第17話 新たな友情の芽生え(Start of new friendship)

「ええ? 一つも石持ってねーの?」


 村を出て荒野を歩き出してから数分、ルークが素っ頓狂な声を上げた。

「一個くらいあるのかと思ってたんだけどなあ」


「これには深い事情があるんだよ」

 砂利と雑草を踏みしめながら、ティムが溜息混じりに呟く。


「事情?」


「私たち、全部で四つ、石を持っていたのよ」と、ソニア。

「でも、ヘーゼルガルドの王に没収されてしまったの。抵抗した私たちは、罪人として処刑される寸前だった」


「でも、何とか逃げてこれたんだよね。ラッキーでしょ?」

 アナベルが歯を見せて笑った。


「うひぃー。何つー危険なことやってんだ」

 ルークは表情を引きつらせた後、続けた。

「それで、どうするあてもなくなって、仕方なくエルフに頼ろうって考えた訳か」


「言い方が若干カンに障るけど、まあそういう状況だよ」と、ティム。

「そういうお前はどうなんだよ?」


「んー? どうって?」


「何の為に旅してるんだ?」


「ああー」

 ルークは面倒臭そうに首を掻いた。

「何の為にでもねえよ。ガキん時からこんな感じだった」


「何、それ?」

 ソニアが聞く。


「俺は孤児だったのさ。だから、生活拠点が無い。だからこうしてエルゼリアをほっつき歩いてるだけ。まあ、野良犬みたいなもんだ」


「そうなんだ。大変だねえ」

 アナベルが気の毒そうに眉をひそめる。


「親の顔は見たことあるの?」

 ティムが聞く。


「あるんだろうが、記憶には無いねえ。とりあえず物心ついた時には、もう一人だったからな」


「へえ」

 ティムは目を細めて、歩みを緩める。

「俺も親の顔を覚えてない。俺が小さい時に二人とも死んじゃったんだ」


「ああ、そうなのかい?」

 ルークは少し驚いたような顔をした。

「まさか身なし子仲間と出会えるとは、奇遇だねえ。じゃあ、何だ? あんたも今まで一人で生きてきたのかい?」


「いや、俺の場合は住んでる村の人たちが、面倒見てくれたんだ」


「ちぇー、なーんだ。独りぼっちは俺だけかよ」

 ルークががっくりと肩を落とす。

「本当に俺はついてねえ男だ」


「でも、ルーク。お前は強いな。俺は村の人たちがいなかったらって考えると、ものすごく怖いよ」


「まあ、俺にとっちゃこれが当たり前だからなあ」

 ルークは、頭を掻いた。


「そんな小さい時から一人だなんて、今までどうやって生きてきたんですか?」

 ソニアが怪訝そうに言う。


 ルークは答えた。

「染み抜きだよ、染み抜き」


「しみぬき?」

 アナベルが首を傾げる。


「アナベル、染み抜き屋を知らないの?」

 ソニアは目をぱちくりさせた。

「染み抜き屋っていうのは、その名の通り、洋服の染みを取る仕事をしている人のことよ。普通にお洗濯しただけじゃなかなか取れない染みを取ってくれるの」


「へえー、そうなんだ!」


「知らないってことは、エルフの里には染み抜き屋がいないのかい?」

 ルークが尋ねる。


「いないねー。もし染みができても、自分で洗ってきれいにするよ」


「まあ、そういうこともできない訳じゃないからね」

 ソニアが苦笑する。


「はぁー。だから染み抜き屋は商売上がったりなんだよー」

 ルークが大きく溜息を吐く。

「みんな手間かけて自分でやっちゃうんだもんなー。俺がやったら染みなんて一瞬で取れちゃうのによー」


「へえー。そうなんだ。じゃあ今度、あたしの服の染み抜き、お願いしてもいい?」


「おっ。マジかい」

 アナベルの言葉にルークの表情が輝く。

「ようし、分かった。洋服一枚につき八ルーンで、仕立てたばかりの状態にしてやるぜ」


「えー? それは高過ぎるなあ。あたしやーめよっと」


「ちょ、ちょっと待て!」

 ルークが慌て出す。

「分かった。七ルーンでどうだ?」


「それでも高いよ。三ルーンなら頼んでもいいけどなあー」


「さんっ・・・ふ、ふざけんなよ。そんなショボい仕事してたら食いっぱくれるわっ」


「ふーん。じゃー、いいもん。自分でやるから」


「くぅー。分かった。三ルーンね、トホホ・・・」


「しっかり値切られちゃったわね」

 ソニアが同情の視線を向けながら、苦笑いを浮かべた。





 昼にケンシントンの村を出てから一行は歩き続け、日没前には夜営の準備に入った。ティムとルークが薪を取りに行ってくれるということなので、ソニアとアナベルは食事の用意をすることにした。今日の献立は、そら豆と玉葱のスープだ。


