第19話 避けられぬ衝突(Inevitable conflict)

 馬が止まる衝撃で、ティムは目を覚ました。

 思考がぼんやりとしたまま、周囲の様子を窺う。すると、少し先にある小高い岩場のふもとに、馬に跨った兵隊の群れが集まっているのが分かった。三つ葉の紋章が入ったエンジ色の軍旗が掲げられている。


「あれはヘーゼルガルド軍じゃないか」

「一体ラークハイム領にまで来て何をやっているんだ」

 ラークハイムの兵士たちがざわつき始める。


「ヘーゼルガルド軍だって!」

 ティムは、息を飲んだ。


 よく見てみるとヘーゼルガルド軍が集まっている岩場の頂上付近に人影があるのが分かる。しかし、その人影は大人にしては余りにも小さい。にも拘わらず、顔は濃い髭に覆われている。背は小さいが、子供ではないのは明らかだった。


「あれは、ドワーフ・・・」

 セラフィニはそう呟くと、大声で指示をした。

「皆の者! あの岩場まで向かうぞ!」


「ちょ、ちょっと待って!」

  咄嗟に制止すると、ティムは哀願した。

「トロルに近付くぐらい何でもないけど、ヘーゼルガルド軍に近付くのだけはどうかご勘弁を・・・」


「安心してくれ、君たちのことはラークハイムが守る。さあ、行くぞ!」


 ティムの懇願をいとも爽やかに却下すると、セラフィニは馬の腹を蹴り上げた。鋭いいななきと共に馬は岩場に向かって走り出す。


 ヘーゼルガルド軍の背後に馬を付けると、一行は止まった。ヘーゼルガルド軍は、背後にいる一行の存在に気付くと一斉にこちらを向いた。


 ラークハイム兵の一人が言う。

「ヘーゼルガルド軍よ! 一体何の騒ぎだ?」


「密入国した異民族の取り押さえだ」

 リーダーらしきヘーゼルガルド兵の一人が、無骨な低い声で答えた。

「ヘーゼルガルドで異民族廃絶の法ができたのはご存じであろう。にも拘わらず、あの上にいるドワーフは無断でヘーゼルガルド領内をほっつき歩いておったのだ。それで捕えようとしたら逃げられてしまってな。こんな所まで来てしまったという訳だ」


