3−5
彼女は吹奏楽部のエースだった、というのは環先輩からすでに聞いていた話だ。彼女が吹奏楽部を去ったあとに入部した、彼女と面識のあるはずのない一年生たちがその名前を知っていたほどだ。
しかし、彼女は吹奏楽を捨てた。将来を嘱望されていた部活をやめて、その直後に生徒会に入会したのだ。
その手招きをしたのが、阿久乃会長。
「そもそも宣戦布告して来たんはそっちや。あの日、いきなり部会に乱入して来て、めちゃくちゃに引っ掻き回して夏日連れてったんや。それ以降夏日は部活に来なくなった。夏日
吹奏楽部にあてがわれた部屋のうち、いまは使っていないのだろう個室のなかで、僕たち三人は対峙していた。椅子に座りながら、桃子さんは床に落ちていた小さなマウスピースをくるくるともてあそびながら話を続ける。
「通称『悪の生徒会』の会長、柊阿久乃……頭おかしいんちゃうか、って思うたわ。わけわからんことわめいて、暴れるだけ暴れて、ウチのエース誘拐して去っていって。エース不在のおかげで去年のコンクールは台無しや。柊阿久乃のせいで、ウチら白銀川学園吹奏楽部は、金賞を逃した」
僕は渇いた唇をなめた。環先輩は僕の横でしずかに桃子さんの言葉を聞いている。
「それが去年の一〇月ごろ。ちょうど生徒会選挙が終わって、あの善桜寺さつきが勝ったときや。どうせ
「……阿久乃会長は、そのときなんて言ってたんですか」
「『おまえらに夏日の気持ちがわかるのか』……そんなようなことやった。よくわからんことや、もう大して憶えてへん」
桃子さんはマウスピースを空中に高々と放り投げ、落ちて来たそれを右手でキャッチする、その動作をなんどか繰り返した。僕はそのマウスピースの動きを目で追いながら、彼女の言った会長の台詞を反芻した。
——おまえらに夏日の気持ちがわかるのか。
どういう意味だろう。阿久乃会長はなにかとくべつな事情を知っていたんだろうか。吹奏楽部員たちの知らない、現部長でさえ知らなかった事情を。
「まあ、いまとなっては昔の話や。いまさら蒸し返すつもりもない。桐宮夏日をウチの部活に返せとも言わへん、ぜんぶ時効や」
マウスピースを投げるのをやめ、桃子さんは僕たちをじっと見つめる。
「せやから、戦争はもうおしまい。それがさっきの和平の握手」
彼女はさっと椅子から降りると、スカートのしわを伸ばした。
「これ以上ウチの部活で嗅ぎ回ってもむだやで。みんなあんま話したがらへんから」
「……そうですか」
「今日のところはこれくらいでええか?」
僕は環先輩に目を向けた。先輩は諦めたように首を振ったあと、
「ありがと、桃子。お邪魔したわね」
と言った。
「ええんやで。生徒会以外でやったら、ウチはいつでもたまたまをウェルカムや」
「……もう、その呼び方やめてよね」
「もちろんきみもやで、未草ちゃん?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
桃子さんに手を振られながら、僕たちはその一室をあとにした。
生徒会室へもどる道中、環先輩と歩きながら桃子さんとの話を思い返した。
阿久乃会長が吹奏楽部のミーティングを襲撃し、さんざん引っ掻き回したあと、桐宮さんを連れ出して生徒会に入会させた、というのは、先輩から聞いた事前情報と合致する。そこにまちがいはなかった、というのは僕と先輩との共通の見解だった。
「どう思う、レンくん?」
環先輩が不安そうな表情で訊ねてくる。仲のいい同級生から自分の政権の会長を糾弾されて、心中穏やかではいられないだろう。僕は思っていることを正直に話してみる。
「きっと、僕たちの知らない事情があると思います」
「……どんな事情かしら」
「わかりません。それを見つけ出さないと、この問題は解決しないように思います」
「……そうね」
そう言って環先輩は顔を伏せる。
ほんとうにこの問題が解決できるかどうか、僕は自信がなかった。でも、きっとなにかあるはずだと思った。なんの根拠もなかったが、阿久乃会長の言葉が僕にそう確信させてくれていた。
——おまえらに夏日の気持ちがわかるのか。
会長の行動はたしかにめちゃくちゃだ。僕をこの生徒会に引きずり込んだのと同じように、阿久乃会長は桐宮さんをめちゃくちゃな方法で入会させた。それは生徒会の特権だと思っている、会長らしいやり方だ。でも、ほんとうにそれだけなんだろうか。会長はあのとき、僕のことを信じてくれた。「あたしがおまえを必要としている」——そう言ってくれた。そのためにあんなめちゃくちゃをしたんだ。阿久乃会長にとって、めちゃくちゃは生徒会の目的ではない。あくまで目的を達成するための手段でしかない。きっとなにか、桐宮さんを生徒会に引き入れる——あるいは、吹奏楽部を退部させる——ちゃんとした理由があったはずだ。だれにもわからなかった「夏日の気持ち」とやらを、会長は知っていたはずなんだ。
「事情を知っているひとがいるはずです」
さっき桃子さんは、「吹奏楽部を嗅ぎ回ってもむだ」と言った。その理由として、「だれも話したがらないから」だと言っていた。そう、「だれも知らないから」ではないんだ。桃子さんも、この事情を知っているひとが部内にいることをわかって言っている。そのひとに僕たちが接触することを避けて、あんなことを言ったのかもしれない。
でも、桃子さんの言うとおり、だれも話したがらなかったらどうしよう。彼らにとって僕たちは部外者であり、それどころかエースを引き抜いていった『最悪の生徒会』の手下だということになる。そんな僕たちに、おいそれと事情を話してくれるものなのだろうか、はなはだ疑問だった。
なにか、有効に情報を収集できる方法はないものか……。
「……」
「どうしたの、レンくん? 私のことそんなに見つめて」
「ありました」
「……え?」
「あったんですよ、情報を引き出す方法!」
あった。こんなに近くにいたのにどうしてすぐに気づかなかったのか。情報を聞き出すのに最適な人物がいるじゃないか、僕の目の前に。
年下の男子をたやすく籠絡する、我が生徒会『諜報』——
「……私?」
豊かな金髪をきらきらと煌めかせながら、ちいさく小首をかしげる環先輩を見て、僕はこのひとが味方でよかったと思った。このひとに言い寄られたら隠し事なんてぜったいにできない——彼女のとろけるような表情を見ながら、あらためてそう思い知ったからだ。
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