シンノスケ、追い出されるの巻

 結局、シンノスケは数人の学生に聞きまわって漸くピアソン教授の居室、そのドアの前に辿り着いた。当初彼らは剣を帯びているシンノスケの格好を訝しがっていたが、執事だと告げると対応は一変し、非常に協力的なものとなった。それだけ執事という職が尊ばれているということを、シンノスケはこの時初めて体感した。それも主人、貴族のステラ・モーズリーあってこそである。

 彼女たちは無事であろうか。考えるだけで、焦燥が彼の感情を支配しようとする。強く目を瞑ってそれを打ち消すとシンノスケはドアをノックした。返事がない。ドアの上にあるガラス窓からは蛍光灯の白い光が漏れており、中に人がいる気配はする。シンノスケは再度ノックをすると、「入り給え」と乱暴に声がかけられた。

「失礼致す」

 ドアを開き、中に身を滑らせるように入る。その部屋は三つの部屋が繋がったうちの真ん中の一つで、教授らしき初老の男――ピアソン教授が左奥の部屋の中で立っていた。自分を見ても表情一つ変えないあたり、なかなかに気難しそうな人柄だと、シンノスケは内心でそう考えた。

「誰だね、君は」

「サセックスはヘイスティングス、モーズリー家に仕える執事のシンノスケと申す」

 シンノスケの口調にピアソンは顔をしかめたが、「知らない名前だ」そっけなく言って、それきりだった。「何の用だね、確か今日来客のアポイントは無かった筈だが」

「突然押しかけてかたじけない。急ぎ、うかがいたい話が」

「手順を踏み給え、手順を」ピアソンは首から下げた老眼鏡をかけ直すと、椅子に座り、デスクの上の資料に目を通し始めた。「今日は帰るんだ」

「失礼は承知。サウザンプトンの公爵のことで」

「公爵?」

「左様。フィッツロイ公爵でござるが」

「はっきりし給え。何が言いたいのだ」

「ご存知ないのであるか」

 ピアソンの顔色が変わった。薄い青色の瞳は静かな怒りで満ちている。「そうか。君は詐欺師だな。その勿体ぶった言い方は確かに詐欺師のそれだ。さあ、そうとなれば出て行き給え」

 気圧されたシンノスケはしかし息を大きく吸うと、「一昨日、フィッツロイ公爵が何者かに襲われ、身罷みまかった」躊躇いをもって、言い切った。

 ピアソンは首を巡らせ、シンノスケをじっと見つめた。聞き取れなかった、と言わんばかりの表情であった。

「ニュースになっている筈でござる。街も大騒ぎなのに――本当にご存知ないと申されるか」

 そう言って、シンノスケは黙ったまま奥の部屋に鎮座するPCに目を向けた。ピアソンはしばらくじっとしていたが、緩慢な動きで振り返るとデスクトップPCに向き直った。エアコンが唸る中、キーを叩く乾いた音だけが響く。シンノスケからは教授の禿げ上がった後頭部だけが見え、その向こうにあるPCの画面すら伺えない。

 しばらくの後、ピアソンが両手をキーボードからゆっくり離した。目当ての記事を見つけてしまったのであった。

「何だこれは」

 辛うじて呻く。椅子から力なく立ち上がると、しかし再び座り込んだ。目に見えて動揺している。

「論文を書くのに忙しかったのだ。締切が近かった。ニュースを見る暇など……」

 顔を掌で覆いぶつぶつと呟くその姿は痛々しいほどで、シンノスケは瞼を閉じた。だが彼はショックを受けている目の前の男から、なんとしても話を聞かねばならない。

(損な役回りだ)

