シンノスケ、剣を抜くの巻

 剣を引き抜いた途端、フィッツロイの身体に穿たれた穴からおびただしい量の血が溢れ出し、彼の身体を染め上げた。同時に、躯は地面へと倒れ込む。70キロ以上ある肉の塊が床のカーペットを叩き、鈍い音が響いた。

 誰一人声を上げない。上げられなかった。髑髏の剣士は羊の群れに闖入した狼であり、それを前に騒ぎ立てれば真っ先に殺されるのだ。彼ら貴族は長く本能から遠い暮らしをしてきたが、しかしこの時は本能的に沈黙こそが正しい行動なのだと理解していた。

 そんな貴族たちの視線を浴びて、髑髏の剣士は誰にも知られることなく、仮面の下で恍惚とした表情を浮かべていた。両腕を広げ、深々と息を吸い、吐く。合わせて胸が上下するのが、コートの上からも分かった。

 静寂が場を包む。だがそんな中、例外的な存在がいた。やむからぬことである。集団には必ず、どうしても一定数不純物が混入するものなのだ。

「おのれ曲者! それがしが成敗してくれる!」

 大音声で下手人を咎めるのは、何を隠そうやっぱりその人シンノスケであった。全員の耳目が一気にシンノスケ、そしてその主であるステラに向けられる。全く予期せぬ事態に直面し、ステラの口角がひくひくと痙攣した。

「――へえ。余裕だな、あんた」

 緊張を破られたのが気に食わなかったのか、剣士が仮面越しにくぐもった声で苛立ちを露わにした。若い男の声だ。ステラは少し意外に思った。

 下手人はしばらく掌で剣の腹を手慰みに叩いていたが、突然身を翻し、近くにいた貴族の喉をその剣で裂いた。

「ひいいいい!!」

 返り血を浴びた隣の女性は、悲鳴を上げながら何とか逃げおおせようとするも、しかし腰が抜けたのかへたり込んでしまう。その背中に、剣士が無造作に剣を突き立てる。女性は胸を抑えながらうつ伏せに倒れ、すぐに動かなくなった。

 全員が、わっと出口に殺到した。その間にも剣士は手当たり次第、近くの貴族に襲いかかる。まだ温度の残る死体がいくつも地面に横たわっている光景はまるで戦場そのものであった。

「まずいですわまずいですわ!」

「おい君ぃ! なんであんなのに声かけるんですかねぇ!?」

 ガブリエラは狼狽え、ロイドは錯乱する。下手人は一気に騒がしくなった方へ顔を向けると、そちら――つまりステラ達へと歩き出した。全員が一斉にぎょっとする。

「貴方があんなことを言うから!」

(しかし、ステラ殿。確認のために曲者には曲者と言っておかねば。万一余興かなにかであれば後々面倒でござろう?)

「よし! 声出してよぉーし!」

 シンノスケの肩をつかみ、前後に揺さぶるステラ。目は血走っている。

 しかし彼女がはたと気付いて振り返ると、脅威はすぐそこまで迫っていた。男が一足で距離を詰め、剣を上段に振りかざしていたのだ。黒いコートが所々で血を吸っており、より黒く光っている。赤い飛沫がかかった白い髑髏の面と合わせて、男の風体は酸鼻極まる様相であった。

 しかし彼女の右の耳の傍で、風を切る音が鳴る。伸び上がった男の剣はステラの目の前で火花を散らし、その勢いを殺された。背後から伸びてきたもう一本の剣が受け止めたのだ。

「うおおおおお!」

 競りながら、シンノスケがステラの前へと出る。その手にはいつも提げていたレイピアとは異なる片刃の剣が握られていた。ウィルフレドから借り受けたものである。

(サーベル!)

 刺突に特化した剣がレイピアなら、サーベルは斬り合いに特化した剣である。刀身もレイピアより厚くその分一撃が重いようで、受けた髑髏の剣士は少し窮屈そうな素振りを見せた。それを逃さず、シンノスケが一気に押し切ろうとする。その姿はさまになっており、ステラはひょっとすると己の執事は凄い剣士なのかもしれない、と期待を抱いた。

 が、

「ぬはああああ!」

 先程の気合はどこへやら。シンノスケの上げた情けない悲鳴に、一同膝から力が抜け、がっくりと項垂れる。

 髑髏の剣士は体勢を立て直すと、シンノスケの剣などものともしないと言わんばかりに反撃へ転じた。機関銃の様な音が響き、その度にシンノスケと髑髏の剣士の間で橙の光が弾ける。怒涛の連撃、シンノスケは辛うじてそれらを受けきっていた。必死の形相である。