「うう~、痛い~」

 地面に膝を付けて、木のまな板で玉葱を刻んでいたアナベルが、目尻を押さえる。

「いつもならこんなに痛くないのに。包丁がなまってるせいだよね、きっと」


 返事が返って来ないので、アナベルは横にいるソニアを見やった。ソニアは、鍋を拭いていた手を止めてぼんやりとしている。どうやら話が聞こえていなかったようだった。


「ねーねー、ソニアー」

 アナベルがソニアの肩を揺らす。


「あっ・・・何?」


「ソニアどうしたの? 何か考え込んでるみたい」


「ああ、うん。別に大したことじゃないよ。ただ・・・」

 ソニアは視線を落とした。

「ティム、元気無いなって思ってね」


「ああ~、うん。確かにそうだねえ。やっぱり、ライアンのことがあったからだね。そんなにすぐに元気にはなれないんだろうね」


「そうだね。親友にあんな形で裏切られちゃったんだもんね」

 言いながらソニアはもう一度鍋を拭き始める。

「でも、元気の無いティムを見てるのは辛いな。できることなら私が元気にしてあげたいけど、どうすればいいのか分からないよ」


「そうだねえ・・・」

 アナベルは腕を組むと、うーんと唸った。


 そんな話をしている内に、ティムとルークが帰ってきた。


「さぁ~て。飯だ飯だあ!」

 抱えている薪を乱暴に地面に置くと、ルークはその場にどさりと座り込んだ。

「じゃあアウトドア生活のプロ、ルーク様が華麗に火を起こしてやろう」


 ルークが、背のうから意気揚々と火打ち石を取り出す。


 しかしアナベルが「そんなことしなくてもいいよ」と告げ、薪に人差し指を向けた。

「夜闇を照らす儚き火よ、我が指に宿れ!」


 すると薪の中が微かに赤く光ったかと思うと、細長い煙が立ち上り始めた。


「マージかい・・・」

 目の前で起こった超常現象に、ルークが舌を巻く。

「なるほど。俺のアウトドア経験は、物を言わないってえことね・・・」


「そんなことないさ。魔法は体力を使うから、何でもかんでも魔法でやれるものじゃない」

 ティムはそう言うと、思い出したように言った。

「そうだ。今日からまた魔法の練習をしないと」


「それは無理でしょう、ティム」

 革の袋に溜めた水を鍋に注ぎながら、ソニアが言う。

「だってサファイアが無いじゃない」


「あっ、そうか。そうだね」

 ティムが残念そうに表情を曇らせる。

「ちぇっ。ついこないだまで魔法使いこなせてたのになあ」


「使いこなせてた? 本当かよ?」

 ルークが疑わしげな目でティムを見る。


「本当だよ。こんなふうに呪文を唱えればね」

 ティムは目を閉じると、呪文を唱えてみせた。

「暴風よ、吹き荒れろ!」


 すると、どういうことか。木々が枝葉を微かに揺らし始めたかと思うと、一行の間に強風が吹きつけてきた。


「バッ・・・」

 咄嗟にルークが、火が消えないように体で壁を作る。しかし風の勢いが強すぎて、ルークは顔面から火の中に突っ込んで行ってしまった。

「だあぁーっ! あっちいー!」


 ソニアとアナベルも、身の回りの物が飛ばされないように手で押さえている。


 十秒程して、ようやく風は止んだ。


