シンノスケ、押し黙るの巻

 ホールの中に入ったステラは、思い出したように目を見開くとくるりと振り返った。

「……シンノスケ。そう言えば、私、ここで貴方の記憶をテストしたいのだけれど」

 他人に聞かれぬよう、声を潜めるステラ。はて、と首を傾げるシンノスケに、彼女は口の端をひくひくと釣り上げた。

「約束を覚えていないかしら?」

 声には出さないが、シンノスケは合点がいったという風な顔をした。唇が「あーあーはいはい」と動いている。その上、またも黙ったまま「お口チャック」の仕草をしてみせた。どうよという顔つきである。ステラはイラっとした。

「……思い出してくれて嬉しいわ。そういう事よ。つまり、このパーティーの間、貴方は喋っちゃいけないの。いい?」

(もちろんでござる)

 得意げに口だけ動かすシンノスケ。まったく信用出来ないと、ステラの表情は絶望にまみれていた。

「あと貴方は飲食も禁止」

 これはステラが意地悪で言っているのではない。パーティーは貴族のためのもので、お付の執事はあくまで主人の世話をするためにいるのである。主人と従者が食をともにすることはまずない。

(……分かっているでござるよ。事前に食うもん食ってきたでござるから。

でもなんかさみしいでござるなあ)

 声を出してないのに、なんでこいつの言いたいこと全部分かるんだろう。ステラはちょっとした嫌悪を感じた。

「喋らなければ、今日は後ろに置いてあげる。一度でも口を開いたら中座して、貴方とはここでおさらば。

私の言うことが完璧に理解できたら一回頷いて」

 シンノスケは真面目な顔つきで、素直に頷いた。

 大の大人が、自分の言葉に服従してみせる。その様に、ステラは背徳的な何かを感じた。超楽しいけど倫理的にいいのかこれ。自問自答するが、返す言葉は当然ない。

「じ、じゃあ行くわよ。まず公爵にご挨拶しないとね」

「あ」

 後ろ向きのまま歩き出したステラに、シンノスケは早速誓いを破り声をかけた。

 おい、鳥頭。十秒も経過していないうちに、お前は記憶を消去出来るのか? 電池切れ直前のたまごっちか何かか?

 ステラがそう凄まんとする直前、彼女の背中に巨大な何かがどんと当たった。

「あ、すみません」

 どうやら誰かにぶつかったらしい。確認を怠った自分が悪いと、ステラはすぐに謝罪を口にした。シンノスケへの糾弾を怠ってよいのかという考えが頭を過ぎったが、幾らなんでも今回はノーカンだろうと、彼女の中にあったなけなしの善性がそう訴える。

「いや、こちらこそ失礼……おや」

 振り向いたその男が、ステラを見て声を上げた。

「まさか、ステラ嬢かい? いやあ、久しぶりだね!」

 驚きと喜びを隠さないその男に対し、しかしステラは驚きこそすれ、その表情は今ひとつ冴えない。

「ひょっとして、テルフォード様?」

「ロイドでいいって言っているじゃないか。それにしても驚いたよ。すっかり美しいレディになった」

 カールした栗色の髪、そして薄い鳶色の瞳がどこか神秘的なロイド・テルフォードは、慣れた口調でステラの容姿を褒めた。背が高く恵まれた顔立ちの彼は社交界でも婦女子の方々に注目の的である。プレイボーイっぷりも有名だが、存外敵は少なく、持ち前の明るい性格が彼を助けていた。

「何年ぶりかな。二年?」

「それくらいでしょうか」

「それじゃあ、もう大学生? 時間が経つのは早いなあ」

 はは、と愛想笑いを浮かべるステラ。一方の優男、ロイドは満面の笑みである。それは不思議といやらしさを感じない、人懐っこい笑みであった。彼が男女ともに人気があるというのもよく分かる。ステラは内心舌を巻いた。

