第21話 神に選ばれし者(Chosen by god)

 堅牢そうな鉄の扉は、門番の兵士二人がかりで押し開けられた。ヘーゼルガルドの時とは違い、今回は武器を渡すように言われなかったことで、ティムは少し安堵した。

 城の高さに圧倒されていたティムだったが、城の中は想像より狭かった。分厚い石の壁のせいで薄暗いのはヘーゼルガルド城と変わらないが、ヘーゼルガルド城より埃っぽさが無く、掃除が行き届いているように感じた。部屋の中央には荘厳な大理石の上り階段があり、金メッキの手すりが添えられていた。階段を上った先には、これまた金の取手付の木製の扉がある。あの奥にはラークハイム王がいるのだろう。


「先に私から話を通しておきたい。すまないが、少しここで待っていてくれ」

 階段を上り切った所でセラフィニはそう告げると、ティムたちの返事を待たずに、扉の奥に消えて行った。


「ああ、緊張するなあ」

 扉が閉まるとルークが呟いた。

「一国の王様にお会いするなんて、生まれて初めてだからさあ」


「あたしたちはついこないだ、会ったけどね。まあ、別の意味ですごい緊張はしてるんだけど」

 アナベルが苦笑する。


 ティムも苦笑した。

「でも今回はきっと大丈夫。そもそも、もう失う物も無いんだ、俺たちには」


「うん、そうだね」

 アナベルは頷いた。

「それにしても、ラークハイムとヘーゼルガルドが仲悪いってティムが予想して早々、揉め事が起こったね。何かビックリしちゃったよ」


「ホント、巻き込まれた方は堪ったもんじゃないよなあ」

 ティムが唸る。


 雑談を繰り広げていたら、再度扉が開いた。扉の奥ではセラフィニが笑みを浮かべていた。

「入ってくれ。王がお待ちだ」


 セラフィニの後から、ティムたちは王室の中へと入っていった。扉の向こう側とは対照的に、王室は明るかった。全体が白い大理石で造られているその王室は、壁にかけられた何個もの松明に照らされていた。

 王室の奥では、初老の男が座っていた。すらりと伸びた鷲鼻、太い眉の下では鋭い目があった。長い黒髪には、所々白髪が混じって、グレーに近い色に見える。ティムたちに一国の王としての風格を感じさせるには、十分過ぎる出で立ちだった。


「旅の者たちよ、ラークハイムへようこそ」

 男は穏やかな面持ちで話し始めた。

「私はラークハイムの王、セラドールだ。話は我が息子セラフィニから聞いた。ヘーゼルガルドに石を奪われてしまったのは実に残念だが、命まで奪われなかったのは不幸中の幸いであったな。ここならヘーゼルガルドに見つかることもない。気を楽にして、しばしの休息を取るが良いぞ」


「温かなご歓迎、感謝します」

 ティムは会釈をした。


「さて、そろそろ夕食の準備が終わる頃だ。良ければ貴公らも一緒にどうかね。食事をしながら、今までの旅の話でも聞かせてもらおうではないか」


「有難き幸せ」

 穏やかな口調でそう言うと、ティムは再度丁寧に会釈をした。ただ、言うまでもなく、気分は高揚していた。仔牛のステーキ、極上のワイン。いや、もっと想像できないようなご馳走が出てくるのかもしれない。ティムは思わず生唾を飲んだ。


「ちょっと待って下さい」

 凛とした声が響いた。ソニアだ。

「ご歓迎頂いて大変嬉しいのですが、何故私たちのような通りすがりの旅人に、そこまで気を掛けられるのでしょうか」


「まあまあ、ソニア」

 ティムが小声でソニアに言い寄る。

「折角のご厚意なんだから、ここは甘んじて受け入れて・・・」


「理由くらい先にはっきりさせておいてもいいんじゃないかしら」


 急に静寂が訪れる。その場には微妙な緊張感が漂っていた。


 やがてセラドールは大きく息を吸った。

「よかろう。事を急がずに食事の時に伝えるつもりだったが、疑問に思う気持ちは分かる。貴公らを連れ来た訳を話そうではないか。まあ、この期に及んで勿体ぶるつもりはない。単刀直入に言おう。ラークハイムに力を貸して欲しい」


