
環先輩は言いにくそうにしながら金色の髪を手櫛で梳いた。しばらくして、意を決したように口を開く。
「阿久乃ちゃんがね、連れ去ったのよ」
「……連れ去った?」
吹奏楽部の抱える「小さな問題」は、やがて「大きな問題」へと膨らんでいく。
「吹奏楽部から、夏日ちゃんを引き抜いてきたの。吹奏楽部がミーティングしているところを襲撃して、暴れ回って、夏日ちゃんを誘拐した」
「……」
にわかには信じがたいような内容の話を先輩から聞いて、僕の思考は止まりかけていた。襲撃? 誘拐? きなくさい単語が出て来て僕は思わず顔をしかめた。阿久乃会長ならやりかねないようなめちゃくちゃな話、そう笑い事で済むのであれば問題はないのだが、しかしこれは学園のひとつの部活を巻き込んだ話だ。「生徒会の特権」で済む程度の話ではない。
「阿久乃会長は……なにか言っていたんですか」
僕のその問いかけに、環先輩は首を振る。僕は小さく溜息をついた。わかっている。環先輩ならとっくに会長に事情を訊ねていたはずだ。それなのに先輩が知らないということは、会長はこの件に関してはとことん黙秘するつもりだったんだろう。
それが去年の秋。コンクールの直前で起きたこの騒動のおかげで、吹奏楽部は去年の大会で金賞を逃した。悲願の一〇連覇を達成できなかったのだ。
彼女の兄、河川敷愛好会会長が言っていた、「妹の将来を潰した」というのは、おそらくこのことなんだろう。将来を嘱望されていたサックスをやめさせて、「悪の生徒会」に引き入れた張本人たち。彼が恨み言を言うのも理解できる。
「とにかくふたりとも、なにも話したがらないのよ。だから今日まで、夏日ちゃんがこの生徒会に入った経緯は謎のまま。桐宮くんには恨まれ続けているし、きっと吹奏楽部も私たちのことをよく思っていない。当然よね、これまでの努力をむだにしちゃったんだもの。おかげで痛い目を見ているわ。吹奏楽部の票が取れないから、うちはいつも選挙で負けるの」
先輩がちらと舌を出した。自嘲気味に微笑んだが、その笑顔はどこかぎこちなかった。
僕は廊下のタイルの境目を目でたどりながら考えた。もしかしたらこの件は、阿久乃会長と桐宮さん、ふたりの心のとてもやわらかい部分に触れてしまうことになるかもしれない。話したがらないということは、当然のごとく知られたくないということでもある。そんな事件を、知り合って間もない僕がこそこそ調査していいのだろうか。会長を、そして桐宮さんを傷つけてしまったりしないだろうか。
でも、と僕は思う。この事件について最後まで調べなければならないような気もする。なぜなら、あらゆるところでボタンを掛け違えているような気がしてならないのだ。みんなが少しずつ誤解をして、不要な恨みを抱いて、その結果としてどうしようもなくすれ違ってしまっている、そんな気がする。このままだと、きっとだれのためにもならない。桐宮さんのためにも、会長のためにも。
——あたしがおまえを必要としている。それだけじゃだめ?
クラッカーとくす玉、そして僕の遺失物拾得届が舞った生徒会室で、あのときそう言ってくれた会長の言葉に応えるには、ここが僕のふんばりどころかもしれない。会長の役に立つには、ここで立ち止まってはいけないのかもしれない。
「環先輩」
「なに?」
「この件、どうにかしたいんです。先輩も手伝ってくれますか」
「……もちろん」
先輩が言った。「ありがとう、そう言ってくれて」
彼女の微笑みに、ほんの少しだけ温度が戻ったような気がした。
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