第20話 種族間の垣根(Barrier between races)

フラッシュバック ―アナベルの過去―


 エルフの子供たちの好奇心に満ちた視線を一斉に浴びながら、教師のエルフは軽やかな手つきで、黒板にチョークを走らせた。


「まとめると、熱、燃えるもの、そして酸素。これら三つが、火が生まれる為には必要なんだ」

 教師のエルフはチョークを置くと、机の下から大きなローソクを取り出した。

「よし、じゃあ最後に、魔法を使ってこのローソクに火を付けられる子はいるかな?」


 そう言い終わるが早いか、子供たちは一斉に人差し指を頭上に突き上げて挙手した。何人かの子供は、「先生、あたしあたし!」と大きな声を上げて、必死にアピールをしている。


「はい、じゃあ・・・一番早かったアナベル!」


 他の子供たちの落胆の声が響き渡る中、アナベルは嬉々として席を立ち前に進み出ていった。

 アナベルは机の上に置かれたローソクの前まで来ると、ローソクに手をかざし目を閉じる。しかしいざ火を付けようとすると不安と緊張が入り交り、アナベルの小さな両手は小刻みに震え始めた。


 アナベルの手が震えていることに気付いた教師は、アナベルの背中にそっと手を置くと囁くように優しく言った。

「さあ、慎重にやってみよう。うまく魔力をコントロールするんだよ。君ならできる」


 教師の声を聞いて心が少し落ち着いたアナベルは、目を固く閉じて集中した。そして明瞭な声色で呪文を唱える。

「火よ、灯れっ」


 するとローソクの先が赤い小さな光を放ったかと思うと、下の方まで燃え渡っていき、あっという間にローソクに火が灯った


「上手に火が付けれたね。皆、アナベルに拍手!」

 子供たちは一斉に拍手をして、アナベルの成功を称えた。アナベルはほっと安堵の溜息を付くと、満面の笑みを浮かべて席に戻っていった。





 その日の授業が終わると、アナベルは友達のレーナとハンネと一緒に森の小道を歩いて下校した。


「アナベル、今日は成功してよかったね。また前みたいなことになったらどうしよう、って思ったよ」

 レーナが、まるで自分のことのように嬉しそうに言った。


「えへへ、実はあたしも不安だったんだ」

 アナベルは照れ臭そうに言う。


「あー、風の魔法の実習で、風車を回そうとして、机ごと吹き飛ばしちゃったアレね」と、ハンネ。


 レーナがうんうんと頷く。

「今度は机を真っ黒焦げにしちゃうんじゃないかって、心配しちゃった」


 すると、ハイネがくすくす笑いながら言った。

「でもさあ、それはそれで凄いよね。そんな威力のある魔法が使えるのは、クラスでもアナベルだけだよ」


「そうなの? 皆できるけど、上手く力をコントロールしてるんだと思った」


「まあ、ローソクの火を付けるくらいなら少し力は抑えるけど、本気出しても机を丸焦げにする程の火を出すのは絶対無理」

 レーナが、断言する。


「そうそう、アナベルは魔法の才能があるんだよ」

 ハイネも頷いた。


 その時、アナベルの目の前をきれいな色をした蝶が舞っていった。


「ああっ、ちょうちょ」

 蝶が好きだったアナベルは、蝶の進む方向に駆け出していく。


「ちょっと、アナベル。待ってよお」

 レーナとハイネも、アナベルの後に続いた。


 アナベルは茂みをかき分けながら、ひらひらと舞う蝶を追いかけていった。いつも歩いていた小道からは、既に大きく外れていた。


 やがてアナベルが辿り着いた場所は、小さな花畑だった。森の中にありながら木が密集していないその場所では、柔らかな木漏れ日の下、色とりどりの花々が咲いていた。

 本来ならば、その美しい風景にアナベルは見とれていただろう。しかしその風景以上に不思議な物が、アナベルの興味を奪った。


 思わず指を指しながら、アナベルは声を上げる。

「ねえ、あれ見て!」


 遅れて到着したレーナとハイネは、アナベルが指している方向を見ると同様に目を丸くした。

 そこでは一人の少女が、花を摘んで遊んでいる様子が見える。それ自体は何の変哲もない光景だが、問題は少女の体つきだ。背丈は何とアナベルたちの半分程しかない。その一方で首や腕はアナベルたちよりも太く、がっちりとしていた。