「それは、どういう意味ですか」

 ソニアが尋ねた。それは一行の誰もが思った、率直な疑問だった。


「父上」

 背後からセラフィニが言った。

「彼らを連れてきたのは、この私の判断です。私が説明しましょう」


「いい。俺から説明する」


 セラフィニの申し出を断ると、セラドールは話し始めた。

「本題に入る前に、我々ラークハイムとヘーゼルガルドの関係について説明しておきたい。両国の関係だが、実はもうかなり冷え切っている」


「ここに来る途中ですれ違いましたけど、確かに感じの良い挨拶をされませんでしたね」

 ルークがもっともらしく腕を組んでみせる。


「うむ。だがこれは昨日今日始まった話ではない。事の発端は、十三年前。その頃だった。ヘーゼルガルドに守護神石が二つ現れたのは」


 ティムは眉を顰めた。やはり守護神石が関係しているらしい。


「旅人達の風の噂で、その情報はラークハイムに舞い込んできた。私はすぐにヘーゼルガルドに向かったよ。そして、エドマンドに告げた。『もっと守護神石を集めよう。エルゼリアを元の美しい平和な世界に戻そう』と。しかし、エドマンドは聞く耳を持たなかった。守護神石の持つ大きな力に心を奪われてしまいおったのだ」


「ヘーゼルガルドで石が見つかる前のヘーゼルガルド王は、どんな方だったんですか」

 ソニアが尋ねる。


「石が見つかる前のあいつは、長い間ずっと王室に閉じこもって、ほとんど誰にも姿を見せなかった。あいつは最愛の妻を病で亡くしてな。その悲しみから長い間立ち直ることができなかったのだよ。しかし、妻が生きていた頃のあいつは、民想いの、それは素晴らしい統治者だった。あいつと私は、共にハビリスの王として、幾度となく協力し合い、ハビリスの発展の為に力を尽くしてきたのだ。私たちはまさに、盟友と呼ぶに相応しい関係だった」


「へえ、今のヘーゼルガルド王とイメージが違い過ぎて、何か信じられないなあ」

 アナベルが目を丸くする。


 セラドールは眉間に皺を寄せ、険しい表情で続けた。

「私は、民から心が離れ、私利私欲の為だけに行動するようになった奴に失望した。勿論、何度も説得した。しかし奴の邪悪に染まった心が戻ることはなかった。今思えば、最後に奴と言葉を交わしたのは、どれくらい前のことだったか。恐らく十年近く前だろう。つまり、その時からラークハイムとヘーゼルガルドは、絶縁関係にあるのだ」


 ティムが口を開く。

「絶縁関係・・・。それは、つまり今まで軍事衝突のようなことはなかったということですか」


 セラドールはかぶりを振った。

「なかった。今回が初めてだ。だが遅かれ早かれ、こうなることは分かっておった。奴はヘーゼルガルドの為に石を使いたい。我々はエルゼリアの為に石を使いたい。互いに相容れることはないのだ。関係に亀裂が入ったのが、今であるだけに過ぎない」


「それで、力を貸してほしい、というのは・・・」


「そう、そこで本題だ」

 セラドールの声が少し大きくなる。

「私は、ヘーゼルガルドを落とそうと考えている。そしてその為に、君たちの力が必要なのだ」


 ティムは思わず言葉を失った。ここ数日、思いもよらない事が次から次へと起こり過ぎだ。

「ラークハイムには大勢の兵士がいるではないですか。何故ただの旅人四人の力を必要とされるのですか」


「ただの旅人だって? 馬鹿な」

 セラドールは、失笑した。

「貴公らは、ただの旅人ではないぞ。貴公らは、守護神石に選ばれし者だ」


 セラドールの言葉の意味が分からず、ティムは立ち尽くした。


 それを察したのか、背後にいたセラフィニが口を開いた。

「守護神石は、選ばれた者にしか渡ることはない。なのに、君たちは守護神石を四つも持っていたんだろう。それはすごいことなんだ。並の人間に為せる芸当ではない」


 その話を聞いて、ティムは旅立つ前にハグルから聞いた話を思い出した。「守護神石は、人間と同じように意思を持っていて、自分の運命を操る力がある」、「誰の手に渡るかというのは、ある程度守護神石の判断が入る」と、確かにハグルは言っていた。


