第二章13話『言語の譲渡』

 


「主らは知っているか分からぬがこの世界に契約は大きく分けて二つある。対等な立場での伯仲契約。上下の関係がある主従契約、これは使い魔契約とも言われとる。今回儂が望むのは前者、伯仲契約かの」


「……はくちゅう?」


「ぬう、言葉の理解は内容の説明で補足出来のう。伯仲契約とは、先に申した通り対等な立場での契約かの。互いに互いの魔力を行使することが出来よう。使用は任意で可能かの」


「任意ってことは事前にお話に――」


「事前とはちと違うかの。契約後はどちらにせ、精神世界と言われとる契約者同士限定の対話が出来のう、もちろん距離に規定はありはせん」


「おお。……携帯電話いらないね」


「携帯電話とやらは分からぬが、遠方だろうがこの世界なら間違いはありはせん。もう一つ、契約者のどちらかの処へ空間移動が可能かの。……ちと問題はあるが」


 カガミが疑問符で「問題?」と首を傾げれば、


「まあ儂も主もそれは使うことはなかろう。なに、気にすることもありはせん」


 軽く咳払いを説明の区切りにして、右手の甲を力なく前に差し出して続けた。


「どれ。説明は以上かの。問いもなさそうかの。カガミよ、よければ手を……繰り返りてみい」


 カガミもウァサゴに真似て右手の甲を差し出す。ウァサゴが少し微笑みを浮かべると周囲一帯を優しい光が満ち始める。ウァサゴから淡い色合いの黄色は少しだけの赤みを含み優しく薄い色、淡黄色。カガミから溢れ出す白い光は少し月光の光に近い気もする。


「――汝、ヤタノ・カガミ。我、ウァサゴ」


「――汝、ウァサゴ。我、ヤタノ・カガミ」


「――互いに寄りて互いに害し、互いを認める。生を懸け、死を捧げ、天命を尽くし合おう。神、アマテラス・オオミカミの名の下に――」

「――互いに寄りて互いに害し、互いを認める。生を懸け、死を捧げ、天命を尽くし合おう。神、アマテラス・オオミカミの名の下に――」


 少し遅れる拍子は、後半から事前に知っていたかのように重なり合い調和を満たした。

 周囲の優しい光たちが、淡黄色はカガミへ、月白色はウァサゴへ、互いの手の甲に沁み込み沈み、円の中に何か描かれている陣が現れる。


 眩い光たちは全て互いの手の甲に浸透し、集束した光が陣を象る。円の中、中央に四角に近い模様とそれを交差させる×印。


 眩く光る陣は見とれていればその光を緩くしていき、やがて傷跡のようにそこに残った。


「伯仲契約の完了かの。カガミ、何かあることは望む限りではありはせんが……何か主の身に危機が訪れた時、儂は必ず助よう」


 カガミは右手を抱き寄せると儚い微笑みを浮かべて、「はい」と呟き返した。



 † † † † † † † † † † † †



「さて、儂からの要望は済んだかの。主ら他に何もありはせんのなら……」


 一拍間を空けたウァサゴに対して問いも要望もない。ツルギ自身の一つの要望を口を噤んで待った。


 咳払いをして腕を定位置に戻し姿勢を正し薄らと黄金の双眸を光らせる。


「――預言者ウァサゴとして申す。異邦人カガミ。グレーテル、アリス、シンシア、アリスメル村の住民全ては寿命が尽きぬ限り生を生きよう。そして、前預言の未来は爾今は、異邦人ツルギの活躍によって覆され、それぞれ大団円が迎えられる」


 何の力も予知もない言葉。願望の言葉。それだけの言葉。

 だがツルギにとってそれは大きな力をくれる。勇気、活気、意気、度胸。静かにそれを受け取った。

 もう十分だ。未来も問いも十分だ。未来は切り開いてみせる。


「――陰日向の地の言葉をクサナギ・ツルギ、ヤタノ・カガミに授けよう。――言語の譲渡」


 耳を伝って、鼓膜を伝って、脳に浸透していく。知り得ていた言葉、日本語が上書きされていく。脳回路が激しく活発化し、幼き頃から常用していた日本語が一度一句全て陰日向の地の言語に変化されていく。

