第3話 親友と進む旅路 (Journey with the best fellow)
グレンアイラを発ってからおよそ一時間後、ティムはカーネギーに到着した。
村の雰囲気はグレンアイラとさほど変わらない。やけに屋根の低い家屋が立ち並ぶ、田舎の集落である。
ティムはこれまで何度もカーネギーに来たことがある。カーネギーはグレンアイラから近く、簡単に来れるからだ。時間があればぶらりとカーネギーを訪れ、ライアンと酒を飲みかわすことも多かった。
ティムは真っ直ぐライアンの家へと向かった。恐らく自分が来るのを今か今かと待っていることだろう。ライアンの家は、丸太でできた頑丈そうな板ぶきの家だ。二階建てで、他の家と比べても一回り大きい。
ドアをノックすると、中から出てきたのはライアンの母、カイリーだった。
ティムの顔を見ると、カイリーはにっこりと微笑み優しくハグをした。
「久しぶりね、待ってたわよ」
「カイリーおばさん、久しぶり」
ティムも微笑み返す。
「ライアンはいる?」
「今おつかいにいってもらってるのよ。もう少ししたら帰ってくるから、中でゆっくりしていてちょうだい」
カイリーに案内され、家の中に入る。一階は間取りが二つあり、広々としていた。中に入ってすぐの部屋には暖炉があり、その近くに座り心地の良さそうな革貼りのイスが三つと、小さなテーブルが置かれていた。
カイリーはその部屋を通り過ぎ、奥にあるダイニングルームに向かった。部屋の中心に真新しい木のテーブルが置かれ、その横に立派なキッチンが添えつけられている。
「今紅茶を煎れるわね」
そう言いながら、カイリーはやかんをかまどの上に置いた。かまどの上では、他にも鍋が火にかけられていた。
紅茶ができ、ティムが湯気立つティーカップにふうふうと息を吹きかけ飲もうとしていた時、扉の開く音が聞こえた。ライアンが帰ってきたようだ。ティムはティーカップを置き、扉の方へ向かった。
ティムの顔を見ると、ライアンは満面の笑顔になった。トレードマークである金色の長髪は、しばらく見ない間にさらに伸びていた。
「ティム、よく来たな!」
「ライアン、久しぶりだな」
そう言って、二人は固く抱き合った。
鍋をへらでかき混ぜながら、カイリーが言う。
「もうすぐシチューも出来上がるわよ。ティムもお昼はまだなんでしょう? みんなで食べましょうよ」
カイリーの作った栄養たっぷりのシチューとライアンの買ってきたパンを食べながら、三人は会話に花を咲かせた。
「それにしても、あの怠け者のティムが本当に決断するとはなあ」
ライアンが悪戯っぽい目つきでティムを見る。
「俺は絶対面倒臭がって断ると思っていたんだけど」
「こーら、ライアン。ティムだって、やる時はやるのよ。ねえ、ティム?」と、カイリー。
「いやあ、そうだといいんだけどねえ」
スプーンを口へ運ぶと、ティムはもぐもぐと口を動かした。
「実際、引き受けたことに、俺自身驚いてるもん」
「ハグルさんから聞いたぜ、お前の親父さんのこと。やっぱり背中を追うのか?」
「うーん、ちょっと違うな」
ティムはしばらく考えると言った。
「やっぱり、これが俺の運命だからだ。俺は神の化身であるサファイアに見出された存在だから。何かを起こさないといけないんだ」
確かに父親の思いを無駄にしたくないという気持ちは、少なからずある。しかしそれ以上に、グラハムやベネッサの言う通り、ティムはこの旅は自分の運命だと考えていた。石に選ばれた以上、自分が何かしなければいけないと感じていた。
「へえ。真面目なこと言うようになったじゃないか、ティム」
口の中の物を飲み込むと、ライアンは続けた。