「エルゼリアに平和をもたらす為には、守護神石が必要だ。だから、守護神石を自国の為だけに利用しているヘーゼルガルドから、守護神石を奪い取らなければならない。その為には、君たちのような守護神石に認められた人たちの力が必要なのだ」


「ちょっと待って下さい。確かに守護神石を四つ集めることはできましたが、同時に四つ失ったことも事実です。それでも僕たちは守護神石に選ばれたと言えるんですか」


「勿論、言えるとも」

 セラフィニが目を見開いた。そのままゆっくりと一行の横を通り、前に歩いてくる。

「君たちが守護神石を紛失したならまだしも、ヘーゼルガルドから力づくで奪われたんだろう。邪悪な心を持っているヘーゼルガルドが、守護神石に選ばれたわけがない。守護神石はきっと君たちの元に戻るのを心待ちにしているはずだ」


「なるほどねえ」

 ルークが目を細めて呟く。

「それで、ヘーゼルガルドから守護神石を取り返す為に、俺たちの力が必要だということかい」


「ああ、そういうことだ」

 セラドールが頷いた。

「元々ヘーゼルガルドは二つ守護神石を持っていたようだが、貴公らの話によると更に四つ、全部で六つ石を手にしてしまったそうだな。だからヘーゼルガルドを落として、それら六つの守護神石を全て取り返すのだ」


「取り返した後はどうするんですか」

 ソニアが尋ねた。


「勿論、残りの守護神石を探し出すのだ。貴公らと我々は、エルゼリアの為に守護神石を集めたいという考えを持っている点で合致している。共に力を合わせて、エルゼリアの平和を勝ち取ろうではないか」


「取り返した守護神石は誰の物になるんですか」

 ソニアが更に尋ねる。


 セラドールは低く唸ると言った。

「貴公らが持っていた守護神石は、貴公らの持ち物だ。当然貴公らが受け取るべきだろう。それ以外の二つの守護神石は、残りの守護神石を探す者が持っていれば良い。となると、それも恐らく貴公らになるな」


「そうですか。分かりました」


「すみません、もう一つ、いいですか」

 今度はティムが申し出る。


「うむ。何かな」


「何故それを最初ではなく、今話そうとお思いになったのですか」


 少し間があった後、セラフィニが話し始めた。

「最初に話すことはできた。しかし、恐らく君たちは我々のことを怪しんでいただろう。何しろ守護神を探している王国から酷い仕打ちを受けたばかりだ。そこでまた私が、守護神石を探しているから協力してほしいと言ったとしても、恐らく君たちは私を信用しない。利用するだけ利用して、守護神石を自分たちの為だけに使うのではないかと疑うだろう。そう、まさにヘーゼルガルドのようにね。だから会ってすぐ話すよりも、少しでもお互いのことを分かった上で、王も交えて話をするのが、安心してもらえるのではないかと思ったのだ」


 セラフィニはちらりとソニアの顔を窺ってから、こう続けた。

「ただ、勿論今も君たちは我々のことを疑いの目で見ているだろう。しかし、ラークハイムは、神々を復活させる為に守護神石を集めている。けしてヘーゼルガルドのエドマンドやマルコムのように、私欲に駆られているわけではない。それだけは信じてくれないか」


「事情はよく分かりました」

 ソニアはそう言うと、落ち着いた声で続けた。

「でも貴方の言う通り、私はまだ疑っています。今は協力しようって言っていても、守護神石が戻ってきたら、権力を武器に、また私たちから守護神石を奪い取ろうとするかもしれない」


「ソニア」

 ティムは、ソニアの肩を掴んだ。

「もういい。ここは彼らを信用するしかないよ」


「分かってるわ、ティム。でも私、もうあんな思いをするのは嫌」

 ソニアの声は変わらず落ち着いていたが、目には涙が溜まっていた。


 セラフィニは、そんなティムとソニアのやり取りを真剣な表情で見つめていたが、不意に胸に手を当てて、天を仰いだ。すると次の瞬間、セラフィニは背中に括り付けていた大剣を勢い良く抜き、頭上に掲げた。


 突然の行動に、一行は思わずぎょっとして後さずる。


 セラフィニは、大剣をぐるんと百八十度回転させると、床に目がけて力任せに突き下ろした。途端に鈍い音が鳴り、足元が揺れ動く。セラフィニの大剣は、大きな窪みを残しながら、石造りの城の床に突き刺さっていた。