 その少女は花摘みに夢中になっているようで、三人の存在には気づいていないようだった。


「あの子、誰? あんな子見たことある?」

 ハイネが声を潜めながら、まくし立てる。


「ううん、初めて見るよ。誰だろ?」

 アナベルも首を傾げた。


 すると、レーナがぽんと手を叩いた。

「ああ、分かった。あの子、きっとドワーフだよ」


「ええっ」と、ハイネが声を上げる。

「何でドワーフがこんな所にいるの?」


「この近くにはドワーフの山があるんだって。ママから聞いたんだ」


「あっ、そういえば私もそれ教えてもらったよ」と、ハイネ。

「ドワーフの山が近くにあるから、気を付けないとって」


 その話ならアナベルも聞いたことがあった。


 アナベルを含むこの森で暮らすエルフたちは、住んでいた村がハビリスの攻撃により焼き払われた。村を追われたアナベルたちは村から近くきれいな泉のあるこの森に移住することにしたが、一部の村人からは懸念の声が上がっていた。その理由が、近くにドワーフの住処があるということだ。

 しかし近くにドワーフの山があるとは言え、ドワーフが森の中にまで入ってくることは考えにくかった。ドワーフが山を下りる時は、ハビリスの町に行って商売をしたり、必要物資の買い出しをしたりする為だったからだ。

 結局エルフたちはこの場所に住むことを決めたが、多くのエルフたちの頭の隅にはドワーフへの懸念が残っていた。しかし蓋を開けてみれば、エルフたちが移住してきてから一年余りが経過してもドワーフが彼らの前に姿を現すことはなかった。そう、今の今までは。


 しかし幼いアナベルには、そのような深い事情を知る由もなかった。知っていたのは、ただドワーフの山が近くにあるということだけだった。


「あたし、話しかけてみる」

 好奇心旺盛なアナベルは、そう言って歩き出そうとした。


「ダメだよ」

 レーナがすぐさま制止する。

「ドワーフに近づいたらダメ」


「何で?」

 アナベルは訝しげに、首を傾げた。


「ドワーフは、私たちエルフのことが嫌いなんだって。だから、近づいたらヒドイことされちゃうんだって。ママがそう言ってたもん」


 別に大丈夫だよ、とアナベルは思った。しかしレーナの有無を言わさない気迫に負け、アナベルは仕方なく話しかけることを諦めた。





 翌日になってもアナベルの頭の中は、昨日会ったドワーフの少女のことでいっぱいだった。学校の授業にも身が入らない。それよりも今すぐにあの場所に戻って、ドワーフの少女に話しかけたいと思った。


 授業が終わると、アナベルは誰よりも早く学校を飛び出した。そしていつもの小道を走り続け、昨日蝶を見た場所で小道を外れた。茂みの中を進んでいくと、昨日の花畑が姿を現す。

 その花畑の中心では、昨日と同じようにドワーフの少女が花と戯れている様子が伺えた。今日もドワーフの少女がいたことに、ひとまずアナベルはほっと胸を撫で下ろした。


 高鳴る鼓動を感じながらも、アナベルはゆっくりとドワーフの少女の方へ歩み寄っていった。少女はアナベルに背を向けている為、アナベルが近づいてきていることにまるで気付いていない。


 少女のすぐ後ろまで来たアナベルは、改めて少女の背の低さを実感した。同世代のエルフの少女の中で、アナベルはどちらかというと背が低い方だ。しかしそのドワーフの少女の身長は、アナベルの身長の半分程しかなかった。


