第4話 迫り来るトロルたち (Attack of the trolls)
その日は順調に進んでいき、正午前にはケヤックの森を抜けることができた。
カルディーマ街道は、二人の前に突然現れた。鬱蒼とした茂みを貫くように伸びているカルディーマ街道は土を盛り上げて作られており、茂みの先と同じくらい高い位置を通っていた。
二人は街道の上に手をついて登ると、どこまでも続いているかのような長い道に驚いた。
ケヤックの森は見通しが良くなかった一方で、エルゼリアの美麗な山々を拝むことができる程広々としたカルディーマ街道は、二人の心を躍らせた。太く固い木の根が足場に張り巡らされ湿った地面が足を取るケヤックの森と比べると、カルディーマ街道は歩きやすいのも良かった。
二人は軽快なペースで歩き続け、時刻は夕暮れ時になった。
「いやあ、もうすぐカルディーマかあ」
ライアンが声を弾ませた。足取りもスキップするかのように軽い。
「ああ、そうだね」
ティムも笑みをこぼした。
「カルディーマに着いたら、まずライアンは何をする?」
「そりゃあお前、野暮な質問ってもんよ」
「え?」
「え? じゃねーだろ!」
ライアンが、また声のトーンを上げてまくし立てる。
「カルディーマに着いてまずやることっていったら、女遊びに決まってんだろ」
「そうなの?」
「そうだよ。それ以外に何をやるってんだ」
「うーん」
ティムは少し考え込んだ後、こう言った。
「大きな町なんて今まで行ったこともないし、想像できないなあ。でも多分珍しい物がいっぱい集まってるから、歩いてるだけでも楽しそうだよ」
「ああ、そうだな」
ライアンはティムの顔に見向きもせずに、素っ気なく返事をする。
ティムは訝しげに首を傾げた。
「何だよ、ライアン。どうかしたのか?」
その問いかけにライアンは応じなかった。依然としてティムの前を足早に歩き続ける。
「ライアン」
機嫌でも損ねたのかと思い、ティムは駆け足でライアンの横まで行く。
しかしライアンの横顔を覗き込んだ時、ティムはライアンが機嫌を損ねたわけではないことに気づいた。二人の背後から少し離れた街道の下の茂みに、トロルらしきものが動くのが見えたからだ。
ティムは一度ちゃんと振り返って、自分たちの置かれている状況を正確に掴みたいという衝動に駆られた。だが、ティムはそれを何とか押し殺し、ライアンに小声で尋ねた。
「いつから気付いてた?」
「ついさっきだ」
ライアンはまっすぐ前を見据えたまま、そう答えた。
「一瞬見えたんだけど、何体かいるみたいだ。一体でもあんなに手こずったっていうのに、これじゃさすがに勝ち目ないよ」
「俺も一瞬だけ見たんだが、茂みに隠れている奴を含めてざっと五体以上はいるとみた。あんな化け物を五体も同時に相手にするなんて、さすがの俺でもごめんだぜ」
ライアンは、押し殺した声を微かに震わせた。
「じゃあ、どうする?」
ライアンはしばらく考えているようだったが、やがて答えた。
「逃げようぜ」
その言葉に、ティムはほっとしたように息を吐いた。
「随分ライアンらしからぬ決断だな」
「そうだよ、クソッ。俺のポリシーからは完全に外れてるぜ。だが今回ばかりは仕方ねえ。それとも何だ。逃げるのは嫌だってのか?」
「いや。むしろ君が逃げることに反対したら、俺だけでも逃げるつもりだったよ」
「随分ティムらしからぬ決断だな」
「皮肉だったら後で聞くさ。早く逃げよう」
「よし、じゃあ今から一緒に三つ数えよう。数え終わったら走り出すんだ」
「分かった」
二人は早足で歩きながら、数え始めた。一つ数えるごとに二歩進むペースだろう。
三・・・二・・・一・・・
数え終わると同時に、二人は猛然と走り出した。
ティムの心臓は、焦りと恐怖で破裂しそうに波打っていた。咄嗟に背後を確認すると、何体ものトロルたちが一斉に街道の上に登って、二人の方へ走り出そうとしていた。
ティムはますますスピードを上げて走った。少し走ってから再度振り返ると、トロルたちはもう数十メートルのところまで来ていた。あの巨体の割に何という足の速さだろう。二人よりも速いのはもはや自明だった。
このまま走り続けても、捕まってしまう。そう考えたティムは、トロルたちを撒くため街道から飛び降りた。