「なるほど。そういう事情があったのだな」

 セラフィニは頷くと続けた。

「しかし、ここはもうラークハイム領内。貴国での揉め事を、ラークハイムに持ち込むのはご遠慮いただきたいものだな」


「しかし、このドワーフどもは、ヘーゼルガルドの法を侵したのだ。ここまで追い詰めたからにはすぐに終わらせる。すまぬがここは目をつぶって・・・、うん?」

 ヘーゼルガルド兵は一瞬目を細めると、突然声を荒げた。

「後ろにいるそいつは、ティム・アンギルモアじゃないか!」


「何だって」

「ティム・アンギルモアだ!」

「女二人もいるぞ」

 途端に、ヘーゼルガルド軍がざわつき始めた。


 リーダーの兵士が緊迫した表情で口を開いた。

「貴公らが連れている者たちは、ヘーゼルガルドが追っている脱獄囚だ。この際ドワーフなどどうでもいい。そいつらを我々に引き渡してくれ」


 顎に手を当てると、セラフィニは落ち着いた表情のまま言った。

「悪いが、それはできない。ヘーゼルガルドにとっては罪人かもしれんが、ラークハイムにとっては大事な客人だ。客人を引き渡すことはできない」


 ヘーゼルガルド兵の目つきが険しくなる。

「どうしても渡さないというのか?」


 セラフィニはゆっくりと頷いた。

「どうかご理解いただきたい」


「そういうことなら、致し方あるまい」

 唇を噛み締めながらそう呟くと、兵士は勢いよく剣を抜いた。

「ヘーゼルガルドの為、戦って勝ち得るのみ!」


 それを合図に、ヘーゼルガルド兵全員が一斉に剣を抜いた。同時に鉄の擦れる音が響き渡り、ティムの背筋に寒気が走る。


「ヘーゼルガルド軍よ。気は確かか?」

 セラフィニが、眉間に皺を寄せて問い正す

「このような他愛も無いことでのいざこざは勘弁願いたい!」


「他愛もないことかどうかはこちらが決めること! 争いを避けたければ、脱獄囚どもをこちらに引き渡すのだ。さすれば、剣を収めよう!」


「私は、彼らを守るという約束をした。どんな理由があろうとも、騎士としてその約束を反故にはすることはできない」

 セラフィニは背中に括り付けた大剣に手をかけ、引き抜いた。

「本意ではないが、どうやら剣を交えるしかないようだ」


 セラフィニに習ってラークハイムの兵士も剣を抜き、臨戦態勢に入っていく。


「物分かりの悪い奴め! 皆の者ッ! かかれえーッ!」

 ヘーゼルガルドのリーダーの兵士が剣を掲げて叫ぶ。それ以外の兵士たちは雄叫びと共に、一行に向かってきた。


 セラフィニが言う。

「振り落とされぬように、しっかりと捕まっていてくれ。奴らの狙いは君たちだからね」


「ええ、重々承知してますよ。だからこそ、近付かないでって言ったのに・・・」


「全員、迎え撃てーッ!」

 ティムが涙交じりに呟き終わる頃、セラフィニは叫んでいた。そしてその言葉を合図に、ラークハイム軍は一斉に馬を走らせ、ヘーゼルガルド軍に向かって行く。


 兵士たちの雄叫びがこだまする中、両軍は真正面からぶつかり合った。剣と剣がぶつかり合う音、攻撃をくらった兵士のうめき声、馬から地面に落ちる音。それらが全部一気にティムの聴覚を支配した。セラフィニは重そうな大剣を振って、向かってくるヘーゼルガルド兵を跳ね飛ばした。


 こうなった以上、ティムも意を決して剣で応戦する。横から剣を振りかざして襲ってきたヘーゼルガルド兵の胴体に、ティムはきつい一撃をお見舞いしてやった。攻撃をくらった兵士は、馬からずり落ちて、地面へと落ちていく。


 ソニアもまた、馬に乗るラークハイム兵の後ろに付いて戦いに参加していた。レイピアを手に、近くを通り抜けてくる敵の攻撃をうまく受け流していく。


 その時、ヘーゼルガルド兵がラークハイム兵の背後から斬りかかろうとしている様子がソニアの視界に入った。すぐさまソニアは開いた手を宙にかざし、唱えた。

「氷の刃よ!敵を貫け!」


 ソニアの手の平からは、たちまちナイフのように尖った氷が放たれた。その氷は遠く離れたヘーゼルガルド兵の首に突き刺さり、一瞬でその兵士の息の根を止めた。


 一方のルークは、ただでさえ慣れない馬での移動で気分が悪くなっていたのに、馬に乗ったまま乱戦が始まったことで、もう体力は限界に達していた。


「オエーッ、何で俺がこんな目に合わないといけねーんだよ。こんなのやってらんねーっつーの!」

 そう吐き捨てると、ルークは走っている馬から飛び降りた。


 地面に落ちたルークの体は、そのままごろごろと転がっていく。ようやく身を起こした時には、すぐ前でヘーゼルガルド兵が剣を振りかざして向かってきていた。


 そして今にも敵が斬りかかろうとしていたその時、ルークは溜まらずに嘔吐した。あろうことか、目の前の敵の顔面に向かって。

 ルークの吐いた嘔吐物で、敵の顔面は滅茶苦茶になる。怯んだ敵は、間一髪で動きを止めた。


「ふう、スッキリしたー。って、うおお!」

 やっと目の前に敵がいるのに気付いたルークは、慌てて背中に括り付けた槍を抜き、敵を突き刺した。


 嘔吐物塗れになって崩れ落ちる敵を見て、ルークは首を傾げた。

「あれ?アンタも気分が悪かったクチかい?」


 セラフィニとティムは剣を振り回して、向かってくるヘーゼルガルド兵を次々と倒していく。

 ティムが、向かってきた敵を一人倒してぱっと横に目を向けると、すぐ目の前にもう一人の敵が突進してきていた。咄嗟にティムは防御の体勢を取ろうとするが、敵の攻撃の方が僅かに早かった。かろうじて直撃は免れたものの、衝撃を殺すことができず、ティムは馬から弾き落とされてしまった。