 いざ話しかけようと思うと、少しだけ恥ずかしい気持ちが生まれた。しかし、それよりもやはり好奇心が勝った。


「こんにちは!」

 アナベルは、努めて明るい声でそう挨拶した。


 するとドワーフの少女は振り返ったが、アナベルの顔を見た瞬間に表情を引きつらせた。持っていた花をその場に置き捨てると、一目散に逃げ出す。


「待って!」


 アナベルは、慌てて逃げる少女を追いかけた。足は短いくせに逃げ足は驚く程速かった。茂みの中に逃げ込まれたら見失ってしまうかもしれない、とアナベルは焦った。


 しかし茂みに逃げ込む直前のところで、ドワーフの少女は足をもつらせてつまずき倒れた。アナベルが追いついた時には、ドワーフの少女は大きな声で泣き出していた。


「だ、大丈夫?」


 アナベルは駆け寄って、少女の顔を覗き込んだ。すると少女のこめかみには大きな傷ができていて、血が滲み出ていた。どうやら転んだ際に石か何かが頭に当たったらしい。


 大粒の涙を流しながら泣き喚く少女を前に、アナベルは言った。

「ごめんね。でも、あたしが治してあげるから大丈夫だよ」


 アナベルは、少女のこめかみの前に手をかざした。

「えーっと・・・ああ、そうだ。我が祈り、清らかなる愛の温もりとなりて、汝の傷を癒さん・・」


 やがて少女は痛みが無くなっていることに気付き、泣き止んだ。こめかみに手を当ててみると、何と傷は何事もなかったかのように消えていた。


 思わず少女は、目の前の奇跡を起こしたであろうアナベルの顔を見上げる。アナベルは不思議そうに眼をぱちくりさせている少女を見ると、白い歯を見せて笑った。





 その日からアナベルは、学校が終わると同時に花畑に向かった。花畑に行けば、必ずドワーフの少女がいた。彼女の名前はゾラといい、歳は八歳。当時十歳だったアナベルの二つ下だった。


 アナベルはゾラに、花の名前や花を使ったアクセサリーの作り方を教えてやった。最初の内は口数が少なかったゾラも、アナベルの純粋で真っ直ぐな人柄に惹かれ、心を開いていった。そしてアナベルが花畑に通い始めてから二週間も経つと、アナベルが訪れる度に笑顔で駆け寄ってくるようになった。


 一方のアナベルも、ゾラのことがますます好きになっていった。そもそも自分と同じように花をこよなく愛するゾラと過ごす時間は楽しかったし、異種族の友達との仲が深まっていくという非日常は、少女アナベルの心を躍らせた。


 ある日いつものように二人で花を摘んでいる時、ゾラはアナベルに唐突に尋ねた。

「ねえ、アナベル姉ちゃんは、何であたしと一緒に遊んでくれるの?」


「え?」

 アナベルは目をぱちくりさせた後、にっこりと微笑んだ。

「ゾラと一緒に遊ぶのが楽しいからに決まってるじゃん」


「ホント? うれしいなあ」

 ゾラは両頬に手を当てて、笑った。


「当たり前でしょ? 何で、そんなこと聞くの?」


 すると花を摘みながらゾラが言った。

「お父さんが言ってたの。エルフはドワーフをいっぱい殺した悪い人たちだって」


「え、ゾラのお父さん、そんなこと言ってるんだ。ひどいなあ」

 アナベルはそう言うと、ぷくーっと頬を膨らませた。


「でもね、アナベル姉ちゃんはすごくいい人。だからあたしね、きっと他のエルフもみんないい人だと思うんだ」


「うん。みんな優しいいい人たちだよ」

 アナベルは即答した後、こう言った。

「そうだ、今度エルフの村においでよ。最初はみんな驚くと思うけど、ゾラだったらきっとすぐに仲良くなれると思う」


 するとゾラは少しの間考え込んだ後、顔を赤らめて両頬を手で覆った。

「行ってみたいけど、やっぱり恥ずかしい」


 そんなゾラを見て、アナベルはくすくす笑った。

「無理しなくてもいいよ。ゾラが行きたいと思った時に連れて行ってあげるから」


「うん、ありがとう」

 ゾラは満面の笑顔で大きく頷いた。


 アナベルは、いつか自分がゾラを連れてエルフの村に行くことを想像した。子供のエルフたちはアナベルと同じようにドワーフを見たことがないだろうから、きっと驚くに違いない。そしてドワーフと仲良くしているアナベルを羨望の眼差しで見るだろう。レーナとハイネも、ゾラがこんなに優しいいい子だと知ったら、きっとドワーフのことを見直すと思った。





