第二章17話『道中』
森は木々が生え盛り直射日光はあまりなく木漏れ日が所々に見られる程度。微風が木の葉を唄わせ小鳥の囀りが木霊する。
森を進むこと三十分程度の時間が経っただろうか。道中は微かな木漏れ日のこともあって過ごしやすい気温だ。
森を歩んだ記憶では辺りをはっきりと視感したのは初めてだ。そのため草を除かれた地面が土を露わに軽い舗装をされていたことを知る。以前は暗がりや召喚された直後と魔獣の可能性があった問題で余計に森の中の森を強制的に散策せざるを得なかった。
そんな感慨にふけていれば傍らを歩む少女が歪な笑みを溢しに溢している。
「……ぐへへぇ。そんな関係じゃにゃいのに……ぐへへぇ」
「さっきからどうしたんだ?」
ツルギの問いに体を跳ねさせて一瞬だけ真面目な表情を作る。
「にゃ!? にゃんでもにゃあ!」
「そ、そっか」
「う、うん! ホントになんでもないからっ! ……はんにょだって、そんにゃことにゃいにょに、ふふふ……」
アリスメル村を発ってから何度目になるか分からないやり取りである。そんな彼女にこれ以上の追及は止そうと思い、視線を少し後ろから二人を追う形をとる空色のエプロンドレスの少女に移す。
まるで空中に座る少女は横向きで進行し二人を視界に入れないようにしている風にも見える。
「アリスのその宙に座る原理ってどんななんだ?」
「…………」
「うーん、なんでアリスは一緒に王国に向かうことになったんだ?」
「…………」
このやり取りさえ何度目になることか。出発後からアリスがツルギの問いに答えることは一度もない。
空よりも淡い色をした双眸には何が映っていてそこにツルギの存在はあるのか。そんな疑問が心中を這う。十ほどの年の子がどうしてそこまで大人びた表情をしているのか。
「アリスはなんでそんなに退屈そうにしてるんだ?」
「…………」
今までになかった問いかけは空打ちで森の深緑に溶け込んだ。と思われたが、問いの答えではない言葉が少女の小さな口から吐かれた。
「……質問ばかり、うるさい……」
「う、確かにそうだけど」
「……男、なんだから、一々気にしない……バカなのだから、考えない……」
心にぐさりと二本の矢が突き刺さり立ち止まってしまう。ツルギを置いて少女は二人、進行を継続していく。
だが、通り過ぎたアリスは少し視線を落としてまた退屈そうな半眼のまま声を洩らした。
「……何をしても、意味ないから……」
その声はどこまでも透き通っていて儚くて全てを諦めている。そんな言葉であった。だがツルギはその小さな無意味に対する言葉を耳にしても裏側を思う。少女の叫びなのではないか、と。
虚勢として、何事にも意味はある。する過程だって大切だ。お嬢ちゃんは若いんだから人生を早々に諦めるな。などとアリスの思考を否定してあげたい。そうしなければツルギが目指す場所には何もない。因果を肯定してしまうことになる。
だがツルギはそんな小さな虚勢も虚言も、アリスと言う少女に対して吐くことは躊躇った。少女を、ガキはガキらしくしろ。なんて説教はツルギには出来ない。ツルギの方がよっぽどガキなのだと自覚しているからだ。
自身を非難していれば少女二人と数メートルほど距離が離れている。
返答は罵声だろうが、人生への否定だろうが、確かな答えが返って来たのかと考えてもそれはない。だが、事実としてツルギの問いに反応を示したのは確かだった。故にこの機を逃すのは、今後の王国へ向けた旅の仲間として最もしたくないと、離れた距離を数秒でも早く埋めるために駆け出す。
「置いてくなって。ふぅ、追い付いた」
「……ぐへへぇ、はんにょでもにゃんでもにゃいのぉ……」
一向に改善が見えない少女はこの際いいとして、変わらないその態度に笑みを溢してからもう一人の無表情・オブ・無表情のアリスを見やる。
「……勝手に、立ち止まったのは、あなた……」