 地面に叩きつけられるティム。ティムの名前を叫ぶセラフィニの声。砂埃の中で重なり合う馬たちのひづめの音。体中に走る鈍痛。


 自分が落馬したことに気付くのには、少しの時間がかかった。そして気付いて目を開けた時には、既に敵兵が、ティムの喉元目がけて剣を突き下ろしているところだった。


 ああ、死んだ。その刹那にティムは確信した。しかし、剣が降ってくるかと思ったのに、実際に降ってきたのは剣ではなく、その敵兵の体だった。

 のしかかってきた兵士をはねのけると、何とその兵士は絶命していた。頭からは斧が生えている。近くに味方は誰もいない。一体誰がやったのか。


 その時、ティムは少し前方で、天から落ちてきた斧が地面に突き刺さるところを見た。ぱっと頭上を仰ぎ見ると、岩場の頂上付近で影が動いているのが見えた。ドワーフだ。ドワーフは身を乗り出して斧を投擲し、ヘーゼルガルド軍に立ち向かっていた。


 視線を少し落とすと、何人ものヘーゼルガルド兵士が、張り付くように岩場を登っている姿が窺えた。岩場のてっぺんにいるドワーフは、彼らが迫って来ていることに気付いていないようだ。


 このままどこかに身を潜めてやり過ごせば、自分は助かる。ティムはそう思った。普段のティムなら、迷わずそうしていたに違いない。しかし、今ティムはドワーフに命を救われたのだ。それがティムを迷わせた。少し考えた後、ティムは落ちていた自分の剣を拾い、岩場へ向かった。


 岩場を登っている兵士の背中はがら空きだった。ティムは、一番手前を登っていた兵士を目がけて剣を振り下ろす。その兵士は、低い悲鳴を上げたかと思うと、力なく岩場を転げ落ちていった。


 しかしその悲鳴を聞いて、その前を登っている兵士たちがティムの存在に気付いた。その中でも一番ティムに近かった兵士が、いきり立ってティムに向かってくる。しかしティムが咄嗟に隣りの岩に飛び移って身を交わした為、その兵士は勢い余って地上に投げ出されていった。


 それでも安心している暇は無かった。数メートル先では、まだ何人ものヘーゼルガルド兵がティムに向かって来ていた。ティムが舌打ちをしながら立ち上がろうとしたその時、人影が飛び出してきてヘーゼルガルド兵を一人、槍で突いた。ルークだった。


「落ちたんなら、どっか隠れてろっつの」

 言いながらルークは、相手の体に刺さった槍を力いっぱい引き抜いた。


 すると、それを見た他の兵士たちは向かってくるのをやめて、逆に岩場を急いで登り始めていた。先に上に着いてドワーフを抑え込み、体勢を整えた方が得策だと判断したのだろう。確かにティムとルークがどれだけ急いだところで、前にいるヘーゼルガルド兵たちを止められないのは明白だった。


「クソッ、どうすれば・・・」


「そうだ、ティム! 魔法を使え!」

 ルークが喚く。


「魔法だって?」


「前見せてくれただろ!」


「・・・そうか。その手があったか!」

 ティムは右手を突き出すと、唱えた。

「暴風よ、吹き荒れろ!」 


 一瞬、何も起こらないんじゃないかとティムは思った。しかしすぐに強烈な突風が岩場を襲い、ティムとルークは岩にしがみ付いた。一方で、突風の直撃を食らったヘーゼルガルド兵たちは、そのまま吹き飛ばされて、一人残らず地上へと落ちていった。