「そらそらそらららァ! 威勢が良いのは最初だけか? なんだよ期待はずれだなぁ、お前!」

 一方的に圧されるシンノスケ。一旦は前に出た筈の執事であったが、強烈な剣戟に晒され思わず後ずさる。

 しかし彼は額に冷や汗をかきながらも、口角をついと歪めてみせた。

「案ずるな。真打ちはそれがしにあらず」

「――何だと」

 髑髏の男、その視線の先。交差する剣の向こう側で東洋人が笑った。

 同時に、更にその奥から、銀の閃光が己目掛けて迸るのを、彼の眼球ははっきり捉えた。

「ぐ!」

 ここに来て初めて、髑髏の剣士が慌てた声を上げた。

 剣を振るっているのはステラである。シンノスケの腰から預けた剣を抜き、陰の隙間から一撃を見舞ったのだ。閃光フラッシュと称される程の速剣である。躊躇なく何人も斬殺せしめた下手人の腕は確かに手練のそれであったが、ステラの剣もまた、達人の領域に踏み込んでいた。

 だが剣を合わせ、恐怖を感じたのはステラも然りであった。彼女は確かに名手であるが、それもあくまで競技や殺害に至らない決闘――刃を潰した剣で急所を狙わない、貴族の嗜みの水準である。喉、胸、腹といった、無防備な柔い急所を突き破る。対手のそんな剣気を、刃を交えることでステラが感じ取ってしまったのだ。それだけ彼女が剣士として優れているからこそ、皮肉にも眼前にある異形の恐ろしさが理解できた。

 下手人は、そんな彼女が一瞬縮こまった隙を見逃さない。

「バカめ!」

 矢のように飛来する剣先。自分の胸に目掛け一直線に向かってくるそれを、ステラは息を呑みながらただ見つめていた。しかし、

「ならん!」

 シンノスケが再度、それを逸らす。

 だが今度はそれもやすやすと弾かれてしまう。

「ぐ!」

「今度こそ止めだ――」

 言って再び剣を構える男であったが、しかし三度止められる。

「ジャイルズ!」

 ロイドの呼応に応える形で、彼の執事であるジャイルズが男の剣を払ったのだ。

 後退あとずさった下手人に、今度はティアがスカートをはためかせながら追撃を加える。どれも下手人の肉に届くことはなかったが、流石に不利だと悟ったのか、男は大きく距離をとった。

 ステラ、ロイド、ガブリエラを守るように、シンノスケ、ジャイルズ、ティアが前に出て、黒衣の男に剣を突きつける。

 その様に、男はおどけるかのように肩を竦め「これは分が悪い」と笑った。

「観念しろ、殺人鬼め! お前に勝ち目はない!」

 髑髏の仮面が叫んだロイドにその目――と言っても仮面の黒い窪み――を向けた。おののき、ロイドは軽く縮こまったが、負けじと「お、お前、こんなことをして一体なにが目的なんだ」と問いかけた。

「目的。目的ねえ」仮面は含み笑いをしながら、視線を上に向けた。

「お前たち貴族が腹の底から気に入らないから少し減らそうと思ったんだよ。俺は貧しい家の出でね――こう言えば満足かい?」

 真剣さはない。嘘ではないが決して真実ではないだろうと、聞いた全員が感じるような曖昧な言い方であった。

「どの道、貴方に逃げ場はありませんわよ!」

 ガブリエラが絞るように糾弾する。仮面はそちらに視線を向けると、くぐもった声でくっくっと笑った。

「……口だけは威勢が良いな。そうか、あんた、多勢に無勢の俺がこのまま負けるって思ってるんだな?」

「そうだ!」ジャイルズの背中に隠れながらも負けじとロイドが返すが、

「らしいぜ、どうだ、そこの男の執事。俺と戦って、勝てると思うかい?」

 質問を向けられた当のジャイルズは黙りこくったままである。

 再び男は笑いながら言った。

「そいつは分かっているようだ。つまりな、仮に、俺が負けたとしても、後ろの三人のうち一人は確実に、確実に殺す。

ついでに言えば、俺はお前たち全員を殺してこの屋敷の玄関から立ち去ることも出来ると、本気で考えているんだよ」

 ロイドとガブリエラが小さく悲鳴を上げ、ジャイルズとティア、ステラまでもが、表情こそ変えないまでも唾を嚥下した。彼らは男の言こそが真実であると半ば認めていたのだ。それだけ、剣士として、或いは殺戮者として、男の腕が卓越していることに気付いていた。

 しかし、その場にはもう一人、見習いの執事がいた。彼は変人であったが、それだけに、突飛なことを言ってのけるのである。

「それはどうであろうか」

「――何」

 黒衣の男の苛立ちを他所に、シンノスケは不敵に笑った。

「お主がこのお三方の誰か一人たりとて、傷つけることはあたわない。

何故ならそれがしが相打ちになりて、お主の利き腕を一本貰い受けるからだ。

お主の腕が立つのはそれがしも認めるところだが、まさかそれでも勝算があるとは言うまいな?」

 突飛な言葉に、場の全員がシンノスケの方を向いた。貴族たちは信じられないといった面持ちで、また従者たちは表情こそ変えないまでも、緊張に指が白くなっている。

 髑髏の剣士もまた、シンノスケを見ていた。しばらくの間そうしてじっと興味深そうに見つめていたが、ふと身を翻すと、

「――顔は覚えている。仕切り直させて貰うぞ。

また後日、貴様らの心臓を貰いに行く」

 それだけ言って、ホールのドアを開け、屋敷の奥へと消えていった。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 おっとり刀でやって来た地元警察の聴取が終わり、ステラたちが解放されたのは空が白み始めた頃である。

