シンノスケ、まだ移動するの巻

「まあ、待つんだ。そう物騒なことを口にするものじゃない」

 殺意にあふれる仮面の男をなだめるように、ロイドは穏やかな口調で言うと、三人へ身体を向けた。浮ついた顔をしている、とステラは思った。それが間接的とは言え殺人を指示したことによるものなのか、それとも彼の思想がそうさせているのか、区別はつかなかった。

「ステラ。僕には理想がある。今回彼らに手をかけることになったが、決して本意じゃない。あの三人と僕らは理想を共有する同士だったが、それを裏切ったんだ。イングランドの再興という、崇高な理想に」

「イングランドの……?」

「そうとも」

 ステラ、そしてガブリエラが眉を顰めたが、ロイドは構わず続けた。

「ブリテンは本来誰のものか。連合王国UKは本来誰の国か。この国の複雑な歴史を紐解けば紐解くほど、僕らのアイデンティティは困難なものとなる。悩んだ末に考えた結果、少なくとも僕、いや僕らは、今の不満と正直に向き合うことにした」

「不満?」

「そうとも、ガブリエラ!」ロイドは握った拳を掲げた。「君たちスコットランド人の存在も目障りだ! たった僕らの10分の1の数しかいない連中に、何故ここまで配慮しなければならない!」

「貴方がそれを言うの!」ガブリエラが顔を歪ませて叫んだ。「人の住んでいた土地を奪っておいて、蛮族ヴァイキングの子孫が、厚かましいことね!」

「大した文明をもたなかったくせに、未開の民族が何を言うんだい」ロイドが薄く笑った。「振り返ればとにかく不満ばかりだ。大した貢献も出来ないくせに要求だけは一人前のウェールズ、スコットランド、アイルランド。そして立場をわきまえない植民地の連中。大陸の連中もそうだ。自分達こそが真のキリスト教徒、真のヨーロッパの支配者だと言わんばかりの――」そこまで言って、ロイドは大きく息を吐いた。

「ともあれ、僕らは問題を抱えすぎた。このままでは欧州、そして植民地の連中にすら食い物にされかねない。そのために、まずブリテン、連合王国UKを塗り替える。つまり、我々こそが正当なブリテンの後継者であり、その正当性をもってこの国全てを一度イングランドに塗り替える。なぜなら、僕らは一つになるべきだからだ!」

 荒くなった息を整えて、ロイドは再び四人に向き直った。当惑、疑念、恐怖、――全員が異なる感情を目に浮かべ、彼を見つめている。

「ブリテンは一つ。この言葉に嘘はない。そして、それは君たちも例外ではない。

――僕らは仲間、同じ大ブリテン島の上に暮らす同志だ。一緒に来てくれ。真の意味で一つの国を作るんだ」

 狂っている、と思いつつも、ガブリエラは迷った。ここは命乞いを兼ねて、一時的に恭順を示すべきでは、と。遡ればステュアート家に連なるボールドウィン家を貶めることになるかもしれないが、命には変えられない。彼女はちらりと隣のステラを見やった。

 足は震えている。しかし、彼女の目は、しっかりとロイドを見据えていた。

(ステラ)

 その時、ステラが口を開いた。

「……質問よ。どうして、公爵たちを殺したの?」

「――ああ。裏切ったんだよ、彼らは」ロイドは肩を竦めた。「最初、このに僕を引き込んだのは公爵の方だった。会と言っても、当初はただのパーティーだったさ。貴族同士、男だけの、酒を食事がテーブルに並んでいて、ただただこの国の行末を話す、そんな食事会だった。けれど、いつしか真剣になってきて、本気でこと・・を起こそうと決めたんだ。

そのために、僕らは資金を欲していた。――できるだけクリーンなものを、ね。貴族だからってなんでもかんでも手を付けられる訳じゃない、自由な金が必要だった。そこへ、このフランシス・ブラックモアが現れた」

 ロイドは靴の爪先で、足元に転がるブラックモアの背中を小突いた。

「彼は僕らと思想を同じくしていたわけじゃないけれど、金を持っていたし、稼ぎ方も知っていた。そしてコネクションを欲していた。僕らは彼を利用し、彼もまた僕らを利用した。

――ある時、彼が大胆な金策を持ってきた。海外に拠点を作るというものだった。さて、一体何の拠点だと思う?」

「御曹司」コルテスが制した。「そのあたりで、もういいんじゃないでしょうかね」

 突然話を遮られたロイドは一瞬だけ不服そうな顔をしたが、「……まあ、喋りすぎかな」と頷いた。

「ともかく、公爵、そして教授は僕らを裏切った。怖気づいたんだろう。だからブラックモアにコルテス達を使わせて、二人を殺させた。彼は賢いようで馬鹿だったから、上手く動いてくれたよ。コルテス達が僕の雇った暗黒執事だなんて、思いもしなかっただろうさ」