「よし、うまくいった!」

 ティムは力強く頷くと、しっかりと岩を掴みながら岩場を登って行った。ルークもその後から続く。


 ようやく岩場のてっぺんに手をかけたティムは、ぐっと力を込めて全身を引っ張り上げた。てっぺんでは、ずんぐりで髭もじゃのドワーフが、ハンドアックスを投擲しながら慌ただしく動き回っている。しかし二人の存在に気付くと、ドワーフは動くのを止め、二人に視線を向けた。


「安心してくれ、僕たちはヘーゼルガルド兵じゃない」

 ティムは剣を置いた。

「あなたに危害を加えるつもりはないんだ」


「でもラークハイム兵でもなさそうだ。一体何者だ?」

 鋭い目つきで、ドワーフが尋ねた。焦げたようなダークブラウンの髭を蓄えた、若いドワーフだった。

「僕たちは、ヘーゼルガルドから追われている者です。訳あって、今はラークハイム軍と行動を共にしています。とにかく、あなたの敵じゃない」


「何しにこんな所まで来たんだ」


「何しに、だって!」

 ルークが素っ頓狂な声を上げる。

「岩場に張り付いてたヘーゼルガルド兵たちをぶっ倒したのはこのオレたち・・・」


「ルーク! 黙ってろ!」

 ティムはそういなした後、ドワーフの両腕が血で真っ赤に染まっていることに気付いた。

「ケガしているんですか。腕が血塗れだ」


「俺の血じゃない」

 低く呻くように言うとドワーフは、後ろを見やった。そこにはドワーフがもう一人、岩の上で横たわっていた。


 ティムは倒れているドワーフの所に駆け寄った。そのドワーフのいる所を中心に、岩は血で赤く染まっていた。


「この人は・・・」


「奴らにやられたんだ。あのヘーゼルガルドとかいう奴らにッ・・・」

 若いドワーフが悔しそうにそう言った時、地上から大きな声が聞こえてきた。


「全軍に告ぐッ! 退却、退却だあッ!」


 ティムたちは身を乗り出して地上を見た。すると、そこにはヘーゼルガルドの軍旗を持った兵士たちが、岩場付近から一斉に離れていく姿があった。



 そこには砂埃と戦死者の亡骸だけが残された。時折吹く乾いた風が、空虚な音色を奏でている。


「ティムくんはいたか」

 セラフィニが周囲の確認に行っていた兵士に聞いたが、その兵士は力なく首を振るだけだった。


「そ、そんな・・・」

 その兵士の後ろに座っていたソニアは震える声でそう言うと、思わず大きな声で叫んだ。

「ティムーッ!」


「ソニアーッ!」

 すぐに返事が返ってきた。声の聞こえてきた方を見やると、岩場の上でティムが両手を振っていた。


「ティム! 良かった、無事だったのね!」

 安堵の余りに泣きそうな声でそう言うと、ソニアも笑顔で手を振った。


 セラフィニも、ティムの姿を確認し、ほっと息を吐いた。


「ちなみに、オレも無事だーッ! 心配ありがとう!」

 ティムの横で、ルークも両手を振っている。


「ティムくん! ケガは無いか!」

 セラフィニが大声で尋ねる。


「はい、大丈夫です!」

 そう答えた後、ティムは傷ついたドワーフを見やり呟いた。

「俺はな・・・」


「ああ、クレアよ。何てことだ・・・」

 若いドワーフは泣きながら、傷ついたドワーフをひしと抱き寄せた。


 クレア。ということは、このドワーフは女なのか。


 ティムは、改めてそのクレアと呼ばれたドワーフの顔を見た。顎は豊かな銀色の髭に覆われていたが、口周りは髭一本生えていなかった。肌の色も白く、顎髭があるところ以外は完全に女性の顔だった。