「まあ、お前にはサファイアだけじゃなくて、俺の持ってるルビーもあるからな。確かにお前の言う通り、これは運命なのかもしれない」
もう少しでティムは、パンを噛まずにそのまま飲み込んでしまうところだった。
「ライアン、今何て?」
ライアンは、目をぱちくりさせた。
「あれ、もしかして何も聞いてない?」
「ちょっと待ってよ。ライアン、守護神石の一つを持っているのか?」
「ああ、そうだよ」
ライアンは苦笑した。
「どうやらハグルさん、重要なことを伝えるの忘れてたみたいだなあ」
ライアンは、ベルトに括り付けてある革の袋から石を取り出し、テーブルの上に置いた。燃えるように赤い輝きを放っている様は、明らかに普通の石ではなかった。
「これ、ガキん時に森で拾ってから、ずっと持ってたんだ。守護神石っていうもんだっていうのは、最近ハグルさんに教えてもらったんだけどね。どうやらルビーっていう名前の名前らしい」
「触ってもいいか?」
ライアンが頷くと、ティムはルビーを手に取り、見入った。
「すごい。まさかライアンが持っていただなんて・・・」
こんな身近な所に、守護神石がもう一個あるなんて思っていなかった。
まだ目を丸くしながらルビーを見ているティムに、ライアンが言う。
「そのルビーは、お前にやるよ」
ティムが顔を上げる。
「え、いいのかい?」
「当たり前じゃねえか。俺が持っていたって仕方ないだろう」
ティムは微笑んだ。
「そうか。ありがとう、ライアン」
「俺はヘーゼルガルド軍に入隊する。だから途中までしかお前の旅には付き合えない。さすがに、これは聞いてるよな?」
「ああ」
「だから、これは俺がお前のためにできる数少ないことなんだ。本当ならもっと力になりたかったんだが」
「何言ってるんだよ。ヘーゼルガルドの兵士になることは、お前の小さい頃からの夢じゃないか。俺のことなんか気にせず、自分の夢を追い続けてくれよ」
「そうか。悪いな、ありがとう」
「後、このルビーなんだけど」
ティムは、持っていたルビーをライアンの方へ差し出した。
「ヘーゼルガルドに着くまで持っていてくれよ。元々お前の物だからその方がいい」
「ああ、いいぜ」
ライアンは、ルビーを再度受け取ると、残りのシチューを口にかき込んだ。
食事が終わり、ライアンの旅支度も終わると、いよいよ出発の時となった。
「お父さんによろしくね」
ドア越しにカイリーが、旅装束に身を包んだライアンに言った。
「ああ。次に帰ってくる時は、親父も一緒だな」
ライアンはきれいな白い歯を見せながら、にかっと笑った。
「じゃあ、気を付けるんだよ」
カイリーは、ライアンを抱き締めると、頬にキスをした。
「お袋も、体に気を付けてな。行ってくるよ」
「ティムもこれから大変だろうけど、しっかり頑張るんだよ」
そう言ってカイリーは、ティムのことも抱き締めた。
「ありがとう、おばさん。行ってきます」
二人はカイリーに別れを告げると、その場を後にした。
三十分程歩いて広い麦畑を越えると、二人の前には見渡す限りの草原が広がっていた。
「ここから先は、俺も行ったことがない」
ライアンが、感慨深げに呟く。
「これで、いよいよお前も旅人だな」
ティムは微笑むと、ライアンの背中をぽんと叩いた。
「で、問題は、これからどこへ進むかだな」
ティムは地図を取り出した。
「当面の目的地のヘーゼルガルドは、ここから歩いて十日くらいはかかりそうだ。途中でどこか寄れる町があるかな」
「ちょっと見せてくれ」
ライアンは地図を取り上げると、地図の一点を指差した。
「ここに行こう」
ティムは地図を覗き込んだ。
「カルディーマかい?」
「ああ」
ライアンは、ティムに地図を返す。
「勿論、カルディーマ」
ティムが地図を受け取る。
「どんな所?」