「ど・・・どういうこと?」

 綺麗な長い黒髪がぼさぼさになってしまったソニアが、唖然として呟く。

「守護神石の共鳴を利用して魔法を覚えた場合、守護神石がなければ何も魔法は使えないはず。一体どうして・・・」


「そんなこと言われても、一番驚いてるのは俺自身なんだけど・・・」

 ティムは指で頬をポリポリと掻いた。


「威力も申し分ないわ。こんなことって・・・」


 丁度その時、ティムがふらっとバランスを崩して地面に倒れ込んだ。


 すぐさまソニアが駆け寄る。

「ティムッ! 大丈夫?」


 ソニアの手を借りず、ティムは一人でゆっくりと起き上がった。

「うん、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだよ」


「やっぱり石が無い分、体への負担は大きいんだわ。それも暴風だなんて・・・」


「そうだね。それにしても石が無いのに普通に魔法が使えるのはやっぱり変だよね? ティムはサファイアの力で魔法を覚えたのになあ」

 アナベルがうーんと唸る。


「あ、あのー。お取込み中すみませんが・・・」

 ルークが気まずそうに手を振って、存在を主張する。

「俺思いっきり顔面火傷したんだけど・・・?」


「あっ。そうだね。大丈夫?」

 アナベルが気の毒そうに言う。


「大丈夫じゃねえよお~。痛えよぉ~。助けてぇ~。しくしく・・・」


「ホントだ。ちょっと顔が赤く腫れてるね。ソニア、氷魔法で冷やしてあげなよ」


「そうね。火傷は冷やすのが一番だものね」

 そう言うとソニアは、呪文を唱え始めた

「凍てつく白い息吹よ・・・命のぬくもりを奪え・・・」


「え? ウソ? マジ? ちょっ・・・ちょっと! 待って待って!」

 ルークが焦って、引きつった笑顔を作って見せる。

「あれれ? 急に痛くなくなった。もう大丈夫だ!」


「あっはっは!」

 それを見ていたティムは、大きな笑い声を上げた。

「ルーク、お前は面白い奴だな」


「ちぇーっ。やっぱり俺はついてねえ・・・」


 しょげるルークを見て、今度は一同一斉に笑った。

 笑いながらソニアは、さりげなく笑っているティムの顔を見る。そしてそれを見たソニアは、嬉しくて思わず微笑んでしまうのであった。





 夜闇に包まれた荒野は、とても静かだった。時折吹く風が砂を飛ばす音だけが、乾いた音を鳴らしている。

 歩き疲れた仲間たちがすうすうと寝息を立てている中、ティムは一人眠れずに焚き火の炎をぼんやりと見つめていた。静かであれば静かである程、余計に寝付けなかった。静寂は、ティムに思考を止めさせない。仲間と談笑している時は楽しいけれど、一人になると、どうしてもヘーゼルガルドでのあの出来事を思い出してしまうのだった。


 その時、すぐ横から物音が聞こえた。ルークが起きたようだ。寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりと上半身を起こす。そのまま体勢を少し変えてすぐまた横になろうとしていたが、ティムが起きていることに気付くと、「何だ、まだ起きてんのか」と呟くように言った。