 ティムはクレアの口元に耳を近づけた。呼吸音が聞こえてくる。

「息をしてる。まだ生きてるよ」


「生きているって言っても、この傷だ。手当てできる場所に着く頃には、もう・・・」

 若いドワーフが弱々しく呟く。


「だったら、ここで死んでいくのを、指を咥えて見てるつもりなのか? とにかく、下へ運ばないと」


 ティムは、クレアの体を両手で掴み上げた。


「待て。俺が運ぶ」

 若いドワーフは立ち上がると、クレアの体に触れた。


「あなたの名前は?」

 ティムが聞く。


「ハンズィーだ」


「ハンズィーさん、あなたの体は小さいでしょう。僕なら簡単に運べる。無理しない方がいい」


「自分で運びたいんだ。この岩場を登った時だって、俺が運んだんだぞ。自分でできる」

 そう言って、ハンズィーはティムの手からクレアをひったくると、両手で抱えてみせた。


 こうして、ティムたちはゆっくりと岩場を下りていった。ハンズィーがちゃんと落とさずに下りられるかをティムは冷や冷やしながら見ていたが、思いの他、ハンズィーは無事に下りきった。


 セラフィニたちのいる所まで来ると、ハンズィーはクレアを地面に置いた。


「そのドワーフは?」

 傷ついたドワーフを覗き込むようにして、セラフィニが呟く。


「俺の女房を助けてくれ!」

 ハンズィーは、震える声で哀願した。


「ケガをしているんです」

 ティムはドワーフをうつ伏せに動かすと、背中の傷を見せた。

「背中に深い傷を負っている。かなり出血していて、意識が無い」


 セラフィニは、真剣な表情でその傷を見定めると首を振った。

「もう虫の息だ。すぐに手当をしても助かるかどうか分からない」


「ここから一番近くの村はどこに?」


「早馬を飛ばしても、一時間くらいはかかる」


「それじゃ、絶対に間に合わないじゃないか!」

 ティムは頭を抱えた。


「ああ、残念だがあなたの奥さんはもう・・・」と、セラフィニが切り出したその時。


「あたしに見せて」

 背後から声がした。アナベルだ。アナベルは、馬からぴょんと飛び降りると、傷ついたドワーフのところに歩み寄ってきた。


「アナベル、どうしたんだよ急に」

 ティムが怪訝そうに尋ねる。


「実はあたし、回復魔法が使えるんだ。確かに酷い傷だけど、まだ治せると思う」


「そりゃ本当かい?」

 ティムは喜んで、横でうなだれていたハンズィーを見た。

「良かったなあ、ハンズィーさん!」


 しかしアナベルを見たハンズィーは、喜ぶどころか、一気に険しい表情になり、声を荒げた。

「その尖った耳・・・、貴様、エルフだな!」


「はあ?」

 ハンズィーの攻撃的な反応を見て、ティムは思わず拍子抜けした。

「アナベルはエルフだけど、どうかしたの?」


「どうかしたの、だと?」

 ハンズィーは両手を広げると、血相を変えてまくし立てた。

「エルフは俺たちドワーフの同胞たちをたくさん殺し、長年ドワーフが住んできた土地からドワーフを追い払った! だから俺たちドワーフは、エルフのことが大っ嫌いなんだよ! ハビリスはそんなことも知らないのか?」