 そんなある日のことだった。アナベルとゾラが花畑でいつものように花を摘んでいると、何者かが突然花畑に姿を現した。

 その男は、目から下の顔が深い髭に覆われており、背丈はずんぐり。ぱっと見ただけで、ドワーフの男であることは明らかだった。


「ゾラ! お前、何をやっとるんだ!」

 ドワーフの男は喚きながら、どたどたと駆け寄ってくる。


「あう・・・」

 ゾラは、表情を引きつらせた。


 ドワーフの男は、ゾラの首根っこを掴み上げた。

「ここん所、昼間姿が見えんと思っとったら、山降りてこんな所に来とったか、このやんちゃ娘!」


「ふえ~ん、ごめんなさい、父ちゃん・・・」


「へえ、ゾラのパパなんだあ」

 ようやく状況を把握できたアナベルは、少し安心して息を吐いた。


 しかしゾラの父親はアナベルをぎろりと睨みつけると、吐きつけるように言った。

「金輪際、ゾラとは縁を切ってくれ」


「え?」

 アナベルは目をぱちくりさせた。


「共通語が話せるなら、意味分かっているんだろう!」

 ゾラの父親は苛立ちを露にした。

「聞こえなかったのなら、もう一度言うぞ。もうゾラには関わらないでくれ。いいな」


 次にゾラの父親は、娘に向かってこう言った。

「ゾラ、エルフに関わるなって、父ちゃんずっと言ってただろ。勝手に山から降りるのがルール違反だってことも、知らなかったとは言わせんぞ」


「でも山は薄暗いしお花も無いし、つまらないよ。それに父ちゃんはエルフのことを悪く言うけど、アナベル姉ちゃんはすごいいい人だよ。だからアナベル姉ちゃんと一緒にここで遊んでもいいでしょ? ねえ、父ちゃん、お願い」


「ゾラ! いい加減にしないと、もうこれから家の外に出させんぞ!」


 その時だった。アナベルの目は、赤く燃える球状の物体が飛んでくるのを捕らえた。そしてそれはゾラの父親に直撃すると、地鳴りのような音を立てた。


 アナベルは腰を抜かしていたが、状況を確認すべくすぐに立ち上がった。するとそこにゾラの父親が倒れているのが見えた。髪の毛や髭、衣服は黒く焦げしまっており、煙が立ち上っていた。この様子だと、全身を火傷しているに違いなかった。


「父ちゃん!」

 ゾラは駆け寄ると、倒れている父親の体を揺さぶる。


「ゾ・・・ゾラ・・・、逃げ・・・るんだ・・・」

 ゾラの父親は、弱々しい声で呻いた。


 すると背後から足音が聞こえてきた。アナベルが振り返ると、エルフの青年が走ってくるのが見えた。


「君、大丈夫か!」

 エルフの青年は、緊迫した形相でアナベルのもとに駆け寄った。


 何故この青年は自分の安全を確認しようとしているのか。何故ゾラの父親が倒れているのか。全てを理解するのには時間を要した。


「君、聞こえているか」

 呆然と立ち尽くしているアナベルに対して、青年は再度問いかけた。


「う、うん」


「危ないところだった。ドワーフめ、遂に姿を現しやがった。さあ、早くここから離れよう」


「ダメ!」

 事態を飲み込めたアナベルは、声を張り上げた。

「このまま行っちゃダメだよ。手当てしてあげないと」


「手当てだって? 何をバカな! 今君は奴に襲われる寸前だったんだぞ。仲間が来る前に、早く逃げるんだ」


「違う! 違うよ!」


 泣き叫ぶアナベルを抱え上げると、青年のエルフは走り出した。


 抱きかかえられながら、アナベルは花畑に残されたゾラを見た。ゾラは、離れていくアナベルをじっと見つめている。その目は花を愛でる時のあの優しい目ではなく、悲しみと憤りが入り混じった暗い目だった。アナベルはどうしたらいいのか分からず、視線から逃げるように青年の肩に顔を埋めた。


 村に戻った青年は、目撃したことを皆に伝えた。当初恐れていたドワーフの出現が遂に現実となった上、正当防衛とはいえ死傷させたことは、村に住むエルフたちを不安に駆り立てた。


 その間アナベルは一連の真相を主張し続けたが、年端もいかない少女の主張よりも、長い年月と共に培われてきたドワーフに対する偏見の方が圧倒的に強かった。結局村に住むエルフたちは、住み慣れた森を捨て違う森へと移住をしていく決断をしたのだった。


 その後エルフたちは、ドワーフもハビリスもいない、エルゼリアの奥深くの静かな森を見つけて、そこで平和な日々を送るようになった。しかしアナベルの頭には、いつもあの時の事件の記憶が鮮明に残り続けていた。アナベルを恨めしそうに見つめていたゾラの目を思い出すと、アナベルは胸が締め付けられるように苦しくなった。また、目の前で起こった事件にも拘わらず何もできなかった自分を、アナベルは責め続けた。


 あれから五十年の年月が経過した今でも、この事件の記憶はアナベルを苦しめ続けている。


フラッシュバック ―アナベルの過去― 完

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