「マジかよ!」
ライアンは声のトーンを上げた。
「カルディーマって言ったら、この辺じゃ一番の繁華街じゃねえか。ヘーゼルガルドとこの辺の村の中継地点として、ヒト、モノ、カネ、情報が集中してる、あのカルディーマ!」
「あ、ああ、そうなんだ。ごめん、全然知らなかったよ」
ティムは、ライアンの妙な気迫に圧倒され気味に答える。
「じゃ、じゃあそこに行こう」
「ルートはどうする?」
ティムは再度地図を開き、目を凝らして見つめた。
「ケヤックの森を西に抜ければ、カルディーマ街道に出るな。そのルートが良さそうか」
「そうか! 楽しみだな」
ライアンがにやにやと笑みをこぼす。
「そんなに楽しい所なのかい?」
「そりゃ、楽しいに決まってるだろう」
「でも、行ったことないんだろ?」
「行ったことはないけど、楽しいに決まってる。だって繁華街だぜ。見たことがないような珍しい物がいっぱいあるはずだ」
ライアンが、両手を広げて熱弁する。
「でっかい酒場は勿論、聞いた話によると、セクシーな踊り子のダンスを見たり、可愛い子ちゃんと楽しく酒が飲める所もあるらしいぜ。カジノもあるだろうな」
「へえ、カジノねえ・・・」
ティムは、ほくそ笑んだ。
そんな話で盛り上がりながら歩き続けていたら、道がだんだん険しくなってきた。急な丘や足場の悪い茂みが、二人の行く手を阻もうとしてくる。
「おい、もっとちゃんとした道はないのかよ」
ライアンが歯を食いしばり、彼のへその下辺りまであろうかという高い茂みをかき分けながら声を張り上げた。
ティムは茂みをかき分ける手を休めて、地図を掴む。
「いや、あるにはあるんだけど、かなり遠回りになっちゃうんだよ」
「それ、遠回りした方が近いとかいうオチはやめてくれよ」
ようやく茂みを抜けると、今度は二人の前に長く連なる急な丘が待ち受けていた。二人は息を切らしながら丘の登り降りを繰り返す。
「はぁ! 疲れたあ! ライアン、進むの速すぎだよ!」
黙々と丘を乗り越えていくライアンの後姿を見上げながら、ティムが音を上げる
「ほら、早く来いよ。そんなこと言ってる暇があったら足を動かせ、足を」
最後の「足を」に力を込めて一番高い丘の頂上まで辿り着くと、ライアンは「おお・・・」と息を漏らした。
高くそびえる丘の頂上で待ち受けていたのは、吸い込まれるような青空、生命の息吹すら感じられる雄大な高原、永遠に広がっていく地平線に連なっているエルゼリアの美麗な山々だった。
「すごい・・・」
一足遅れて頂上に着いたティムも声を上げる。自分たちの村にいる時には、けして拝むことのできないこの風景。二人は早速、エルゼリアの大自然の美しさに圧倒されていた。
しかし、その後の下り坂に二人は苦労させられた。特に勾配が急な箇所で二人は足を滑らせて転んでしまい、二人の服は土で汚れてしまっていた。二人は、大自然の美しさと同時に厳しさも学んだのであった。
疲労のあまり二人が草むらに座り込んだ時、太陽は西の空を赤く染めながら、ケヤックの木々の梢に沈もうとしていた。
二人はそこで野営をすることにした。近くに落ちていた小枝や枯れ葉を集め合わせた後、火打ち石を打ち合わせて火を起こす。
その日の夕食として、二人はシチューを作った。しかし昼にカイリーが作ったような美味しいシチューではない。鍋に水と塩と鶏肉を入れて煮詰めただけの味気ないシチューだ。しかし空腹だった二人は、鍋の中身をあっという間に平らげた。
焚き火を囲んで横になると、二人はあらためて強い疲労感を覚えた。ただでさえ慣れない旅なのに、険しい道を歩き続けてきたから無理はない。二人はすぐに深い眠りに落ちていった。
翌朝二人は、ケヤックの森の内部へと進路を取っていった。