「いや、遠い昔に戦争してたことは知ってるけど」


「遠い昔って程じゃない。ほんの二百年前だ」


「二百・・・大昔の話じゃないか!」


「ドワーフの寿命はハビリスの三倍と聞く」

 セラフィニは腕を組むと、呟いた。

「となると、我々ハビリスの時間感覚からすると、およそ七十年程か」


「七十年前だって、十分大昔だよ」

 ティムはそう言うと、焦れったそうにボサボサ頭を搔きむしった。

「というか、そんな話はどうでもいい。今はそんな感情論に囚われている場合じゃないんじゃないの。奥さんを助けたいのか助けたくないのか、どっちなんだ」


「もちろん助けたい」

 眉間に皺を寄せながらも、迷わずハンズィーは頷いた。


 呆れたように溜息を吐くと、ティムはアナベルを見た。

「ということらしい。治してやってくれないか」


 呆然と立ち尽くしていたアナベルは、ティムのその言葉で我に返ったようだった。

「う、うん。任せて」


 アナベルは傷ついたドワーフの横に膝をつくと、腹部のあたりに両手を重ねて目を閉じた。

「我が祈り・・・清らかなる愛の温もりとなりて、汝の傷を癒さん・・・」


 呪文を唱え終えると、アナベルの右手元から白い光が漏れ始めた。そして次の瞬間、ドワーフの体から砂のような小さな光がきらきらと浮かび上がってきた。その数は徐々に増えていき、やがて全身が白く輝き始めた。


 時間にしておよそ一分くらいだっただろうか。ドワーフを包んでいた白い光は、潮が引いていくように消えていった。光が完全に消えて無くなると、アナベルはゆっくりと手を離した。


 すると、何ということか。瀕死の状態だったはずのドワーフは、ゆっくりと目を開けた。そして、むくりと上体を起こしたのだった。


「クレアッ!」

 ハンズィーが駆け寄り、クレアの肩に手を回す。

「お前、もう大丈夫なのか!」


「私・・・一体何を・・・」

 クレアが呟く。まだ意識が朦朧としているようだった。


「傷は?」

 ティムはばっとクレアの背中を見た。僅かに痕は残っているものの、傷は見事に塞がっていた。

「すごい、あんなに深かったのに」


「クレア、良かった。良かったなあ・・・」

 ハンズィーは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、クレアを抱き締めていた。


 アナベルは歓喜に満ちたドワーフを見ると、ゆっくりと腰を上げた。しかし立ち上がると同時に、アナベルはふらりとバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。


