3−6

 生徒会『諜報』の力で情報を引き出すのは簡単だった。

 昨年に起きた吹奏楽部の事件の事情を知っており、かつ環先輩にとって下級生、という条件を満たすのは必然的に二年生の男子ということになる。僕たちふたりが狙いを定めたパーカッション担当の二年男子は、いかにも女子慣れしていなさそうな小柄の眼鏡くんだった。なるべくふたりきりのほうが効果があるだろうということで僕は遠くからようすを見ていたのだが、顔見知りではない同級生の眼鏡くんだったけれど、なんだかかわいそうになるくらい環先輩に骨抜きにされたいた。見ているこっちが恥ずかしさのあまり目を覆ってしまうほどだ。

「いろいろわかったわよ、レンくん」

 諜報活動を遂行して僕のもとに戻って来た環先輩は、つやつやとした表情をはじけさせながら僕に言った。一方の僕は、腑抜けたように教室にひとり呆然と立ち尽くしていた眼鏡くんのことが気になって仕方なかった。大丈夫だろうか……今日のことが彼の今後の学校生活に影響を及ぼさなければいいけど……。

「影響って、どんな?」

「そりゃあ……うぶな男子高校生には、環先輩の諜報活動は刺激が強すぎまして……」

「具体的には?」

「ええと……そ、そんなことよりっ」

 僕は必死になって先輩の追及を逃れた。先輩に対して男子高校生のそのあたりの実情を話せ、だなんて死刑に等しい。先輩に「あ、逃げたわね」と揶揄されたけど仕方がない、世の男子高校生の大事な部分を守るためだ。

「どんなことがわかったんですか?」

「……あまりいい話じゃないみたい」

 なんとなくわかっていた。桐宮さんも、阿久乃会長も、この件については黙秘を貫いているんだ。人様に聞かれるべき話じゃないかもしれない、ということはすでに覚悟していた。

「……順を追って話すね」

 そう言って彼女はしずかに語り出した。僕はそれに黙って耳を傾ける。

 桐宮さんがまだ在籍していたころ、吹奏楽部にはもうひとり、いまはもういない部員が在籍していた。

 名前は藤堂とうどう芽以めい

 その女子生徒は桐宮さんととくに仲がよかった。パートはサックス、つまり桐宮さんとおなじ楽器だ。一年のはじめから吹奏楽部に入部していたらしいが、いまはもういないという。

「どうしてですか」

「転校したらしいの、去年の秋ごろに」

 僕はすこし考え込んだ。去年の秋ごろ。その言葉が記憶のどこかに引っかかる……そうだ、吹奏楽部のコンクールの時期だ。悲願の一〇年連続金賞を逃した、秋のコンクール。そして阿久乃会長のミーティング襲撃事件。部長の桃子さんが、あれは生徒会選挙と重なる一〇月ごろだったと言っていた。桐宮さんの吹奏楽部退部、そして彼女と仲のよかった女子生徒の転校。そのふたつがおなじ時期に起こっている。はたしてこれは偶然の一致だろうか。

「どう思う、レンくん?」

「そうですね……やっぱり、彼女——藤堂さんの転校と桐宮さんの吹奏楽部退部は、少なからず関係があると思います」

「そうね」

 ただ、そのふたつがお互いにどう関係しているのかは、いまの情報だけではわからない。

「……その藤堂さんっていう子ね」

 先輩が話しづらそうに切り出す。「いじめられてたらしいの」

「いじめ……?」

 先輩の口から出て来た単語に、僕は思わず眉根を寄せた。先輩の言っていた「あまりいい話じゃない」というのは、こういうことだったんだろう。

「夏日ちゃんは仲良くしていたらしいんだけど、逆に言うと彼女と仲が良かったのは、部活のなかでは夏日ちゃんだけだったみたい。さっきの彼も、藤堂さんが夏日ちゃん以外と仲良く話してるとこ、あまり見たことないんだって。すごくおとなしい子で、ひとに自分の主張をすることが苦手だった……そういう意味では、夏日ちゃんとはそりが合ってたのかも」

「いじめって、具体的には、どんな……?」

「持ち物を隠されたり、楽器にいたずらされたりっていうのはしょっちゅう。どうやらもっとひどいこともあったみたいだけど……」

「もっとひどいこと……?」

 腹のなかにいやな空気が溜まりはじめたのを感じた。

「しだいにいじめもエスカレートしていったんだって。夏日ちゃんも最初のころはかばってあげてたんだけれど、どうしようもなくなったのか、秋ごろにはもう彼女と話すこともなくなっていたらしいの」

「……」

 不安のにじむ先輩の声を聞きながら、僕は桐宮さんのことを思い返していた。どうしようもなくなった……それはつまり、桐宮さんは友だちを救うことを諦めたのだろうか。だんだん苛烈になっていく部活のいじめに苦しむ藤堂さんを救うことができなくて、差し伸べた手を引いてしまったのだろうか。

「藤堂さんは、いじめが苦になって部活をやめて、転校していったんでしょうか」

「おそらくそうね。でも、さっきの男の子の話だけでは、それ以上のことはわからないみたい。桐宮さんや藤堂さんとは、あまり接点がなかったみたいだから」

 そう聞いて僕は肩を落とした。いくら生徒会『諜報』だと言っても、引き出せる情報には限界がある。引き出すほどの情報を情報元が持っていないと、それ以上の情報は引き出せないのだ。今回、環先輩の諜報活動に引っかかりやすいような、いわゆる「女慣れ」していなさそうな純真な男子を選んだが、それがあだとなった。情報の対象である桐宮さんと藤堂さんも女子なので、そもそも彼女たちの情報を眼鏡くんが持っていないのだ。

「なかなか思うように進みませんね……」

「そうかしら」

 環先輩が首をかしげた。

「ほんのすこしずつだけど、確実に真実に近づいているような気がするわ。少なくとも、いままで私ひとりでは、ここまで知ることができなかったのよ。レンくん、あなたのおかげ」

 先輩はにっこりと微笑みを僕に向けてくれた。それを見て、照れくさくなった僕は頬をかきながらうつむく。

「もっと情報元が必要ね」

「そうですね……あてはあるんですか?」

 僕がそう訊くと、先輩はふるふると首を振った。

というほどのものでもないわ。ただ——」

 先輩の双眸がじっと遠くを見据えた。

「もういちど、彼と話をしてみたいの」

「彼?」

「ええ。……桐宮くんよ」

 河川敷愛好会会長。そして桐宮夏日の兄。

「もういちど彼と話がしたい。部活動以外で、そして学校の外で夏日ちゃんと接点のある彼なら、べつの視点から情報を集められるかもしれないわ。それに」

 先輩が握りしめる両手に力がこもる。

「桐宮くんにも、ちゃんと知っておいてほしいの。あの日吹奏楽部でなにがあったのか。阿久乃ちゃんがなにをして、夏日ちゃんがどうなったのか。ちゃんとわかってほしいの」

「……そうですね」

 僕はゆっくりとうなずいた。

 もう立ち止まることはできない。阿久乃会長と桐宮さんがこれまで明かそうとしなかった事実を、僕たちは暴こうとしているんだ。この出来事の結末がどうであれ、僕はその事実を目の当たりにしなければならないんだ。

 渇いたつばを飲み込みながら、僕は先輩の横顔を見つめた。しかし彼女の表情は、垂れた金髪に隠されてうかがい知ることはできなかった。

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