森の中は視線が行き届かず、足元も木の根やら落ち葉やらで歩きやすいとは言えなかったが、昨日の悪路と比べるとよっぽど楽だった。
しばらく森の中を進んでいると、木々の少ない広場のような場所に出くわした。
建てられてから長い年月が経過しているであろう、おんぼろの家屋がいくつか建ち並んでいる。壁が半分くらい崩壊しているのもあった。
ティムが訝しげに周囲を見渡す。
「ここ何だろう。この辺りに誰か住んでいたみたいだど」
ライアンは、その中の一つのぼろ家の壁を軽く撫でると言った。
「ここは、恐らくエルフの住居跡地だ」
そのライアンの言葉で、ティムはハグルの話を思い出した。
「そうか。三十年前に戦争が終わるまで、エルフがここに住んでいたのか」
「当時はどの森にも必ずエルフは住んでいたらしいからな。今じゃまるで神隠しにでもあったみたいに誰もいなくなっちまってらあ」
ライアンは目を細める。
そこには人が生活していた形跡はしっかり残っているのに、人の姿は誰一人として見当たらない。その情景は、常にそこにあり続けた物がある日ふっと消えてしまったような、空虚で残酷な印象をティムに与えた。
「ヘ―ゼルガルド王はハビリスをまとめる権威者の一人として、三十年前の戦争を反省すると共に争いのない平和な世界を築こうとしておられる。俺も兵士として働くようになったら、エルゼリアの平和と安泰のために全力を尽くしたいんだ」
ライアンは少し間を開けて、更に言った。
「悲劇は二度と繰り返させない」
ティムも、こんなことは二度と起こしてはいけないと強く思った。
また一方でティムは、戦争について自分の意見を持ち、世界を改善しようという意志を持つライアンを少し尊敬した。
二人は、昔エルフが使っていたと思われる泉の水で喉を潤した。水を入れていた革の袋は、もう空っぽになっていた。険しい丘や鬱蒼とした茂みを立て続けに越えて、二人とも喉が渇いていたからだ。
革の袋に水を補給すると、二人は木陰で休憩を取った。太陽の光が真上の木々の梢から漏れ、森を照らしている。もうすぐ正午になるだろう。
乾いたパンをかじって空腹を満たしていた時、少し離れた所から茂みの擦れる音が聞こえてきた。
「何か聞こえるな。何だ?」
パンを持つ手を止め、ライアンが言う。
「さあね。ウサギか何かいるんだろ」
ティムは興味がなさそうに、もぐもぐと口を動かした。
だが、その音は一直線に二人の方へ近づいてきていた。
何かがおかしい。そう感じたライアンが、腰の剣に手をかけたその時だった。
斧を持ったゴブリン二匹が、鼻息荒く二人の前に飛び出してきた。
「ゴ、ゴブリンだあ!」
そう叫びティムが剣を抜いた時、ライアンはもう斬りかかっていた。
「おらあっ!」
雄叫びと共に、ライアンはゴブリン目がけて剣を振り下ろした。
しかしゴブリンは斧で防御する。鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が響いた。
反動でライアンはバランスを崩し、後ろによろりと下がった。すかさずティムがライアンの体を支える。
その様子を見ながらゴブリンはにやりと下卑た笑みを浮かべると、口を開いた。
「おまえたち、しゅごしんせき、もってる。おいら、しってる」
その言葉に、二人は度胆を抜かれて固まった。
ゴブリンがしゃべった!
たどたどしい共通語ではあったが、確かにしゃべった。二人はゴブリンようなモンスターに、共通語を話すことができるというイメージがなかったのだ。
二人が驚いたのはそれだけではない。むしろそれ以上に驚いたのは、二人が守護神石の持ち主であることをゴブリンが知っていたことだった。
一体何故? どうやって分かったんだ?
