4−2

 善桜寺さつきが倒れた、という報せを聞いたのは、生徒会室襲撃事件から間もないころだった。

 報せてくれたのはクラスメイト、鳥の巣頭の鳥巣とすと黒縁メガネの黒渕くろぶちだ。

「おい未草、さつき会長が倒れたんだって?」

「あの鉄人超人美人生徒会長が倒れるなんてこともあるんだな」

「どうやら原因は『過労』らしい」

「保健室でしばらく休んでるらしいぞ」

「ああ……俺がやさしく看病してあげたい……」

「ああ……俺はむしろやさしく看病されたい……」

「ああ……会長のつくったあつあつのおかゆ……ふうふうして食べさせてほしい……」

「ああ……汗ばんだ全身をタオルでていねいに拭いてほしい……」

「ああ……」「ああ……」「ああ……「……未草?」

 黒渕が僕の顔をのぞき込む。どうやら考えごとをしてしまっていたらしい。

「だいじょうぶか? そういやもう選挙が近いな」

「ああ、そうだね」

「おまえんとこ、『悪の生徒会』は修羅の国だからな。おまえも気をつけろよ」

「……ありがと」

 うわさは学園内をすさまじいスピードで駆け巡っているようだった。学園新聞の号外版も発行された。生徒たちの話題はつねに執政会長の話で持ちきりだった。

 僕はまた考え込んでしまう。

 過労。

 学園の生徒会執務をたったひとりでこなし、それを四期連続で維持し続けてきたんだ。常人ではとうていまねできない所業だろう、それは彼女、善桜寺さつきだからこそできること。でも、彼女もひとりの人間だ。がんばれば人並みに疲れるだろうし、倒れれば心細く思うはずだ。

 ——私はあのひとに追いつくために、あのひとの妹だって認められてもらえるために、これまでがんばってきた。そしてこの学園の生徒会長になった。

 ——かならず次の選挙にも勝って、永世名誉会長として、あのひとと対等の立場になるの。

 さつき会長が見せた「劣等感」。あのときさつき会長が見せた表情が、僕の心を捉えて放さない。彼女はいったいどんな気持ちで、これまで生徒会執務をこなしてきたんだろうか。そしていったいどんな感情で、執政生徒会長という椅子にいる時間を満たしてきたんだろうか。

 僕は教室を出た。

 放課後にいつもたどる道の途中で、いつもとちがう方角へ行き、いつもとちがう棟に入る。教室や生徒会室がある棟とはちがい、調理実習室や図書室などの特殊な機能をもった部屋が集まる棟だ。

 棟の入り口の前で僕はしばらく立ち尽くす。思いつきで来てしまったけれど、僕なんかがこんなところに来て迷惑じゃないだろうか。僕がうじうじ悩んでいると、棟の入り口からひとりの人影が出て来た。

「……はづきさん」

「お、きみはたしか、柊政権の未草くん」

 善桜寺はづきさんは僕に手を振ってあいさつしてくれる。「ども」と僕も会釈で返す。

「そうだはづきさん、あのあと、だいじょうぶでしたか?」

 はづきさんと会ったのは、あのマスク集団の襲撃事件以来だ。大事に至らなくてよかったが、やはりきな臭い事件のあとはいろいろ不安になってしまう。

「だいじょうぶだよ、ありがと」

 そう言って彼女はにこやかに微笑んだ。

「もしかしてきみも、さつきのお見舞いに?」

「ええ、まあ」

「さつきは幸せものだねえ」

「いや、僕はそんなたいしたことは」

「大したことなくても、きみは自分の時間を割いて、わざわざここまで来てくれたんだ。それはひとえにさつきのため、そうでしょ?」

 はづきさんは笑顔で僕に訊ねてくる。なんだかこそばゆいような感じがしたが、僕はうなずいた。

「だから、さつきは幸せものだよ」

 さああ、と吹き抜ける風が彼女のライトブラウンの髪を揺らした。

「……あの子、がんばりすぎなんだよね」

 彼女の表情に影が差した。そしてふと僕から視線を外す。舞い踊る髪を片手で抑えながら、彼女は遠い山々の稜線を見つめている。あのときとおなじ表情だ。僕たちがはじめて生徒会室で逢った、阿久乃会長に「勝つつもりだよね」と当たり前の質問をした、あのときとおなじ表情。

「なにごとにも一生懸命で、手を抜く、加減するってことを知らない。いつも完璧でいようとする。生徒会長の仕事だって、今回の選挙だって、あの子は本気で勝とうとしてる。ほら、あの子の政権って、役員だれもいないでしょ? この学園の生徒会執務なんてただでさえたいへんなのに、それをひとりでこなそうなんて……ね、きみもたいへんさはわかるよね?」

 はづきさんが訊ねてくる。僕も生徒会役員の仕事のたいへんさは身にしみてわかっている。が、それはあの阿久乃会長に振り回されてのことなので、すこし意味合いがちがうような気もするけど……。

「でも」僕は遠慮がちに口をはさんだ。「はづきさんも、学園の生徒会長だったころは、きっとひとりで執務をしていんですよね」

「……知ってたの?」

 いえ、と僕は首を振った。

「なんとなくです。そんな気がしました」

「すごい、きみはエスパーかよ」

 はづきさんは両脇を締めて両ひじを折りたたみ、肩のあたりで両手を上に開きながら「ハイー」と言った。あんたこそエスパー伊東かよ。ちゃんと片足立ちしてるあたり芸が細かいな。

「きっとさつき会長は、はづきさんを見ていたんだと思います」

「……わたしを?」

「はい。なんでも完璧にこなしてしまう、すごいお姉さんの存在を、間近で感じていたんだと思います。だからさつき会長は……」

 はづきさんは僕をまじまじと見つめる。僕は思わず口をつぐんだ。彼女は腰に手を当てて、やや驚いたように言った。

「さつき、そんなことまできみに言っていたの?」

「え、あ、いや」

 さつき会長に「この話は忘れて」と言われていたのに、思わず口を滑らせてしまった。はづきさんは「ふーん」と鼻を鳴らし、僕をじっと見つめている。

「さつきもあっちゃんも、ふたりできみにごシュウシン、か……」

「え?」

 彼女はふるふると首を横に振った。

「なんでもないよ。そうだ、はやくさつきのとこへ行ってあげて? きっときみのこと待ってるよ」

「……そんな、僕を待ってるなんて」

「早くはやく」

 はづきさんはそう言って、僕の背中を押して僕を建物の入り口に押し込める。「おわあっと」よろめきながら僕はなかに入る。振り返ると、はづきさんは「じゃあねー」と手を振って去って行ってしまった。

 僕は溜息をついた。あいかわらず台風みたいに僕を引っ掻き回していくひとだ。さんざん僕の気持ちをかき乱したあげく、なんでもないように消えてしまう。そしてその後には、まるで台風一過の晴れ渡る空のように、不思議と悪い気はしないのだ。さつき会長もあんな姉を持ってさぞかしたいへんだっただろう。

「……さつき会長」

 僕は足を踏み出した。さつき会長が僕のことを待っているかどうかはわからないけれど、僕はいま彼女に逢いにいかなくてはならない。

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