「私は、けして君たちの敵ではない。騎士として、この剣に誓って約束しよう」

 セラフィニは微かに声を震わせながら、しかし芯のある強い口調でそう告げた。その鋭い目線は、真っ直ぐティムたちに向けられていた。


 ティムは、少しの間床に突き刺さった大剣とセラフィニの顔を見比べていたが、やがて頷いた。

「分かりました、セラフィニ王子。あなたを信用します」


 ソニアも、ティムに肩を預けながらしばらく大剣を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「ありがとう。言葉だけでも嬉しいよ」

 セラフィニは緊迫した表情を崩し、ようやく笑顔を見せた。


「よし。では決まりだな」

 セラドールは満足げな笑みを浮かべた。

「明日から貴公らは、兵士として城に滞在してもらう」


「へっ、兵士ぃ?」

 ルークが調子外れな声を出して驚く。「協力するのは分かったけど、兵士として働く気なんて・・・」


「兵士というのは建前上の話だ。別に実務をやってもらうわけではないから安心したまえ。ただ武術や剣術の訓練は怠らずにやってもらいたい。城では日々兵士が訓練しておるから、そこに混じれば良いだろう。それと、魔法を使える者はおるか」


「ソニアとアナベルが使える」

 セラフィニが剣を仕舞いながら言った。

「先程の戦で見せてもらいました。かなりの使い手かと」


「じゃあ二人には、ヘーゼルガルドの魔法騎兵の教育をやってもらえんだろうか。実はラークハイムには、優秀な魔法使いが少なくてな。優秀な魔法使いが大勢いるヘーゼルガルドと比べた時に、そこは弱点なのだ。だから、ウチの魔法使いを鍛えてやってほしい」


「ソニアは教えるのが上手い。それは僕が保証します」

 ティムは微笑んだ。


「それは心強い。宜しく頼む」

 セラドールも微笑んだ。

「君たちとラークハイムが共に戦えば、きっとヘーゼルガルドから守護神石を取り返せる。そして、残りの五つの守護神石も集めることも夢ではないぞ」


「残り五つ?」

 ティムが怪訝そうな顔をする

「十二個ある守護神石の内、ヘーゼルガルドにある守護神石は全部で六つですよ。だから残りは六つのはずです」


 すると、セラドールはセラフィニを一瞥した。

「セラフィニ、見せてやれ」


「はい」

 セラフィニは懐に手を入れて、何かを取り出した。ゆっくりと手を開くと、その手は透明な光に包まれた。


 一行は、思わずセラフィニの元へ歩み寄っていた。そして近くでまじまじとそれを見つめる。


「これは・・・」

 ティムが声を漏らす。


「ダイヤモンドだ」

 手の中の物から視線を逸らさずに、セラフィニは囁くように言った。

「だから、残りは五つで間違いない」





 羽毛の詰まったふかふかのベッドに勢いよく倒れ込むと、ルークは大きな欠伸をした。


「どうだい、初めてベッドで横になった感想は」

 その横のベッドに座りながら、ティムが茶化すように尋ねる。


「本気なのか冗談なのか分からない冗談を言うんじゃねえよ」

 ルークは気怠そうにそっぽを向いた。

「ベッドに寝たことぐらいあらあ」


「さっきの夕食はどうだった?」

 ティムは勝手に次の話題に移る。

「流石に牛肉は出なかったけど、羊肉のリブってあんなに美味しいんだな。その他にも色んなメニューがずらっと並んでて、どんな料理か分からなかったけど、とにかく凄かったあ。俺、感動しちゃったよ」


「はいはい、良かったな。さっさと寝ろ」


「それにしても、ラークハイム城に滞在できるとまでは流石に思ってなかったなあ。これで俺たちは、守護神石を取り戻すっていうレールの上に乗れたってわけだ。これからが正念場。頑張らないと!」