「ところでステラ。こちらの男性は?」

 ロイドはシンノスケを見ながら、そう尋ねた。

 来たか。そりゃあ、気になるわよね。そう考えるステラの神経は、間違いなくささくれ立ち始めていた。

「ええ、その。父が用意した、執事なんです」

「おや、君に執事はついていなかったかい?」

「そうなんです。私はそれでも良かったんです。でも、パーティーに出るなら執事が要るって、父が」

 ロイドは頷いた。

「しきたりだからね、仕方ないさ――それに悪いことばかりじゃないよ」

 言って、彼はちらりと後ろを見る。そこには一人の男が控えていた。顔の皺からして40代といったところだろう、白髪混じりの長めの髪を後ろに撫で付けた、重苦しい雰囲気を持った男である。そしてまるでフットボールの選手の様に鍛え上げた身体が、スーツ越しに見て取れる。

 好対照だと、ステラは思った。ロイドが光ならこの執事は影である。表情と体躯のせいか、黙っていてもやたらに威圧的なのだ。

「少なくとも、僕の執事のジャイルズは頼りになる男さ。彼のお陰で、僕は何度も命を救われている。

さて、せっかくだから――彼を紹介してもらっても?」

「え、ええ」

 ふりかえると、シンノスケがちょっとだけよそ行きの顔つきで、微笑みを浮かべている。ステラは惨めな気持ちになった。彼女はこの時、己の選択が間違っていたのだとつくづく後悔していた。彼女の理想の執事(男性)は王子様の様なタイプである。背が高く、すらりと整った顔つきに、優雅でスマートな物腰。しかしそんな執事は当然なかなかいるものではない。特に能力と若さは相反するもので、若いステラはそれを分かっていなかった。例えばこのジャイルズのような渋いおじさまタイプで妥協できれば、彼女とて今頃立派な執事を連れていただろう。しかし脇目も振らずに理想へ邁進していった結果、手元に残ったのは見ての通りの搾りかすである。残り物には福がある、なんてのは敗者の慰めに過ぎないのだ。ステラはうらぶれていた。

「シンノスケよ。父が連れてきたの」

「やあ、シンノスケ。ロイドだ。よろしく」

 ロイドの挨拶にも、しかしシンノスケは言いつけをまもり、笑みを浮かべたまま一言も発することが出来ない。

「ごめんなさい、彼、言葉は分かるけれど喋るのが苦手なの」

「……不思議だね。それで執事が務まるのかい?」

「ま、まあ、最低限は働いてくれるから」

 ふうん、とロイドは興味なさげに呟くと、「ところで」と声色を変え、

「いい加減、前に聞いた質問の返事、聞かせて欲しいものだけれど」

「……質問?」

「とぼけるのかい? もう一度言えって? まあしばらくぶりだから」

 仕方ない、とロイドは苦笑した。

「分かった、結婚してくれ、というのはやっぱり急な話だからね。

まずは君にデートを申し込みたい!」

 ステラは内心渋い顔をした。これだから、ロイドと会いたくはなかったのだ。彼は決して悪い男ではない、いやむしろいい男の部類に入るのだが――ステラは今ひとつ一歩を踏み出す気にならなかった。

 そもそも、何故モテ男のロイドが自分の様な地味系の娘にちょっかいをかけてくるか分からない。どうせ他の女の子にも同じ様に口説いているのだろう。ただ、それを上手いことやっているから醜聞が立たないだけなのだ。彼女はそう考えていた。

 さて、どうやってやんわりこの場を切り抜けようか。思案は短かった。彼女にとっての救いの女神がやって来たのである。

「まあ、ミス・モーズリー!」

 入口付近でステラとロイドが話し込んでいたものだから、彼女が声をかけてくるのは必然だった。

 現代風にアレンジされた、黒いゴシック調のドレス。少し派手な格好に身を包んだガブリエラが、高めのヒールを鳴らして歩いてくる。後ろには、彼女の執事がやはりメイド服に身を包んで控えていた。