と、どこを見るでもなくただ過ぎ去る森の木々に視線を送るだけの少女が吐く。状況打破としてのきっかけはどうあれツルギの言葉に対して反応が見られるのは良い傾向とは言えないだろうか。
その傾向に嬉しく思ってしまうのは男の性であることは公けに出来ない真実だ。
「そうだけどさ。少しくらい待ってくれてもよかったんでない?」
「……ふん、バカね……」
「まーたバカバカ言ってさ。立ち止まったのは俺で待ってくれとも言ってないのも事実だけどさ。今回のバカ呼ばわりはあまり認められねぇな」
「…………」
「まーた人の話スルーかい。まあ、俺的にはバカといくら非難されても、自分の歩む足は止まらねぇけどな」
「……はぁ……」
どっとした溜息を大きく溢す。それは前置きだったのかは分からないがまたしてもツルギへの反応が垣間見れた。
「……気持ちが悪い……」
「なんだとっ!? 具合よろしくないのか! ちょっくら休憩でもするか! そうだな、歩きすぎたかもしれねぇ。一先ず休憩でもするか!」
アリスが自身の体調の悪さを訴えた。それは多少なりとも心を許したのではないか。そうツルギは思えて仕方ない。否、そう思いたかった願望なのだろう。
少女は依然、宙に座ったまま涼しげな表情をしている。顔色は白く紅潮もせずに青っぽくもない。付き合いはまだ浅いが普段通りだと診られる。
だが少女は、歩きもしていない少女は、ツルギへ訴えた。その気持ちは汲もうと思う。
「……へいき……」
「無理すんなって。体調わりぃのに背伸びしてもメリットねぇぞ。デメリット街道待ったなしってやつだぜ」
「……ちがう……」
「え? 何が違うんだ?」
「……雉も鳴けば三途の向こう……」
「それってこっちのことわざ的なやつか? それとアリスの体調の悪さにどんな関係があるってんだよ」
「……気持ちが悪い……」
「だから休むかって……え?」
アリスに視線を送れば、力なくぶれることなく指を指す。ツルギに向かって指を指す。
「俺がどうし……もしかして気持ちが悪いって気持ち悪いってことかぁ!?」
「……うるさい、口とじれないなら……死んでみるのも手……」
「なんちゅー横暴だ!」
少年の叫びが森中に木霊する。
「……あと、変な顔やめて……気持ちが悪い……」
「え?」
無表情で建前を繕っていたはずだったのだが、アリスが指摘するまで気付かなかった。ツルギは歪に口元を歪ませた笑顔が滲み出ていた。
顔を両手で叩いてから溜息を一つ吐いて、
「……分かったよ。極力無駄っ口きかねぇから一つ教えてほしいことあんだけど」
アリスは宙で何かに揺られ続けるまま口を噤み続けた。
「あの二人、あの兄妹の……ヘンゼルとグレーテルの隠れ家がロトリア村の道中にあると思うけど、どこにあるか教えてくれ」
それはツルギが自己欲を満たすためでもある。同行している二人には関係はなく、ヘンゼルもグレーテルも頼んだことではない。
そしてツルギの記憶が正しければあの場に居た者が翌日からの王国へ向けた旅路を共にしようと交渉をしていたはずだ。それが叶っていたとすればツルギが隠れ家に向かっても蛻の空なわけだ。だが、重大な案件が一つある。彼の安否は不明。そのまま旅を進めるにはツルギの心は鋼ではない。
「…………」
アリスは口を噤んだまま森の木々を見つめる。その空色の瞳はいつも通りの半眼で、退屈そうなジト目は何に関心があるのか、そして何を考え思っているのか。いつもながら分からない瞳だ。
だが、胸に閊えるしこりはどこかいつも通りではない気がしたからだ。実際はいつもの半眼の双眸。だがその瞳に映しているのはそこにある風景だけではない。そんな風に見えた。
数秒の間が空いて少女は閉ざし続けると思われた唇を小さく開いてぽつりと声を溢した。
「……あそこ……」
森の木々に瞳を映していたがその瞳孔は一点を見つめていた。その先にツルギも視線を送りつける。
樹の幹の間の間を視線が潜り抜け目を凝らす。数十メートル離れた先に森に空いた空間とその中心付近に立つ家の様なものを見つける。それこそヘンゼルとグレーテルの隠れ家だ。