 ティムがそう言い終える時、何かがルークの顔に当たった。枕だった。同時に「うるせえぞ新入り!」と喚く声が聞こえてくる。

 すぐに声が聞こえてきた方を見て目を凝らしたが、何も見えない。もう消灯時間を過ぎていて、部屋の中は真っ暗だった。


「クソ、やっぱりついてねえ」

 暗闇の中、ルークは小声で罵った。





「パジャマを着て寝るなんて、どれくらい振りかしら」

 ベッドに座って長い黒髪をブラシでとかしながら、ソニアは歌うように言った。

「食事も美味しかったし、蒸しタオルで体も清潔にできたし、何はともあれラークハイムには感謝しないといけないわね」


「うん、今までの生活を考えたら、何か別の世界に来ちゃったみたい」

 ベッドの中でアナベルもころころと笑った。


 城には、兵士の他にも給仕や清掃担当のメイドが数多く駐在している。ソニアとアナベルは、メイドたちの寝室の空いているベッドを借りて、寝ることになった。


「守護神石の一つはここにあったんだね」

 アナベルが言う。


「そうね。でもヘーゼルガルドが元々二つ持っていたことを考えたら、ラークハイムに一つくらいあってもおかしくはないわ」


「ダイヤモンドだよね。あれは何の神様だったっけ」


「力の神、セルドュークよ。守護神石の中で唯一魔力が無いのが特徴」


「魔力がないってことは、石と共鳴しても魔法は使えるようにならないってこと? 何か不憫だなあ」


「確かに魔法は使えないけど、その代わり物理的な強さは大幅に強化されるわ。肉弾戦になれば、圧倒的に有利な石よ」


「へえー」


「さっき、セラフィニさん、自分の体くらいある大きな剣を楽々と振り回してたじゃない?あれはダイヤモンドの力なのかも」


「ああ、そういうことなんだあ」

 アナベルが納得したように相槌を打った。





 耳障りな金属音が響き渡り、ルークは目を覚ました。

 欠伸をしながら上体を起こすと、寝室のドアは開け放たれていた。鍋をおたまで叩きながら歩いている中年のメイドの姿が、回廊に見える。同じ寝室で寝ていた兵士たちは、ぞろぞろと起き上がり始めていた。


 瞼をこすりながらルークも起き上がろうとすると、ティムが寝ている姿が目に入った。


「おい、朝だぞ。起きろ」

 ルークはティムを揺さぶったが、ぐっすり眠っているようだった。


 すると、ティムに気付いた中年のメイドが、ティムのベッドまでやって来た。そしてティムの耳元に鍋を持ってきたかと思うと、さっきよりもより一層力強く鍋を叩きまくった。


 流石のティムも驚いて、がばっと身を起こす。それを確認したメイドは、汚い歯を見せてにっと笑うと、部屋から出て行った。





 城の食堂に訪れたティムの目の前には、パンと牛乳、そして冷たい野菜スープが置かれていた。


「ま、お客さん扱いは昨日までってことだな」

 どこかで期待をしていたティムは、冷めた口調で呟いた。


「今日から俺たちはラークハイムの兵士だって、王様も言ってただろ」

 ティムの向かいに座っているルークが、むしゃむしゃとパンを食べながら、口に牛乳を流し込む。


「おはよう!」


 声がした方に目を向けると、アナベルがルークの隣の席に腰かけようとしていた。ティムたちと同じように、ラークハイムから支給された麻のパジャマを身にまとっている。アナベルの透明な白い肌、エメラルドグリーンの目と金色の髪は、アースカラーのパジャマで、より一層美しく映えていた。


 一方、椅子の擦れる音で横を見ると、ティムの横にはソニアが座ろうとしていた。ソニアも同じように麻のパジャマを着ている。髪を洗ったのか、長い黒髪からはほんのり石鹸の香りが漂っていた。


