第二章16話『見送り』
――瞼越しに白い光が睡眠からの目覚めを促す。朝の陽ざしが半透明の帷幕から入り込んでいた。直接的な陽射しではないが瞳を細めて、脳が働くことを待つ。仰向けで瞳に納まるのはなんだかんだで見知った天井。
身体に掛かる薄い布団を剥いでベッドから窓際まで歩む。帷幕をさっとずらして広がるアリスメル村の光景と地平線付近の太陽が少年を迎えた。
異世界と言う現実の朝に平和的な光を受けてどこかまだ夢見心地の中に溺れているのかと錯覚してしまう程に現実的だ。
だが、これは日常に覆い被さる非日常の朝だと思うと、これから自分が辿る道筋を突破して、この非日常の朝を日常にしようと、覆い被さった朝を剥がそうと決意に拳を固める。
その時背にある扉から三度のノック音に続けて、
「――ツルギくん、起きていますか? シンシアです」
「ああ。今しがた起きたとこ」
「失礼しますね」
お姉さん系美女がにっこりと微笑みながら扉から現れる。
「おはようごさいます。体調も万全に伺えますが、よくお眠りになれましたか?」
「おはようさん。ばっちり快調絶好調! ぶっちゃけ昨日とか異世界とか夢かと思いかけた程寝たレベル。だけど、現実で最高の朝だぜ」
「うふふ。よくは分かりませんが、先程カガミちゃんも起床しましたよ。ささ、お顔洗って朝ごはんにしましょう?」
「おう、顔洗って、飯食ったら――」
再び太陽の光源を見つめて握り拳を突き出して、
† † † † † † † † † † † †
握り拳を天を突くように立て上げ高らかに叫ぶ。
「――出発だ!」
「おー!」
「……ふん……」
空は青空。雲はちらほら漂っているが雨天になる心配はなさそうに見える。
シンシア宅の玄関先で青い澄んだ大空に向けて宣言を固めた最中だ。
ツルギの雄叫びにカガミは同調して片手の拳を全力で天に伸ばし、もう片方の拳を肩くらいまで上げて喝采し全力の同意を示す。その彼女と裏腹に空色エプロンドレスのアリスはその幼容姿と顔立ちに反して鼻で一つ笑い飛ばした。
「せっかく遠方に揃って行くんだ。もっとスマイリースマイリー」
「……わけ、わからないわ……」
いつも以上に気怠そうなアリスを余所にツルギとカガミは準備運動、屈伸をし始める。
すると玄関付近から吹き出し笑いが聞こえる。腰に手をあてがい上半身を反らせて見やる。
「風変わりな動きですね」
「これは地元の伝承的な運動の一つ。……って」
状態を通常時に戻してから上半身だけシンシアに向けると、彼女が歩み寄る。その手には黒い棒。
「おおぉぉおお!!」
「にゃにゃごにょ!?」
カガミ通訳「何事!?」と言っているわけだが、ツルギの反応もそのはず。なぜならシンシアの持つそれは、
「爺ちゃんの刀ぁぁああ! 会いたかったぞ、相棒ぉぉおお!」
「はい。これは一応地図と食料と水分補給の水筒が入っています。旅の糧になれば」
ツルギにカガミは感謝の言葉を伝えて受け取る。そして先程から視線が離れることが出来ない品物が一品。
先刻の威勢に対比して恐る恐る指先で触れるツルギはどこか遠慮をしていて抑制しているように見られる。
「何をご遠慮なさっているのですか? これはツルギくんの物。あの珍奇な一丁羅はここには残念ながらありませんのでお渡し出来ませんが。はい、どうぞお受け取りください」
震える手を理性で抑え込み一度指が触れるが下がる。
その感情はきっと罪悪感が近い。日柳家の家宝と言っても過言ではない刀。道場の神坐に不動の鎮座をツルギは記憶のある時から知っている。それを崩さした張本人であるツルギ。なぜにあの日あの時不意に不動を崩したのかは分からない。それさえも世界の因果が関わるのかもしれない。そして、あの日に父に言えなかった。咄嗟の出来事から躊躇いもなく口は噤んだ。だがその時にさえ考えれば分かっていた。あの時無意識ではあったが記憶と思考では、「きっと最後に持ち出したのは俺だ」その結論には辿り着いていた。
日柳家の家宝である刀を持ち出し、分かっていたことに対して虚勢で誤魔化した自分がもう一度この刀を持つ資格があるのか、そして、これを持ち構えればもう二度と戻ることは叶わない。異世界に、世界の因果に逆らわなければならないのだと。それを実感し向かった手は退いていく。