 物体、色、単語、単音、全て元からこちらの言葉だったように書き換わる。


 脳回路を激しく伝った言語たちは瞬間的ですんなり収まり実感が沸かない。自身の考えが日本語なのかどうかも分からないほど精密に元からこちらの言語を常用していたと錯覚するほどあっさりと譲渡は終わった。


「……これでこっちの言葉がー。つっても実感が全くねぇな。口調もそんまんまっぽいし」


「だねー。本当に言葉変わったのかなぁ」


 二人が疑心になっていると預言者ウァサゴが口を割った。それは二人には理解も分かりも話せも出来ない。ただの音にしか聞くことは出来ない。


「譲渡は正常に終えた。主らは儂の言葉、分かるかの?」


 呆気に取られている二人は顔を見合わせて、少し経って自身らがしっかりと言語の譲渡を終えていたことに安堵の吐息を溢して、陰日向の地の言語でウァサゴへ別れを告げた。


「しっかりもらった。頼まれごとは任せとけよばあさん。んじゃまた会えたらな」


「ありがとうございました。ウァサゴさんお体に気を付けて……って言うのもおかしいかなぁ。余命ですもんね」


 別れを告げる二人の背中に向けてウァサゴは微笑みかける。

 椅子を机の下に滑り込ませて二人が扉に掛かり出て行く時、ウァサゴはまたしても二人には届かない日本語で呟いた。


「――ツルギ、預言を破る一刻を拝めないことを悔やむよ。そして、全ての因果を断ち切れることを祈る。カガミよ、主が陰日向の地へ訪れた時点で変わり始めておるのかもしれぬな」