当惑して立ち尽くしている二人に対し、もう一体のゴブリンが言った。
「いしもってるにんげん、みんなころす。でも、いしわたすなら、ころさない」
二人は少しの間言葉を失っていたが、何とか状況を飲み込んだライアンは、きっと目を吊り上げて吐き捨てた。
「わ、渡すわけねえだろ! ふざけんな!」
するとゴブリンたちは、不気味な響きを持つ言語で何度かやり取りをした後、言った。
「なら、ころす、ころす。ころして、きょうのおひるごはん」
「殺せるもんなら、殺してみろッ!」
ライアンが叫ぶと、ゴブリンたちは獰猛な唸り声を上げながら襲いかかってきた。
ティムはゴブリンの斬撃を身を翻してかわすと、すぐさま斬りつけた。それは左肩をかすめただけの浅手だった。
しかしゴブリンが怯んだ隙を突いて、ティムは剣を横に薙ぎ払う。ヘドロのような血しぶきと共に、醜いゴブリンの首は宙を舞った。
ライアンと対峙していた別のゴブリンは、仲間の死を確認すると森の奥へ逃げて行った。
「てめえっ、逃げるんじゃねえ!」
ライアンが目を剥いて、ゴブリンを追いかける。
ライアンに続いてティムもその後を追ったが、結局二人はゴブリンを見失ってしまった。
「ゴブリンって、こんなにすばしっこいのかよ」
ティムがすぐ横の木の幹に手をつきながら、乱れた呼吸を整える。
「あの野郎、次は絶対逃がさねえからな」
ライアンは悔しそうに呟いた。
「守護神石を持っていたこと、何で知ってたんだろう?」
ティムは怪訝そうに顎を撫でた。
「知っているのは、俺の村の人たちとせいぜいカイリーおばさんくらいだよ」
「そんなこと考えたって仕方ねえぜ。とにかくゴブリンの野郎は、知っているってことだ」
「まあそうだね・・・」と、ティムは頷いた。
「それにしても逃げられたのは痛い。きっとあいつ、仲間を集めて、また俺たちの所にやってくるよ」
「クソッ。厄介なことになったぜ」
そう罵ると、ライアンは天を仰いだ。
不運にもティムの予想は的中することとなった。先程の戦闘を終えてから二十分程後、またもゴブリンが二人の行く手に飛び出してきた。今度は三匹だ。
「やっぱり、来たね」
ティムが剣を抜くと、表情を引き締める。
「ふん、俺の剣のサビにしてやるぜ」
不敵な笑みを浮かべると、ライアンも剣を抜いた。
その時、背後から唸り声が聞こえてきた。反射的に後ろに向くと、背後では五匹のゴブリンが二人に強烈な殺気をぶつけていた。
「チィッ。なんなんだ、こいつらは!」
ライアンが悪態を吐く。
「数が多い。気を抜くなよ、ライアン!」
ゴブリンたちは奇声を発しながら挟み打ちしてきた。
「ティム、俺は後ろのゴブリンを抑え込む! その間に前のゴブリンを何とかしてくれ!」
「分かった! すぐに助けにいくからな!」
威勢良く突進してくる三匹のゴブリンたちを、ティムは迎え討った。斬撃が先頭を走っていたゴブリンにクリーンヒットする。
次の瞬間、残りの二匹が揃ってティムに斬りかかってきた。それを剣でがっちりと受け止めると、ティムは剣を迅速に動かして、一匹を斬り捨てた。
なおも向かってくる最後のゴブリンの攻撃をかろうじて防御したが、攻撃の重さにバランスを崩して、後ろに尻もちをついた。
隙ありとばかりにゴブリンは斧を振り下ろす。しかしティムは身を翻して回避した。地面から斧を引き抜きにかかっているゴブリンに、ティムは剣を振り下ろした。ゴブリンは耳障りな呻き声をあげながら、ぐしゃりと地面に潰れた。
ゴブリンが動かなくなったことを確認すると、ティムはすぐさま踵を返しライアンの方へ駆けていった。
「ライアン、大丈夫か!」
「遅ぇぞ、ティム!」
一体のゴブリンの死骸が転がっていたが、未だライアンは四体のゴブリンに包囲され、苦戦を強いられているようだった。