「暗黒執事――」

 ジャイルズの忌々しげな呟きは、誰の耳にも入ることはなかった。

「さて。それで、」話し疲れたのか、ロイドの口調は少し突き放す風になった。「どうするんだい。僕らと来るか、ここで死ぬか」

 ステラはしばらくの間じっとロイドを見つめていた。彼女は、まだ現実の全てを受け入れられずにいた。無理ないことだった。シンノスケと離れてからこの方、彼女を励まし続けてきたのはロイドである。いつしかステラは彼のことを憎からず思っていた。しかし、事態は一転し、ロイドこそがステラ達が追ってきた真犯人だというのである。今朝方まで自分に甘い言葉を囁いていた男が、すっかり中身がすり替わってしまったようで、しかしロイドから見捨てられることに、いつしか恐怖心を抱くようになっていた。

 その時彼女の瞼の裏に、シンノスケの顔が浮かんだ。寂しそうな顔である。いつもニコニコと不気味な笑みを浮かべているのに、この時ばかりは悲しげな顔つきであった。最早生死も分からぬ男が、この時ステラの正気を繋ぎ止めていた。不思議な気分であった。彼がステラの執事になったのは、ごくごく最近の話なのだ。

(……そんな顔しないで。大丈夫よ。裏切らないわ、私)

 ステラは従者、或いは己に言い聞かせるが如く、ふと息を吐くと、

「寝ぼけたことを言ってるわね! これだけの人を手にかけておいて――貴方みたいな頭のおかしい人と一緒にいられるわけないじゃない!」

 はっきりと切った啖呵に、ガブリエラが破顔した。

「そうでなくっちゃ!」

 ティア、そしてジャイルズもステラの方こそ見なくとも、同じ思いであった。皆口元に笑みを浮かべている。コルテスですらそうだった。

「振られましたなあ、御曹司」

「バカにするな」ロイドは怒りと恥ずかしさで顔を紅潮させていた。「そうか、わかった。君はもっと賢い女だと思っていたよ。頭も顔も平凡なら、もう惜しむ必要もない。

――やれ、カルソラ!」

 カルソラと呼ばれた仮面の男は剣先についた血をマントの端で拭うと、いきなりロイドの腕に突き立てた。

「うっ!」

 仮面の男、カルソラの予想外な動きは二度目である。全員が呆気にとられる中、ロイドは刺された腕を押さえながら、痛みを堪えようとうずくまった。

「くそっ、痛い」悪態を吐くロイドに、コルテスが立ったまま話しかけた。

「我慢して下さいよ、御曹司。この人達は今からもっと痛い目にあうんだから」

 どういう意味、と問いかけようとして、はっとガブリエラが気付いた。

「ステラ、こいつ、偽装するつもりよ! 自分も襲われたけれど、たまたま助かったと言うに違いないわ!」

「僕なりの誠意だよ、ガブリエラ!」ロイドが吐き捨てるように言った。「これくらいは差し出す、ということさ! 君たちの命を貰うのだからね!」

「――ガブリエラ様、ステラ様!」遂に腹を括ったティアが、抜剣した。「ここは私が少しでも食い止めます! お二人はお逃げ下さい!」

「どこへ!?」

「どこへでも!」

「――逃がすと思うか、女ども」

 ゆるりと動き出したカルソラを見て、ガブリエラの足が反射的に動いた。彼女は未だ止まったままのステラの手を強く握ると、振り返らずにそのまま走り出した。ステラもつられて、足を動かす。

(死なないで、二人とも!)

 ガブリエラはともすれば溢れそうな涙を堪えて、来た道を引き返した。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 ステラとガブリエラ、女性二人が去り、路地の空気が一気に冷え込む。