「何か眠れなくてね」


「眠れないってこたあねーだろ。朝からずっと歩いてんだ。普通はバタンキューだぞ」


「まあ、ちょっと考え事さ」


「考え事お? こんな時間にそんな考えることがあるのかよ」

 ルークは伸びをしながら、大きくあくびをした。

「何か悩み事でもあんのかあ?」


「いや別に悩んでるとかじゃないんだけどさ」


「何だ何だ。話してみろよ」


 ルークに言われるがまま、ティムは話し出した。ライアンというかけがえのない親友がいたということ。そのライアンが自分を裏切ったこと。今は自分の父親を殺した張本人の下で働いていること。全てを話した。


「あんなに信頼していたのに、目の前で裏切られたんだ。もう俺は誰を信じていいのか分からないよ」


「くっくっく・・・」

 ルークが喉を鳴らして笑い出した。


「何で笑うんだよ?」


「だってさ、当たり前のことだろ。その状況なら裏切るに決まってる」


「そんなことないよ。あんな状況でも、あいつは俺を見捨てるような奴じゃないんだ。これまでだって、俺はあいつに何度も助けられてきた」


「でも今回は助けてくれなかったんだろ。それが事実なんだ」


「だから、意味が分からないんだ」


「ちょっと待て、お前。意味は分かるだろう」

 ルークが前にぐっと身を乗り出す。

「そのライアンって奴は、ヘーゼルガルドのことが何よりも大事なんだろ。だったら、ヘーゼルガルドの為にお前のことを裏切るのは、当然だ」


「・・・」

 何も言い返せずに、ティムは押し黙る。


「どれだけそいつのことを信頼してたのか知らねーけどさあ、人間って生き物は、結局自分が一番可愛いんだって。自分さえ良けりゃ、他の奴がどうなろーと知ったこっちゃねーのさ。だから、ハナから誰も信頼しないのが一番ッ! 俺はそういう考え方だ」


「へーえ」

 ティムは白けたような声を出すと、悪戯っぽく笑みを浮かべて言った。

「お前、今までロクな友達がいなかったみたいだな」


 ルークは少し黙った後こう言った。

「俺は友達がいたことがない」 


 思わずティムはルークの方を見た。ルークは涼しい表情で生の薪を焚き火の中に放り込んでいたが、ティムの視線に気づくと更にこう言った。

「何だ何だ。考えりゃ分かるだろ。何の身よりも無い孤児だった俺に、友達なんてできる訳ねえっつの。それどころか貧しいし汚ねえし食い物は盗むし、これ以上ないっていうレベルの嫌われ者だったぞ」


 そう淡々と語るルークの横顔をティムはしばらく見つめていたが、突如腹を抱えて笑い出した。


「ん、何が可笑しいんだよ」


「ルーク、お前・・・」

 笑いを堪えきれず、喉を鳴らしながら言う。

「滅茶苦茶可哀想だな」


「はいはい、どうぞ好きなようにバカにして下さいよホント」

 ルークは、溜息とも欠伸とも取れない息を漏らした。

「で、さっきの話だけどさあ。気に病むことはないと思うぜ。そいつにはそいつの人生があるんだからよ。お前は気にせずに、お前の人生を送ればいいんじゃねーの?」


「なるほどね。そこまで割り切って考えられなかった」


「なーに。簡単なことよ。他の何よりも自分のことを信じるだけでいい。そうすれば、どんな時だって悠然と構えてられるもんだ」


「そうだな。確かに俺は自分を見失ってしまっていたのかもしれない。ライアンのことはショックだったけど、あいつにはあいつの生き方があるんだもんな。俺もくよくよしてないで、自分の人生を生きないといけないね」

 そう話すティムの顔には、自然な笑みが浮かんでいた。


「そういうことだ。ふぁ~あ。ねみー」

 ルークは再度大きく伸びをすると、ごろりと横になった。


「ルーク」


「あん?」


「俺が、ルークの最初の友達だな」

 そう言うと、ティムはにかっと笑った。


「お、おお」

 こそばゆくなって、思わずルークは背を向けた。こんなことを言われるのも、勿論生まれて初めてだったのだ。


 それから間もなく、二人は揃って寝息を立て始めた。既に寝入っていたソニアとアナベルは、より一層深い眠りへと落ちていく。夜は更に更けていき、荒野には静けさが戻った。





「おいっ! 行ったぞ!」

 茂みから飛び出すとティムは、慌てて逃げ出すウサギを指差した。


「ヒャーハー! 今度こそ頂いたぜ!」


 反対方向に待機していたルークが、目を血走らせながらウサギに飛びかかる。そして、その両手は見事にウサギを捕えた。ルークの手の中で、ウサギは何とか逃げおおせようと暴れ始める。