 警官たちの混乱ぶりは気の毒な程であった。警護をものともせず、彼らの領主であるサウザンプトン公フィッツロイのみならず招待を受けていた多くの貴族が犠牲になっていたのだ。イギリスのみならず、欧州全土を揺るがしかねない大事件であることは間違いなかった。

 そんな中殺人鬼を止め、また追い払った六人には何よりの賞賛が浴びせられても良いはずであったが、状況の把握と生存者の保護に奔走するだけで彼らも精一杯であった。結果、長々と警察署に彼らを監禁し、その後ホテルに送ることもせず、真冬の早朝に放り出す形になってしまったのである。

 怒りと寒さに震えるのはガブリエラであった。彼女は肩を怒らせながら、そこに自分の泊まるホテルがあるから来いと、全員を部屋に招待したのであった。

 最上階のスイートに入るや否や、ガブリエラは乱暴にコートを脱ぎ捨て地団駄を踏んだ。

「ああ、腹立たしい! 貴方がた、よく平静を保っていられますわね!」

 釣り上がる眦に気圧されながらも、ロイドは苦笑しながら反論した。

「今は疲れが勝っている。

――言いたいことは分かるよ。僕だって思うところがある」

「それが平静を保っていると言うのです! 全くもう――ステラ! 貴女はどうなの!?」

「え、私?」

 ぼうっとしていたステラは、突然振られてキョトンとした。

「ごめんなさい、聞いてなかったわ」

「今日のこと! 貴女! 何も! 感情を! 抱かなかったの!?」

 言われたステラは、ソファーに腰を下ろすと、深々と溜息を吐いた。

「色々あるわよ、そりゃあね。でも、」

 彼女は床に憂いを帯びた視線を投げると、

「まずは、助かって良かったわ」

 六人全員の間に、沈黙が降りた。全員がステラの言葉を反芻していた。あれだけの惨劇を無事にくぐり抜けられて来たのは奇跡的なことなのだと、内心で改めて幸運に感謝していた。

「あれだけの腕前を持つ相手に、無傷で帰ってこれたのは――神のご加護があったとしか思えないわね」

「私には分からないけれど、そんなに強かったの?」

 黙ったまま頷くステラ。

「貴女より?」

「そうよ」

「ということは、オリンピック級?」

「古代ローマだったら、英雄になれていたかもね」

「分かりにくいわ、そのたとえ」

「……表現し辛いのよ。単に上手いとか速いだけなら、当然オリンピアンの方が上よ」

 ステラが目を閉じた。瞼の裏に、髑髏の仮面が浮かぶ。血の海で剣を振るう姿は、やはりあまりにおぞましい光景だと、彼女は改めて思い直した。

「でも、あの男は暗殺者アサシンなのよ。精神的にも肉体的にも、人を殺すように訓練された人なの」

「そうなの? ティア」

「そうですね」ガブリエラの後ろに控えるティアが頷いた。「非常に危険な男です。一刀で人を絶命足らしめるというのは、素人には出来ないことです」

「貴女よりも強い?」

 ティアはイエスともノーとも言わなかったが、ガブリエラにはそれで充分なようであった。

「何なの、そんなのが野放しになっているって言うの!?」

「野放しと言うより、アレは誰かの子飼いに違いない」ロイドの執事、ジャイルズが口を挟んだ。「あの男はああいう巫山戯ふざけた格好をしているが、無計画な快楽殺人者とは違う。殺人のために心技体を磨いた、訓練された暗黒の戦士だ」

「ちょっと待って、子飼い?」

「今回、サウザンプトン公が殺害された。厳重でないにしろ警備を掻い潜り、まっすぐ目標に向かって行ったのだ。そういう指令を受けて、あの男はあの場にやって来た」

「でも、暗殺って、普通目標の人だけで終わるんじゃないの?」

「そこは分からないところだ。あれだけ派手なことをするのが飼い主の命令なのか、それともあの男の欲望故なのか――正直俺には想像がつかない」

「いずれにしても!」ガブリエラが苛立ちをかき消すかのように、強く首を振った。「あの男を探し出して捕まえないと、今度は誰が犠牲になるか!」

「それははっきりしているのではござらんか」

 それまで沈黙を保っていた、シンノスケが口を開いた。

「あの男はそれがしたちの顔を覚えたと言っていた。仕切り直すとも。

――恐らく、あちら側から出向いてくることになるであろう。その時、それがしたちの誰かが殺されるのは、かなり高い確率になるでござろう」

 シンノスケの言葉は重く、場に再び沈黙をもたらした。

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