「ライアンッ、こっちだ!」
後ろを走っていたライアンは、ティムに呼ばれるまま街道を飛び降りた。茂みをかき分けて進む。頭の中は真っ白だった。
二人は命からがら走り続けた。トロルたちの大きな足音が、茂みをかき分ける音が、すぐ背後から聞こえてくる。振り返るのも恐ろしくなり、ただがむしゃらに走り続けた。
すると、突然前を走っていたティムが転んだ。ライアンがそれを認識した時には、ライアンも転んでいた。もう辺りも暗くなっていたので、足場がはっきりしていなかったのだ。二人は崖のように急激な下り坂に誤って飛び込んでしまっていた。
二人は固い岩場の下り坂を、体を打ちつけながらごろごろと転がり続けた。
一体どれ程の間転がり続けたか分からない。一番下に着いた二人は、よろよろと身を起こした。
「何とか・・・、撒けたようだな・・・。痛ッ」
ライアンが左肩を押さえて顔を顰める。
ティムも体の節々が痛んでいた。
「ああ、怪我の功名ってやつだね。良かった。危なかった・・・」
ティムの心臓は未だばくんばくんと暴れていた。
ライアンはよろよろと起き上った。
「ぐずぐずしてる暇はないぜ。早いとこここから離れちまおう。もう少し奴等と距離を置けたら、今日はもう休むぞ」
かろうじてトロルから逃げ切った二人は、大きな岩が重なりあった場所で野営することにした。平地からかなり離れた高さにあるその場所からは、岩場を越えきった先の暖色の明かりの集まりを確認することができた。
「カルディーマももう近いね。これなら明日の午前中にでも着けそうだ」
ティムが焚き火に手をかざしながら言った。
「やれやれ、ようやくだな」
ライアンは水筒の水をラッパ飲みした。
焚き火にかけてある鍋の蓋を開けて、様子を見る。
その日の夕食はヤギ肉の燻製、温野菜にチーズをたっぷり入れた雑炊である。これはライアンの好物らしく、米を持っていたのもライアンだった
「いやあ、明日は楽しみだな」
焚き火の横でごろりと横になると、ティムは歌うように言った。
「カルディーマに着いたら、思いっきり遊びまくって、旅の鬱憤を晴らすよ」
「おいおい、ティム。当初の目的を忘れてるんじゃないか?」
ライアンが呆れているのか楽しんでいるのか分からないような顔で、すかさずたしなめた。
「当初の目的? 俺たちカルディーマで遊び呆けるために旅をしてたんじゃなかったっけ?」
ティムが、おどけた口ぶりで言った。
それにライアンはくすりともせずに答える。
「勿論、それもこの旅の重要な目的だ」
「あ、本当にそうなんだ」
「やっぱそれは否定できないぜ」
ライアンはその時だけ目元をとろんとさせたが、すぐに真剣な眼差しになった。
「でも当初の最重要の目的は違うけどな」
「わーってるって。忘れるわけないだろ。大きな町だししっかり情報収集するさ。それに知りたいのは守護神石の在り処だけじゃない。守護神石にどんな力があるのか、俺たちはあまりに知らな過ぎる。それだってカルディーマに行けば分かるのかもしれない」
「そういえば守護神石の詳しい話については、ハグルさんに聞いてこなかったのか?」
「もちろん質問したよ。でもハグルも詳しくは知らないみたいなんだ」
「ほお」
ティムは、懐からサファイアを取り出してしみじみと見つめた。サファイアは、ティムの手の中で青い不思議な輝きを放っていた。
「神様が宿ってる石なんだ。きっと何か特別な力があるはずだよ。守護神石の持ち主として、それは絶対に調べ出さないと」
「そうだな」と相槌を打つと、ライアンはふと眼尻を下げてにやついた。
「まあ、俺はヘーゼルガルドに着きさえすればいいわけだから、思う存分遊ばせてもらうけどな」
「何だよそれ。ずるいぞ、ライアン!」
むきになって怒るティムを見て、ライアンは喉を鳴らしてけらけらと笑った。
丁度その時、鍋のお湯が吹きこぼれた。ライアンは鍋を火から外し、中をかき混ぜる。途端にいい匂いが立ち込めた。
「いい匂いだなあ」
ティムが感情を思わず言葉にする。
「うまいぜ、これは。お袋が俺がちっちゃい頃からよく作ってくれたんだ。やっぱいいもんだよな、お袋の味ってのは・・・」
言ってすぐに、ライアンは自分の配慮のない発言を後悔した。ティムの表情をうかがったが、ティムはいつも通りの笑顔で「へぇー」と相槌を打っただけだった。