「アナベルッ」

 すぐ後ろに立っていたソニアが、倒れたアナベルに駆け寄る。


「イテテ・・・」

 ソニアの手を借りて、アナベルはすぐに立ち上がった。


「アナベル、大丈夫か」

 ティムが心配げに尋ねる。


「うん、ちょっと立ちくらみしちゃっただけだよ。へーき、へーき!」

 明るくそう言うと、アナベルはにっこりと笑ってみせた。


「あれだけの傷を治したんだから、かなり体力は消耗してるはずだわ。今日はもう無理しちゃダメよ」

 ソニアは、アナベルの背中をさすってやった。


「ハビリスの皆さん」

 起き上がった妻の手を取りながら、ハンズィーがかしこまって切り出した。

「あなた方には何と礼を言っていいのか、分からん。とにかく、俺たち二人の命を助けてくれたこと、心から感謝している。ありがとう。ほら、クレアもお礼を言うんだ」


 ハンズィーに促され、クレアは俯きながら小さい声で「どうもありがとう」と言った。


「女房は人見知りでな。ドワーフ同士でもそうなのに、お前さんたち異民族だから、恥ずかしがってるみたいだ、ハッハッハ」


 続いてハンズィーは、アナベルをちらりと一瞥すると、一つ咳払いをした。

「妻の命を助けてくれたことには感謝する。一応礼は言っておくからな」


「ちょっと、何よその言い草!」

 ソニアが刺々しい口調で声を上げた。


「いいよ、ソニア・・・」

 すぐにアナベルが宥める。


「いいえ、アナベル。これは最低限のマナーの問題だわ」


「ううん、本当に大丈夫。あたし、気にしてないからね?」


「信じられないわ。アナベルはこんなにふらふらになるまで、あなたの奥様の為に頑張ったのよ。それなのに、そんな」


「だから、大丈夫って言ってるでしょ!?」 

 突然アナベルは、不快感を剥き出しにして叫んだ。


 天真爛漫を地で行くようなアナベルが感情的に取り乱したことに、その場にいた誰もが驚いた。当然、その場は水を打ったように静まり返る。


「ア、アナベル・・・?」


 ソニアに呼び掛けられ、アナベルははっと我に返った。すぐに笑みを作ると、明るい口調で言った。

「あ・・・ごめん。でも本当にあたし大丈夫だから。気にしないで」


 一つ息を吐くと、セラフィニはハンズィーに尋ねた。

「それで、ドワーフよ。これからどうするつもりなんだ」


「ここから東に三マイル程離れた所に、馬車を置いてきた。荷台付じゃ速く走れないもんだから、置いて逃げてきた。それを取りに行った後は、故郷に帰る」


 セラフィニはふむふむと頷くと、再度尋ねた。

「そもそもドワーフがこんな所で何をしていたんだ?」


「俺は、商売人でね。ドワーフの作った丈夫な鉄製品を売る為に、ハビリスの町を回っていたんだ。一か月間売り続けて、ようやく売り尽くしたと思ったら、このザマだ」

 ハンズィーは忌々しげに舌打ちをする。


「それはお気の毒に。他国の行いとは言え、同じハビリス。ハビリスを代表して、お詫び申し上げたい。申し訳なかった」

 そう言うと、セラフィニは頭を下げた。


 突然の謝罪に、ハンズィーはきょとんとして首を傾げた。

「あんた、妙に律儀だな。権威者か何かか?」


「私の名前は、セラフィニ・ラークハイム。ラークハイム王国の王子だ」


「やはり、そうか。あんたがいなかったら、俺たちは殺されていただろう。本当にありがとう」

 そして、今度はティムの方を見る。

「あんた、確かティムって言ったなあ」


「ああ」

 ティムが応じる。


「あんたは、一番命を狙われていたはずだ。しかし、あんたは自分の命も顧みず、岩場に溜まっていた敵から俺たちの命を守ってくれた。この感謝の気持ち、ドワーフは一生忘れんぞ。ありがとう」


「あ、ああ」

 直接礼を言われ、ティムはくすぐったい気持ちになった。しかし悪い気はしない。実はティムの方が先に命を助けられているのだが、それは言わなかった。


 ハンズィーは穏やかな笑みを浮かべた。

「お前さんらは、これからどうするんだ?」


「私たちも国に戻る。元々巡回を終えて、国に戻る道中だったんでな」

 セラフィニが答える。


「そうかい。じゃあ、俺たちはもう行くとしよう。厄介なことに巻き込んじまってすまなかった。縁があればまた何処かで会おう」

 そう言うと、ハンズィーは踵を返して歩き始めた。その背後からクレアも付いていく。


 しばらくの間、少しずつ遠ざかっていくドワーフの後ろ姿を見た後、セラフィニは一つ深呼吸して言った。

「我々も発とう。日没までもう余り時間が無い」





 ティムたちは再び風となり、荒野を駆けた。日が傾いてきているせいか、若干気温も下がってきている。ティムは時折かじかんだ手に吐息を吹きかけながら、過ぎゆく景色を眺めていた。


 どれくらい経っただろうか。暗んできた遥か前方の空の下に、暖色の明かりに包まれた山岳都市が見えてきた。近づくにつれて、それはよりはっきりとした形となる。それはまるで、戦いに疲れ果てた一行を出迎えているかのように見えた。


 山岳が切り開かれてできているその町は、平地よりも遥かに高い所にあった。目の前まで来るとそこには町の中へと続く長い石階段があったが、一行は更に町を囲うように伸びている別の道を行った。勾配の大きいその坂道を駆け登っていくと、やがて一行は城の門の前まで辿り着いた。


 目の前まで来ると、ティムはその城の高さに面食らった。先細い城の頂上は、昼と夜が入り混じった薄紫色の空を貫いているかのようだった。


 馬から降りると、セラフィニは連れの兵士たちに告げた。

「皆、ご苦労だった。今日はもう休むがいい」


 そして、今度はティムたちに向き直る。

「君たちは、私に付いて来てくれ。王の元へ案内しよう」

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