すかさずティムは、ライアンを取り囲む無防備なゴブリンの背中を斬りつけた。突然の攻撃にゴブリンたちが怯み出す。その隙にライアンは雄叫びを上げながら、残りのゴブリンを滅多斬りにした。
全てのゴブリンが動かなくなると、ライアンはぜいぜいと息を切らしながら座り込んだ。
「くそっ、急にゴキブリみてえに湧き出してきやがってよお!」
罵りの言葉を吐き出すライアンの左腕からは、血が流れ出していた。
「ライアン、腕が・・・」
「こんなのかすり傷だぜ。大丈夫さ」
そう言うとライアンは、ふうと息を吐いた。
ティムは背のうから泉で補給したばかりの袋を取り出すと、血で汚れたライアンの左袖を破り取り、傷口を洗ってやった。
「すまねえ、ありがとな、ティム」
「いいさ。それより、あれだけのゴブリンを相手によく戦ってくれた。頼もしかったよ。ありがとう」
ティムは袖の切れ端を左腕にきつく結びつけ、しっかりと止血を行なった。
「まあ、伊達に兵士になりたいなんて思ってないからな」
左腕が締め付けられ、僅かに表情を歪ませながらライアンは続けた。
「お前こそ、なかなか頼りがいあるぜ。あれだけ速く前にいた奴等を倒して、俺のところまで駆けつけてきてくれたんだからな。もう少し遅ければかすり傷じゃ済まなかったかもしれねえ」
「まあ、俺だって剣は長年特訓してきたからな。ハグルにやらされてただけだけどね」
「くっくっく。お前が自主的に特訓するわけがないもんなあ」
ライアンが、喉を鳴らして笑った。
二人が寝付いてから、どれくらいの時間が経っただろうか。妙な物音にライアンは目を覚ました。
枝と枝がこすれあうような音。一瞬にして眠気が吹き飛ぶ。
ライアンは剣に左手を添えて、そっと立ち上がった。少し先の暗闇の中から音は聞こえてきている。
ライアンはティムを揺り起こした。
「ティム、起きろ! 何か来るぞ!」
「むにゃむにゃ。マトンのステーキ食べたい・・・」
ティムは寝言を呟いていて、起きる気配がない。
「おい、ティム!」
ライアンは、ティムの横っ腹を思い切り蹴り上げた。
「ぐえっ!」
ティムが飛び起き、顔をぶるぶると振った。
「ティム、何か来るぞ!」
「何だって?」
眠気が覚めたティムは、すぐさま剣を抜き、立ち上がった。
間もなくして、暗闇から浮かび上がるように何体ものゴブリンが現れた。
鼻孔が焼きつくような腐臭を放ちながら、ただれたような醜い顔で襲いかかって来た。
「また来やがったな、こいつら!」
ライアンは剣を力任せに振り回して、ゴブリンを蹴散らしていく。
ティムもゴブリンの攻撃を受け流しながら次々と斬り付け、二人は再びゴブリンを一掃した。
しかし次の瞬間、これまでになく凶悪な咆哮が二人の背筋を凍らせた。
二人はすぐさま身を翻し、体勢を整える。そこには二人の倍以上の身長のある巨大なモンスターが、巨大な鉄斧を振りかざしていた。
「コ、コイツは・・・トロルッ!」
ライアンが焦燥しながら叫ぶ。
「ティム! 気をつけろ! こいつはゴブリンじゃない!」
そんなこと一目瞭然じゃないか、とティムが言う前に、トロルは図太い腕で巨大な斧を横に振った。
その重い一振りは二人に直撃したが、二人ともかろうじて防御した。だが斧の衝撃は殺しきれず、二人とも後ろに弾き飛ばされた。すぐに体勢を整えようと試みる二人に、トロルはなおも斧を振りかざした。その一振りはティムを正確に捕えていた。
「うわあああ!」
悲鳴を上げながら、ティムは間一髪で身を交わした。地面と小枝が割れる音が耳元で響き、背筋が凍りつく。
トロルは地面に刺さった斧を軽々引っこ抜くと、再度振り上げた。ティムは思わず目を瞑る。
しかしその間に体勢を整えていたライアンが、トロルに向かって突進していった。
「おらあああああ!」
ライアンの渾身の一撃は、トロルの大きな脇腹に命中した。