「――ツルギよ。よいかのぉ?」
停止しかけた思考を老人の一声で強制的に回転させられる。
老人の名はアガレス。カガミと同じくらいの背丈を異常な猫背でアリスよりも小さくする白髪と白髭の老人が杖を覚束ない突き方ふっと現れた。
その突然の見送りにツルギはいつもの調子で頭を軽く掻きながら笑みを作る。
「お? アガ爺。見送りとは嬉しいじゃねぇか」
「ほっほっほ。村のため、王国のために、異邦人であるお主が往くのじゃ。見送りなぞ当たり前かのぉ」
白髭を弄りながらカガミを二度見。
「ぬ? 主はどこの誰じゃ? 見覚えはないかのぉ」
軽いお辞儀をしてからカガミはにっこり笑顔と軽い自己紹介を済ませる。
「私はヤタノ・カガミ。ツルギの幼馴染です。えっと、よろしくお願いします」
「ほっほ。わしはこの村の村長であるアガレス。親しみを込めてアガ爺と皆には言われとるのぉ。ほぉー、若いおなごはよいのぉ。わしも活力がみなぎる限りじゃな。よいのぉよいのぉ」
「……変態爺……」
アリスの暴言を余所にカガミに歩みを寄せて老成した手を彼女に近付ける。カガミはそれに対して返せるのは精一杯の無理矢理な笑顔だけだ。ツルギは焦り「ちょ」とだけ口を挟んで腕を伸ばす。その刹那にシンシアが割り込み恐ろしい程の笑みを浮かべる。
「うふふふふふふ。アガ爺さん? 何か御用事ではないのですか?」
老廃した表情のアガレスと安堵で胸を撫で下ろすカガミ。アガレスは老廃した表情を一変させて「そうじゃ」と前置きしてからツルギを見やり続けた。
「ツルギよ。よいかのぉ?」
定番のNPC化する村長のままのアガレスに懐かしさと変わっていない風貌にどこか安堵の溜息混じりに返す。
「ああ」
「うむ。お主と関係のないこの王国のためによくぞ戻ってくれた。ここに村……否、貧民街から王国までの不満を持つ者の代表として礼を申す。感謝するぞ」
「そ、そそそそうだな! まっ、まかせっしゃい!」
何を言っているのか分からない。と言いたげな老人。
ツルギが王国に向かうのは他でもない、ウァサゴの預言が大いに関わっている。それは二度目の召喚で明らかになった事実ではあるものの真の新題としては王国の非道問題は二の次になってしまっているのがツルギの中では焦燥する原因だ。これはあの場にいたツルギにカガミ以外に知られることは出来ない事実である。故に悟られることさえも出来まい。
だが、それと同時にツルギが戻った要因。王国に向かう心意。
「……てかさ。俺と関係ないわけじゃねぇよ」
「ほ?」
「んいやまあ、ぶっちゃけ王国とか貧民街とかよく分かんねぇけど。俺はさ」
無風だった村に微風が流れる。ツルギの襟の立ったジャージは靡いて揺れて。カガミのスカートは短めながら白い太股がお淑やかにチラリズム。アリスの金色の髪は一本一本が風を受け元々のウェーブが麗しげにそよぎ。シンシアは大人びた顔にかかる髪を小指で退かして。
「……ぶっちゃけこの村そんな好きじゃねぇんだ」
アガレスは眉すら微動だにせずに、
「と、申すと?」
「いやさ。シンシアとかすんげぇ親切で個人的にめちゃくちゃ感謝してるよ。見知らぬ俺たちにあそこまでしてくれるなんて……ってさ、あとアリスもな」
「ツルギくん……」
「……おまけ……?」
感に潤いを満ちさせるシンシアとは反比例していつも以上に退屈そうな表情になったアリス。
「おまけじゃねぇよ。まじで感謝してる」
「……なにも、してないし……」
「とまあ、個人的に好きなのはいる。けどさ」
「すぎっ!?」
カガミが喉に餅を詰まらせたような悲鳴を上げてそれにシンシアは背中を擦って落ち着きを戻させる。
「この村の人たち。あの日に、挨拶をしに行ったあの日だ。あんな冷てぇ目することねぇだろ」
今でも鮮明に思い出せる。ツルギはその視線を勝手に味わっていた。相手側がするつもりの時もあっただろうが。ツルギのそれは、気のせい。ツルギの間違い。であった。周囲の期待に勝手に押し潰された成れの果て。
