シンノスケ、屋敷に乗り込むの巻

「ちょっと、誰かいないの?」

 少女の声は店内によく響いたが、店員はステラの相手をしているのか、はたまた防音がしっかりしているためか、部屋から出て来る気配がない。

 シンノスケは少し逡巡した挙句、気を利かせて(少なくとも本人はそのつもりで)少女の前に立った。それに警戒したのか、後ろに控えていた女性が腰に下げた剣に手を伸ばす。シンノスケは敵意はないと掌でそれを抑えるような仕草をし、改めて二人に向き直った。

「今この店の者は我が主の服を仕立てている最中だ。

娘御、そなたはこの店の客であるかな?」

「そうよ」少女は突然現れた奇妙な話し方をする東洋人を、じろじろと頭から爪先まで睨めつけた。

「ではしばらく待たれるが良い。それがしが取り次ごう」

 言って、シンノスケは今しがた閉めた扉をノックした。

「お嬢さん。お客だ」

 言うが、しかし中からはやはり反応がない。作業に熱が入っているのであれば悪いと思ったシンノスケは、くるりと振り返ると「しばし待たれよ。どうも取り込み中のようでござる」

 いつもの笑みと共に言ったが、少女の眦が釣り上がったのを見て、シンノスケは自身が間違った選択をしたのだと悟った。

「どいてちょうだい」

 小さな身体でシンノスケを押しのけた少女は、更衣室のドアのハンドルを掴むと、ガチャリと開け放つ。

 あ、とシンノスケが声を漏らす。思わず部屋の中に視線を向けると、暗闇の中、そこにはピンライトに照らされた真っ白な肌が浮かび上がっていた。うなじから背中、はたまた腰に至るまで、ステラの肌が露わになっていたのだ。どうやらドレスのデザインがそうなっている様だが、突然視覚を通じて飛び込んできた美しさ、そして性的な引力に負けてはならないと、シンノスケは目を伏せた。主人であり、恩人の娘にそういった劣情を抱くのは道に反する、彼は強く己にそう言い聞かせた。

 一方驚いたのは店員、そしてステラである。

「ち、ちょっと!」

 ドレスを着ていたが、思わずステラは両手で胸元を隠した。

「勝手に開けないで!」

「あいや、失礼。それがしは止めたのでござるが、」

 狼狽える二人を他所に、少女は店員を見つけると、憤懣遣る方無いといった表情を浮かべて口を開いた。

「貴女がここの店主? せっかく足を運んだのに、出迎えの一つも無いなんて。教育がなっていないのね!」

 いきなり叱りつけられ、店員は顔を青くして狼狽した。

「申し訳ありません」

「失望したわ。ロンドンではよく贔屓にしていたけど、考えるべきかしら」

 少女の傲慢な言い方に我慢できず、シンノスケがつい口を挟んだ。

「娘御、そんなことを言うものではござらんぞ」

 シンノスケの言にはしかし、少女は不快さを剥き出しにして「許可なく私に話しかけないで頂戴!」と言い放つ。剣幕に、シンノスケはたじろいだ。

「大体、私に意見するなんて、礼儀を知らないのね! 貴方、どこから迷い込んだ野良犬なのかしら?」

 そこまで少女がまくし立てたところで、ステラが横から口を挟んだ。

「相変わらず怒りっぽいのね、貴女」

 声に思わずそちらに顔を向けた少女は、ステラを見てあっと声を漏らした。

「まさか、ミス・モーズリー!?」

「こんなところで会うなんてね、ミス・ボールドウィン」

 対照的だった。少女の表情は驚きからにやりとした意地悪な笑みに転じ、一方のステラは、当惑、諦め、それらが混じり合った様な、静かなものであった。

(軽く引いてるでござるな)

