1−2
翌日、僕はその校章を学校に持っていき、クラスメイトたちに見せた。そして、「善桜寺さつき」なる人物に心当たりはないか、という問いかけをした。すると、クラスメイトたちの反応は意外なものだった。
「未草……おまえ、まじかよ」
「あの人のこと、知らないの……?」
「まあ、転校してきて一ヶ月もたたないけど、それにしても……」
クラスメイトたちが揃いもそろって僕に驚愕の目を向けてくるので、僕はやや恐怖に震えおののきながら、「……どういうこと?」と彼らにさらなる回答を求めた。
「善桜寺さつき。この学園の生徒会長だよ」
「……生徒会長?」
「そう。ほんとうに話をしたんだとしたら、未草くんすごいよ。ちょっと触っていい?」
「え?」
「俺も俺も」「私も触りたい」「みんなあやかれ」「ご利益ご利益」「おまえらどこ触ってんだよ!」僕は地域を見守るお地蔵さんじゃないんだぞ!
「未草、おまえは善桜寺会長のほんとうのすごさを知らない。この校章のピンバッジは、栄光ある白銀川学園執政生徒会のみが携行することを許された、いわばエリートの証!」
クラスメイトのひとり、鳥の巣頭の
「そのとおり! 未草、おまえ幸せものだな、ほんものの善桜寺会長のお目にかかれて、そのうえお声をかけていただけるなんて!」
もうひとりのクラスメイト、黒縁メガネの
「でも、ほんとうにすごいね。善桜寺会長と話ができるなんて」
「そ、そうなの?」
ふだんは僕なんかに興味ないくせに、善桜寺会長の話をしたとたん騒ぎ立てるクラスメイトたちの熱を目の当たりにして、会長の求心力を垣間見た気がした。
生徒会長……善桜寺さつき。
生徒会室に行ってみよう。会長であれば、生徒会室にいるにちがいない。
その日の放課後、僕は学園の生徒会室に向かった。学園の敷地の広さというのは、当然のごとく校舎の広さにもつながる。なんとか自力で調べた生徒会室の場所にたどり着くのに、ずいぶん時間がかかってしまった。途中で幾度となく迷ってしまい、ようやく目的地と思われる場所に到着すると、僕の両脚は棒きれのようにくたくたに疲弊していた。ぜえぜえと荒れた息を整えながら目線を上のほうへ遣る。見ると、扉の上のほうには「生徒会室」と書かれたきらびやかなプレートが掲げられていた。
「……すごいな」
僕はその装飾ばりばりのプレートを目にして溜息をつく。
僕のこれまで通っていた高校では、生徒会室であろうが職員室であろうが校長室であろうが、教室のプレートは白地に黒字のごくシンプルなものであった。しかしこの学園の生徒会室はわけがちがう。これが鳥巣と黒渕のわめいていた「エリート」たるゆえんか。まるで中世ヨーロッパの貴族の表札か、はたまたやくざの組長の部屋に飾ってある高価な壷の装飾みたいだ……いや、ヨーロッパの貴族の館に表札があるのか知らんし、やくざの組長の部屋なんてもっと知らない世界だからそう喩えるのはやめておこう。
ポケットに手を突っ込み、校章のピンバッジに触れた。
なんだか一般庶民の僕がこんなところに入るのは気が引けたが、ひとえに善桜寺会長にこの校章を届けるためだ。それに、いくら冴えなくても僕はこの学園の生徒だ。よもや立ち入り禁止区画ではあるまい、一般生徒が往来してなにが悪い。意を決して扉をノックする。
「……」
返事がない。
誰もいないんだろうか。僕は自分の不運を呪った。せっかく会長にお目にかかれると思ったのに、今日はおあずけか……。
諦めて踵を返そうとしたが、しかし僕は思い止まった。この機会を逃してはならない気がする。なによりも、また明日この広い校舎を歩いてここまでたどり着く自信がない。
僕はもういちど、扉をノックしてみた。しかしやはり返事はない。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとまわす。少し力を入れて押すと、扉はしずかに開いた。
