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急いで戻った僕たちを迎えたのは、雑然と散らかった生徒会室と、ばらばらに壊された天球儀だった。部屋の床には、棚から落ちたり引き出しから引っ張り出されたりしたのだと思われる、阿久乃会長の私物やら初奈先輩の私物やらが散らばっている。ていうかあんたら私物持ち込みすぎだろ、とは思いつつも、今回ばかりはそんな悠長な突っ込みをかましている余裕はない。ふだんから(主に阿久乃会長のせいで)とっ散らかっている生徒会室だが、いまの光景は明らかにその性質がちがうのだった。
何者かに襲われた。
これは悪意を持った妨害工作だ。
まさに空き巣に入られたような有様の生徒会室を前に、僕は言葉を失った。
「ひどい……」
環先輩が悲痛な声を漏らした。
「きょう夏日がここに最初に来たとき、すでにこうなっていたみたいだ」
初奈先輩が僕と環先輩に言った。桐宮さんを見ると、哀しげにうつむきながら胸元で指をいじくっている。
「なにか無くなったものは?」
空き巣被害ということならば金目のものを盗られている可能性がある。下手したら警察沙汰だ。貴重品類をこんな鍵のかからない部屋に放っておくようなこと、会長たちがやるとは思えなかったが、念のため僕は先輩に訊ねてみる。
「ひとつだけ」
先輩の返答に、僕は乾いたつばを飲み込む。
「……いったいなにが」
「校章だ」
「……校章?」
「ああ」初奈先輩がうなずく。「おまえが柊政権にわざわざ届けてくれた、善桜寺さつきの校章だ。しまっておいた戸棚から無くなっている」
僕は口のなかがざらつくような不安を感じた。柊政権の本丸である生徒会室に何者かが侵入し、引き出しや戸棚が引っかき回され、ライバルである善桜寺会長の校章が盗まれた。ただごとではない。これは完全に学生の生徒会活動の域を超えている。
「……」
会長は無言で窓際に突っ立っていた。彼女の視線の先には、ばらばらになってしまった天球儀。その金色の部品は夕陽を受けて物憂げにきらめいている。
「……会長」
会長は僕の呼びかけに応えない。なにか考えごとをしているような、なにも考えてなどいないような、焦点の定まらない眼つき。こんな表情をしている会長を見るのははじめてだった。会長が言っていた言葉を思い出す。
——この天球儀はあたしたちの原点だ。この天球儀のもとで、あたしはこの学園の生徒会長になると誓った。
生徒会室の天球儀、それは柊阿久乃の原点。それがいま、彼女の目の前でばらばらになっている。僕は腹が立っていた。どうしてなんだ。どうしてこんなことが起こってしまうんだ。
「……」
沈痛とも言えるような無言の会長の表情を見て、どうしようもない不安にかられた僕は、会長のもとに駆け寄って天球儀の部品を手に取る。
「阿久乃会長」
僕はあわてて声を絞りだす。「大丈夫です、これは僕が直します」
僕が生徒会に入ったあの日、会長は僕のことを必要としてくれた。それまで自分が人の役に立たないんだと恐れていた僕の目の前に、一条の光で道を照らし出してくれた。「あたしがおまえを必要としている、それだけだ」と言ってくれた。僕はうれしかったんだ。こんな自分でも誰かに必要とされて、誰かの役に立つことができると信じることができて、僕はうれしかったんだ。それを教えてくれたのは阿久乃会長だ。会長がこんな顔をしているいまこそ、僕が彼女の役に立たないといけない。
「これは……」
天球儀の部品をよく見ると、さいわい破損しているところはないようだった。「破壊された」というよりは「分解された」という印象。もしかしたら、散らばった部品をかき集めて組立て直せば、すぐに元通りにできるかもしれない。
「会長、もしかしたらこれ、直せるかもしれませんよ」
「……レン」
「ネジを外されて分解されただけみたいです。よかったですね」
「レン」
「はい、僕がすぐに直します。僕に任せて——」
「もういい」
「——そうですよねもういいですよね、よしわかりました、それならやっぱり僕に任せて……え?」
言葉に詰まった僕は会長を見つめた。
「もういいって、なにがですか」
「もういいんだ。その天球儀は壊された。犯人もわかってる」
「え? 犯人? ほんとうですか?」
僕は前のめりになって会長に訊ねた。犯人を知っている? 会長はこの事件に関して心当たりがあったのか?