トロルは呻き声を上げたが、すぐにライアンを斧でなぎ払った。これもライアンは防御することができたが、斧の衝撃でまた後方へ吹き飛ぶ。しかしその時既にティムは、トロルの肩に足をかけて宙に跳び上がっていた。
「はあああ!」
甲高い掛声と共に、ティムはトロルの背中に剣を突き刺した。
トロルは低く呻き声をあげ、ティムを振りほどこうと暴れる。ティムは振り落とされないよう、しっかりとトロルの肩にしがみ付いた。
するとトロルのもう片方の肩に剣が突き刺さった。ライアンが後ろから投げたのだった。トロルが図太い悲鳴を上げうろめく。その隙にティムは刺さっていた自分の剣を抜くと、トロルの頭を力いっぱい斬りつけた。
トロルは一度ふらりと足をもつれさせたかと思うと、勢い良く地面に倒れ込んだ。トロルが地面に倒れると同時に、ティムは地面に着地した。
トロルがもう動かないことを確認すると、ティムはライアンの元へ駆け寄った。
「大丈夫か、ライアン!」
ライアンが、ゆっくりと起き上がる。
「俺は大丈夫だ。お前の方こそ怪我はねえのか?」
「ああ、大丈夫だった。ありがとう、助かったよ」
まだ息が切れている。
「アーッ!」
立ち上がったライアンは突然剣を地面に突き立てた。額には立派な青筋が出来ている。
「もう俺は我慢ならねえ! うじゃうじゃと集まってきやがって! うっとうしいったらありゃしねえぜ!」
突然のライアンの激情にティムは一瞬呆気に取られたが、すぐに冷静になった。
「守護神石を持っていることが知られている以上、奴らは俺たちの命を狙い続ける。戦っていくしかないよ」
ライアンは地面から剣を抜き、血走った目で刀身を睨んだ。
「そいつは上等だぜ。俺がこの辺一帯の大掃除をしてやろうじゃねえかゴルァ!」
鼻息荒く森の奥へと歩き出したライアンを、ティムが苦笑交じりに引き留める。
「落ち着けよ、ライアン。この暗闇の中を歩くのは危険だし、トロルだって何匹いるか分からないだろ」
ライアンは興奮を抑えきれずに体を震わせていたが、ティムになだめられて落ち着きを取り戻した。
「ったく。大体何で奴らが守護神石持ってること知ってんだよ」
「そんなこと考えても仕方ないとか言ってなかったっけ?」
「仕方ねえけど、ここまで来ると気になるぜ」
「もしかしたら、石の発してるオーラみたいな何かを感じ取っているのかもしれないね」
「まあ、それくらいしか考えられねえか」
ライアンはポケットからルビーを取り出して、苦々しげに見つめた。
「チッ、だとしたら、これからも面倒臭えことが続きそうだぜ」
翌朝寒さで目を覚ましたライアンは、肩をすくませてぶるりと震えた。ティムはぐっすり眠っている。
季節はまだ冬が終わって間もない早春で、朝方は冷え込むこともしばしばである。ライアンは焚き火の火を起こして暖を取った。
徐々に暖かくなってきたところで、ティムを起こしにかかる。多分辺りが寒いと、ティムもなかなか起きようとしてくれないだろう。
「ティム、起きろ。もう朝だぞ」
「むにゃむにゃ。あったかくて気持ちいな・・・」
「・・・・」
ライアンの気遣いはどうやら逆効果に終わったらしい。暖かくなってしまったせいで、ティムの快眠モードは余計に促進されてしまったようだ。
しばらくしてライアンとようやく目を覚ましたティムは、朝日をいっぱいに浴びながら再び旅路に着いた。
「いたた・・・」
ティムは下っ腹をさすりながら、顔をしかめる。
「いくらなかなか起きないからって、ニードロップすることないだろ」
「仕方ないだろ。ああでもしないとお前昼まで眠り続けそうなんだもん」
「じゃあ何でそうさせてくれないんだよ」
「お前なあ・・・」
ライアンは呆れて、頭を抱えた。
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