シンノスケ、怒るの巻
ステラ達が行動を起こしたのはすぐであった。
六人は公爵、そして下手人の情報を入手しようとまず警察署に向かったが、ごった返す入り口を見ただけで諦めてしまった。混乱は続いており、誰かがじっくり話をしてくれるための時間を作ってくれるとは到底思えなかった。
ただ、これは予想の範疇であった。彼女らが警察署に来た目的はそれだけではなかったのだ。
玄関前につけたハイヤー――ハンドルを握るのはジャイルズ――からガブリエラとティアだけが降り、警察署の中に入る。予想通り、そこも大勢の人でごった返していた。市民、記者、警官――入り混じった彼らはもみ合いにこそなっていなかったが、いつ起こってもおかしくないといった状況であった。
ガブリエラは溜息を一つつくと、忙しそうに歩いていた一人の若い警官の腕をしなやかに取ってみせた。
「すみません、私、公爵のパーティーに出ていた者ですの」
場に突然現れた見目麗しい貴族に、肌の白い若い警官は頬を朱に染め、あからさまに動揺していた。
「な、何か御用でしょうか」
「メイドの一人に荷物を預けていたのだけれど、行方が知れなくって。公爵の屋敷で働いていた執事かどなたか、連絡先を教えて下さる?」
「よ、喜んで」熱に浮かされたように頷くと、警官は手元の手帳を捲り、ページの一枚を破って、そこに何やら番号を写し書きした。
「執事の方も亡くなったみたいで、今はこの人が取りまとめてくれています。屋敷で働いていた、一番の古株の人みたいです」
「ありがとう。お仕事頑張って下さいな」
ひらひらと掌を振り、玄関を後にするガブリエラ。若い警官の視線を背中に受けながら、建物を出た途端、彼女の笑顔が醜く歪んだ。
(猫かぶりが凄いでござる)
ここ数日で一番恐ろしいものを見たと、ハイヤーの中でシンノスケは内心冷や汗をかいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一番の古株らしいメイドに連絡を取った彼らは、市内にある別のホテルに向かった。屋敷に住み込んでいた従者達は捜査のため一度部屋を追い出され、多少の持ち出しこそ許されたものの、少なくともこの先一週間はホテル暮らしを強いられるらしい。
ホテルに併設されたカフェレストランでは一人の初老の女性が紅茶を飲んで、窓から差し込む西日を避けるように、奥の席に座っていた。当然今は就業中でないので、メイド服ではなく、茶色のワンピースに身を包んでいる。
「ミセス・グリーン?」
ロイドが声をかけると、グリーンと呼ばれた女性ははたと顔を上げ、立ち上がった。
「今日はありがとうございます。私はテルフォード、こちらがミス・ボールドウィン、そしてこちらがミス・モーズリー」
「こちらこそ、わざわざお越し頂きありがとうございます」
「お話をお伺いしたいのはこちらですから」ロイド・テルフォードがミセス・グリーンと挨拶の握手を交わし、女性陣全員に座るよう促した。全員が座ってから、自身がミセス・グリーンの対面に腰を下ろす。こういったところで決してマナーを
なお、彼らの執事達は周辺の席にそれぞれ散らばって座っている。警護のためであった。
「私達は昨晩、公爵に招かれてパーティーに参加していました」
ミセス・グリーンは平静を装っていたが、指先が小さく震えているのにステラが気付いた。彼女も、あの酸鼻極まる光景を目の当たりにしていたのだ。
「昨日のことなのに、もっと遠い過去のように感じます」
「……ええ」
「酷い出来事でした。我々はあのような野蛮な振る舞いを許すわけにはいきません。あの男を追いかけたいと思っています」
「あなたがたが?」
「僕らだからこそ、です」ロイドはミセス・グリーンの目を真っ直ぐ見て答えた。「公爵のみならず、多くの人を傷つけたあの男を放っておけばどうなるか。警察だけに任せていては、犠牲がどれだけ増えるかわかりません」
「だからって、あなたがたが直接動かなくても」
ミセス・グリーンは驚き戸惑っている様子であった。それも当然で、貴族が殺人事件の捜査をしようなどという話は、この場の六人、いや七人の誰一人とて聞いたことが無い。
「だからこそ意味があるのです」ロイドは深く頷いた。「これは犯人へのメッセージになるのです。我々は食卓の上に並んだソーセージじゃない。きっと噛み付いてみせる、と」
ちなみにこの話は彼の執事、ジャイルズからの受け売りでもある。
「そこで、ミセス・グリーン。貴女に協力を仰ぎたい」