「てめっ、この野郎。大人しくしやがれっ!」

 ルークは両手でウサギの首を押さえ込むと、ポキリとへし折った。途端にウサギは絶命し、ピクリとも動かなくなる。

「よし、今日の晩飯ゲット」


「久々にご馳走が食えそうだな」

 ルークのところへ駆け寄ると、ティムも満足そうに頷いた。


 昼下がりの眩しい日差しの下、一行は枯れかかった草が乱雑に生い茂っている荒地を進んでいた。ティムとルークがウサギに目を光らせていた間に、ソニアとアナベルは既に先を歩いていた。地平線の手前にある二人の背中は、もう大分小さくなっていた。


 ティムとルークは、ソニアとアナベルのところまで駆け足で向かう。


 二人のすぐ後ろまで来ると、少し息を切らしながらティムが言った。

「見て! 捕まえたよ」


 ソニアとアナベルが、立ち止まって振り返る。

 ルークはウサギの耳を片手で掴んで、上に上げて見せた。


「うわあー。すごーい」

 アナベルが目を丸くして、ウサギをしげしげと眺めた。

「ウサギってすばしっこいのに、よく捕まえれたね」


「すごいだろ。ウサギの捕まえ方はルークに教えてもらったんだ」

 ティムがルークを親指で指すと、ルークは得意げに胸を張った。


「どうやったの?」


 ルークが説明する。

「ウサギってーのはな、前足が短くて後ろ足が長いだろ。だから下り坂よりも上り坂の方が速く逃げれるんだ。ウサギ自身もそれを知ってるから、逃げる時は、上り坂に向かって逃げ出す。今回は、ティムがウサギを脅かして、ウサギが逃げてきたところを、坂の上で待機していた俺が捕まえたってえ寸法さ」


