3−8
「ほかには?」
環先輩が訊くと、桐宮氏はまた考え込むそぶりを見せたあと、言った。
「……歌をうたっていた」
僕たちは思わず目を合わせた。どういう話の流れで歌の話題になるのかわからなかったが、とりあえず彼の話の続きを聞くとする。
「どんな歌ですか」
「よくわからんアイドルソングだ。ずっと吹奏楽一筋で、クラシック音楽か、聴いても映画の劇伴ぐらいだった夏日が、あるとき急にアイドルシングを口ずさみはじめたんだ。すげえ驚いたからそれもよく憶えてる。おなじく去年の秋ごろだったな」
「どんな歌なの?」
僕とおなじ質問を環先輩が重ねた。それを聞いて、桐宮氏の表情が固まった。
「……まさかおまえら、俺に歌えって言うのか」
「そのまさかです」
「そのまさかよ」
彼は大きく首を振る。
「馬鹿を言え。歌うわけがないだろ恥ずかしい」
「そういう話じゃないのよ、桐宮くん。私たちはあなたの妹、夏日ちゃんのために調査をしているの。あなたの歌も私たちにとってはたいせつな情報なのよ。お願い桐宮くん、夏日ちゃんのためだと思って、どんな歌なのか聴かせて」
よくもまあそんな口上がするする出てくるなあ、これも生徒会諜報の力か……と関心しつつ、僕も真顔で彼を見つめる。逃げきれない状況、かつ「恥ずかしい」なんて言っていられない状況だということを理解したのか、桐宮氏はおおむね諦めたようすで、深いため息とわざとらしい咳払いのあと、口を開いた。
「LaLa……、恋は魔法、ど、どうしてだろう、想いはもう、溶け出してしまうの……♪」
「……」
「まるでチョコといっしょ、この気持ちはそう……ハ・ジ・ケ・Ru……♡」
そのとき僕を襲ったのは猛烈な吐き気だった。
「おえっぷ……思った以上にけっこうキツいですね」
「そうね……今晩悪夢でうなされそうだわ……」
「おまえら殺すぞ!」
「「ごめんなさい」」
口許を抑えて吐き気をこらえる僕たちにしこたまブチギレる桐宮氏。それを必死になだめ、その後もいくつか情報をもらったあと、僕たちふたりは河川敷愛好会の同好会室を後にした。
頭のなかでは桐宮氏のうたった歌のメロディがリフレインしていた。男の歌うアイドルソングなんて正直気持ち悪すぎて卒倒しそうなものだが、僕の思考はそれどころではなくなっていた。
「環先輩」
「うん」
「まちがいありませんね。桐宮さんと阿久乃会長が、コンクール前から接触していたこと」
「そうね」
まちがいない。桐宮氏の歌ったクソ気持ち悪いアイドルソングは、僕の頭にこれまでこびりついていたメロディとまったくいっしょだった。あれは忘れようのない、僕がこの柊政権に入会させられることになった元凶。生徒会室で阿久乃会長が歌っていたアイドルソングだ。彼女の熱唱と恥ずかしいぷりぷりダンスを盗み見たせいで、僕は生徒会室に連行され、晴れてこの生徒会の一員になったんだ。
その歌を、コンクール前の秋ごろ、桐宮さんが歌っていた。
もちろん偶然だってありうる。でもほんとうにそれで片付けられるのだろうか。クラシックや映画の劇伴くらいしか音楽を聞かなかった吹奏楽部員が、とつぜん都合よくアイドルソングを口ずさみはじめることなんてあるだろうか。
僕は自答する。これはよくできた偶然なんかじゃない。それぞれのピースがしっかりとつながり合って完成した必然だ。
それに、桐宮さんが彼女の兄に対して相談していたこと……「仲直りの方法」?
「桐宮さんはだれかとけんかしていたんでしょうか」
「おそらく、ね」
「だれか、と言うと……」
「きっと藤堂さんよね」
僕はうなずく。そして環先輩が諜報活動で眼鏡くんから仕入れた情報を思い返した。藤堂さんは吹奏楽部でいじめを受けていたこと、桐宮さんが彼女をかばっていたこと、しかしエスカレートするいじめに対してどうしようもなくなったのか、秋ごろにはもう話をすることもなくなっていたこと……。
ふたりが会話をしなくなったこと。これがもし、桐宮さんが藤堂さんを救うことを諦めたのではなく、「ふたりがけんかしたから」だとしたら?
環先輩もその仮説にたどり着いたらしい。僕と先輩はおたがいを見合い、ゆっくりとうなずく。
「でも、もうこれ以上情報を集められるかしら……主要な情報元は当たってしまったような気がするわ」
先輩が溜息混じりにつぶやく。先輩の言うことはわかる。事件の渦中にあった吹奏楽部の部長、当事者である桐宮夏日の実の兄、そして吹奏楽部員。眼鏡くん以外の吹奏楽部員のなかにもっと情報を持っている部員はいるだろうが、部長の桃子さんが「だれも話したがらない」と言っていたように、吹奏楽部内でこの件は闇に葬られている可能性が高い。おいそれと部外者に、しかも事件を起こした『最悪の生徒会』に話をしてくれるとは到底思えない。そして当の本人たち——阿久乃会長と桐宮さんは、黙秘を貫いていて話を聞くことができない。
でも、僕には案があった。
「まだいますよ。逢えるかどうか、逢っても話してくれるかはわからないですけど」
僕の返答に先輩は不思議そうな顔で訊き返す。
「……だれ?」
「逢ってみましょう」
僕は言った。「その、藤堂芽以という生徒に」
そのとき、環先輩のスマートフォンが鳴った。先輩はポケットからそれを取り出して画面を確認する。
「初奈からだわ」
もしもし、と言って彼女は電話に出た。すこし言葉を交わしたあと、とつぜん「えっ」と声をあげた。
「ほんとうに? ……ええ、わかったわ。すぐに戻る」
通話を切った先輩に、僕はなにごとか訊ねる。ただならぬ気配を感じ取った僕の予感は、さらに悪い方に的中する。
「……生徒会室が何者かに襲われたわ。阿久乃のだいじな天球儀が、ばらばらに壊されたらしいの」
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