シンノスケ、電話をかけるの巻

「それじゃあ、あの男に殺されるのをただただ待つしかないと言うの、貴方は!?」

 シンノスケの言葉に反発するように、ガブリエラが金切り声を上げた。

 一方のシンノスケは渋い顔をしながら、

「無論、座して死を待つつもりはござらん。

ただ、あの顔も分からぬ男を探し当てるのは、困難辛苦を極める作業であろうな」

「だったら何も出来ないのと同じじゃない……」

 呆れたガブリエラは、溜息を吐いてソファーに座り込んだ。

 場に諦観の空気が漂いかけたが、シンノスケは重たい瞼をこすりながら首を傾げ、ふと疑問を口にした。

「しかし何故、サウザンプトン公は殺されたのであろうな」

「何故って――」ステラはシンノスケの疑問に答えようとしたが、「何故かしら?」

「恐らく、あの男が狙っていたのは公爵一人。我々を含めた残りの被害者はおまけ・・・であろう」ジャイルズが短く刈られた顎髭を撫でながら言った。「公爵が殺される理由か。確かにそこに、あの男に繋がる手がかりがあるかも知れない」

「人から恨みを買うような方であろうか。見かけによらぬものだ」

「故人を侮辱するような真似は止めなさい」

 シンノスケがフィッツロイ公爵を貶めた――何かスキャンダラスな背景を抱えているようなことを示唆したと思い、ステラは怒りに声を震わせた。

「しかしステラ殿。このままでは、公が浮かばれん」

「貴方があの方の何を知っているの!」

 ステラの叱責に、「失礼した」シンノスケは一度非礼を詫びたが、

「しかし、それではあの男と公の繋がりが見つからない。見つからないのでは、それがしたちはいつ来るか分からぬ下手人をただ待ち続けることに」

「罠に嵌めるのよ!」ステラは興奮して立ち上がった。「返り討ちにするの」

「おお、ではステラ殿には何か妙案があるのでござるか!」

「……ないわ」

「……左様でござるか」

 しょぼん、と下を向きながら、ステラは再びソファーに座り込んだ。

「罠に嵌めること自体は悪くない案だと思うよ。ただ、奴をおびき出す必要があるね」

 しばらく沈黙を保っていたロイドが、口を開いた。

「あいつは狼で、僕らは子豚。広い草原でぼうっとしていたら、いつでも食べて下さいってなもんさ。レンガの小屋に入らないと」

「どういう意味?」

「どこから襲ってくるか分からない状況じゃあ、守りにも入れない。せめて狼が入ってくる道さえわかっていれば、反撃のしようもある。ただ、そのためには、やはりもっと情報が必要だ」

 言うと、彼は大きく口を開けて欠伸をした。

「今日はもう止めよう。次のことを考えるにしろ、何より休息が重要だと思うね」

 言いながら、ロイドが腕時計を見遣る。時刻は七時を回っていた。外は明るく、もう鳥の囀りも聞こえない時間帯であった。

「しかしたまらないな、もう眠たくて仕方がないよ。

戻る気にもならないから、今日はこちらのホテルで一室を借りてしまおう。

――ステラ、君は?」

「私もそうするわ。けれど、」

 ステラは朦朧とする頭で、それでもやらなければならないことを見据えていた。

「父に電話を。

……気が進まないけれど、父とフィッツロイ様はお知り合いだったんですから」

 報告くらい、してあげないと。

 呟きは小さく、空気に消える。

 彼女の憂いに満ちた横顔は見るものをはっとさせる何かを湛えており、ロイドとシンノスケがそれぞれ、違う方向から見入っていた。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 ガブリエラと同じホテルに部屋を取ったステラは、手狭な部屋に入ると、まずベッドに腰掛けた。

 遅れて、シンノスケが入る。

「…………」

 彼は己の声をかけられなかった。かけられずにいた。ステラは両手で自身を抱きしめ、肩を震わせている。彼女の小さな身体に、無数の感情が詰め込まれているのが傍目からでも分かった。ステラはまだ18歳、子供と言われてもおかしくない年齢なのだ。目の前で公爵を殺され、多くの死体を目にし、自身も死の恐怖に晒され――心中おもんばかれば、シンノスケもそれだけ辛くなる。

 しかしそれでは、彼女の精神は固まってしまう。勇気だ。勇気こそが必要なのだ。彼女の足を止めないため、嫌われても構わないという勇気が必要なのだ。シンノスケは息を大きく吸って、吐いた。