「本っ当に来たのね!」

 厭味ったらしくも、その表情は嬉しげである。

「きれいなドレスね、ミス・ボールドウィン」

「ありがとう。でも貴女のも悪くないわよ」

 言いながらも、彼女の視線はシンノスケへと固定されている。嫌悪が混じったそれを受けながらも、シンノスケは表情を変えることがなかった。

 ステラへの求愛が邪魔されたにも関わらず、ロイドの顔つきに曇りはない。むしろ綺麗どころが一人、いや二人増え、嬉しそうでもある。

「しばらくぶりだね、ガブリエラ。美人になった」

「そう? 貴方は変わらないわね、ロイド」

 ロイドの口説き文句を上手に躱すガブリエラを見ながら、成程モテる女はこう立ち振る舞うのかと、ステラは独り得心していた。

「そう言えばステラ、君、お父上は?」

「あー、えー、」急に話を振られ、考え事をしていたステラは言葉に詰まった。「今日は私一人で、このパーティーに参加しました」

「うん、そうか! ならもう君も一人前のレディだな!」

 あはは、と愛想笑いを浮かべながら、だからって私を口説いていいわけではないとステラはつけたした――無論、口には出さないが。

 ちなみに、このあたりでステラは自分がひょっとするとモテる側の人間ではなかろうかと勘違いをし始めていた。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 周囲の人の流れが変わったことに、ガブリエラが三人の中で最初に気付いた。首を巡らせると、人だかりがすぐ傍に出来上がっている。その中心には、でっぷり大きい腹を抱えた身なりのよい中年の男がいた。人の良さそうな笑顔に、白いものが混じった長い髭が風格を加えている。

「ねえ、公爵がいらっしゃいましたわよ。こんなところで立ち話ばかりしていていいのかしら?」

「そうだね――おい、君。こちらのご婦人方にグラスを」

 ロイドは近くの給仕を捕まえて、指を二本立てて見せた。ちなみに、彼は既に己の分をどこからか調達している。

 給仕がグラスをトレイに載せて持ってきたのを、ロイドはわざわざ手にとって、ステラとガブリエラに渡す。まめな男である。ただ、ステラは悪い気こそしなかったが良い気にもならなかった。後ろにいる男のせいだ、と彼女は思った。シンノスケはどうあろうと、相変わらず気味の悪い笑顔を浮かべて、しかし命令を忠実に守って黙りこくっている。彼の存在が、ステラの意識をうまい具合にロイドから引き剥がしていたのだ。まさにささくれであり、小骨であり、桃の産毛であった。

(彼、今何を考えているのかしら)

