第二章14話『晩を休して』
「またまた何をご冗談を――。と言う訳でもなさそうですね」
シンシアは何食わぬ顔のツルギを目の前に彼が嘘を吐いたり偽った姿でないことをすぐに悟る。
――アテラ。シンシアは言った。マモンに同行するもう一人の人物の名を。
ツルギの記憶にはその名はなく、もちろん微かに聞き覚えがあるわけでもない。確かに前回の異世界召喚の際にマモン宅を訪れ「ツルギとアリスとフンシー以外に同行する人物がいない」と言うことを明確化していたわけではない。
言い忘れていた程度の人物ならシンシアがここまで深刻そうな趣になるのは事実と真実が重ならない。
「冗談も何も……アテラって人も同行する予定だったなら誰か言ってくれりゃよかったのに」
事実と真実が重ならないと分かる手前で思考を引き返して真実から無意識のまま立ち去る。
ツルギの知る事実に真実を知る瞳が悲しげに細まり乾いた声が空虚に空気へ渡る。
「――って人……ね」
少し沈む表情は何かを思い考える。ツルギが口を開き言葉を出すより先にいつも通りの微笑みを浮かべた。その微笑みはどこか強引さが滲んでいる。
「ごめんなさいね。言い忘れていました。そう、実はツルギくんたちと一緒に王国に向かうのはもう一人、アテラちゃんって子がいますよ。黙っているつもりはありませんでしたけど色々とあの時は立て込んでしまいましたから……」
「なんだ、言い忘れてたならいいですって。いやぁー、人と接すること少ないのに異世界召喚早々に忘れたかと思ってちと焦ったのも事実ですけどね」
頭を軽く掻きむしりながら笑い飛ばすツルギに届かない声を口先まで吐き出して、
「……本当に忘れさせましたのね、アテラちゃん」
そう呟いてシンシアは正面の少年にばれることのない強引な微笑みを作る。
† † † † † † † † † † † †
カガミが食器を洗うの前に台所に用意してあった急須の様なものでお茶をそれぞれに注ぎ双方に届けた。
「どうぞー。用意周到のシンシアさんのおかげもあってすぐ淹れれました」
「カガミちゃんありがとうございます」
「ズズッ……。うんうまい。やっぱり日本人たるもの緑茶は最高だぜ」
熱いくらいの温度ながら猫舌でもないツルギは冷ますことなく唇と舌を湿らせて喉を潤す。続けてシンシアは二度優しく吹いて軽く冷まして唇だけを湿らせる程度口に運んだ。
「ん……お茶を淹れるのがお上手ですね。おいしいです」
嬉しそうに先刻と違った笑みを溢すシンシアにカガミは満足したのか拳を肩まで上げて張り切る。
「シンシアさんも喜んでくれてよかったです。ささ、洗い物済ませちゃいますねー!」
踵を返してジャージのズボンの上のスカートを翻して台所へ戻っていく。
湯飲みを机に静かに置いて、
「ところでシンシアさん」
両手で湯飲みを持つ彼女が「はい」とだけ返事をして会話の主導権をツルギに委ねる。
「あいつら……アリスにフンシーが俺たちがここに来てすぐどっかに行っちまったんだけど分かるか? アリスの家は前回行ったことあるけど……まあ会えはしなかったけどさ。フンシーは……」
「アリスさんはきっとアガ爺さんのところでしょうけど、明日にはきっとひょっこり現れますよ」
「ひょっこり、かあ」
「はい、ひょっこり。ああ、見えても肝心な時には傍に居てくれる。そうゆうことをツルギくんにしてくれるのがアリスさんですもの」
「やっぱりあいつ冷デレだったか。冷酷な人が徐々にデレる人のことを言う。……でも何一つフラグ立ててねぇのにそこまでするかよ」
小さく「あ」と声を漏らすシンシアに気付かずツルギは一人で正解に辿り着く。
「一緒に王国に向かうんだし当たり前っちゃそりゃそうか。シンシアさん冗談うまいなあ。それよりアリスのことは『さん』でカガミと、そのアテラは『ちゃん』なんだな。アテラの容姿も分からねぇけど随分年下になるのかな」