 シンノスケはそう結論づけた。

「珍しいわね、こんなところで会うなんて」

「どちらかと言えば、それは貴女でしょう。スコットランドからここまで来るのだって、何時間かかったの」

「そんなの、飛行機ならすぐよ。待ち時間の方が長いくらいだわ。

――けれど、幾らすぐと言っても理由もなくこんなところまで来たりはしないわ。

私がこんなところに来た理由は、フィッツロイ公爵が主催されるパーティーに出席するためよ」

「貴女も?」ステラは驚いた顔をしてみせたが、少々それはわざとらしかった。「奇遇ね、私もよ」

「なんですって」

 少女はあからさまに機嫌を損ねた。

「どうしてまた」

「さあ。父に出るよう言われたのよ」

「それでのこのこと? 厚かましいことね」

 隠そうともしない侮蔑にステラの顔つきが僅かに強張ったのを見て、シンノスケが少女の前へ身体を入れた。

「さっきから何なのよ貴方は!」

 鬱陶しいと言わんばかりの少女であったが、

「紹介が遅れましたな。それがし、ステラ・モーズリーお嬢様の執事である、シンノスケと申す。以後お見知りおきを」

「執事?」

 少女はきょとんとした表情でステラを見た。「あなたの?」

 ステラは手を振りながら「違うから。一時的な執事よ」と慌ててフォローした。

「一時的もなにも、ステラ、あなた、こんなのを……」

「違うのよ、ガブリエラ。私の趣味じゃない。誓って。こいつはパパに押し付けられたのよ」

 絶句するガブリエラと呼ばれた少女に、ステラは何度も言い訳を述べた。ステラが連れてきた執事は余程の衝撃だったらしく、ガブリエラはファーストネームで彼女のことを呼び、呼ばれた彼女もまた自然そうしていた。どうやら二人はよく見知った間柄なのだと、そこでシンノスケは得心した。

(しかし二人してあれやこれやと、あまりに言い過ぎでは)

 ひっそりと傷ついたシンノスケは、ガブリエラにささやかにも反撃を試みた。

「娘御、経緯はどうあれ、我が主は当の公爵から招待を受けたのだ。当然正式なものでござる。

お疑いになるのは結構だが、その疑念、まさか公爵にも向けられるおつもりではあるまいて?」

 ささやかなつもりが、つい滑らかに動く舌に乗せた言葉は、ガブリエラの神経を大いに逆撫でした。怒りに顔を歪ませ頬を紅潮させるその様はしかし、年相応の女の子のものである。

「なんて無礼……!」

 頬の一つでも張らなければ気が済まないと言わんばかりの剣幕で歩み寄ろうとするガブリエラだったが、その身体は子猫でも掴むかのように後ろからひょいと持ち上げられた。

「ガブリエラ様、そのあたりで。

シンノスケ殿、非礼は主人に変わって詫ましょう」

「ちょっと、ティア! 主人の命なく勝手に謝罪なんてしないで!」

 ティアと呼ばれたガブリエラの執事と思しき女性の動きは鮮やかで、手慣れたものであることを感じさせた。

「あいや、こちらこそ失礼。言葉が過ぎたでござる」

「そう言って頂けると助かります。

――では、店員の方。今はお取り込み中だったでしょうか」

 急に話しかけられ、店員の女性は慌てて頷いた。

「ええ、もう少々お待ち頂ければ。あと十分ほどで終わります」

「では店内で待たせて頂いても?」

「ええ。よろしければ隣のサロンをお使い下さい」

「良かったですね、ガブリエラ様」

「良くない! ティア、ちゃんと言うことを聞きなさい!」

 バタバタと足をばたつかせるガブリエラだが、上背のあるティアが抱えると、まさに大人と子供である。引きずることもなく、悠々と彼女は隣の部屋へ消えていった。

「――で。貴方はどうするの?」

 ステラにそう言われてはっとしたシンノスケは「当然こちらで待っているでござる」と言って扉を閉め、先程と同じようにその場に立ち尽くすことにした。

 場に再び静寂が戻る。

 店内を眺めながら、しかしシンノスケの意識は別のところにあった。

(まったく、どの娘も綺麗どころばかりで弱った)

 素朴だが可憐な風貌のステラに、気品と幼さが絶妙なバランスで混じり合っている人形の様な顔立ちのガブリエラ、雑誌モデルもかくやと言わんばかりの美貌を持つティア。

 そんな中珍獣扱いされる自分の立場を鑑みて、やむを得んがままならんことだ、と、異邦の言葉で独りごちた。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 イッチェン川とテスト川が流れ込むサウザウンプトン水道ウォーターに臨むサウザンプトン港、その港の面積を大きく占めるのがサウザンプトン城である。原型は古くノルマン人による征服の時代、およそ850年前にまで遡る。一時は港の半分に陣取っていた城であるが、その後時代とともに姿形を変えた結果、現在は規模を相当に縮小し、中央の幾つかの建物のみが伯爵の所有物となっている。残された城壁は多くが解体され、ごく一部がかつての城郭都市の名残を伝えていた。