 横目でついと執事見習いの顔を盗み見る。そこにはいつもの気持ち悪い笑顔――ではなく、それよりもう少し違うものが混じっていた。

 ステラは首を前に戻したその時、公爵と目があった。良い機会だと、彼女は前に出て、スカートの裾を持ち上げて頭を垂れた。

「今日はお招き頂きありがとうございます」

「こちらこそ、よく来てくれた。ところで君はどこのお嬢さんかな?」

「ステラ・モーズリーです、公爵。ヘイスティングス、リチャード・モーズリーの娘です」

 それを聞いた瞬間、公は破顔した。「リチャードの! 大きくなった!」手を広げるフィッツロイに、ステラは戸惑いながらもハグを返す。

「私、失礼ですが、お会いしたことが?」

「覚えていないのも無理はない、なにせあの時君はこれくらいの背しかなかった」

 フィッツロイは自分のふとももを一つ叩くと、ついと顔を上げて目を細めた。

「思い出してきたぞ。こうしてハグをしてくれず、余程私が怖かったのか随分と泣かれたものだった」

「ごめんなさい、何も覚えていないんです」

「いいさ。しかし、ついこの間のことだと思ったら――時間が経つのは早い」

 言って、フィッツロイは笑った。愛嬌のあるその笑顔を見ながら、どうやら父の友人関係というのは思った以上に広そうだと、ステラは改めて思い直した。

「幾つになったんだい?」

「今年で19に」

「歳を取るわけだ――ところでリチャードはどこに?」

「ええ、今日は私だけが」

「なに」フィッツロイの眉が歪み、ステラは自分が何か失礼を働いたのではと戸惑った。

「おらんのか。弱った。話をしたいと書いたのに」

 公爵は頭をかいて「リチャードは何か言っていなかったかい、ステラ」と視線をステラに向けるが、彼女は小さく首を振ることしかできなかった。

「ならリチャードに伝えてくれ。近々話をしたい。できれば今年中に」

「すぐにでも」

「――ああ、いや。このパーティーが終わってからで結構。まずは楽しんでくれ」

 言うと、「ではまた後で」と付け加えて、公爵は今度は別の貴族と話し始めた。

「上手くできたね」

 緊張を解いて溜息を吐いたステラに、ロイドは微笑みを向けた。

「これで良かったのかしら」

「ただの挨拶さ、特別なことをする必要はない。幸運なことに、公爵は君のことを覚えていたみたいだ」

「――貴女のお父上、公爵とお付き合いがあるみたいだけれど」

 ガブリエラの少しばかり険を含んだ言葉に、ステラは首を振った。

「全然、そんなことは一つも教えてくれなかったわ」

「変わり者の親子なのね」

 そんなことはない、とガブリエラが反論しようとしたものの、自身の後ろに控えるその・・存在を思い出し、ステラはぐっとこらえざるを得なかった。

(でも、パパとお話したいことがあるのなら、電話でもしてみればいいのに)

 ステラがそう思ったその時、どこからか強い風が彼女の全身を襲った。巻き上がろうとするスカート、そして冷えた肩を掌で押さえる。埃を避けようと目を瞑ったその時、瞼の向こうで一切の灯りが消えた。停電でも起きたらしい。運の悪いことに風のせいで蝋燭の炎も消されてしまったらしかった。

「きゃ!」

 ガブリエラの小さな悲鳴はしかし、周囲のざわめきにかき消される。

 薄目を開けたステラの瞳に飛び込んだ景色は、やはり黒一色であった。しかしその中でも、より暗い影が宙を舞っていることに彼女は気付いた。その姿はまるでお伽噺の中の怪鳥だった。有り得るべからざる骨格のものが、有り得るべからざる動きをしているのだ。影が宙に浮いていた時間は極めて短いものであった。ふわりと羽を広げた途端、すとんとまっすぐ下に落下する。

(なに、あれ――)

 ステラが疑念を抱いた瞬間、背後で息を呑む音がした。シンノスケであった。

「ステラ殿」

 しばらくぶりに、執事が口を開いた。同時に、ブレーカーが上がったのか照明が再度点灯する。

 ちかちかと点滅するフィラメントが映し出したのは、酸鼻極まる光景であった。中央に突然出現したのは、見たこともない真っ赤なオブジェであった。それは豪奢なパーティーに負けじと造られた派手でグロテスクなテキスタイル・アートの様でもあり、

「いやああああ!!!!」

 絹を割くような誰かの声が響く。

 それでも、場の人々は身じろぎ一つできなかった。

 シャンデリアの下には、先程までにこやかな笑みを振りまいていた公爵が立っていた。いや、無理に立たされていた。首から下は血に染まってピクリとも動いていない。目からは生気が失われ、何よりおかしいのは彼の首の芯に、深々と、何か銀色のものが差し込まれているということ。そしてその横に立っている何者かが、髑髏の面に穴だらけの黒いコートという、ハロウィンの仮装の様な悪趣味な格好をしていること。

「髑髏……」

 ロイドが呻くのも無理はない。

 衆人の耳目が集まる中、その下手人は意に介した様子もなく、公爵の物言わぬ身体から深々と刺さった剣を一気に引き抜いた。

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