「私に務まることがあれば」ミセス・グリーンは頷きこそしたが、積極的でないことは傍目からでも明らかだった。
構わず、ロイドは微笑んだ。
「先程追いかけたいと言いましたが、さて、しかし犯人は一体誰なのか、皆目検討がつきません。
――僕らは手がかりが欲しい。小さくとも、手がかりが欲しいのです」
「はあ」
「何か最近、公爵の周辺で変わったことはありませんでしたか」
「ございませんよ、そんなの」
ミセス・グリーンは憤慨混じりに答えた。昨日から散々警察に質問されたのだろう。もしくは、公爵の名誉を守ろうとしている。横で観察していたステラはそういう風に感じた。
「フィッツロイ様の交友関係を教えて欲しいのです」
「と言いましても、ご友人は皆様の様な貴族の方が殆どです」
「では――貴族以外の方ですと?」
「……貴族以外の方ですか」ミセス・グリーンは少し考え込んだ。
「たくさんいらっしゃいますが、貴族の方ほどではありません。そうですね」
彼女は一度ティーカップに口をつけると、手元のポーチを開け、手帳を取り出した。
「例えば、ここ一ヶ月ですと。バイオリニストのヘルマン様、投資家のブラックモア様、大学教授のピアソン様」
「見事にバラバラなお客様方ですこと」ガブリエラが愚痴をこぼした。「少なくとも、バイオリニストのヘルマンというのは、あのマシュー・ヘルマン?」
「私はよく存じませんでしたが、有名な方だそうですね」
へえ、と内心ステラが感心の声を上げた。彼女は確かに貴族の娘であるが、中身は普通の女学生と大差ない。本当はアメリカのポップ・ソングが大好きなのである。クラシックには全く興味がなかった。
「ブラックモア様も投資の世界では著名な方だそうで。公爵の資産運用でよくご相談に乗って頂いておりました」
「成程。よくあることだ」ロイドは頷いた。「テルフォードの家もそういった相談役をつけている」
「それで、最後の大学教授というのは?」
ステラの質問に、ミセス・グリーンが手帳を閉じた。
「昔からのお知り合い――いわゆる、
「へえ」
「ピアソン様は今でこそサウザンプトン大学の教授をされており身分が釣り合っているように見えますが、昔はただの研究員だったそうです。その頃近くのパブで意気投合したのが付き合いの始まりと、旦那様からそうお伺いしています。何しろ私がお世話になる前からのお付き合いですから」
「ありがとうございます。……それで、他に客人は?」
ロイドが目を伏せるミセス・グリーンの顔を覗き込んだ。
「ごめんなさい、これ以上は。旦那様の記憶を勝手に暴いているみたいで」
「そこを何とか。せめて、コピーだけでも」
「ロイド、もう止めましょう」ステラはなおメモのリストを欲しがるロイドを制止した。「もう充分よ。ありがとうございました、ミセス・グリーン」
「いいえ。こちらこそ、お役に立てたかどうか」
「ご厚意に感謝します。犯人は、きっと必ず掴まえてみせます」
「お気をつけて。無理に危険を冒さないで」ミセス・グリーンは、そこで声を震わせた。目元には光るものがある。「旦那様はこんなに酷い殺され方をされて良いようなお方ではありません。領民や私どもにも等しくお優しい、慈愛に満ちた素晴らしいお方だったのです」
「――分かります」ステラはフィッツロイと会話をしたのはあの夜だけであったが、公爵が悪い男ではないと確信を抱いていた。
「こんな形でお別れするのが、お可哀そうで」
か細い声。哀悼の涙を止め処なく流す彼女の姿を見て、ステラの心に火が灯った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
市内の別のホテルに拠点を移したステラ達は、そこの最上階のスイートに集まった。当初ロイドが逗留していた部屋でもある。同じ場所を使い続けるのは不安だと主張したガブリエラの意見に全員が賛同したのだ。
夕食のルームサービスは多少豪勢なものを注文した。ランチが軽かった分だけ腹ごしらえが必要だ、とロイドが気を回したのだ。執事達の腹具合も鑑みてのことだった。
「さて、今日は大きな手がかりが得られなかったけれど」
ローストされた肉を飲み込んで、ロイドが記憶を振り返った。
「公爵のお付き合いがあったバイオリニスト、投資家、教授。この中では教授が一番付き合いが長そうだ。サウザンプトン大学ということらしいし、一度話を聞いてみても良いかもしれない」