僕は会長の言葉の続きを待った。地球が太陽のまわりを五回半くらいはまわったんじゃないかと思えるような長い時間のあと、会長が口を開いた。
「善桜寺さつき」
彼女は言った。「これはあいつのしわざだ」
目の前がまっくらになった。なにも言葉を発することができなかった。まるで僕の脳みそから言語という概念がなくなってしまったみたいに、僕はなんにもいうことができなかった。釘付けになってしまった僕の視線の先にいる阿久乃会長は、無表情で天球儀の部品をいじくっている。
「……」
ようやく会長から視線を外した僕は、初奈先輩、環先輩、桐宮さんを順に見つめる。彼女達はみな、くちびるを引き結んで言葉を発さない。視線を落としてきまり悪そうに押し黙っている。
「……うそ、ですよね」
僕が絞り出したのはそんな言葉だった。
「うそですよ、そんなの。さつき会長がこんなことするわけないじゃないですか。きっとなにかの間違いです。ね、阿久乃会長?」
「……」
「そうだ、あいつらのしわざですよ。黒いマスクをかぶった、へんな集団。名前はたしか、ええと……『柊阿久乃親衛隊』? きっとあいつらです。初奈先輩が言ってたじゃないですか、ほら、かわいさ余って憎さ百倍! きっと会長のことが好きだから、ちょっかい出してくるんですねえ。まったく困った連中だ、こんど僕があいつらを炙り出して懲らしめてやりますよ」
「……」
「だから、きっとさつき会長は犯人じゃないですよ。ね、みなさんもそう思いますよね? きっと阿久乃会長だってそう思っているはずです、だから——」
「おまえになにがわかるんだよ」
僕の言葉をさえぎって、阿久乃会長の声が響いた。僕は思わず言葉に詰まってしまう。そしてその次に言うべき言葉を見つけ出せないままでいる。
おまえになにがわかる。
そのとおりだ。僕になにがわかるんだろう。けっきょく僕にはわからないままだ。さつき会長が見せた原動力、その劣等感の正体も。阿久乃会長が知っていたという「夏日の気持ち」とやらも。そしていま阿久乃会長が見せている、なにかを必死で堪えているような表情の意味も。僕にはわからない。なんの役にも立てない。
「副理事長が言ってたじゃんか。さつきは今期の選挙での勝利に永世名誉会長の座がかかってる。それでこんな妨害工作をしたんだ。会長のあたし本人を襲ってけがをさせようとしたり、人質に取られた校章をあたしたちの生徒会室から取り返そうとしたり、あたしのだいじな天球儀を壊して士気を下げようとしたり……ふん、ばっかみたい。それであたしがあきらめると思ってんの? 見損なったよさつき」
会長はそう吐き捨てる。先輩たちもその言葉をとくにさえぎることもなく聞いている。なんだこれ。いったいなんなんだ? それでいいのか。我らが柊政権のライバルでありよき友人だったはずの善桜寺さつきが、じつは一連の事件の黒幕でした、許せませんね……ほんとうにそれでいいのか?
「阿久乃会長は」僕は羽虫の飛ぶ音みたいな声を絞り出す。「それでいいんですか」
「レン。おまえ、あたしに意見しようっての?」
「いや、べつにそういうわけでは……」
「ならあたしの言うことを聞け」
「会長」
「返事は?」
「……いいんですか?」
「おい」
「会長はそれでいいんですかっ、いままで三年間、ライバルとして執政会長の座を争ってきた仲なのに、そんなに簡単に犯人だって決めつけちゃって、いいんですかっ? 会長、会長はほんとうは、そんなこと思ってないはずです、だから——」
「いい加減にしろッ!」
会長が叫んだ。
「この事件の犯人はさつきだ、あたしが言うんだから間違いない! 善桜寺政権は次の選挙で徹底的に叩き潰す! レン、おまえはこの生徒会の役員なんだ、会長のあたしに口答えするなッ!」
そう叫んだ阿久乃会長は、押し黙って生徒会室を出ていってしまった。
僕はとてつもない違和感を感じた。このままではだれも望んでいない結末を迎えようとしている、そう思った。そうでなければ、どうして阿久乃会長は、まるで自分に言い聞かせるように、あたかも事実がそうであるかのように自分に暗示をかけるように、言葉を発していたんだ?
それに、違和感の原因はそれだけじゃなかった。
校章。
だいじな天球儀。
それらを狙った、善桜寺さつきのしわざ。
僕はなにか重要な部分を見落としている気がする。人質に取られた自分の校章を取り返すため、ライバルのたいせつなものをばらばらに破壊して戦意を下げるため……副理事長や阿久乃会長が言っているように、さつき会長が黒幕であることに整合性はあるように思う。でも、僕の胸中に巣食うこの違和感の正体はなんだ?
僕は思った。もしこのまま選挙を迎えれば、僕たち柊政権は、ぜったいに勝てない。
思えば、もう選挙は近い。
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