第二章15話『月が覗く下で』

 

 ツルギとカガミがウァサゴ宅からシンシア宅に移動したその後。




 帽子屋は駆け足で夜の村を駆け巡る。手に持つ杖をぐるぐると回しに回して、たまに下手くそなステップを踏んで跳びながら駆けて行く。

 右に曲がり正面の突き当りを左に折れて二つ目の交差点を右に曲がり左に左に、いくつか交差点を超えると突き当りに差し掛かり左に折れる。息を漏らす数と同じ数の交差点を抜けて左に左に進むと、そこは少しの何もない広場があり、正面にその広場の中央と思われる建物がある。その根元に駆け寄り上空を見上げて息を整えてから笑う。


「――イヒッ」


 その笑い声の先、その建物、円柱の塔の様な建物の屋根の上で見えない何かに座るシルエットの影が帽子屋を見やる。すると何かに座ったまま四度のステップで大地に舞い降りた。


「……いない……?」


「えぇ、御方。とーぉころで、あのふーぅたりに会わなーぁいようにすることに意味はあーぁったのですかな?」


「…………」


「御方の指示どーぉおり、ウァサゴ様のとこーぉろへは、案内。と言葉のりーぃかいが出来ているこーぉとも確認してーぇきましたけど。御方がどーぉうしてこのようなこーぉとをしーぃているのかわーぁあかりませーぇん」


「……ハッタ……」


 その呟きにハッタと呼ばれた帽子屋は「はい」ではなく、


「イヒッ」


 口元を大きく曲げて笑った。


「……うるさい……。……詮索、しないの……」


 その言葉に帽子屋・ハッタは機嫌を損ねたのか口をへの字に曲げて帽子の鍔で双眸を隠す。


「……でも、勤勉に働いた……。……ありがとう……」


 その感謝を受けると地に膝を付けてもう片方を立たせて、拳を胸に当てて忠誠の体勢を取った。


「――御方に感謝されるなどなんという至福。帽子屋・ハッタは人生最高の時間を噛み締めます。御方の頼みであればこの身が滅びようとも甦り尽くしましょう。えぇ」


「……うん、戻って休んで……」


 少女がか細い手を翳すとハッタは身震いをして瞬間的に身を光が覆い、その光とともに少女の手元に一枚の紙となる。それが一段落すると少女の座る何かの一部に薄らと目が二つと大きな大きな三日月のような口が現れていた。


「アリス。今少し笑ってはいないかい?」


「……そんなこと、ない……」


 そう呟いた少女、アリスは水色のエプロンドレスを涼風に靡かせて、金色の髪を一本一本そよがせて、ぽつりと呟く。指示もないままその場を移動していく。


「……ただ、ハッタ、単純……」


 連絡塔を約半周すると大きな扉に辿り着いた。


 大きな扉に対して触れることなく、かといって誰かに触れさせることもなく、見えないチェシャネコの上で半眼の双眸を向けている。すれば何事もなく小さくも音を立てて扉は少し開かれ途中で止まる。その後に暗闇に向けてアリスの座るチェシャネコが歩みを進め、連絡塔に入り込むと扉は再び独りでに閉ざす。


 暗い塔内からは夜空の星々が七色の硝子を通して弱弱しく輝き薄らとその空間を視覚させようとする。


「……来たよ……」


 小さな声が塔内の隅にまで広がり天井まで響き渡る。一声が響くと壁に一つずつ設けられている蝋燭に火が一斉にそっと灯る。


 丸い机の奥、村長の席に座っている老人が一人。白髪に白髭、痩せ細った活力のない手で髭を集束させる。


「ほぉ、アリス。ご苦労じゃ」


 労いの言葉にアリスは喉を軽く鳴らして、透明なチェシャネコに座ったまま塔内を円を描くように近付く。足音は静かで柔らかな音、獣の忍び足の音が地に着き響かずに消える。


「チェシャネコも透かしておると疲労が溜まろう。ほれ」


 指を擦り合わせてパチンと鳴らすとアリスの座る透明は色を露わにする。

 紫色の縞模様の猫が常に笑っている。猫と言ってもその大きさはクサナギ・ツルギの知る虎やライオン程の大きさだ。丸々と太っているその身は豚とも例えられるだろう。


 姿が露わになって数秒後、チェシャネコの笑う三日月の口は逆を向いてあからさまに機嫌を損ね始めた。そのことを直ぐに察したのか、アリスはその軽い身を地に舞い降りさせて自身の足で足音を立てて歩み寄った。

 チェシャネコは主人の善意にお座りをしていつもの笑みを向けてその巨体を跳ねさせてその場で空中後方回転、いわゆるバク宙をすると地に身を落とす前に姿を光らせる。その光は瞬時にアリスのエプロンドレスのポケットに一筋の光を辿らせた。