 小さな溜息一つ、そして深呼吸し、シンノスケは口を開いた。

「心中お察しする。それがしらもあの場におった。公爵をお守りできなかったのはまこと無念にござる。その無念を晴らしとうござる」

 顔を上げた教授を、シンノスケは真っ直ぐ見つめた。

「犯人の正体は未だ分かっておらぬ。それがしらには皆目見当もついておらぬ。故に、ピアソン殿にご協力を願いたい」

「協力だと?」

 シンノスケは瞳を視界の左上に向け、自身の記憶を探った。

「何か最近、公の身辺で変わったことはござらんかったであろうか」

 結局彼が海馬から引きずり出したのは、ロイドがミス・グリーンに投げかけたものと同じ問いかけであったが、

「いや、そんなことは特に思い当たらない」ピアソンは顔を掌で覆いながら否定した。

「それに、その質問は私より屋敷で働いていた誰かに聞いた方が」

「ご指摘の通りである。それがしらもミス・グリーンにお伺いしたものの、特にないとのことだ」

「ならそういうことだろう」

 シンノスケは首を振った。

「今から少々血なまぐさい話を致す。フィッツロイ公は殺害されたが、それはパーティー会場で宴もたけなわといった時分であった。するとそこで突如電気を落とされ、それがしらの視界は真っ暗になった。電源が復帰したときにはもう、公爵は――」そこまで言って、ピアソンの顔が青ざめていることに気付き、シンノスケは口を開いたまま話すのを一旦止めて、一呼吸置いて、再開した。

「何が言いたいかと言えば、公爵が殺害されたのは誰かへのメッセージであり、そのため示威的な行為、つまり、見せしめであるということでござる」

「見せしめだと?」

「ただの暗殺にしては派手が過ぎる。

――それがしらは、公は何か秘密を抱えており、それがために殺されたのだと考えているでござる」

 ピアソンが急に立ち上がり、ついでに弾かれた椅子がけたたましい音を立てて床に転がる。PCのファンが唸るだけの静かな部屋にいつまでも残響していたが、シンノスケは俯くピアソンから目を離さなかった。だが教授の表情からは、考えが窺い知れない。

「ピアソン殿」

 シンノスケが声をかけると、ピアソンはそちらを向いた。気の抜けた様な表情である。

「名前はなんと言ったか、君は」

「それがしであるか、それがし、名はシンノスケ――」

「シンノスケ」自分で質問しておきながら、ピアソンは発言を遮るとドアを指差した。

「ここまで来てくれてありがとう。今日はもう帰ってくれ」



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 建物を出たシンノスケは、失意に溜息を吐いた。口から立ち昇ったそれが白くなり、灰色の空に溶けていく。

「ステラお嬢様と喧嘩をしてまで出向いたのに、これとは」

 昨晩から今の今までかけた時間と労力が全て水の泡になった気がして、思わずシンノスケは天を仰ぎ、ぼやいた。口を突いて出たのが英語でないところが、無念さを物語っている。

(しかし――これから、どうする)

 成果もなくただ主人の元に手ぶらで戻ればどうなるか。今度こそクビを言い渡されかねないと、シンノスケは腕を組んで唸った。そして己が主を持たない野良執事になることも悩ましいが、どこに隠れているか分からない件の暗殺者の存在もまた、当然のことながら恐ろしい。

 出来ればなにがしか話を聞けないと帰れない、今のピアソンから根掘り葉掘り聞き出そうとするのは、あまりに無礼で残酷であるが、

(命がかかっているからな――お嬢様も、私も)

 止むに止まれぬところであると内心では分かっているものの、腰は重い。何度目家の溜息を吐いて歩き出したその時、ふと彼は自身の胸ポケットに質量を感じた。

 そう言えば。胸元に手を入れて取り出したのは、最新型のスマートフォンであった。先達であるウィルフレドから渡されたものであり、連絡先はウィルフレドのもののみが登録されている。

 そして画面には、数分おきにあった大量の着信、その通知が表示されていた。

「む?」

 良くは分からないが、たくさんの何かが自分を気にかけているらしい。一人で見知らぬ土地にいることも手伝って、シンノスケはその大量の着信を見て嬉しく思った。その時、突然手元のスマートフォンが震えだした。画面には何やら番号と人影が映っている。シンノスケが現れたボタンを押すと、スピーカーから怒鳴り声が聞こえてきた。

