第二章18話『回想』

 


 ――回想――。


 時は遡り、異邦人の少年を送喚した翌日早朝。


 夜通し黒髪の少年の異端の服、袴を縫い上げたそれを赤髪の少女は一人満足気に広げる。


「よし。仕上がったわ。……もうこんな時間」


 村のみんなに等しく朝を告げる太陽が夜通し少年の服を手直ししていた少女には真っ先に告げてくれた。まだ朝の帳が上がってからそんなに時間は経っていない。少年の着ていた袴を太陽の陽に当てて輝かせると、この世界では珍しい黒髪で黒い瞳の少年が袴を纏った下手くそな笑顔が脳に甦る。


「……ツルギ、ちゃんと帰れたかな。……って何思い出してるの。もう逢うことも出来ない。それにツルギは私のこと、忘れているのだから」


 少年の記憶から自身、『アテラ』の記憶を抹消したのだ。少年は『アテラ』を思い出すことも、『アテラ』との時間はなかったことに強制的にしたのだ。誰でもない『アテラ』がそれを行ったのだ。


 未練はある。あの少年は亜人である『ヘンゼルとグレーテル』にすら手を差し伸べ、彼を恐れず信じて、人々が『禁忌の兄妹』と蔑んでいても少年は寧ろ敬意を見せていた。あの少年なら人外の存在を受け入れてくれるそんな少年ならアテラ自身も受け入れてくれる。あの少年を使い魔にして共に生きていけたのならそれはきっと素敵なことだったのだと思う。

 だが、その少年は他でもないアテラの手によって記憶を抹消させられ、召喚した前の元いた居場所へ送喚した。


「戻って来れないんだから。だから、いいよね……」


 自身を身勝手に肯定してアテラは自身の身なりを少年の袴に着替えた。

 肌に優しく触れてくる布は少年の温もりを感じる様な気がして袖で口元を隠して瞳を緩く細める。


「なんだかくすぐったいかな。……よし」


 白いローブを羽織って自室を後にする。

 まだ早朝だけあってシンシアは寝ているだろう。居間の机に置き手紙を残す。


『シンシアへ。お世話になりました。しっかりと別れを告げることは出来ないのだけれど、目的を果たしたら戻るね。それまで少しだけお別れ。ありがとう』


 置き手紙を書いた手前、彼女に会うのは少し気恥ずかしさがある。逃げるようにシンシア宅の戸をゆっくり音が立たないように閉めてアテラは進む。



 † † † † † † † † † † † †



 実際問題、今のアテラにはヘンゼルからの借り物の魔力しか残されていない。それさえ微力の灯だ。そして後に彼の魂に返す魔力でもある。王国への道中、昨日の王国第一公爵モモタ・ロウ・ウラシマなどの刺客が現れることがなければ精霊フンシーの退魔の光で難なく辿りつけることだろう。

 だが叶わないそれに頼ることは出来ない。


「全く全く。フンシーったらどこへ行ったの。アリスにはもしものことがあるかもしれないからアリスメル村に残ってもらうのだけれど、全く全くフンシーったら」


 主従契約を結んでいる精霊フンシーは従であり、主であるアテラに意に背くことは出来ない。精神世界での対話すら拒絶が出来ている点を見てもフンシーに何かあったのは明白である。

 フンシーは姿を顕現させていない時は、アテラの左耳朶でイヤリングとしてそこにいるのだが、今はそれさえもない。だが契約の糸は胸の奥に繋がったままなのは確かだ。危機が及んでいるのなら契約を通してフンシーの意識とは別にアテラに知れる。それもないのだ。理由は分からないがフンシーが危機に瀕していないことが分かるが故、それほど心配をすることもない。


 この村で唯一挨拶を出来ていないのはウァサゴである。彼女は預言者であり未来を確立させてしまうことから極力知能のある生物、人々から一歩下がって暮らしている。だが、預言者としての本業の預言は極一部の人にのみ使用していると言われている。


 などと考えていればウァサゴの家に着く。

 預言は聞かずとも過去にしてもらった預言への感謝を再びしておこうと戸に手を伸ばそうとした刹那。中から一人の長身の者が現れる。真っ黒のローブを頭から被り顔は見えず少し鋭い顎がちらりと見える程度。体格の良さはマモンよりも華奢だが覇気が満ちているのにアテラは気付く。黒いローブで魔力の阻害をしているがその内側に溢れ出ようとする魔力の重圧。

 男は口を開くことをせずにアテラに対して一礼の腰を折る。アテラもそれに返事をするように会釈をして、


「おはようございます」


 その朝の挨拶を聞いて長身の者は軽く会釈をすると村の奥へ姿を向かわせた。

 その者への疑問はあるものの人々にはそれぞれ抱えている問題があるのだ。その者に対して追及はしないとアテラは強く心に留めてウァサゴ宅の戸を開いた。


「……おはようございます。ウァサゴ、元気にしてた?」


 その唐突な訪問は預言していなかったのか、ウァサゴは息を瞬間的に吸って止めて両手を握り合い祈り捧ぐように応えた。


「この老いぼれの身。経年を得て傷みが見え始めましたの、じゃが健在でございます。アテラ様もお体に不調はありはせんか?」


「ええ。ウァサゴも元気そうでよかったわ」


 笑みを含めて返すとウァサゴは満足そうに息を漏らして絡めた指を解く。


「今日、発たれるのかの?」


「そうよ。だから挨拶とお礼。ウァサゴの預言があってあの日に召喚してあの子が来てくれたから。ありがとう。それに行けばいい道も分からなかった私に道を示してくれたのもウァサゴよ。ありがとう。これはほんの気持ち、なんにも力がない私からの気持ち」