彼らに再び会える期待と彼の安否への焦燥が胸を這いずる。会いたい、知りたい、知りたくない。そんな感情が呼吸を少しばかり速める。先に先陣していたカガミを呼び止める。
「カガミー。ちょっと用事。アリスと一緒に待っててくれ」
「え、一緒に行くよ?」
「いや、これは俺の問題で二人には関係のないことなんだ」
駆け寄ってカガミはツルギの顔を覗き込む。
「関係ないってゆーのはちょと寂しいかなー。でも」
一歩跳んでツルギとの距離を離して顔を少し傾ける。茶色がかった髪が頬に寄り添う。
「ツルギがそうゆーこと言うのはきっと自分のためだけじゃない。少しくらい私とアリスちゃんのことも考えてってのは分かってるから。ちょとだけ遠くで待ってるよ」
本心も虚飾も自身の私欲ためなことは変わらない。確かにあの兄妹が居たとして理性が崩壊していたのなら三人に危機が及ぶことも確かだ。だがツルギは二人の危機を考えず、二人に関係のないことに付き合わせることへの罪悪感と事がややこしくなることへの恐れが第一に思い立った。
「悪いな。アリスもちょっくら悪い。待っててくれ。行ってくる」
それだけを置き去りに隠れ家へ歩みを向かわせる。置き去りにされる二人の表情がどういったものだったのか、笑顔なのか、置き去りにされることへの嫌悪ある表情だったのかツルギには分からない。
自身への多大評価を受け、ツルギの我儘すら簡単に受け入れた。アリスも口には何もしないままだが、隠れ家の場所を尋ねた時にしていたいつも通りの無表情。それに対してツルギが抱いた思いは「また無視か」といった悄然であった。事実、アリスは無視をしていたわけではなく隠れ家の場所を特定していたことを知った時罪悪感が胸を埋め尽くしていた。
全てを悟られることを恐れ、最大の満面笑みを無理矢理作って彼女らに背中を向けて行った。
† † † † † † † † † † † †
深緑の森、数十年程になる樹齢の木々を避けて避けて、森の中にぽっかりと空いた空間に身を投げ出す。
久々にお天道様の下に身を晒した気がした。後光は頭上になく未だ朝の帳を思わせる。
歩みをさらに中央へ、隠れ家へ向かわせる。
一カ所地面が抉られ大地を剥き出しにしている場所で立ち止まり、地面にそっと掌を突いて記憶を辿る。
あの日あの時あの絶望。ツルギが異世界から逃避したいと無意識に願ってしまった絶望。望んでいないはずの無意識は口に出していたのか分からない。だがあの絶望がなければツルギはこの世界に戻ってこようとも思わなかっただろう。
命を懸けて、命を懸けられたが故。
あの夢のような惨劇が現実だったことを噛み締めるように大地から手を離し、隠れ家前まで近寄る。他に目立たしいことはなく、人の気配はない。
震える手を戸の直前まで持っていくと躊躇い止まってしまう。
――何、ここまで来てびびってんだよ。いずれ知らなくてはならないことだ。足を動かせクサナギ・ツルギ。
自身の弱い部分に喝を入れて、目付きの悪い双眸で戸を睨んで息を殺して生唾を呑み干して、戸を三度軽く叩く。
「――――俺だ。俺だ、ツルギだ。誰かいるか……?」
何も返されない。
それが語るのはどういった事実なのかツルギには想像も妄想も出来ずに戸を開く。
静かに小さく音を立てながら戸が開かれ、室内の光景に対してツルギは焦燥感が満たされる。
「……グレーテルか……?」
室内には、少し青みのある薄い紫色の紫苑色一色の髪を双方に分けた髪。服は濃い青紫色のゴシック服で着飾った一人の少女が生気なく尻餅をついて座っている。周囲は湿気が込められている。
ツルギの問いかけに反応もない少女の向けられる双眸の先の膝元には、少女と同色の短髪の髪の青年が仰向けに寝ている様にそこにいる。
ヘンゼルとグレーテルがそこにいた。
二人は、同行せずにそこにいる。
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