『シンノスケェ!』

 目を丸くしたシンノスケは、恐る恐る耳と口をそれに寄せた。

「まさかこの薄っすいの、ひょっとして電話だったでござるか?」

『わからなかったかー! 言わなければわからなかったかー!』

 聞こえてくるのはウィルフレドの声である。ただ、いつもとは明らかに様子が違う。なんかもう、喜怒哀楽がごっちゃになって大変不安定な感じであり、ウィルフレド程の年齢の人がかように取り乱しているのを聞いていると、シンノスケも不安な気持ちになった。

 ただそれもこれも全部シンノスケのせいである。今日日スマホを知らない――正確には、シンノスケはそれをPCのお友達か何かと思い込んでいた――若者がいるとは、ウィルフレドは露とも想像しなかったのだ。

「ウィルフレド殿、落ち着くでござる」

『落ち着く! 何を! 何を落ち着ける!』

 これはならん、どうやらしくじったようでござると、シンノスケは額に掌を当てて顔を歪めた。スピーカーからは絶叫と、何やらカンカンと乾いた音が響いてくる。手元の何かを手当たり次第に放り投げている風の音である。ウィルフレドのらしからぬ取り乱しように、シンノスケはむしろ冷静さを取り戻していった。

「それにしても何用であるか?」

『お前が連絡の一つでもよこさないからであろう! リチャード様はもう臥せってしまいそうだ!

そう、お嬢様は! ステラ様はどうした!』

「……ああ、ステラ殿であるか」

 シンノスケ後ろめたさも相まって生返事で済ませようとしたが、意を決して重い口を開いた。

「現在別行動中である」

『――――』

 無音であった。

 悪いことをした、とシンノスケは思った。ウィルフレドも歳である。その彼に、心労を強いていたのだ。こういったところまでは気が回らなかった、と、シンノスケは申し訳なさに包まれた。

『……どこだ』

「む?」

『お前と、ステラ様は、今どこにいる』

 ウィルフレドは単語を一つ一つ区切って、言い含めるような口調だった。明らかに怒りを押し殺している。寿命を縮めていそうだ、とシンノスケは真剣に心配していた。

「それがしは今サウザンプトンにおる。ステラ殿は、問題なければロンドンでござるかな」

『――見損なったぞ、シンノスケ。どこの馬の骨とも知れぬお前だが、最低限の責任くらいは果たしてくれるだろうと、そう期待していた』

「……相済まぬ」

 色々と弁明の言葉を探したシンノスケであったが、口を突いて出たのはそれだけであった。執事たるもの、いついかなる時も主の傍を離れないのが鉄則である。シンノスケもそれは承知していたが、割り切ることも必要であると、少なくともその時はそう考えていた。

『無事なのか、ステラ様は』

「会場でボールドウィン殿、そしてテルフォード殿とお会いした。現在お二方とその執事、合計五人で行動されている。元々それがしもそこにおったが、故あって今は別行動を」

 その時、シンノスケの耳朶を聞きなれない音が叩いた。彼はそれについて思い当たるところがあり、ふと口にした。

「ところでウィルフレド殿。それがしは電話ではなく人間でござるが」

『何を当たり前のことを言っているのだ』

「いや、しかし電話の気持ちも分かるようになってきた気がするでござる」

 受話器の向こうでウィルフレドの顔が引きつった。

『どうした。春にはまだ早いぞ』

「こやつ、それがしに色々と言ってくるでござる。何を言っているかさっぱりであるが、それがしがもし電話の立場なら、ひょっとすると電池が切れそうだと喚いているのではと思った次第」

『あ!』

 ウィルフレドの叫びは一瞬、シンノスケの懸念が現実となり、ぷー、ぷーという電子音すらしなくなった。画面は暗く、もう何の情報も映し出していない。

「そう言えば、充電をしろと言われたような」

 言われていないような。

 しかしはて、充電とは一体どうやってするのであろうかと、記憶を失ったシンノスケはスマートフォンを試すがめつするばかりであった。

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