「ほほお。さすがアウトドアのプロだね」

 アナベルは感銘を受けたように、うんうんと頷いた。


 一方、ソニアは対照的に表情を曇らせていた。

「ちょっと、ルーク。そんなに可愛いウサギちゃんを殺したの?」


「当たり前だろ。今日の晩飯なんだから」


「そんな、可哀想」

 ソニアが悲痛な面持ちで、ぐったりとうなだれるウサギを見やる。


「可哀想だあ~? ケッ!」

 ルークが白けた顔でソニアを見た。

「こっちが生きる為に殺したんだ。可哀想もへったくれもねえ」


「ひどいこと言うのね。あなたの為に殺されたウサギを哀れむ気持ちはないの?」


「じぇ~んじぇん、なぁ~い」

 そう言いながらルークは、両手の親指を鼻に入れて舌をべろべろと動かして見せた。


 それに憤慨したのはソニアだ。

「サイテー。やっぱり育ちが悪いと、心も貧しくなるのね」


「あーん? 何か文句あんのかい?」

 ルークも目を吊り上げる。


「は~い、そこまで!」

 アナベルが、ヒートアップしてきた二人の間に割って入る。

「ほ~ら、旅は楽しくしないとね。ほら、イッチ、ニー、イッチ、ニー」

 アナベルは二人と腕を組みながら、スキップを始めた。


 そんなアナベルに毒を抜かれた二人は、ひとまず怒りの矛を納めることにし、再び歩き始めたのだった。





 ところが、事がぶり返したのはその晩だった。あれだけウサギを殺したことを非難していたソニアが、そのウサギのローストをぺろりと完食したからだ。


「なあーにが『可哀想』だよ」

 今晩の夜営場に横たわっていた巨大な岩にもたれながら、ルークがそう言い放った。


「お腹空いたら、食べるしかないでしょ」

 ソニアがきまり悪そうに、目の前の焚き火の炎に視線を落とす。


 柔らかな草むらで寝転がりながらそのやり取りを聞いていたティムが、笑いながら言った。

「無理もないさ。新鮮な肉なんて、ずっと食べてないんだから」


「ったく。だったら最初っから、いちゃもん付けてくんなよな」


「でも・・・」

 ソニアが俯きながら言う。

「あんなの見せられたら、やっぱり可哀想って思っちゃうよ」


 ティムが言う。

「まあ豚とか鶏と違って、ウサギって可愛いからな」


「おいおい、ティム」

 ルークが素っ頓狂な声を上げる。

「お前がそんなに甘やかしたら、どんどんタカビーになっちまうぞ」


「失礼ね。可哀想って言っただけなのに」

 ソニアが口を尖らせる。

「それに、ティムは自分の気持ちを言っただけなんだから。甘やかしてるとかじゃないんだからね。ねえ、ティム?」


「いやあ、うーん、まあ・・・」

 ルークのじれったそうな視線を気にしながらも、ティムが頷く。


「やーれやれだぜ・・・」

 ルークは呆れた様子で、夜空を仰いだ。


「そう腐るなよ、ルーク」

 ティムは上体を起こすと、ルークの肩にぽんと手を置いた。

「一悶着あったけど、こうしてみんなで美味しく新鮮なウサギのローストを食べれたんだ。それでもういいだろ」


「本当だぜ。感謝しろってんだ」

 ルークはぶつくさとそう言うと、少し胸を張った。


「本当においしかったよ。ルーク、ごちそうさま」

 アナベルは、きれいに骨だけが残った鉄皿を置くと、無邪気に微笑んだ。

「じゃあ、今日はティムとルークが料理作ってくれたから、あたしとソニアでお皿拭いてあげるよ」


「いや、いいよ。俺とルークでするから」と、ティム。

「今日は、全部俺たちに任せてよ」


「えー、いいの? ありがとう」


「お前、勝手に決めんなよな・・・」


 面倒臭そうにぼやくルークを尻目に、ティムはぴょんと飛び起きると、皿をがしゃがしゃと重ね始めた。

「ほら、ルーク。あっちの方でやるぞ」


 颯爽とティムが歩き出したので、仕方なくルークも「やれやれ」と呟きながら立ち上がった。


 二人は、焚き火を囲むソニアたちから少し離れたところで、布きれを水で少し濡らし皿を拭き始めた。


 そんな二人の姿を見て、アナベルが言う。

「ティム、すっかり元気になった。ルークのおかげだね」


「その点に関しては、ルークに感謝しないとね」

 そう言っている時は冷めた表情だったが、ティムが笑いながらルークに話しかけている姿を見て、ソニアは思わずにこりと微笑んだ。





 そして、今日も夜が更けていく。


 薪の多くが炭に変わり、焚き火の炎は小さくなっていた。より一層の暗闇が辺りを包み、一行はぐっすりと深い眠りについていた。


 その静寂の中で、突然影が動いた。ルークがむくりと身を起こしたのだ。

 ルークは一行が寝静まっていることを確認すると、そっと立ち上がり、少し離れた茂みまで物音一つ立てずに移動していく。


 茂みの前まで来ると、ルークは一行が眠っていることを今一度確認した。更にきょろきょろと辺りを見渡し、近くに誰もいないことを周到に確かめる。


 確認し終えると、ルークは不気味な響きの言語で何かを呟いた。

 すると何ということか。ルークの体は一瞬ぐにゃりと形を歪めたかと思うと、あっという間にその場から消えて無くなってしまった。


 転移魔法により高速移動をしたルークが辿り着いたのは、ほの暗い石造りの部屋だった。壁には窓がいくつか開いている。窓の向こうでは闇が霧と混ざり合いながら、どんよりと流れていた。