「し、失礼します……」
なにに対してびびってるんだか自分でもわからなかったが、僕は誰に言うでもなく、小声であいさつをした。そしてなるべく大きな音を立てないように、そおっと中に入っていった。
どうやら部屋の奥のほうから、音が聞こえるようだ。
「……?」
注意深く耳を澄ませる。シャン、シャンと小気味よいリズムを刻むのは、パーカッションかなにかか。どうやら音楽のようだ。
僕は放課後の生徒会室から聞こえる奇怪な音の出どころを調べるため、抜き足差し足で奥へと入っていく。先ほど聞こえていたパーカッションのリズムに、ピコピコと電子音のようなものが混ざる。なんの音楽だろう。
僕はさらに歩を進める。だんだんと音が大きくなっていくにつれ、生徒会室の状況も変化していく。僕はとくに足場に注意しながら歩いていった。とにかく散らかっているのだ。教科書やら漫画本やら、中味のなくなったペットボトルの残骸やら、いたるところに物が落ちている。まるで子どもの遊び場だな、という考えが浮かんで、僕はそれを振り払うために必死に首を振った。これはなにかの間違いだ。あの善桜寺会長が、こんな無粋な部屋の使い方をするはずがない。会長はもっとこう、優雅な調度品に囲まれて、おしゃれなランプシェードをひっくり返したみたいな形のおしゃれなティーカップで、イギリス直輸入のダージリン・ティを飲んでいるにちがいない。うん、きっとそうだ。ここはべつのだれかの生徒会室なんだ。
……べつのだれかの?
だれなんだ、それは。
音の出どころを見つけた。生徒会室のなかでは、小学校高学年くらいの女の子が、テレビに映るアイドルの振り付けを必死にまねしながら踊りを踊っている。
僕はその場で凍りついた。ここは生徒会室だったはずだ。しかしこの光景はなんだ。善桜寺会長にはお目にかかれないばかりか、どうしてあんな小学生みたいな女の子がこの学園の生徒会室にいて、そして、アイドルソングを歌って踊っているんだ……?
少女の右手にはおもちゃのマイクが握りしめられ、左手は動物のぬいぐるみを振り回している。彼女の左手でぶんぶん振り回されるそのぬいぐるみを見つめた。いまにも腕(のようなもの)が引きちぎれんばかりに回転しているあれは……ペンギン?
「LaLa♪ 恋は魔法っ! どうしてだろう? 想いはもう、溶け出してしまうの♪」
「……」
「まるでチョコといっしょ(いっしょ!)、この気持ちはそう……ハ・ジ・ケ・Ru♡」
僕は混乱して一歩うしろに後ずさった。すると、足元に打ち棄てられていた空のペットボトルにつまずき、その場に倒れ込んでしまった。
「うわあっ!」
僕の叫び声が生徒会室に響いた。少女の熱唱がとまった。ちょうど曲が終わったところのようで、生徒会室は染み入るような静寂に支配された。
「……」
張りつめたような静寂のなか、少女がおもむろにこちらを振り返った。僕と視線が重なる。豊かな茶髪に大きなリボンをつけた小学生の女の子は、ちんまりした宝石のような瞳を僕に向け、ぷるぷると震えはじめた。その顔は真っ赤に染まっている。
「あ、その、僕は、怪しいものでは……」
苦しまぎれに僕がそう言うと、こんどは少女の口が大きく開かれた。
「きゃああああああっ!」
少女が叫んだ。身の危険を感じた僕は急いで立ち上がり、来た道を引き返した。生徒会室のドアを開き、ほうほうの体で外に飛び出す。
「はあ、はあ……なんだったんだ、いまのは……」
荒れた息を整えながら、僕は後ろを振り返った。学園の生徒会室に行ったはずなのに、どうして善桜寺会長はいないんだ? そして、あの小学生はなにをやっていたんだ?
頭のなかに渦巻くあらゆる疑問に答えが出ないまま、しかたなく僕は帰途へ就いた。
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