「投資家も情報を持っているかも」ガブリエラが言った。「お金が絡むと人って変わりますわよね」
「バイオリニストの方は、お会いするのは難しそう?」ステラの発言に、ロイドとガブリエラが苦笑した。
「マシュー・ヘルマンは超のつく有名人よ。二十一世紀であれだけの腕と感性を持つバイオリニスト、生粋のブリテン人と言ったら、彼くらいではなくて?」
「正確にはイングランド人だ」
「いいじゃない、ブリテン人で!」スコットランド人のガブリエラにとって、ヘルマンがイングランド人であることは内心忸怩たる思いがあるらしい。
「分かったよ。そういう訳で、ヘルマンは今この国にいるかどうかも怪しい。それに会うためには色々と手を回す必要がある――ジャイルズ」
「は」
ロイドに呼ばれ、控えていたジャイルズが傍に寄った。
「ヘルマンに会いたい。近々欧州の近いところでコンサートに出る機会があるか調べてくれないか? ついでのパーティーも」
「――承知しました」
ジャイルズはそう言うと、胸元からスマートフォンを取り出し、画面をいじり始めた。ただ、慣れていないのか、いつものキビキビとした動作とはかけ離れた緩慢な指使いに、全員の目が一瞬釘付けになる。
ただロイドだけはそのチグハグな光景に慣れているのか、特に気にした様子もなく、話を続けた。
「今から抑えておかないと何も出来ないだろうからね。次は、ここから近い、教授の、ええと――」
「ピアソン」
「そう、ピアソン教授」ジャイルズの助け舟に、ロイドは掌を打った。
「出張なんかで大学を離れていなければ、すぐにでも会えるんじゃないかな?」
「そうね、明日にでも話を聞いてみましょう」ステラは頷いた。「後は投資家のミスター・ブラックモア?」
「それなのですが」同じくスマートフォンを操っていた――こちらはごく滑らかに――ティアが、あるサイトのページを表示した状態でガブリエラにそれを渡した。
「なによ、これ」
「例のブラックモアという投資家、早速明日講演があるそうです」
「場所は?」
「えっと――ロンドンね。パーテルノステル・スクウェアですって、ご存知?」
場所を読み上げたガブリエラはその場所について覚えがなかったが、
「ロンドン証券取引所だ」ロイドはすぐに思い当たった。「何かフォーラムでもあるということかい?」
「そうみたい。ヘルスケア事業に興味のある投資家へのフォーラム、って」
「そこで話すなんて、結構有名な人なのね」
「らしいね。ああ、スポンサーもかなり有名どころが名を連ねているじゃないか」
三人が小さな端末一つに向かって顔を突き合わせる。その後ろではシンノスケが首を伸ばして覗き込もうとしていた。なお、ジャイルズは相変わらず何かと格闘している様子である。かなり辛そうな表情である。
「しかしフォーラム自体はそう大きいものでもなさそうだ。行けばこのブラックモア氏に会えるかもしれない」
「でも明日の朝一番から始まるみたいよ」ステラはタイムテーブルを見て顔を曇らせた。「早く行かなくちゃ」
「面倒だね。明日は忙しいな、あっちに行って、こっちに行って、か」
「それであれば、ロイド殿」シンノスケが口を挟んだ。「それがしだけ、まず教授に話を聞いてくるでござる」
「なんですって」声を荒げたのはステラだ。「一人で行動しないって、決めたばかりじゃない!」
「善は急げでござる。それに、それがしはティア殿やジャイルズ殿とは違う。主人を守る剣ではなく、せいぜい盾にしかならんでござる」
言うシンノスケの笑顔はいつになく固く、それがステラに何かそら寒いものを感じさせた。
「どういう意味よ」
「それがしがいなくなったところで、戦力の大きな低下には繋がらないでござる。我が主ステラ殿の腕前は皆様ご承知の通り。それがし一人がおらんとて問題はございませぬ」
「ふむ」聞いたロイドが、したり顔で頷いた。
「それより教授に話をお伺いし、その後それがしが皆様と合流した方が時間を有効に使えると考えまする。いかがか」
「そうしてくれると是非ありがたいけれど――ステラ?」
「駄目よ、勝手に話を進めないで頂戴!」ステラはいつもの冷静な彼女らしからぬ様子で、口角から泡を飛ばして反論した。「貴方は私の執事でしょう! 貴方に命令するのは主人である私なのよ!」
「わからず屋でござるな!」
怒鳴りつけるシンノスケ。その剣幕には凄まじいものがあり、一同は息を呑んだ。
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