 扉が閉じて部屋に呟く言葉は次を最後に噤まれた。


「……この村の住民と、主が大切に想うアテラ様の因果を……」



 † † † † † † † † † † † †



 ウァサゴの家を出ると少し離れた場所に小さな影が一つある。

 先刻この場所まで案内を果たした帽子屋だ。実際帽子屋かどうかは推論ではあるが。

 彼がツルギたちが現れるのを確認すると顔を上下に激しく運動を開始させる。


「……イヒッヒヒィーッヒイィッヒィーッ」


「お前のそれって異世界語とかってわけじゃなくてただの笑い声だったのな」


「……笑い方おかしいでしょ」


 カガミの発言に帽子屋は笑うことを止めて変に甲高い声で話し始める。


「――とーぉころで、紅茶は好きかーぁね?」


「まあ好きだけど緑茶派だな」


「私はだいぶ好きですけどぉ……」


「――そう言ーぃえば、アリスは朝必ず太陽の陽ーぃを眺めーぇているんだけーぇど、……あっ! そう言ーぃえば」


 独り語りが始まり再びツルギたちを一見する。


「――紅茶は好きかーぁね?」


「だから好きっちゃあ好きだぜ?」


「わ、私も」


「どーぉうも近頃、ウサギを見ーぃていなーぁいんだけーぇど。ラングドシャは、チェシャネコの舌を切ってーぇしまーぁおうか。おっとおーぉっとこんな時間でーぇはないか」


 帽子屋は懐から懐中時計を取り出し見ると焦った様子もなく帽子の鍔を軽く触れて二人に会釈をする。


「――紅茶は好きかーぁね?」


「しつけぇーなっ!」


「――どうだーぁろう。茶会の時刻になーぁる。君たちも一緒にチェシャネコの舌を食べてーぇは、みないかーぁい?」


「遠慮しとくぜ」


 ツルギの返答後、瞬時に首を曲げてカガミを見やる。


「わ、私も遠慮しておきますー」


「ふむ。アリスはーぁ、チェシャネコの舌は好きなーぁのにチェシャネコの舌は食べーぇないんだ。おっかしーぃいと思うかーぁい?」


「どうだか知らねぇけどおかしいもんか?」


「――とーぉころで、紅茶は好きかーぁね?」


 このまま帽子屋と話しても会話が交わることもなければ進むことも引くこともない。そう察したツルギはウァサゴに尋ね損ねた疑問を一つぶつけてみようと口にする。


「そいや今日って集会があった日から何日後だ?」


 その問いに返されるのは紅茶のことでもアリスのことでもチェシャネコのことでも茶会のことでもない。

 手に持つ懐中時計を一度見る。それには日付が入っているのか。頭を二度頷かせると答えを返した。


「――11時37分」


「いや、時間じゃなくて日付が……」


「――11時37分!? あーぁっ! 茶会になーぁるね。でーぇは、これにて失礼すーぅるよ」


 そう言葉を吐くととんでもない駆け足で夜の村に姿を眩ました。


「……なんだったんだ」


「ま、まぁー。『不思議の国のアリス』でも帽子屋は狂った帽子屋って言われてるし仕方ないよ」


 異世界に再召喚されウァサゴから未来の災厄を聞いた今でもはっきりと言える。

 二度目の異世界召喚で感じた疲労は精神的にどっと髄まで届いた。



 † † † † † † † † † † † †



 夜空の星々のおかげもあってウァサゴの家から迷うことなく帰路を辿れた。

 帰路と言っても実家やしっかりと借りたわけでもないのだが、きっとツルギが姿を見せれば二つ返事で一晩は休ませてくれると信じた。故にツルギとカガミは召喚された家の玄関前にいる。


 家の戸を大人しめにノックすると、優しい柔らかな声が室内から漏れる。


「は~い、ちょっとちょっと待って下さいね。あらあらツルギくんではないですか。そちらさんは……?」


 クリーム色の寝間着と思われる姿のシンシアが茶色の髪靡かせてひょっこりと半身を出した。


「どうもお久しぶりです。こっちは俺と同じ世界から一緒に来た幼馴染の」


「ヤタノ・カガミです。先程お世話になっちゃいました、勝手にすみません」


「うふふ。いいんですよ? どうぞよろしくします」


 慌てふためくカガミがオウム返しをする姿を目にしてシンシアはご満悦だ。


「それにしても随分非対称的な恰好ですね? 流行っているのですか?」


 頬に手を添えて微笑むシンシアの視線は下半身に行ったり来たり。

 男たる者、常に自信を持ち堂々とあるべき。父からの受け売りだ。腰に手をあてがい仁王立ちで胸を張る。


「まあな! 地元じゃ流行の最先端だぜ?」


「流行ってないし、流行ることもないよーっ!」


 顔を真っ赤に染めて怒声を吐く。そのカガミに対してツルギは多少の罪悪感で口の端を上げて「そうだっけ?」と恍ける。その二人を双眸に焼くと笑みが勝手に零れるシンシア。


 忘れてはいなかったが意識をしないように努めていた。だが自覚させられると、ブリーフの下着は夜風が隙間から浸透し文字通り身が引き締まる感覚が一点を襲う。

 ツルギはその部位を掌で押え隠し苦笑で誤魔化す。


「とまあ、色々あってな。流行ってはねぇけど、なんつーか……意外とさみぃからお邪魔してもいいですか?」


「最近暖かくなったとは言え、夜にその恰好ですとお体に障りますし、どうぞどうぞご遠慮なく」


 扉を大きく開け手の平を室内に向けて微笑み続ける。カガミに一つ頷き訪問の催促を促す。


「じゃ、遠慮なく。お邪魔しまーす」


「お邪魔しますー」


 シンシアの横を通り過ぎる時にすっと尋ねられる。


「恋人ですか?」


「違いますよ。ただの幼馴染ですって」


 その言葉にシンシアはどこかほっと安堵した表情を浮かべて、ぼそっと口の中で呟いてツルギより先に室内に戻った。


「そう。なら報われます……よね」


 その声はツルギにもカガミにも届かずにすぐさま空気に触れて溶けた。


「ささ、適当にお座りになって下さい。スープ、温めてきますね」


 得体の知らぬ異邦人ツルギと温厚なシンシアが再会した。



 † † † † † † † † † † † †



 シンシアの手料理、ツルギにとって二度目の野菜の素材を生かしたスープ。鼻から嗅覚を使い浸透していく柔らかい優しい香りは嗅覚だけに留まらず脳神経まで侵食しようとする。青臭くないが野菜本来の旨みが丁寧に舌から滲む。