 片方には抜剣したジャイルズとティア、対峙するのはコルテスと仮面の男カルソラである。

「懐かしいな、キャボット。お前とこうして剣を向け合うのは何年ぶりだ?」

「――――」

 キャボット――つまりジャイルズ・キャボットは、コルテスの問いかけに応えず、じっと剣を構えたまま一歩も動いていない。

「とっくに廃業したもんだと思っていたぜ。怪我でもうろくに剣も振れないと聞いてたからな」

「噂には尾ひれがつくものだ」

「そうだな。やはり、自分の目で確かめないと、だ」

 コルテスが動いた。巨体を驚異的な速度で移動させ、ジャイルズの三歩前へと踏み込む。手足の長いコルテスにとっては充分過ぎる間合いである。

脊髄スパイン!」

 コルテスの剣がはしる。しかしジャイルズはほんの少し足をずらし、ガルトで軽く弾くと、手首を翻して垂直に剣を振り下ろした。

「おっと!」

 己の正中線をなぞってきた剣先を、コルテスは慌てて飛び退き回避した。だがすぐさま突きが食らいついてくる。それを剣の腹で打ち返し、軌道をずらす。同時に下がり、間合いを広げる。

 ここまでの撃ち合いはごく少ない手数であったが、1秒に遠く満たない攻防である。がが、と二度金属音が鳴っただけ、少なくともロイドにはそう聞こえた。

「コルテス! とっととそいつを始末しろ!」

 不安の色を隠さないロイドに、コルテスは苦笑した。

「無茶を言わんで下さい。こいつは昔はかなりの遣い手だったんですぜ。20年前は、俺は一度も勝てなかった」

「な、なんだって?」

「心配しなさんな。そうは言っても昔の話だ。何より、こいつは利き腕を怪我してまともに剣を握れない」コルテスは軽く剣先を揺らし、「こいつが万全なら、とっくに俺は殺されてますよ。そうじゃないってことは、」

 再び踏み込む。先程より遥かに速く剣先が踊り、ジャイルズは受けを余儀なくされた。

「もう、ポンコツ寸前だってことですよ」

 再び金属同士がぶつかり合い、火花がそこかしこで散る。

 それを見て、ロイドは薄く笑った。

「いいね。頼むよ」

 とは言え、コルテスは一方的に攻め立ててはいたものの、決定打をこそ欠いていた。彼は少し不安を覚えた。ジャイルズは先程から、両足を殆ど動かしていない。

 一方のジャイルズであるが、確かに受けに回ってはいたものの、まだ余力は残した状態だった。しかしそれ以上全面に意識を避けずにいた。後方ではティアがカルソラと対峙している。ジャイルズはカルソラこそを危険視していた。ティアの腕こそ定かではないが、カルソラには及ばないだろう。

 彼は公爵の館で襲われた時を思い出していた。あの時カルソラと剣を合わせてはいたものの、まさか自分やコルテスと根を同じとする剣を遣っていたとは考えもしなかった。それだけ異質な剣であり、異質な男であった。

「ティア!」叫ばずにはいられなかった。「気をつけろ! そいつは怪物だ!」

(そんなの、言われなくても分かっていますとも)内心でティアが悪態を吐いた。(貴方がこの髑髏どくろの相手をしてくれればよかったのに!)

 カルソラが忍び寄る。ティアは迫りくる暗殺者の一挙手一投足をつぶさに見ていた。いつ動かれても良いように、と。だが瞼をぱちりと閉じた瞬間(それでもかなり速い瞬きであった筈だが)、カルソラは彼女の視界から消えていた。

 怖気を感じ、身体を捻って左側に剣を振るう。功を奏したのか、奇跡的にカルソラの一撃を払うことに成功した。だがそれも束の間、彼女の左太腿に鋭い痛みが走った。カルソラの剣、切っ先がティアの肉を千切っていたのだ。溢れる血液が、メイド服の白を赤く汚す。

(殺される――)

 ティアは半身になり、剣の先をカルソラと自身の間、地面に向けて斜めに下ろした。防御の構えである。

 カルソラは構わず二度三度と打ち込む。ティアはどうにかそれを受け止めるが、同時に身体の一部を傷つけられていた。そして反撃は一つもできずにいた。

「カルソラ!」ロイドが遠くから野次を飛ばす。「とっとと終わらせろ! あいつらが逃げる!」

 聞いたコルテスは溜息を吐くと、「ここは俺一人で十分だ。お前はあの二人を終え」と言った。

「――お前の指図は受けない」

「ピサロの仇を取りたいのだろう。撒餌にすると言ったのはお前じゃないか」

 カルソラはじっとコルテスを見つめていたが、不意に踵を返し、二人を追って通りへ走り出た。

 ティアは動けずにいた。己はここで命を捨ててガブリエラを守るつもりであったが、カルソラの剣の恐ろしさに身が竦んでしまったのだ。あのまま受けていても、あと一分も保たなかっただろう。

(申し訳ありません、お嬢様――)

 彼女は己を恥じたが、全身に染み渡った恐怖が、それすら押し潰していた。

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