だがあの日の村人の視線は冷たく、冷え切って、邪見な瞳だった。あの時はその現実から目を背けて伏せて見ていないフリをしていた。なんでどうして、と言う疑問はあの時からあったのかもしれない。だがその現実を突きつけることが出来なかったのはツルギの弱さだ。
「……何したってんだ。何が悪いんだ。俺が、何をしたってんだ」
そう。あの日あの夜に挨拶回りをしたあの日の村人の冷酷な視線。それはツルギの方に向かっていたはずだ。モモタ戦の後村に戻った時の村人のやり取りだってそうだ。だから俺は、
「――この村の人たちが好きじゃねぇ」
低い唸り声の後に続けて「なぜ」と問いかけなのか、口先から零れた一声なのか、アガレスは開いた口を閉ざして嘆息を鼻から溢した。
「…………けどな」
思い出す。あの夜に召喚されたあの夜に、あの時の恐怖から救ってくれた。言葉をくれた。口は足りない、でも事前にツルギの寝床を用意すらしていた。きっと恥ずかしがり屋の一面もあるのだろう、だが大勢の観衆の村人の中で声を張り上げ、正しい方へ正そうとする誠意が見えた。村人からの邪見よりも自分がすべき感謝を忘れずに、難事に向かった。傷で死を覚悟した瞬間、泣きそうになりながら必死に打開しようとした。温かいはずの温もりは背中と手を通して冷えていた。そして、自分の全てよりも他人の一つを救おうとクサナギ・ツルギを救おうとした。
思い出す記憶の泡は、水上に昇る前に他の波によって消えてしまう。思い返せては消えて、消えては、思い出せ消えてを繰り返して。それらの記憶と呼ぶには儚い泡を溢さないように手を伸ばして掴めなくて。だけど、これだけは思い続けれる。
――――泣かせねぇ。そんな悲しい顔、させねぇ。
その思いは誰に対して抱き想い続けられるのか分からない。顔も名前も声も、何もかも分からない。知らない。覚えていない。
だけど分かる。ツルギが村を見捨てて異世界のこのエドアルト王国を見捨てて、大陸を見離したその時。あの時の悲しい顔できっと泣くのだと。
――――俺は知っている。王国を好きなことを、村を好きなことを。……村人を愛していることを。……世界を愛していることを。俺は、知っている。
「…………知ってる、知っちまったんだ。俺はぶっちゃけ嫌いだよ。だけど、それでも……大好きになりたい」
誰か分からない『その人』が愛した村人をツルギも愛せるだろうか。『その人』に抱く村人の嫌悪感を払拭出来なくても愛せるだろうか。今は嫌いだ。でも好きになれるだろうか。『その人』が愛したように愛しているように、ツルギも愛せるのだろうか。そんな未来は預言者すら分からない。それはツルギと村人の問題で、村人が嫌ってもツルギは愛せばいい。それだけの話なのだから。
『その人』が愛した全てのために、ツルギは戻ってきたのだから。
「だから、行くんだ」
「わしがとやかく言うことものぉかったのぉ。どれ、――皆の者!!」
その覇気に包まれた活性された声の後、村の家々の影から村人が揃いも揃ってツルギたちの側に集まる。その顔ぶれは見知った人々だ。人数にして五十。老人から成人を超えた者、少年少女からツルギたちに近い年代までちらほら見える。そこには『アリスメル村』の住人全てが勢揃いしている。
「――我らが勇者。名を、ツルギ! その伴侶。名を、カガミ! 我らの所縁。アリス、先に発ったアテラ、マモン! ここに旅立ちの剛健を祈願する!!」
その後に続けて村人全員が揃って「ゴフォリト!」と叫びを上げた。その後に祝福と祈願と懇願と祈りが丁寧に乱雑に並べられ声援となって村中にまで響き渡った。
ツルギは奥歯を食い縛り、微笑みを浮かべるシンシアの両手から刀を鷲掴むと勢いのまま天に掲げて背中を向けて雄叫びを上げる。
「――行ってくるッ!」
「行ってきます!」
「……ふぁぁああ、ん……チェシャネコ……」
ゴフォリト。この世界の言葉に書き換わっても通じてきた異世界の言語。意味も分かる。それは、頑張れ。やってこい。などの応援の言葉だ。
深緑生い茂る木々が生え盛る森に風を浴びながら少年少女は行く。一名は透明な何かに座りながら移動を始める。
旅立ちの見送りを済ませて、エドアルト王国へ向かう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます