第二章9話 『フォオォ』



 重力のない空間。黒と黒と黒色の世界。そこに浮かぶ三つの影。

 球体の影は言葉を発することなく他二人を導くように優雅に進行した。

 その影を追うように思えば男の影も後を追え、女の影は男と距離を離れまいと願いついて行く。


「ツルギ……」


 そっと声を震わせ溢した少女は安堵したい感情が少年に触れたい欲望と少年を思っての抑制力の葛藤で指先が少年を探す。


「大丈夫。いるよ」


 少年は戸惑い迷子な手先を握り掴み服の端へ誘導すると離して精霊を追う。

 少女は少年の服の裾そっと摘み引っ張られるように黒の空間を漂った。

 触れていないことになっても少年のいつもの反応は止まらずに全身を痒みを通り越して痛みが駆ける。先刻の接触した掌はもちろん、背中や腕、腹部に脚。肌という肌の全てに、毛穴という毛穴までにも激痛ではないが痛みを伴った。針を刺すような痛みが痺れが襲い狂う。額には汗がにじみ喉が渇いて張り付く。


「苦しい?」


 だが苦痛の表情を表に出すことなく背中を頼りにする少女に軽くほくそ笑む。


「なんてこたぁねぇよ。それより離すなよ」


 カガミが一度上下に顔を頷かせるのを確認して精霊の背中と思われる面に視線を戻す。

 今までは接触していたことによって発症していた病。だが今回の長時間でもない短時間の接触は接触部を通り越し全身を巡る。初の感覚に恐怖する反面、カガミという少女に頼られる状況が少年を苦痛より痛感よりも虚飾に導いた。そのことに少年も少女も精霊さえ気付くことなく、暗黒の空間にぽっかりと白く光る穴のようなものが徐々に見える。


「あれは……?」


「きっとあれが異世界への入り口だ」


 少年少女の発言にちらりと精霊が顔を向けるだけの反応を見せる。少年には精霊が「そろそろ着くよ」と言いたげにしていたように見えた。

 白い光の漏れる穴の手前で一度静止する精霊くるりと反転して顔といえるか疑問ではある顔を頷かせる。その返答に対して少年が見つめ頷き返すと背中の少女も少し慌てた表情を出しながら瞬間的に頷く。

 精霊はその二人を確認すると穴の先へ姿を眩ました。


「行くぞカガミ。異世界に」


「うん。覚悟も決意も出来てるよ。どんどん来い来い!」


 心配をかけまいとする彼女の計らいと優しさにもう一度信念がツルギの胸の奥に刻まれる。

 穴へ移動を願うと少しの前のめりで二人は移動し、視界を白色が覆い尽くした。

 二人のいなくなった暗黒の空間には何も残らないはずだった。が、ただ一枚の布が暗黒の中優雅に自由に何の抵抗も抑制も受けずに漂っていた。



 † † † † † † † † † † † †



 白色が全てを覆い尽くし、次に目にするのは異世界、アリスメル村である。そう思い込んでいた。

 だがツルギの行く手に待ち受けたのは再び暗黒の空間だった。先刻のはっきりとした黒色ではない。淀んだ黒色の空間、それこそ本当の暗黒。


「なんで、アリスメル村じゃねぇんだ……」


 辺りを見渡しても何もない。そこには暗黒が広がり続けるだけだった。少年が跡を着いていたはずの球体の精霊の姿は、


「フンシー、フンシー! どこにいる!?」


 精霊の姿は見えず、少年の問いかけには返答もなかった。


「ったく、カガミ。だいじょうぶ……か?」


 背中について来ていたはずの少女へ手を伸ばすがそこには何もなく暗黒があるだけだった。

 フンシーにカガミの唐突の消失に少年は困惑と状況把握への焦燥感が胸を埋め尽くす。先刻までの痛感は微塵もなくなっていたが二人の消失によって少年は喉の渇きと嫌な汗が終わることはない。


 この状況下ではあるがツルギは不思議と冷静になるのが速かった。

 なぜなら、


『――愛しています――』


 言葉ではない。耳に聴覚を伝って理解しているわけではない。だが意識が届く。その感情が愛だと言うことも分かる。想いが脳に感情に直接感傷する。

 逢うために待ち続け、逢うために想い続け、逢うために存在しようとし、逢うために生を燃やす。他の何も手にすることなくても想いが通じ合い重なり合い、言葉を交わしたい。その祈願だけが感情の主の存在理由。


 その感情が伝わった時、言葉を、感情を、想いを返そうと思った時には、ツルギには言葉を伝える手段がなくなっていることに気が付く。想いの主を愛したい。その感情がツルギを覆い尽くす。愛された。愛したい慈しみたい愛でたい話したい触れたい抱き締めたい。

 声が使えなければ手を伸ばそう。そう思う頃には両手がなくなっていて、手が使えなければ脚を。脚がなくなっているのならば、せめて、せめて想いの主を、見たい。

 その儚い想いでさえも叶わず、ツルギは暗黒の空間を瞳に映すことさえ出来なくなってしまっていた。


『――どうして、返事をしてくれないの?』


 ――ごめん。


『――やっとまた逢えると思えたのに、どうして』


 ――――。


『――誰よりも愛しているのに、どうしてあなたは、どうして』


 ――――――。


『――どうして――』


 ツルギは思うことも願うことも祈ることも出来なく、想いを一方的に受け取り続け、やがて暗闇に全てを溶かす。その時、一つ理解出来た。


『――どうして他の女に愛されているの――』


 想いの主が、女性だと理解した。想いを超えて可憐な可愛らしい幼声だが落ち着きのある大人の女性の艶めかしい美声。知るはずもない声に、ツルギは意識を無視して懐かしさを覚える。だがそれさえも泡のようにすぐに消え暗黒の空間に彼女の想いを残してツルギは消え去る。



 † † † † † † † † † † † †



 暗い暗い空間の中から一瞬と例えるならあまりにも遅い、刹那と例える瞬間的な出来事とも違う。見ていた、聞こえていた、感じれていた世界が全くの別の世界へ移動した。

 目を開いていたのかも分からず、ツルギがいたはずの世界が書き換えられたとも思えた。


 暗い淀んだ黒色が色すらもなくなったその先は、全てが白色のホワイトアウトした世界だ。辺りを見渡そうと思考する間もなくその変化に眼は徐々に慣れる。


 ホワイトアウトから風景が朧に目に映り考えようとした頃にはその風景がどこのものなのかしっかりと理解する。


「……しんしあの、家か?」


 見慣れたとは言い難いが見覚えのある部屋。視界に入るのは、中央にちょこんと丸い机が鎮座するだけで他に目立った家具はない。

 優しい光が頭上から注ぐ。背に注がれるはずの太陽の陽は今はなく光源は部屋を照らす照明の様なもので時刻的には夜だと分かった。

 異世界。それも知り合いの家と言うこともあってかツルギは強張った表情と力の入った肩が一気に緩み、少し浮かせていた腰を完全に落とす。柔らかな柔らかすぎる感触がクッションとなった。それと同時に歪な唸り声と木が軋む音が耳を掠めた。


「んぎゅ」


「おっとわりぃ。大丈夫かフンシー?」


 尻の下敷きになっていたのは翠色の精霊フンシー。腰を浮かせて彼に自由を与えると力なくゆらゆらと漂い始める。そして、ツルギの背には幼馴染の少女、カガミが未だに服の裾を摘んでいた。双眸を瞼で隠す彼女はきっと、あの暗い世界から直ぐに瞳を焼くような光の浸入が原因だろう。

 二人は白いシーツの敷かれたベッドの上に座り込んでいた。


 彼女の愛くるしい小動物的な雰囲気に胸を撫で下ろしていると、今まで視界に入れていなかった場所から聞き覚えのある声域が鼻から息を漏らすのが鼓膜を振動させた。


「……ふん……」


 視線をベッドの奥に送ると古椅子に腰を落ち着かせている空色のエプロンドレス姿、ウェーブがかった金髪の少女、アリスが退屈そうな眼差しでツルギを横目で見ていた。

 ツルギが彼女に視線を向けた途端横目を真っ直ぐにして視線を外した。


 アリスとフンシーがアリスメル村にいると言うことはあの日、ツルギが異世界から元居た世界に戻された日からも時間は経っていないとも思えた。あの翌日にはアリスメル村を出発し王国へ向かう予定であった。一歩譲りツルギが必要な存在ではないにしろフンシー不在で王国に向かうのを避けたとも思えた。だが言語の通じない今それを証明する方法がない。現在はツルギがいなくなってからどれだけの時間が経ったのか、それをまずは知るためにもウァサゴの元へ急ごうとベッドから立ち上がる。

 それにつられてカガミがベッドから転がり落ち、見事なまでにお尻を剥けて、向けた。


 無地のスカートが翻り太股から上も露わにしている。

 それは文字通り桃のように可愛らしい丸みが二つ合わさり合い、無駄な脂肪のない控えめな小ぶりな桃は見るからになめらかな面が照明を反射させ光沢を反し、その柔らかそうな静かさの中弾力と張りが手に取るように分かる程で、綺麗な桃は白肌な桃色だ。


 まじまじと爛々と悶々とした眼差しが数秒向かったら間に空色が割り込み助走なしに躊躇なく人差し指と中指がツルギの両目にテクニカルヒット。


「ノォォォオオ! 目が、目がァァァアァア!」


「……フォオォ……」


 眼球に直接アリスが触れたことによって激痛が目玉から侵入する。悶え苦しむツルギに唸るように言葉を捨てたアリスはきっと「……バカね……」と言ったのだろう。と考えていれば激痛が遠のいていく。


「……いたたぁ。急に立たないでよぉ」


「…………」


 何も口にせずアリスはそっとか細い腕を伸ばしてカガミへ掌を差し出す。無表情な彼女を豆鉄砲を喰らった鳩のように一度見つめると軽く笑みを作ってその善意を受け入れ立ち上がる。


「えへへ、ありがと。……?」


 返事のないアリスを不思議に思って疑問符を浮かばせる。その疑問をツルギへ視線を向けて答えを急かす。

 ツルギは頬をひどく紅潮させながら、


「こいつはアリスってんだ。ま、自己紹介はまた後になるかな。なんせ言葉が通じないからさ」


「なるほどなるほど。でも、ありがと。よろしくね。それにしてもなんでそんなに真っ赤になってるのー?」


 無理矢理にぎこちない笑みを浮かばせて脳裏に先刻の桃が過ぎるが、頭を左右に振って抹消を願う。そうこうしていればフンシーが言葉の齟齬を気にせず淡々と、


「イッテソヴェレウェイゲス。ヨウルンネセッサリェティンゲセウェレサセリフィセド」


「何言ってるか分からねぇよ。ったく。現状説明するならアリスとフンシーとは言葉が通じない。だから一先ずウァサゴってばあさんとこでこっちの言葉を魔法の力でどうにかしてもらうって感じかな」


 ふむふむ。と何度か頷くと指を一本立てる。


「言葉通じないの十分分かったよ。おばあちゃんのところで魔法使ってどうにかするのも分かったよ」


 立てた指をツルギへ向かわせて「でも」と前置きをして、


「それとこれは別の問題だよー。話し逸らさないの。なんでそんなに真っ赤なのー?」


「!? それはその……えっと、なんつか……」


 身体を跳ね上げてカガミから視線を逸らして天井を見て床を見て壁を見て小さな声を吐き出す。


「……だから、それは、おまぇ……」


 聞こえなかったのか一歩踏み出して顔を下から覗き込むような姿勢を取って純粋な眼を向ける。事実、ツルギ自身も自分が発したい言葉は用意は出来ていたが彼女のことを思ってか羞恥が口先に出ていかないのは分かった。