 先刻のウァサゴの様に両手の指と指を絡め合い祈り捧ぐ。真紅の双眸を長い睫の生えた瞼が隠してアテラの気持ちが送られる。


「――ウァサゴ、あなたに神の加護がありますように――」


 それは何も力の無いアテラが発したただの言葉。おまじない程度の気持ちの印。だがそれはウァサゴにとって大きく感慨する気持ち。


「……この老いぼれの身朽ちてもアテラ様のお気持ちと共に……」


「そんなこと言わないで? ウァサゴはウァサゴ。私も私。私は私の祈願のためにも王国に向かう。ウァサゴもウァサゴの未来のためにウァサゴのしたいことを……ね?」


「……はい。アテラ様の旅路が僅かでも苦の道でないことをお祈りしてますの」


「ありがとう。ウァサゴも体だけには気を付けてね。じゃあ行くね」


「はい。またいずれ……」


「うん。またねウァサゴ」


 アテラの去った扉を眺めてから窓から入り込んでくる太陽の陽を見つめて独り言を呟く。


「……アテラ様の道は、預言せんでも分かろう。苦が僅かでもないことを祈ることしか出来ん儂をどうか許してくれるだろうか」



 † † † † † † † † † † † †



 アテラは次に訪れたのは、マモン・バン・ミコト。彼の家だ。


 アリスにはすでに頼みごとをした。いつも通りの半眼で一つ頷いたのはいいが少しだけ気掛かりなことは違いない。だが彼女に頼んだ件は「四日後までに何もなかったら王国に来て。それまではシンシアの家で待機」それだけなため、怠惰なアリスからしては何もせずに時間を潰すことは容易いことであり彼女自身にもいいことである。


 マモン宅の戸を三度軽く叩くと激しい轟音が鳴り「んがっ」と息が詰まる声が聞こえる。


「ど、どうかしたの、マモン?」


「いやいやいやはや。熟睡爆睡安眠を妨害したのは他の誰でもない、アテラ。君だ。な!」


「よく分からないこと言っていないで、そろそろ出発したいと思うのだけれど準備は大丈夫?」


「抜かりない。準備なぞ必要もない。そうそうそう、旅に冒険に男の人生に下準備なんか不要。男はその身一つで何にでもなれる。どんなことでさえ出来るのだから。な!」


「そっか。じゃあ行きましょ」


「俺様を冒険が待っている!」


「冒険って程ではないけれど、王国までは何事もないといいわ」


「男にとって苦難こそが生きがい。苦がなければ死も同然。当たり前のことを言う」


「はいはい。では、行きましょ」


 依然姿を見せない彼を置いてマモン宅に背を向け進路を向かわせる。その数十秒後にマモンが勢いを爆裂させて戸を開き開け高らかに叫ぶ。


「――俺様を冒険が待っている! おやおやおや、アテラは何処へ」


 こうして本来のアリスメル村から王国へ向けた旅の朝が昇ったのだった。



 † † † † † † † † † † † †



 彼を迎えに行きその足のままロトリア村に向けて進んだ。村では道中住民に会うことがなかったのは唯一の救いだったアテラ。


 ともあれ朝陽巡る森は小鳥の囀りが心地いい。村を出てから数十分進んだところで舗装している道から森の深緑の奥を指差して立ち止まる。


「マモン。ちょっと返さないといけないことがあるの。少し時間ちょうだい?」


「『男は永久を捧げて身を砕く』なんて言うしな。どれどれ、俺様も付き添おうか。な!」


「んー、まあ無駄口利かないのなら大丈夫よね。あっち」


「王はそこにただ座ればいい。『褐炭を喰らうは恥』つまり王たる者全てを見届ける義務があるってことだ」


「その言葉は、最低品を食べることは誇れることではない。って意味でマモンの言ってることとは何も関係はないのだけれど。――あ、ちょっと!」


 先陣を切って森を突き進むマモンに置いて行かれないように手を伸ばして樹の幹を頼りに突き進んでいく。


 木々が生い茂る森にぽっかりと空いた空間と中央の家。あの兄妹の隠れ家で間違いない。

 太陽の下へ身を晒すとマモンの大きな背中越しに見られる風景。先日の戦闘によって抉られた地面は剥き出しのまま放置され、あの彼らの死闘の名残りを深く思わせる。


 幻でも夢でもない現実が目の前に広がっている。

 マモンに一言置いてアテラは一人何かに語りかけるように囁くように呟いて隠れ家に歩みを向けた。


「マモンはちょっとだけ待っててちょうだい。……ヘンゼル、今、元居るべき場所に戻してあげるから」


 マモンは返事を返さず森の木の幹に背中を預けて腕組みをすると瞑想するかのように瞳を閉じた。


 扉の取っ手を回して軽い扉を開く。軽いはずの扉はどこか重みを感じさせて開かれる。


「グレーテル。ヘンゼルが帰ったわ。連れ回してしまってごめんなさい」


 紫苑色の髪が垂れ横顔に張り付いている。顔を涙で湿らせて、グレーテルは涙を零す。




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