「ステラ殿」

 ステラは身じろぎ一つしない。聞いていないのか、聞こえていないのか、しかし傷ついているのは彼女なのだ。シンノスケが先に折れるわけにはいかなかった。

「ステラ殿!」

 強めの声をかけ、漸くステラは顔を上げた。

「大変でしたな。今日は色々なことがあった。しかし、お休みになって頂く前に、御父上にご報告を」

「それを今考えているの!」

「考える必要はございませぬ!」

 ステラの上げた金切り声に、負けじとシンノスケは声を上げた。

「今は仔細を話すことは要りませぬ。それは今日の夜でも結構。

まずは、御自身が無事であること。そして、心に浮かんだことを素直に、御父上にお話下さい」

「……素直に?」

「左様。例えば、」

 シンノスケはふと考え込むふりをした。

「あの場に幼子もおりましたな」

「……そうね」

「あの子は酷い光景を見た。胸が裂かれる思いでありましょう」

「……ええ」

「その子が心配だと思いませんか?」

「そうね」

「では、その子が心配だとお話下さい」

「どういうこと?」

 ステラは突然言われたことが理解できず戸惑ったが、

「なに、話のまくら・・・とお考え下さい。説明するのも大変でしょうから、血生臭い現場を見たその子を思いやって差し上げると、表現も柔らかくなるでしょう。

では」

 シンノスケはベッド脇の、二十一世紀の今となっては珍しい真鍮製のダイヤル式電話、その受話器を取り上げると、ダイヤルを一つずつ回した。

「最後の番号だけ残しております。落ち着いたら、5番を回して下さい」

「……落ち着けないわよ、こんなの」

「変なことを申しました。落ち着かなくても、5番を回して下さい」

「バカね」

 ステラはくすりと笑い、受話器を受け取った。

「もう良いわよ。外に出て頂戴」

「お話が始まりましたら。その後は、私も部屋でお休みを頂きます。

お昼の12時にお伺いしますので、それまでステラ様もごゆっくりお休み下さい」

「信用していない?」

「とんでもない」

「……嘘つきね」

 ステラは拗ねたように口を窄める。

(可愛らしい人だ)

 シンノスケはニコリと笑うと、ステラもつられて笑った。

 彼女はダイヤルを躊躇なく回すと、呼び出し音が受話器から鳴る。単調なパルス音に心臓の鼓動が重なり、ステラはそれを嫌って大きな溜息を吐いた。その瞬間、ぷつりと音がする。回線が繋がったのだ。

『――モーズリーです』

「あ、ウィルフレド? ステラよ。ええ、――」

 シンノスケは微笑むと、静かに部屋を後にした。

 その背中を見ながら、ステラは(ありがとう、シンノスケ)心中でそう感謝を口にした。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



『そうか――大変だったな』

 ひとしきりの説明――ステラは自分達が次に狙われかねないことをぼかして伝えたが――を聞いたリチャードはステラを労った。声色は重い。当然だった。

『今回のパーティ、招待状には手紙が添えられていた。話をしたいと書いてあってな――ただの社交辞令だとばかり』

 顔は見えないが、父の沈痛な表情が見えるようで、ステラの胸が痛んだ。しかし同時に、顔が見えてしまってはきっと私も泣いてしまっていただろうと、今は受話器越しの会話をありがたがっていた。

「フィッツロイ様も、パパと話をしたかったって」

『……そうか』

「パパ」

 ステラの胸のうちには、いつしか強いものが芽生えていた。

「フィッツロイ様はご自身が狙われていることを知っていたのね?」

『後付になるが、恐らく、そうだったろう』

「どうして? 何かパパは知っているの?」

『分からない。公にしか知らない、秘密の何かがあったのだろう。

――ステラ、パパは公爵のかたきを取らなければならない。このような真似をされて、黙っているわけにはいかん。敵の尻尾を必ず掴んでくれる』

 普段の飄々とした父からは想像もつかない程の語気の強さである。ステラは知らず、受話器を強く握った。

「――どうやって?」

『まずは公爵が抱えた秘密に迫る。下手人を雇った誰かは、リスクを負ってでも、どうしても公を殺害しなければならない理由があったのだ。それこそが公爵の秘密だ』

 やはり、とステラは内心頷いた。ロイド、そしてシンノスケが言った通りである。公爵が殺害された理由を突き止めることこそが、犯人への唯一の手がかりなのだ。

『気になるのは衆人監視の中での殺人ということだ』

「どういうこと?」

『ただ暗殺するだけなら、わざわざあんなところで危険を冒す必要など無い。人前で殺害するというのは、死者のみならず、生者にメッセージを送っているのだ』

「生者?」

『従わなければ、公爵の様にしてやる。或いは、次は、お前だ、と』

「他の人を殺したのも、見せしめっていうこと?」

『恐らくそうだろう』

 知らず、受話器を掴む指が白くなる。無意識にステラが力を入れていたのだ。

 彼女は一度耳から黒いそれを外し、天を仰いで大きく溜息を吐くと、再び耳にあてがった。その目は決意に満ちていた。

「パパ、私、このまま逃げるわけには行かないわ。このままあの男を放っておくなんて、殺されたフィッツロイ様があまりにお可哀そうよ」

『なんだって』

 色めきだったのはリチャードである。『どういう意味だ』

「言葉通りよ。私も犯人を追うわ」

『ちょっと待て。一体どういうことだ、何故そうなる。説明しなさい』

「とにかくそういうことだから、しばらくこちらにいるわ」

 後はシンノスケから聞いてちょうだい。

 ステラはそれだけ言って、受話器を置き、電話線のジャックを抜いた。

 そのままベッドに倒れ込むと、眠気が一気に彼女の意識に覆いかぶさった。もう限界に達していたのだ。

 ステラは可愛らしくあくびを一つすると、瞼を閉じる。

 程なく、小さな寝息が一定間隔で聞こえてきた。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 仮眠の後に再度ガブリエラの部屋に集まった六人は、まず昼食にルームサービスを全員分頼むことになった。

 通常ならシンノスケら執事が同じ部屋ですら食事を取ることはありえないが、事態が事態である。なおテーブルだけでも分けるよう主張したのはジャイルズとティアである。

 一頻ひとしきりサンドイッチを摘んでから紅茶でそれを胃袋まで流し込むと、ロイドはゆっくり立ち上がった。

「それで、どうする?」

 ガブリエラがまだ眠気の残る瞼に指をあてがいながら、眉間に皺を寄せた。

「一端整理させて。どうする、というのは、何のこと?」

「あの殺人鬼を追うべきか、否か。あの殺人鬼からの襲撃に備えて、僕らは集団で行動するべきか、否か」

「それを今決めるの?」

「少なくとも、後者は決めておかないと」

 ロイドは肩を竦めた。「ちなみに僕はこの全員で固まって行動したい。ばらけるのは、あの男に殺して下さいと言うようなものだ」

「防御の観点から、それは宜しい選択です」ティアがロイドに賛成した。「バラバラに散らばるのでしたら、どこかに隠れて逃げおおせる作戦でなければ意味がありません」

「隠れて逃げる、それも良いのではなくて? ティア」

「難しいでしょう」主人の質問に、従者はそっけなく否定を返した。「例えば派手好きなお嬢様が、身分を偽って質素な生活を続けられるとも思えません」

「失礼ね!」

 ガブリエラがティアにがーと掴みかかったが、逆にティアが背後を奪い、子猫でも運ぶかのように首根っこをひょいと捕まえてしまった。じたばたと暴れるも、まったく振りほどける様子はない。

「まあまあ……それで、ステラは?」

 それまでじっと床を見つめていたステラであったが、ロイドに名を呼ばれ、ついと顔を上げた。その表情は固く、しかし決意に満ちていた。

「逃げも隠れもしないわ。私はあの男を返り討ちにする」

「じゃあ、全員で一箇所に固まって、罠を張り続ける?」

「いいえ。こちらから打って出るの」

 ほう、とジャイルズが声を漏らした。

「どうやってだね、ミス・モーズリー」

「公爵が殺された理由を探るのよ。私は確かに今朝反対していたけれど、あれから考え直したの」

「それで、良いのかい?」

「ええ」ロイドの問いかけに、ステラは頷いた。「仇を取りたいの。こちらから追い詰めなければ。きっと、フィッツロイ様も分かって下さるわ」

「ちょっと待って、そもそも警察の警護はどうなっているの? ちゃんと私達を守ってくれるんでしょうね?」

「もうお願いはしているよ。このホテルにも詰めてもらっている」ガブリエラの疑問に、ロイドが答える。が、ジャイルズが顔を顰めながら反論した。

「ただあれ程の手練に襲われれば、二、三人の警官など盾にもならんだろう。まだ我々が束になってかかった方がましだ」

「結局、手は一つしかないということね」ステラの眼差しは力強いものであった。「私たちはあの男を討つ。そのために、フィッツロイ様が殺された理由を突き止める」

「――そう上手くいくかしら」

 ガブリエラはそこで、はたとシンノスケに目をやった。

「そう言えば、あの時は貴方のお陰であの場を切り抜けられたのよね」

 突然話を向けられたシンノスケは、意外そうに目を瞬かせた。

「礼を言っていなかったわ、ありがとう。貴方のはったり・・・・は効果的だったわ」

はったり・・・・などではござらん」シンノスケは薄く笑った。

「あの男に本気で狙われて、皆が無事で生き延びるというのは欲が過ぎること。

――主を守るため、我々従者は、少なくとも誰か一人が相打ちで必ず命を落とす状況になると、今から腹を括っておくべきでござる」

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