「おはよう、二人とも」

 ティムも挨拶した。


「ティムったら、今日も髪がボサボサじゃない。折角ブラシがあるんだから、ちゃんととかさないと」

 ソニアが、ティムの髪を触る。


「いいよ、別に。こういう髪が好きなんだ」


「ママの言うことはちゃんと聞いた方がいいぞ、ティム」

 ルークが嘲笑う。


 むっとしたように目を細めると、ティムはルークを指差した。

「ほら、見てよ。ルークだってかなりのボサボサ頭じゃないか」


「ルークはいいのよ。でもティムはちゃんとしないとダメでしょ。育ちが違うんだから」


「うーん、何か悪口を言われている気がする」

 ルークは、いまいち合点が行かない表情を浮かべながら、スープを啜った。


「もー、ソニアったら、ルークに冷たいんだからあ」

 そう言うとアナベルは、ルークの背中を撫でた。

「あたしが後でルークの髪、ブラシでとかしてあげるから、元気出して!」


「はっ?」

 これにはルークも驚いて後さずる。

「い、いや、いいよ」


「ルークはお母さんの顔も知らないんでしょ? だから、その時はあたしをお母さんだと思えばいいよ」

 そう言うとアナベルは、両腕を広げて見せた。


「バッ、何言ってやがるっ。ガキのくせにふざけんなっ!」

 そう毒づきながらも、顔は真っ赤になっている。


「ガキじゃないもーん。もう六十五歳だもーん」

 アナベルが唇を尖らせた。


「ろくじゅっ・・・あ、ああ、そうか、エルフか・・・」

 ルークは頭を搔きむしった。

「とにかく、やめてくれ! 余計なお世話だ!」


「だからあ、遠慮しないのっ」

 アナベルは、ルークを思い切り抱き締めた。


「ギャァァァァァァ!」

 途端にルークは奇声を上げながら、激しく抵抗する。パンは床に落ち、牛乳はこぼれた。


「おいおい、ルーク! 暴れるなよな」

 ティムが呆れたように苦笑する。


「アナベルったら、今日は一段と元気いっぱいね」

 ソニアも楽しそうに笑った。





 食事を終えて服を着替えると、ティムとルークは早速稽古場に繰り出した。

 稽古場は城の四階にあり、大きな広間が使われていた。そこでは十人余りの兵士たちが、木刀で互いに打ち合い、稽古に励んでいた。


 二人に気付いた一人の兵士が、部屋の隅にある木刀を二つ掴んで、二人の元にやって来た。

「よう、新入り。この木刀を使え」


「どうも、ありがとう」


 二人は木刀を受け取ると、周囲に習って稽古を始めた。しかし稽古を始めて三十分も経たない内に、周囲の兵士たちは木刀を片付け始めた。


 ティムはさっき話した兵士に尋ねた。

「もう練習は終わり?」


「ああ、休憩に入る」

 その兵士は、木刀と同じように部屋の隅に置いてあったチェス盤を持ち上げた。

「お前、チェスできるか」


「あ、ああ、できるけど」


「それはいい。俺とやってみよう」

 そう言うとその兵士は、その場にいる全員に告げた。

「おい、今から新入りとチェスをやる。見物したいなら歓迎するぞ」


「へえ、ドースンと新入りが?」

「そりゃ面白そうだな」

「勿論見させてもらうぜ」

 兵士たちがぞろぞろと、ドースンと呼ばれた兵士の周りに集まる。


「お前、名前は?」

チェス盤を置いて床に座り込むと、ドースンは尋ねた。


「ティムだ。で、こっちがルーク」

 ティムも床に座ると、ルークもまとめて紹介する。


「俺は、ティムに行ってみる」

「おいおい正気か? ドースンがそう簡単に負けるはずないだろうに」

「ここは勿論ドースンだな」

「ティムが勝ったら面白いぞ」

周囲の兵士たちがざわつき始める。どうやら、チェスの勝ち負けで賭けるのが習慣らしい。


 観戦する兵士たちの喧騒の中、ゲームが始まった。


「今日はもう練習はしないのかい?」

 駒を手で弄びながらティムが聞く。


「次の練習は午後からだ。ここにいる兵士は、今日非番なんだ。でも練習もしないと体がなまっちまうからよ、一応練習はする。でも、こうやって遊ぶのも大事だ」


「ふうん。まあ、その方が俺も嬉しいけどさ」


 ドースンは、ちらりとティムの表情を窺った後、またチェス盤に視線を戻した。

「お前たち、ただの新入りじゃないだろう。守護神石に選ばれた者だから、ここにいる。そうだろう」


 ティムは一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。

「ああ、そうだよ」


「他にも仲間がいるな。女が二人」


「そうだけど、それがどうかした?」


「二人とも、かなりの上玉だ」

 駒を動かしながら、ドースンは好色そうな笑みを浮かべた。

「しかも片方はエルフと来た。今朝から噂になってるんだぜ。食堂にいた野郎どもは、皆あの美しさに釘付けだった」


「へえ、そりゃ気づかなかった」

 ティムは大して興味がなさそうな声で相槌を打つ。


「話によると、あの二人は、魔法騎兵の教育係りになったらしいな。一応俺は魔法をかじったことがあってね。午後からの魔法騎兵の訓練に俺も混ざりたいと思うんだが、俺を紹介してくれないか」