 二口飲み込むと息が自然と零れる。息は白くスープの温もりの余韻が吐き出される。


「おいしいです、すっごく」


「前も思ったけどほんとうまいな」


「うふふ、お二人ともお世辞がお上手で……ありがとうございます」


「あん時はごたごたしてて感想言えなかったし、まじでうまいよ。ズゥ……うんまっ」


 ものの数分で食卓に出された汁物からおかずまで平らげる。

 二人は掌を合わせて礼儀良く食事の締めの言葉「ごちそうさまでした」と同時に提示する。その二人に対して微笑みながら、


「お粗末さまです。お茶、いかがですか?」


 二人が「いただきます」と言えば満足気な表情を崩すことなく台所に皿を運び向かおうとする。


「あ、手伝いますよ」


「お客さんなのですから気は使わなくとも」


「いえいえ、ごはんご馳走になって何もしないのは悪いしっていうのはありますけど、ごはんの後の片付けしないとなんだか、背中が痒くなるので……」


「うふふ。ほんとにいい子ですねカガミちゃんは。将来の旦那様はさぞ幸せでしょうね。ですが、やはりお客さんにさせるのは……」


 そう言われるとカガミは耳まで真っ赤にして、


「あう、あの、それで、ここっここれってっこっここっちでいいでふかあ!」


「なあーに言ってるか分からねぇだろ。シンシアさん、今回はカガミの面立ててあげてくれ。あとシンシアさんには訊ねたいことあるので」


「うん! ありがとツルギ! そうです、シンシアさんはゆっくり座ってお話してて下さい。一宿一飯の恩義ですよ!」


 赤みが落ち着かないカガミは居間に残る二人にその顔を見せまいとすたすたと食器を台所に運ぶ。

 台所は居間と同じ空間。カガミの善義する背を一度眺めてから家の主を見やり本題を切り出していく。


「シンシアさん。ところで今日って俺がいなくなったあの日からどれくらい経ってんだ?」


「そうですね……一昨日の朝、お二人は先に村を出ましたので。ツルギくんがいなくなってから三日経っていますよ」


「三日かあ。日付的には召喚と送喚の時の差は半日って感じか。あと今何時? 帽子屋っぽいやつに聞いた時は11時過ぎてたしもう日付も変わるくらいか?」


「帽子屋さんですか。あの方は放っておいて結構ですよ。今は8時過ぎでしょうか」


「あの帽子屋適当なこといいやがって!」


 ツルギがこちらから元の世界に戻されてた夜から目を覚ました朝。感覚的には数分程度の軽い転寝であった。

 そして、元の世界に戻った朝から二日後の朝にこちらの異世界に再召喚を果たした。

 時系列に並べれば分かりやすいが、世界を繋ぐ空間は朝から夜、夜から朝、と約半日の時間を有していたと思われた。


「ともあれなるほど、それが分かったからってどうこうなるわけじゃねぇが」


「二日の差は大きくありませんか? 追い付かなければなりませんよね?」


「そんなせかせかするもんか? マモンは腕っぷしめっちゃ良さそうだし放っておいてもいいだろ……あれ」


 そう言い繋ぐとシンシアの発言とツルギ自身の記憶と思考に齟齬があることに気が付く。


「二人って言ったよな。誰だ、マモンと……?」


 少しの驚嘆で首を軽く傾げるシンシア。彼女の言葉をツルギは理解することは出来なかった。


「何ご冗談を仰ってますか? ……アテラちゃんもマモンさんと御一緒してますよ?」



 何食わぬ表情の偽りのない彼女の発言はツルギの耳を掠めるだけで、記憶の棚にはその名はない。



「――――アテラって、誰だよ」







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