「わしの気遣いは不要だったかのぉ」


「……チェシャネコ、恥ずかしがり屋、だから……」


「ほっほっほ。可愛らしい一面が多いのぉ、アリスの従者は」


「……従者、じゃない……」


 疑問符を浮かばせるアガレス。

 集会の時の席に座ると金色の糸がふわりと羽毛のように浮いた。


「……あし……」


 その答えに満足いったのか老人らしい笑いを溢す。


「……それより、バカ……。……戻った……」


「馬鹿とな? ほぉ、ツルギのことか。賭けはわしの勝ちじゃな?」


 不敵な笑みのアガレスを乾いた瞳を横目で見やる。


「……別に、賭け事してない……」


「ほっほ。負け惜しみかのぉ?」


「……本当に賭け事、してないから……」


「むぅ。じゃがわしが勝った時の要望には否定も拒否もせんかったのぉ?」


「……それは……」


「じゃから賭けたわしの勝ちでわしからの要望には聞かねばのぉ」


 反論をしようと口を開くが言葉が出なかったのか、空気を呑み込むだけで押し黙る。


「――アリスよ。アテラは先に村を出立したのぉ。主に託した事柄はアテラへの同行。じゃがアテラとマモンが先に出立したからにそれは一先ず保留となろう。じゃからのぉ」


 休んでいた集束の手を再び再開させて、


「ツルギと王国へ向かいその後アテラと合流または合流が叶わなかった時、その身で七日後の王国議会へわしの代理で出席しておくれ」


 懐を漁り何かを机に置く。軽い石の様なものが置かれる音が塔内中に響いて続けた。


「これが王国議会への出席証明の勲章石じゃのぉ。出席したとしてもどこの誰かなぞは分からぬじゃろうから気負うこともなかろぉ。本当ならばアテラに持たせるはずじゃったのじゃが」


「……知ってる……」


「ぬ、知っておるのと頼みを了承するのは違うのじゃぞ?」


「……だから、知ってる……」


 それだけを吐いて机に寝る勲章石を取ると軽い足音を響かせて出入り口に向かっていく。


「頼もしいのぉ。……じゃが不安要素も多いのもまた事実じゃな。どれ、一応備え案は張らねばのぉ」


 独り言はすでに外へ出ようとしているアリスには届くはずもなく、そのままアリスは涼しい風がそよぐ夜へ出た。


「……わたしは、何もしない……」


 アリスがその身を塔外に出した瞬間、微風が少し強めに吹いてアリスの金色の糸たちを強引に乱した。顔に掛かる髪を手で退けると夜空に浮かぶ月が現れたことに気が付く。


「……本当に……」


 それ以上は言葉に出すことはなく夜の村へ珍しく自身の足で帰路を進んだ。

 渇き切った双眸が一瞬月光の光源を見やって暗闇に落とす。



 ――――鬱陶しい……。



 † † † † † † † † † † † †




 呼ばれる。呼ばれている。ずっと呼び続けていたんだ。叫び続けていたんだ。

 無意識に欲して。今の彼女は何もかもをなくして、だがそれを受け入れないように、現実から目を背けるように、心が溢れないように、全てに蓋をしている。



 怖いんだね。恐いんだね。嫌なんだね。迷っているんだね。悔いしてるんだね。

 でも、それら全ての気持ちに蓋をして、そして、君はボクを欲するんだね。


 どうしてなんだろう。なんでこんな気持ちが。苦しい、怖い、見失って消えてもう届かない。だから、欲しいモノはいらない。だから、かえして。もうどこにも居たくない。かえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえして……。


 そう。それが君の欲望さ。君自身がかつては溢れる程に持ち合わせていた罪さ。


 かえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえして……。


 そっか。それが君の望み、欲のままに望む希望ならボクは死力全霊を尽くすよ。


 もう、嫌なの。どうしてなんで、あれほどにまでしたのに、どうしてそんな目で見るの……。何もしてない、何もしてないのに。


 どうしてだと思う?