「それにしても、さっきは危なかったな」
咄嗟に話題を変える。
「もう少し走るのが遅かったら、トロルの奴等に捕まってたところだぜ」
「ああ、あれは本当に危機一髪だった」
ティムはその時のことを思い出して、思わず溜息を吐いた。
「あいつら巨体のくせに異常に足が速いんだもん」
「全くだぜ」
ライアンがこくりと頷く。
「俺たちももっと速く走る練習をしないと、次は捕まっちゃうかもしれないね」
「いや、そうじゃないだろ。もっと強くなって奴らを倒すんだよ!」
ライアンが、興奮気味に話す。
「あのデブ野郎ども、本当にムカつくぜ。返り討ちにしてやれなかった俺にも腹が立つ」
「別にいいじゃん。あいつら掃いて捨てる程いるんだよ。倒してたらキリが無い。それより俺たちの身の安全を優先しないと」
「いや、だめだ。この俺が敵前逃亡だなんて、ヘーゼルガルドの兵士として恥ずべき行為だ」
ライアンは苦々しげに吐き捨てた。
「うーん、恥ずべき行為ねえ」
ティムはいかにも不可解という表情をして、唸った。
「何でお前は悔しくないんだ? お前、親父が英雄だったんだろう。親父だったらトロルから逃げ出したと思うか?」
その言葉に、ティムはむっとして下唇を噛んだ。
ティムは父親と自分を比べられるのが好きではない。自分は自分、父親は父親という考えは昔からあったし、それは父親の遺志を継いで旅に出た今も変わらなかった。
そんなティムの気持ちを見透かしたかのようにライアンが口を開く。
「父親と比べられるのはお前の宿命だぜ、ティム。お前の人生の上で、父親は切り離せない存在だと俺は思う。それを良いようにとるか悪いようにとるか、それはお前の自由だ。ただ、こうしてお前が今ここにいるってことは、どうやら幕はとっくに上がっちまってるってこと。そうだよな?」
ライアンの静かな、しかし胸を突き上げるような力を持った話りを、ティムは黙って聞いていた。
しばしの沈黙の後、ライアンがふっと笑って、長い髪の毛を掻きあげた。
「まあ俺もそんな偉そうなこと言える立場じゃないけどな。親父の後を追って兵士になりたいとは言うものの、ヘーゼルガルドのことも実はまだ全然知らねえし、兵士になれるかどうかもまだ分からねえしな」
ティムも笑みを浮かべた。
「なあ、ライアン」
「何だ?」
「久しぶりに、二人で剣の稽古しないか?」
「ああ」
ライアンはにっこりと笑った。
「いいぜ。その代り手加減しねえぞ」
「当然だよ。手加減なんかしてもらっちゃ、弱すぎて稽古にならないね」
「お、言ったな」
ライアンは目を見開いて笑った。
「俺も手加減しないけどな」
ティムも笑う。
「よし、じゃあ一つ手合わせ願おうか。でもその前に夕飯だ、夕飯! もうそろそろ煮えたんじゃないか」
ライアンの好物である雑炊を食べ終わってから少し休憩した後、二人は近くに落ちていた木の枝を剣に見立てて、稽古を開始した。
お互い公言した通り、手加減全くなしで打ち合った。一発の攻撃が重いライアンに対し、ティムは速い剣裁きで対応した。
小一時間程打ち合った後、二人は疲れて倒れ込んだ。お互い息を切らしている。
「ふー、何となく分かってたけど、ライアン強いなあ」
「お前も十分強いぜ。あーでも久々だぜ、こんなに真剣に稽古したの」
そう言ってライアンは大きく伸びをした。
ティムはそれを横目でちらりと見ると、夜空を見上げながら言った。
「もっともっと強くなろう、ライアン。誰にも負けないくらい強くなってやろう。で、次に奴等が襲ってきたら、今度こそ返り討ちにしてやろうよ」
ライアンは思わず横に寝そべっているティムを見た。ティムは口元に笑みを浮かべながら、宙を見据えていた。
ライアンは視線を戻すと、「当ったり前だぜ」と少し声を張り上げて言った。
そして数秒間の沈黙の後、ティムがおずおずとライアンに話しかけた。
「でも、戦ってみてやばいと思ったら、その時はダッシュで逃げようね!」
「結局弱気なのかよ!」
ライアンは勢いよく吹き出した。
その後二、三言葉を交わした後、二人は静かに眠りについた。
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