「――だから、お前、パンツどうしたんだよ……」


「ん、穿いてる……け、ど?」


 前のめりになったまま自身の膝裏から太股に手を当てて、スカートの下の臀部まで触り上げるとそこにはぷりっとした桃だけな事実にビクリと体を跳ねてツルギに対しての防衛反応か両手で股を押さる。

 ツルギからはその桃が見えないことが少しの悔いと、だがカガミの羞恥とアリスの殺伐の殺意と視感だけで起こり得るあの反応からして、やはり安堵が勝った。


「ぶぇっ! み、見た……?」


「いやまぁ、光が邪魔して全く微塵も綺麗な桃なんか見えなかったぞ」


「そっかぁー。ほっ、よかったー。……あれ? い、いま、今桃がなんて?」


「だから綺麗な丸々な桃は――! 違う見てない何も何も見てないから!」


 完全満面笑顔で顔を軽く傾けて大きく腕を後ろへ引いて、


「――やめッ!」


 振り被った手は人差し指と中指がしっかり立てられ見事なまでにツルギの双眸を射抜く。

 激痛と苦痛で今すぐ嗚咽をしてしまいそうになりながら呑み干す。



 † † † † † † † † † † † †



 二度目の倒懸の痛みが治まった頃、双眸を歪な形に歪めるツルギが指を立てて提案する。


「さ、状況把握は済んだしウァサゴの所へ行こうか」


「うぅ……なんかごめんね?」


 申し訳なさそうに軽く前で両手を交差するカガミ。

 その二人を傍目でアリスが「バカね」と言いたげな表情で冷酷な眼差しをツルギに送る。

 精霊フンシーはどこかへ姿を眩まして気が付けばいなくなっていた。きっとウァサゴ、アガレスにツルギが再召喚されたことを伝えに行ったのだろう。


「いいからいいからお互いさまでいいから、行こうぜ」


「お互いさ――ひゃん!」


「どした!?」


 扉に手が掛かった瞬間背のカガミが嬌声じみた声を上げた。太股を擦り合わせるようにもじもじとして両手は前と後ろの両サイドをガードし、双眸には薄らと涙が溜まっている。


 カガミは今、穿いていない。つまりノーパン。ノーパンツ。お股を隠す聖なる布が不在。というわけだ。


「変なこと考えないでいいからー!」


「と言ってもそれで外歩けるかってんだ」


「が、がんばるから大丈夫だもん!」


 ツルギは悲観的な溜め息でも苦悩した嘆声でもない吐息をわざとっぽく吐きながら自身のズボンを剥ぐ。


「ほら、くせぇかもだけどないより何分マシだろ」


「えっと」


「カガミが大丈夫つっても俺が無理だ。だから、ん」


 何か躊躇っているのか伸ばしかかる手が途中から伸びずにジャージ下を見つめている。

 その間に割って入ったのは空色エプロンドレス姿の少女、アリス。適当にズボンをすっと取るとカガミの手元に少し強引と思えるくらいに押し付ける。きっと彼女なりの優しさが働いたのだろう。いつもは何事にも関心なく退屈そうにしていて感情を押し殺しているように見える少女は心の芯では優しい少女などだとツルギは直感的にも経験的にも感じ取っている。


 アリスから受け取らせられたズボンに一つ頷くようにすると、アリスは無表情のままツルギを置いて扉を開け出ていく。


「……フォオォ……」


「今ぜってぇ、バカねっつったろ」


 ツルギの言葉はアリスには理解することは出来ないだろう。ツルギもまた同じでアリスの言った言葉は理解出来ない。

 アリスが部屋から出ていくのを呆然と見送り背の少女に視線を戻すと、スカートの下にズボンを穿こうとしたカガミが。見事なまでのタイミングは瞬間ハプニング大賞に応募すればラッキースケベ賞くらいはもらえそうだと、可愛らしい小ぶりな桃がちらりと見えて思い耽る。


「ちょ」

「なんつーか、今日もいい天気だな」


 擬音でもあるようにずぶりと双眸が再び悲鳴を上げた。



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