脳裏に幼顔のアリスを思い出す。お世辞で中学生、現実的に小学生と言っても過言ではないのだろうが……。
「んー。年を女性に尋ねるにも他人にお聞きになるのは感心致しませんよ?」
「う、球体精霊と同じことを……。まあそうだけど、詳しい年齢とかは聞かないにしてもアリスのあの容姿とカガミに対したらカガミの方が大人びているっちゃいる。だろ?」
台所でビクリと身体を跳ねさせて「お、おとにゃ!?」となにやら叫ぶ少女はさて置き。
「まあそうですね。アテラちゃんは特別ですよ。年など関係なくあの子にはそう接するのが一番適切だと、そう思っただけですから。そうですね……アリスさんの方は私よりも大人なことは大人ですので」
ツルギの胸ほどの身長に小さな顔、長い睫が重そうにその双眸を半眼にさせるが、開けば大きな真ん丸な瞳を思わせる双眸、柔らかそうな少し膨らむ頬。そしてツルぺタ。
伸び切っていないだろうと思っていた手脚が実は伸び切っているのだとすれば、成熟してあのロリだとすればやはり異世界。
「まだ見ぬロリババアも夢じゃねぇわけだけど」
「……ろりばば?」
「んいや、こっちの話。一先ずはアリスの動向はいいとして。……フンシーは分かるか? 一瞬姿を見せてたと終わったら気付けばいなくなってたんだけど」
「そのことでしたら推測ですがきっと事実です」
毎度毎度少し回りくどさが否めないシンシアに対して口を噤み彼女の言葉を待った。
「ツルギくんは主従契約は御存じですよね?」
「そこまで詳しいことは知らねぇけど。名前なら今さっき聞いたな。使い魔契約と同じなんだろ?」
「はい、そうです。えーっと、契約の性質上、主であるアテラちゃんのところに空間移動した。と言うのが私の推測ですね」
「んー、そうか。でも一言くらい言っても……あれって一応そうゆうことを言ってたのか?」
再召喚の際、フンシーはツルギに対してかカガミに対してかはたまたアリスなのか分からないが、異世界の言語を譲渡される前に何やら言っていたことを思い出す。もしかするとその発言はシンシアの推測に繋がっている可能性がある。
可能性があるといっても当人、当精霊は不在で、理屈は分からないが過去に聞いた異世界の言語は記憶の中ではその時聞いた発音のまま蓄膿されている。
今になってさらに前を振り返れば前回の召喚時もその前に聞いた言葉は記憶の中でもそのまま意味不明のままだった。
明白にならない精霊の発言は置いておいたとして、
「ウァサゴの所へ案内してくれてもよかったのにな。ったくあの玉」
精霊に対して愚直に罵声を吐いているとお茶を軽く啜り喉を潤して湯飲みを机に着席させるシンシアが口を割る。
「ツルギくんは存じでいない様なのでそのことは少々私から」
息を溶かすように軽い咳払いを前置きして、
「フンシーさんは強制的に空間移動をされたのだと思います」
眉を寄せて理解が未だ出来ない少年にその理屈を説明する。
「主従契約とは、主人に従者が従順である前提の契約なのです。反抗があれば屈服させるために主人は主従契約を行使もします。契約が魔力の共有することが出来るのは御存じですか?」
「それはウァサゴが言ってたな」
「魔力の供給も吸収も主人の意で行え、契約の胆である空間移動も主人が強制的に出来ます。ですが……」
と、戸惑いの瞳を湯飲みのお茶へ向ける。
「何か引っかかるのか? フンシーの主人がそれをしたなら理屈は通るけど」
「そうなのですが、フンシーさんの主人であるアテラちゃんは契約の行使をこういった形ではしないはずなので……どちらかと言えば従者のために自身の魔力を懸けるほどですし」