 知らない見ないで聞かないで話さないで触れないで近寄らないで、壊しちゃうから……。どうしてなの……。


 それは、君が何もしなかったからさ。


 …………。


 でもこれからは違う。あの日に置いてきた君の感情、祈願、後悔、祝福、君自身を、全てを取り戻すためにボクらは立ち上がったじゃないか。


 ………………。


 取り戻すことは難しい。でもボクらはボクらだけじゃなくなったんだよ、アテラ。


 ……………………。


 物語は終わってない。物語は始まったばかりなんだ。だからアテラ。もう一度立ち上がろう。蹲ってても進まない。後悔しても始まらない。今こそ、持てる全てを――。


 帰して。帰して、帰して帰して帰して帰して帰して……。お願いだから。


 ……もうボクにはどうにも出来そうにないね、ごめんよアテラ。ここまで離れてしまったボクの責任だ。


 帰して、もう、帰して……。


 もう君の故郷には帰れなくなったじゃないか。……と言っても君にはもう届かないよね。祈願され叶え給えるはずなのに。願う立場になってしまったのはボクの責任だ。


 ………………………………………。


 だから、ボクの責任だから。全てを託したよツルギ。



 意識を精神世界に溶かした精霊は今、主人の右の耳朶で翠色の球体の宝石となって王国の賑やかな夜の街から夜空に佇む月を眺める。

 主人は軽く指で精霊の灯る宝石を突くと同じく月を眺めた。


「――ツルギは来ないよ。絶対に」


『――来るよ。必ず、君を救いにね』


「あぁあん? なんか言ったか?」


 背の大太股肉に食らいつくマモンが口いっぱい膨らませていた。


「うーん、月。綺麗だねって」


「へっ。別に好みはしない。身がでかいだけが男じゃないからな! だがその誰にも平等に光を送り付ける懐の深さには感心する。だからだな。お前を好敵手にしようか。な!」


「しようかなって、身勝手も程々にしてよね。一先ず宿探してくるからこの辺りにいてね」


 少しの急ぎ足でその場を立ち去って人々の間をすり抜けていく中、月を眺めて落ち着きを戻す。


「マモン元気付けようとしてくれたんだもんね、ありがとう。あと、フンシー。ごめんね?」


 ――気にすることはないよ。精神世界だけの嘆き。君の力になるって言ったからね。お安い御用だし何より、君がどうしたいかどう感じているかは君の財産だよ。全てを大切に心に留めて置いて。


「うん。月……。元気、かな……」


 彼女の瞳には大きな大きな月が映り、彼女の心には何が映っているのか、それはアテラしか知らない。



 † † † † † † † † † † † †



「お風呂温かかったです。寝ることもありがとうございます」


「いえ。当たり前ですよ? それに、明日からは疲労が溜まることでしょうしお気になさらずに」


 シンシアの母性的優しさに安堵して、「母親ってこんな感じなのかな」と思っていると風呂場への廊下からドタバタと足音が乱雑に近付いてくる。


「ひゃぁぁぁあ! なんでついてくるのぉー! 来ないでーっ!」


「何事!?」

「どういたしましたか!?」


 その刹那ほぼ半裸の女、否、全裸で頭に白いタオルを乗せたヤタノ・カガミが血相を酷くして泣きっ面の登場。

 カガミはあり得ない速度でツルギの背中へ身を隠すとカガミの跡を着いて来たと思える生物が満を持して登場を果たす。それは白い縄の様な生物。


「ってあの時の白蛇!?」


 しゃあ。と蛇独特の威嚇でツルギを超えてカガミを睨む。

 食らいつきそうになった刹那、シンシアがすっと蛇の首を鷲掴みにして玄関に運び、地面に優しく着陸させると、蛇はするすると森へ目掛けて移動を果たした。


「もう大丈夫ですよ」


「ふぅ、シンシアさんありがとです……。はぁ、びっくりしたぁ」


「でも白蛇は縁起物ですのでこれも何かのご縁。お体にお気を付けて」


「は、はひぃ……」


「シンシアさんの野生スペックまじかっけぇ。……へっへ、ぶわぁっくしょん!!」


 温まった体は、背中からの人肌の柔肌でさらに温まる。だが、抑えの利かないくしゃみが一つ響いた。


「……誰か噂でもしてんのかな」


「冷やすとお体に障りますよ。カガミちゃんは早くお着替えを。ツルギくんはあの部屋で今日は御過ごしになって下さいね」


 カガミが自身のあられもない姿を自覚して「はいっ」と言い捨てて風呂場まで駆けだした。


「あっちの離れじゃなくていいんですか?」


「あっちの家の鍵は、アテラちゃんが持っていってしまいましたのですよ。特に何があるわけでもありませんけど持って行かなくてもいいですのに」


「王国まで持って行くとか、うっかりさんかよ!」



 その時、エドアルト王国にて宿を見つけたアテラがくしゃみを一つしたのは、当人と精霊と偉大になる男マモンしか知らない。そして、マモンに渡そうとした宿の部屋鍵がアリスメル村のツルギのために建てられた家の鍵であり、所持してしまっていたことにこの時漸く気が付く。



 月が覗く下で、それぞれの物語は重なって。




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