1−8
ふいに会長が僕の手から書類をひったくった。それと同時に、生徒会室に爆音みたいに大きな音が響き渡る。僕は身をすくませた。
「な……っ?」
「……我が生徒会へようこそ。未草蓮。あたしはおまえを歓迎する」
会長がそう言い渡す。周りを見渡すと、初奈先輩、環先輩、桐宮さんの三人が、それぞれの手に大量のクラッカーを持っているのがわかった。爆発音はこの音か。でもなんでクラッカーを? ていうか、会長はいまなんて言った? 「我が生徒会へようこそ」って言ったか?
初奈先輩がおもむろに窓際に歩み寄った。いままで気がつかなかったが、そこには小振りのくす玉が吊り下げられている。初奈先輩がひもを引っ張ると、割れたくす玉のなかから垂れ幕が広がり、大量の紙吹雪が舞う。その垂れ幕にある文字を見て、僕は愕然とする。
『♪未草蓮くん♡生徒会へようこそ♪』
「ど、どうしてそうなるんですかっ、僕は落とし物の書類に名前を書いただけで——」
「これのこと?」
会長は僕の書いた書類のすみっこをめくり、びりびりと引きはがしはじめた。どうやら複写式になっていたようだ。一枚だったはずの書類はみごとに二枚に分裂した。姿を現した二枚目の書類に書かれていたのは「生徒会入会願」という文字。
「レンはこの書類に署名をしたじゃん。晴れて生徒会の一員だよ」
「……!」
二枚目の書類にはたしかに僕の署名がある。複写式の書類は一枚目に書いた文字が二枚目にも写るのだ。
「で、でも、僕は一枚目の拾得届に署名しただけで、入会願に署名したわけではっ」
「えいっ」
会長がくいっと両腕をひねると、一枚目の拾得届はびりびりとむなしい音をたてて破れた。
「あああああああ」
僕は絶叫した。「なにしてんだよ!」
「拾得届ってなに? レンはなんの話をしてるの?」
「あんたがいま破った書類の話だよっ! 僕が署名した書類! 会長がいま持ってるまっぷたつの紙!」
「わかんなーい、びりびり」
「粉々にしながらとぼけるんじゃねえ!」
会長は「わかんなーい」を連発しながら手許の紙を粉々に千切っている。もはや載っている文字も読めないほどに粉砕された僕の拾得届の残骸は、会長のとどめの「ばんざーい!」で生徒会室にひらひら舞った。
「Oh……」
僕は頭を抱えてひざまずく。そんな僕を尻目に、初奈先輩たちはビニール袋のなかからペットボトルの飲み物やらお菓子やらを取り出して机に並べはじめた。
「な、なにしてんすか……」
「レンの歓迎会の準備だ。きさまも手伝え」
初奈先輩が竹刀の先っぽを僕に向けてくる。主賓が手伝う歓迎会なんて聞いたことねえしそもそも歓迎されたくないです。
「レンくんにはとくべつにいろんな飲み物混ぜてあげるねえ」
環先輩はそう言ってオレンジジュースやらウーロン茶やらジンジャエールやらコーラやらを透明なカップになみなみ注いでいる。だんだんやばい色の液体が完成されていく。あれ僕が飲むの?
「うう……こ、こんなひとと、おなじ部屋の空気を、吸いたくないです……助けてぇ……」
桐宮さんが痛ましい泣き声を漏らす。先輩たちが「うわあ……こいつ女子泣かした」みたいな目で見てくるんだけど僕だって泣きたいからね?
「ちょっと待ってくださいよ」僕はあわてて先輩たちを静止した。「僕は生徒会に入るなんて言っていません、こんなのめちゃくちゃだ」
「めちゃくちゃは生徒会に与えられた特権だよ。めちゃくちゃしない生徒会なんてこの世には存在しない」んなわけねえだろ世の生徒会役員に謝れ。
「やっぱり僕は入りません」
「どうして?」
「昨日も言いましたけど、僕なんか役に立ちませんよ。僕みたいな、ふつうの人間」
「……ふつう?」
会長が僕の発した言葉を繰り返す。
「ふつうってなに」
「それは……僕みたいな人間のことです」
「わかんない」
「会長……」
「あたし、レンをふつうだなんて思ったことないんだけど。ふつうの基準はだれが決めるの? 国会議員? 大統領? それとも、生徒会長?」
僕は固唾を飲んだ。
「それは……」
答えられなかった。ふつうの基準はだれが決めるのか。僕は自分のことをふつうの人間だと思っている。でもそれは、自分の基準に照らし合わせて、だ。ほかのだれかが決めた基準ではない。ましてや会長が決めた基準でもない。
じゃあふつうってなんだ?
「答えられないよね。だってその質問に、答えなんてないんだから」
柊会長の瞳に、ふたたび光が宿る。
「人間はふつうになんてなれないよ。この世界に、『ふつうの人間』なんていない。自分がふつうだと思っているやつも、ほかのだれかにとっては『とくべつ』なんだ」
会長はまるで一たす一は二だろ?とでも言うように、さも当然のことを言っているような表情を浮かべている。人間はふつうになんてなれない。なぜなら「ふつう」の基準はだれにも決められないから。それはあまりにも単純で、揺るぎのない答えだ。
「それに、おまえは役に立ってるじゃないか。他人の落とし物を拾って、知らんぷりせずにちゃんと預かって、この巨大な学園を迷いながらも本人に届けようとした。『きっと困っているはずだ、届けなきゃ』って思ったんだろ? これはなかなかできることじゃないよ。それを当たり前のようにやったレンは、決してふつうなんかじゃない。役に立たないやつなんかじゃない」
彼女の光は僕の進む道を照らす。
「『だれかの役に立ちたい』、『困ってるひとを助けたい』、その感情のなかにある核心を、あたしは知ってみたい。おまえが自分をどう思ってるのかなんて、あたしには関係ない。『自分は役に立たない』だなんて、おまえの自己評価は知ったこっちゃないんだ」
一番星だ、と僕は思った。彼女の瞳に宿る光は、夕空に閃いた一番星。宵闇に沈もうとしていた僕の昏い心を照らし出す、まばゆいばかりの星の光。
「あたしがおまえを必要としている……それだけじゃだめ?」
会長はそう言って、僕を真正面から見据えた。真正面といっても身長差があるから、僕は見上げられるかたちになるのだけれど。でも僕は彼女を見下ろしているようには思えなかった。夜空から僕を包み込むようなあたたかな光が、オーロラのように輝く彼女のきらめきが、僕の心を照らし出していた。
僕の世界のスノードーム。あの日に仲間から受けた一言で、僕の世界は暗くにごってしまっていた。僕の世界はもう、光を受けて輝くことはないと思っていた。でもちがったんだ。ひとの世界はだれかの言葉で簡単ににごってしまう——でも逆に言えば、人の心はだれかの言葉でふたたび光を取り戻すこともできる。
柊阿久乃という少女の光。
柊阿久乃という名前の光。
目の前で燦然と輝く極光に照らされて、僕の世界はふたたび光を取り戻していく。
まわりを見回すと、初奈先輩、環先輩、桐宮さんがじっと僕を見つめている。それぞれがそれぞれの表情で、あたたかく僕を包み込んでくれている。卑怯だろ、こんなの。僕はもう、会長の言葉に対して「はい」って言うしかないじゃないか。
「……めちゃくちゃですよ、こんなの」
「めちゃくちゃは生徒会に与えられた特権だ。さっきも言っただろ?」
「……そうですね」
会長は満足そうに微笑んだ。
「それじゃあらためて——未草蓮」
「はい」
「我が生徒会へようこそ。あたしたちは、おまえを歓迎する」
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