 ステラ達が出席するパーティー会場である伯爵の屋敷カントリー・ハウスは城の中心部、キャッスル・キープの隣にあった。城壁の谷間に位置する曲がりくねった細い道を何とか進み、シンノスケはその屋敷の前に車を停めた。車はMINIではなく、借りてきたジャガーのサルーンである。肩肘張らない程度の高級車ではあるが、とっぷりと暮れた見知らぬ道を進むのはシンノスケにとって多少なりとも神経を削る行為であった。

 ともかく彼は車を停めるとすぐ降りて、後部座席のドアを開けた。少し間が空いて、ステラが姿を見せた。先程の店で仕立てたドレスとコートを身にまとい、髪やメイクはホテルで完璧に仕上げている。少し大人びた装いは、白いコートに緑色の明るいドレスと相まって、彼女の爽やかな美しさを上手く引き立てていた。

 客と見て、門の前の従者がシンノスケに声をかける。

「ようこそお越し下さいました。恐れ入りますが、紹介状を拝見しても?」

「こちらでよろしいか」

 胸ポケットから、シンノスケが一枚の封筒を取り出した。伯爵から送られた紹介状である。

 従者の青年は中の紙を検めると、恭しく一礼した。

「お待ちしておりました、モーズリー様。中へどうぞ。車はこちらで回しておきます」

「宜しくお願い申す」

 シンノスケが車のキーと紹介状を交換すると、「さあ、ステラ殿」と振り返り、彼女を促した。が、ステラの足取りは重い。

「……それより、どう? 変なところ、ない?」

 彼女は不安そうにスカートや背中に視線を這わせ、執事に自分の格好について尋ねた。

「大丈夫でござるよ、ステラ殿。よくお似合いでござる」

「ちゃんと見てるの、貴方? さっきと同じ答えよ」

「……ステラ殿の質問もこれで五回目でござる」

 もう少し気の利いた感想を言っても良いんじゃないか、と愚痴るステラを他所に、シンノスケは小さく溜息を吐いた。

(あまり本気でジロジロ見るのも、なあ)

 執事付きとは言え、初めて一人でパーティーに出席するステラの心中慮るところはあるが、シンノスケ自身も初めてのエスコートになる。主人に心を奪われていては仕事にならないのだ。何より、万一本気になっては恩人であるリチャード・モーズリーに顔が立たない。シンノスケは生返事でやり過ごすことに決めた。

 門を抜け、松明が焚かれた庭園を進む。十二月の冷気に、ステラがコートの裾を思わず握りしめる。長い道の先に、サウザンプトン伯爵の屋敷が鎮座していた。開かれたドアから漏れる灯りが、中の絢爛さを映し出している。

 足早に屋敷へと入り、暖かい空気に触れた二人はほうと安堵の溜息を吐いた。そこへ新たな従者が声をかけてきた。

「失礼。招待状を拝見しても?」

 やや辟易しつつも、シンノスケは再度封筒を渡した。

「――モーズリー様ですね、お待ちしておりました。

……その、お腰のものはお預かりしても?」

 封筒をシンノスケに戻すと同時に、従者はステラのコートの上から見える、棒のようなシルエットに目を向けた。

「やっぱり、持って入っては駄目?」

「執事の方は構いませんが、貴族の方は……」

 ステラの願いに、従者は助けを求めるように、困った顔でシンノスケを見遣った。

「ステラ殿、ここは従いましょう。代わりにそれがしが」

 シンノスケはステラのコートを受け取ると従者に預けた。そしてコートの下に隠していた剣をベルトごと外すと、既に一本提げてある自分の腰にひょいと巻いた。

「邪魔じゃない?」

「なに、一刀も二刀も変わりません。

……そういうわけだが、よろしいか?」

 二本の剣を提げるという振る舞いに従者は相変わらず困った顔をしたが、首を横に振ることはなく、シンノスケ達は何とかパーティー会場へと辿り着くことが出来た。

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