「おい、ドースン、お前だけ抜け駆けか?」

 観戦をしていた兵士たちが声を上げる。

「俺だって魔法をかじったことぐらいあるぞ」

「俺だって、あるぞ。俺も行く」


「分かった、分かった」

 ドースンは両手を上げて、周囲を落ち着かせる。

「じゃあ、皆で行こうぜ。な、いいだろ、ティム」


「ああ、別に構わないよ」

 そう言うと、ティムはコンと音を立てて駒を置いた。

「チェックメイト」


 ドースンははっとしてチェス盤を見た。そのまましばらくチェス盤と睨み合った。

 ドースンが負けを認めた瞬間、稽古場は歓声と溜息の両方に包まれた。





 魔法の訓練は、外に吹き抜けになっている城の三階で行われていた。


「ほら、何してるの。早くやりなさい」

 ソニアが腕を組みながら、肩で息をしている兵士に檄を飛ばした。


「もう無理です。魔法を使い過ぎて力が・・・・」


「じゃあ、戦場でもそう言うといいわ」

 呆れたように言うと、ソニアは三十メートル程離れた場所に置かれたレンガを指差した。

「そもそも、あんな近くにある的にすら命中させられないなんて、今までどんな訓練をしてきたのかしら? やる気が無いならもういいわ。次!」


 そんなソニアの様子を、ドースンたちは唖然としながら見つめている。


「どう? 呼んでこようか」ティムが聞いた。


「い、いや、やめておこう」

 ドースンは愛想笑いを浮かべて断った。

「おお! そうだ、もう一人のエルフはどこに・・・」


 その瞬間、広間に爆音が轟いた。咄嗟に音の聞こえた方を見ると、アナベルが一人の兵士を追いかけ回している。


「こらあー! 逃げるなあーっ」

 甲高い声で叫ぶと、アナベルはまた呪文を唱え始めた。

「麗しき女神よ・・・流星のごとき矢で敵を貫け!」


 たちまち白い光弾が、追われている兵士に向かって飛んでいく。


「ヒィィィィ!」

 追われている兵士は、体をのけ反って、アナベルの攻撃を回避した。それと同時にまた爆音が轟く。魔法が直撃した城壁からは、もくもくと白い煙が立ち上っていた。


「だから逃げちゃダメって言ってるでしょお! ちゃんと受け身して練習しないと、強くなれないんだからね!」


「ええっと・・・」

 これにはティムも少したまげて、言葉を失う。次にドースンの方を見やったが、そこにはもう誰もいなかった。慌てて階段を駆け下りていく足音だけが聞こえて来ていた。


「まあ、そうなるわなあ」

 ティムの背後にいたルークが、苦笑しながら呟いた。





 一方、城の上階からは、セラドールとセラフィニが、ソニアとアナベルが指揮する魔法の訓練の様子を見守っていた。


「はっはっは、派手にやってくれているなあ」

 爆音が轟いている訓練場を見て、セラドールは笑い声を上げた。


「我々の期待通り、厳しく指導をしているようで良かったですね、父上」


「正直な所、ちょっとやり過ぎな気もするが、ウチの魔法騎兵どもにはこのくらいの訓練は必要だな」

 セラドールはちらりとセラフィニの顔を窺うと言った。

「お前も参加してきたらどうだ。ちゃちな矢ぐらいは跳ね返すお前の体も、魔法には脆いんだろう」


 少し間を開けた後、セラフィニは冷や汗混じりに首を振った。

「遠慮しておきます」


「心配するな。冗談だ」

 セラドールは悪戯っぽく笑うと、ふと感慨深げな目で訓練場を見つめた。

「それにしても、ますます彼らには期待が高まるな」


「ええ。私の目に狂いはありませんよ、父上」

 セラフィニも訓練場に視線を落として、目を細めた。

「彼らを信じて、最後まで戦い抜きましょう」


「彼らだけではない。お前もだよ、セラフィニ」

 セラドールはセラフィニの肩をぽんと叩いた。

「お前もダイヤモンドに選ばれた人間なのだ。期待しているからな、我が息子よ」


「ありがとうございます、父上」


 訓練場からは、またも爆音と兵士たちの悲鳴が聞こえてくる。兵士たちの身を案じながらも、救世主たちの出現に、セラフィニは大きな充実感を感じていた。

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