その眼差しは精霊に向けられているはずだが、ツルギにも向けられている錯覚に陥る。ツルギはアテラと契約を結んだこともなければ精神世界とやらでアテラに会ったこともないのだ。
「んじゃあなんでフンシーは」
「恐らくですが、いえ、あまりにも早いかと……ですが……」
明確な言葉が綴られず焦燥感が胸を焦がし始める。いつも穏便な温厚な彼女がこうも焦り取り乱し気味になっているのは、
「……恐らくアテラちゃんは王国に着いたのだと思います」
疑問符が消えないツルギに対して前文の細かな、だが簡易的な説明を果たす。
「主従契約は、主人と従者の距離が遠方になった時に空間移動が行われてしまいます」
「それって」
「その遠方の距離こそ、ここ『アリスメル村』と『エドアルト王国』の距離です」
困惑気味なシンシアを余所にあまり焦ることを覚えないツルギがお茶を啜る。
「主人が従者の遠方行きを認めればこれは起こり得ませんけど。今回は、アテラちゃんがフンシーさんを呼び出した。か、アテラちゃんが王国に辿り着いた。のどちらかでしょうね」
「シンシアさんはなんか焦ってるみたいだけど二日で王国に着くのは異例なことなのか?」
「そうですね。蟠竜に乗れば一日走れば着けるとは思いますが徒歩となれば四日は掛かるかもしれませんね。それがその半分です」
「二日間歩きっぱってことかよ」
「単純にそうゆう話になりますね」
「……でもそのアテラもフンシーの主人なら魔法とか使えるんだろ? 魔法でひとっ飛びとかって可能性は」
微動だにしない長い睫の下で何かに恐れる双眸のまま口を開かせる。
「……アテラちゃんは、もう、魔法は使えないのです」
その覇気のない声は彼女の思う彼女に対しての不安感が全てを物語っていた。何かがおかしい。それに気付いても分からない。どこか何かが違う。その齟齬は埋まることはなく、シンシアが口元に一度力を込めると掌を叩き音を弾ませた。
「――さあ、なんだか深刻な感じになってしまいましたね。お二人はお体お疲れではないですか? お風呂沸かしてありますから気負わずどうぞごゆっくりお休みになって下さい」
先刻までの不安を嗅がせる表情は微塵もなくなり柔らかな微笑みがそこにはあった。
とはシンシアは言ってくれたがツルギもカガミも召喚前の現世の時刻は早朝。体感時間としてあれから三時間程度も経っていない。
とも思っていればその安息の推薦に張りつめていた糸が解け、無意識に欠伸を大きくしてしまう。
思い返せば召喚前は確かに早朝ではあるものの、ツルギは夜中一睡も出来ず今の時間までいる。気怠さが筋肉を柔らかく解いて双眸が眠気に負けそうに半眼になりつつあった。
「……なんだかんだで、お言葉に甘えるとします」
「随分眠たそうですもの。『晩を休して戦の元へ』とこちらでは言います。休息は何事にも大切です。ってことですよ。お風呂はあちらです」
手で指して丁寧に送った。
「カガミはー」
その発言に丁度洗い物を終えたカガミがびっくりして警戒する猫の様に一歩後退り足に力を踏み入れる。
「にゃっにゃにゃにゃあ!?」
猫の様ではなく猫である。翻訳すると「一緒なの!?」と言っていると分かるのは長年培った経験である。
元気なその姿を見て眠り眼を擦りシンシアの案内した部屋に移動する。
「一緒じゃねぇーよ。先に入るわ」
背中で彼女の姿は見えないが元気な声が返ってこない辺りクールダウンはしたのだろう。
一先ず休息をしてから色々と考えよう。『晩を休して戦の元へ』と言うらしい。と足を向かわせた。
少年は気付き眺める。廊下から見える大きな大きな月が月光を放ちそこに佇んでいることに。
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