 唯一明かりを放っているのは、部屋の奥の壁に付いている二つの燭台の炎だった。そしてその燭台の間に置かれたイスには、分厚いプレートアーマーに身を包んだ騎士が座っていた。被っているヘルムにより、その奥の顔は見えない。


「遅かったな、ルーク」

 騎士は、厳かな佇まいを崩すことなくそう告げた。聞く者の足元から響き渡るような、重く低い声だった。


 ルークが答える。

「すんません、セノスの旦那。ちゃんと初日から来るつもりだったんスけど、ちょっと色々あって抜け出せなくて・・・」


「まあ、良い。それより、ちゃんと怪しまれずに潜入できたんだろうな?」


「それは抜かりねえス。石をなくしたっていうデマカセを、奴らに聞こえるように大声で言ってやったら、向こうから話しかけてきましたよ。後は当初の計画通り、とんとん拍子で進んだっス」


「それで、奴らの今後の動向は?」

 セノスと呼ばれた騎士は、少し前に身を乗り出した。


「それなんスがねえ」

 ルークは頭を掻いた。

「どうも、持ってた石を全部なくしちまったらしいんスよねえ」


「なくした?」


「そうなんス。俺と会う前にヘーゼルガルドにいたらしくて、その時に持ってた石全部を、ヘーゼルガルドの王に奪われたらしいッス」


 ルークの話を聞くと、セノスは低い笑い声を上げた。

「ふっふっふ。なるほど、エドマンドのところにね」


「えーっと・・・」

 何が可笑しいのか見当が付かないルークは、目をぱちぱちと瞬かせた。

「じゃあ、今度はそのエドマンドって奴の所に潜り込めばいいんスかね?」


「いや、いい。お前は引き続き、ティムの所にいろ」


「へっ? でも石はもうあいつのところに無いじゃないスか」


「だが、誰が石を奪ったのかは知っている」

 セノスは鎧を軋ませながら、ゆったりと座り直した。

「ということは、いつか必ず奴は奪われた石を取り返しに行くだろう。その時にティムと通じているお前が、我らにとっての鍵になる」


「ああ、そうだ」

 ルークは、指をぱちんと鳴らした。

「奴ら、これからエルフの里に向かうみたいスよ。アナベルとかいうエルフが仲間にいるから、今回の石の件でエルフに協力を要請するつもりらしいッス」


「エルフ?」

 少し驚いたような声を上げた後、落ち着いた声で続けた。

「一国の王を相手に戦わないといけないとはいえ、よりによってエルフとは。藁にもすがりたい、とはこのことか。ただ何があるかは分からん。今後も注意して見ていかなければならない連中だということには変わりはない」


「それは分かりますけど・・・」

 ルークは顎をさすりながら、怪訝そうに尋ねた。

「それより、今石を持っているエドマンドの方をマークした方がいいんじゃないスか?」


「いや、その心配は無い」


 ルークが、また目を瞬かせる。

「どういうことッスか?」


 セノスは低く喉を鳴らして笑うと、こう続けた。

「エドマンドは、エルゼリアの為に石を使うことはない。奴の頭にあるのは、ヘーゼルガルドの存続と自分の私欲のみ。そんな人間が石を持っているならば、それは関係無いどころか、むしろ都合がいい。我・ら・魔・族・に・と・っ・て・は・な・」


「はあ、そうスか」


「とにかく、お前はこれからも引き続きティムと行動を共にしていろ。そしてもし何か動きがあったら、また報告に来い。気を抜くなよ。いいな」


「了解ッス。じゃあ俺は戻りますんで」


 そう言うとルークは、来た時と同じように呪文を唱えた。ルークの体はまたぐにゃりと歪むと、跡形もなく消え去った。

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